第11話 儀式



    11.儀式


 蛍が当主に呼ばれてから、三日が経った。

 未だ蛍に会うことがままならないまま、宗司は歯がゆい日々を過ごしていた。そして四日目の朝、蛍が当主になると神無翁から聞かされて愕然とした。思わず食ってかかる。

「何で、あいつが本当にそう決めたんですかっ」

「今更何を驚くことがある」

 射竦められて俯くと、宗司は渋々引き下がった。

「……神無翁、蛍は、本当に自分でそう言ったんですか」

「それを選んだのは、彼女自身だ」

「守護役である己の分を弁えろ、宗司」

 その態度に叱責が飛んだ。悔しさに唇を噛みしめる。

 本家の奥座敷には宗司や颯だけでなく、三輪、三峰、三上の御三家を筆頭に、一族の多くの者が呼び集められていた。それだけの意味を持っているということだ。

 この場で、それ以上の追及は許されなかった。


 最初はあんな奴が当主の候補になるのか、と面白くなかったのは事実だ。

 どこか頼りなさげで、これといって誇れるものなど何もない。

ずっと当主の守護役として生きることを定めづけられていたから、守るならまだ真耶のように一族として自覚のある人間の方がいいのもしれないと思ったことさえある。

 何しろ厳しく育てられた宗司にしてみれば、蛍はとことん甘ちゃんだ。

宗司に対して、いつも無理難題ばかり言ってくる。自分を守って宗司が傷つくのは嫌だ。怖いのは嫌だ。誰かが傷つくのは見たくない。

 じゃあ、自分の身くらい守れるのかと言えば、蛍は全然役に立たない。いつも守られてばかりのくせに、口ではいつも宗司と対等であろうとした。

 宗司を守護役として見ようとせず、まして使おうとしたことは一度もない。

 蛍は一族としての自覚もなければ、何も知らずにきたのだ。

 そして、この土地の真実を知ってしまえばもう選ぶことは出来ない。蛍は優しいから、その優しさが選択肢を彼女から奪うのは目に見えていた。

「こんなのだまし討ちもいいところだ」

 握り締めた拳で壁を打ちつけた。颯がわざとらしく驚いて見せた。

「今になって何を言ってるんだか。ちゃんと選択肢は用意されているだろう。当主になるも、ならないも選んだのは彼女自身だ」

「選べない選択肢なんて、そんなもの最初からないも同然だ」

 余計に性質が悪いと吐き捨てる。

 足下から絡め取られていく、本家の思惑に。大人たちの策略に。

 だんだんと身動きが取れなくなっていくことに気づかずにいた。そんな迂闊な自分を罵りたくなった。けれど颯は事実を指摘する。

「でもおまえも、知っていて告げなかったんだろう」

 そうだ、と宗司は苦々しく思う。自分も同罪だ。

 当主と一族の真実を知らされたのは、守護役として選ばれた頃だ。

 本家に戻って来た蛍を前にして、そして一緒に過ごす時間の中で、どこかでまだ猶予があると思っていた。何一つ心の準備なんて出来ていなかったのは宗司の方だった。

 このまま儀式に向かわせていいのだろうかという迷いに心が揺れ惑う。

 そこにひょっこりと現れたのが、永峯だった。

「儀式が始まるのはもうすぐだぞ」

 本家の集まりには出て来なかったのに、今頃になって姿を見せた。

今の話を聞いていたのは確かだが、ひょうひょうとした態度のまま宗司に告げる。

 外はもう暮れゆく陽が落ちた。

守森山を包む闇は深く、全てを覆い隠そうとしている。

「幸い、月が昇るまでまだ時間がある。蛍たちが向かうのは緑の座(くら)とその祠だ。――おまえが力を授かった儀式の場所だ。まだ覚えてるな?」

「どうしてそれをオレに」

「……そうだな。おまえを守護役にした、せめてもの罪滅ぼしだ」

 永峯らしくない言葉に、宗司はぐっと唇を引き結ぶ。

「おまえの好きにすればいい。オレも好きにしてきたからな」

 そこには必要以上の謝罪はない。永峯に謝られたところで、宗司にとっても今更だ。何も言わずに身を翻すと、宗司は駆け出した。

「何だかなぁ、永峯さん。宗司のこと、たきつけにきたんですか」

「ここはやっぱり最後の一仕事と思っだもんでな」

 不思議そうにする颯に謎めいた笑みを見せて、永峯は自分もその後を追いかけた。

 その場に残ったのは颯だけだ。息を吐いて、己の手を見つめた。

「できるなら不幸な結末は迎えてほしくないよね」

 遠い昔に交わした彼女との約束を思う。

 守ってね、と彼女は言った。私とここに住む人たちを守って、と。

「――オレはいつまでこうしているんだろう」

 その手はとうに離れ、もはや何も掴むことは出来ない。遥かな記憶の彼方。

この巡る輪廻の果てに何が待っていようと、もはや自分の内に眠る強すぎる思いしか颯は知らない。ここで全てを見届けたら、そしてまた続くのだろう。

希望と絶望は一族の歴史を彩り、非劇はそうやって何度も繰り返されてきたのだ。


   ***


(結局、宗司くんには何も話をせずに来ちゃったな)

 今夜の継承の儀式を執り行う一行は、本家の裏から続く守森山の山道を登っていた。蛍が本家に来た当初、漆黒の闇の中に狼の幻を見た辺りだ。

巫女装束のような慣れない衣装を身にまとい、蛍は本家から籠に乗せられていた。

篝火を先頭にしておよそ二十を数える程度。その中には長老衆も含まれる。

 宗司が話をしてくれた儀式。本当にあの夢のようだった。

(この先にあるのはきっと……)

 あれから神無翁の命じるがままに物事は運ばれた。

誰にも会うことはならないと禁じられ、かろうじて永峯と会話できたくらいだ。

守護役である宗司との時間すら持てなかった。

こんな大事なことなのに、自分の口から伝えていないなんて、宗司はきっと怒るに違いない。それを想像すると、張り詰めていた気持ちが少し和らいだ。

 儀式のことは、一通りの説明を受けた。

 一族が『緑の座』呼ぶ、守森山の奥深くに泉がある。

 普段は結界が張られ、誰にも立ち入りを許されないという神域だ。

 その泉の水で、当主である葵と蛍が水杯を交わし、杯を割る。それが契約した証となり、その瞬間から蛍はこの守森の主としての力を継ぐのだ。

 あの夢の中で、蛍はこれまでの一族の辿った歴史を目の当たりにした。

この土地の神を敬い、畏怖し、そして崇める。

恵みの少ない土地で生きる術として、神と共にあった守り人たち。

儀式を前に、神無翁は蛍に包み隠すことなく言った。

 代々の当主は人ならざる力を持つと、身体が力の負荷に耐え切れず、ほとんどは深い眠りにつく。それは肉体が死ぬ訳ではない。ただ、眠っているだけだ。

そのため穢れにあわぬよう、神異に狙われることのないよう、本家の結界の中でその生涯のほとんどを守り隠されて過ごす。

 宗司が言っていた意味はこういうことだったのか、と蛍は思った。

 わけがわからないまま宗司と契約した時点で、蛍は次の器として選ばれていたのだ。そしてそれは、今の蛍がどうあがいたところで覆らない。絶対だ。

 もし蛍が当主になることを拒んだら、次に犠牲になるのは真耶だろう。その真耶が器にふさわしくないとされたら、また別の誰か――そうして、繰り返されてきた。

何よりあの夢の中で見たいくつもの悲惨な光景。

もしこのまま神災が起きてしまえば、蛍の大事な人たちが犠牲になる。

(私が巫女になることでみんなを救うことができるなら……)

 蛍にとって、それが全てだった。


「さぁ、蛍殿」

 地面に降り立つと、風が足下から強く吹き抜けていった。

 蛍たちは山頂に程近い切り立った岩肌の前にいた。崖に鋭く縦に走った裂け目はどうにか人一人が通れる幅だった。よく見れば狭い洞窟となって奥まで続いている。

後ろを振り返ると、街の灯りが宝石を散りばめたように地平線まで広がっていた。手を伸ばせば掴めそうな程だ。守森山の裾野にかけて星屑のように瞬いている。

(あそこには私が守りたい人たちがいる)

「こちらへ参りましょう」

 その先へと促されて、蛍たちは祠のある洞窟の奥へと進んでいく。

 前後にいる一族の者たちが皆、朗々と何かの呪いを唱えているのがわかる。蛍はただ訳がわからないまま迷路のような細長い階段を降りていった。

 洞窟の中で音が反響して、肌が粟立つような感覚に思わず身震いする。やがて狭い通路を抜けた突き当たりで、急に空間が奥行きを見せた。

足下が明るくなったのを不思議に思って見上げれば、天井の岩が崩落したのか、ぽっかりと空に浮かぶ白い満月が見えていた。

蛍は思わず息を呑んだ。

「こんなところがあったなんて……」

「ここは守森山にあって、もはや守森山ではない場所――神域です」

 付き従っていた一人が答えた。

心地よい水の音が静かな空間に響いている。

緑の座と呼ばれる泉は、その月明かりの真下に位置していた。山から湧き出る清水が岩に当たり、泉となっている。緑の苔が絨毯のように覆っていた。

何より驚いたのは、確かに洞窟を抜けて来たはずなのに、そこが森だったことだ。

守森山の奥へと踏み行った時と変わらない風景が広がっていた。

(でもここは生き物の気配がまるでしない)

ただ静謐な空気を漂わせている。

 篝火に照らし出される祠の前で、月の光を浴びて葵が優雅に一礼した。

 手を差し出され、蛍は葵の横に恐る恐る並び立つ。

 神無翁が厳かに告げる。

「――月守の儀を始めましょう」

 何も言わず、葵は静かに呼吸を整えると、差し出された赤い杯を手に取った。

 月を映す泉の水を汲むと、その杯に移す。

そのまま葵がゆっくりと口をつけた。ごくりと喉が動く。

そして、蛍に同じ杯を差し出してきた。

受け取った蛍もまた、その杯に口をつけようと持ち上げる。

(これを飲んでしまえば、私はもう元には戻れない)

 わずかな躊躇いを振り払おうとしていると、葵が今までになく優しい声で言った。

「さぁ、これでおしまいにしましょう」

「……はい」

 後押しされるように、蛍が覚悟を決めた時だった。

 一際大きく風が吹いて、静かな空間に木々のこすれあう音がざわりと響き渡った。

 蛍の足下の空間が揺らいで雪之丞が現れた。

「どうして、ここに」

 蛍の視線の先にいるのは、息を切らした宗司だった。

急いで来たのかなりふり構わず、こちらへ向かってくる。苛立ちを隠しきれない様子で、傍目から見て、ものすごく怒っていることがわかった。

「おまえこそ、何でオレに黙って行った。オレはおまえの守護役だぞ」

「そんなの……」

 ぴしゃり、と扇を閉じた神無翁が眼光を鋭くした。

「――宗司。儀式の邪魔だ、今すぐ去れ」

「嫌だね! オレは儀式の邪魔をしに来たんじゃない! 次期当主の守護役として、そこにいる次期当主候補に用がある。ただ確かめに来ただけだっ」

 宗司は恐れず神無翁の叱責をはねのける。

 ずかずかと歩みを止めない。誰か止めんか! と神無翁が命じた。だが、宗司が近づくのを制止しようとした者は皆、片っ端から吹き飛ばされた。

 十分手加減しているのだろうが容赦ない。

「オレは蛍と契約したんだ。そのことを忘れた訳じゃないだろう、じいさん」

 挑発するように口の端を上げると、神無翁の眉が吊り上がる。

 ここは今の宗司にとっては、一番強い力が発揮できる場所ということだ。

「宗司くん……っ」

 蛍は思わず杯を置いて駆け寄ろうとした。

 だが、その手を葵に強く掴まれる。ハッとしてその顔を仰ぎ見た。

「――このまま続けなさい、蛍」

 お母さん、と蛍は呆然として、蚊の鳴くような声で呼んだ。

「それがあなたがここで、巫女として為すべき役目なのだから」

葵が告げたその言葉に、これまでの全てに納得がいった気がした。

 長く遠ざけられて、そして急に呼び戻された理由は、この瞬間のためだったのだ。

 いつになく強い口調で葵は蛍に命令した。

 為すべき役目。果たすべき役割。

(そうか、私はこうして利用される存在でしかなかったんだ)

 急に体の力が抜けていくようだった。悲しみよりも空しさが心を占めた。

 宗司は長老衆の結界によって、身動きを封じられている。そして一族の者たちによって地面に押さえつけられていた。いくら宗司でもあれでは多勢に無勢だ。

「なんと愚かなことを」

「ただ話をさせろって言ってるだけだ……」

 神無翁は宗司の所業に立腹している。だが、このまま月守の儀が済めば、これ以上宗司に酷いことはしないだろうと思った。

その一方で蛍は考える。

 自分は確かめに来ただけだ、と宗司は言った。

ここで宗司が蛍に確かめることで、何が変わるというのだろう。

 守護役という役目、その役割に縛られているのは誰より宗司自身じゃなかったのか。

 そんな疑念が胸の内で強く渦巻いた。

(――そうだ。今更何を確かめたところでもう遅い)

「もう駄目。……駄目なんだよ、宗司くん」

「おい、バカ! 蛍、やめろっ!」

 宗司が顔色を変えて叫ぶ。

 蛍は、最後の最後に自分自身のことを投げ出した。

(みんなのためとか、そのために自分が犠牲になればいいなんて、そんなの嘘だ)

 自分で気づいてしまう。あれは蛍が自分を欺くための嘘でしかなかった。

蛍のことを大切にしてほしいという願いの裏返しだ。

 ただ人を信じたかった。誰かに自分を必要としてほしかった。

ずっと、母から愛されたいと望んでいた。

 当主になることで内に秘めた思いが報われるなら、自分の願いのために自分自身を犠牲にしても構わなかっただけだ。そんな自分自身の浅ましさが嫌になる。

こうなってしまえば、もう何もかもどうでもよくなった。

 葵が告げる言葉を、蛍がそのまま復唱した。


 ――――私の還る場所が貴方にある限り、ずっと共に――――


「……ごめんね」

 残った杯の水を飲み干した。蛍の手から杯がすべり落ち、二つに割れた。

 どくん、と心臓の音が大きく響いた。

 意識がふっと遠のいた。視界はクリアなのに、周りの音だけが引いていく。

 頭の中が霞がかって、身体から意識が切り離されていくようだ。

 宗司が蛍に向かって叫んでいる。

「自分から大事なものを手離すなよ! 他の誰かを言い訳にするなよ、おまえはどうなんだよ。おまえの気持ち、おまえが口にしなかったらわかんねえだろっ!」

 その言葉がぐわんぐわんと頭の中で湾曲する。

びくりと腕が硬直した。身体のあちこちが酷く熱を持って、薄れゆく意識を苛む。

(宗司くんの言う通りだ。でも、私はもう間違えてしまった……)

自分の弱さに屈しない強い眼差しが、それでも真っ直ぐに向けられた。

「おまえの気持ち、ちゃんと言えよ! でなきゃ、オレはどうすればいいんだよっ!」

 宗司の叫びが、蛍を一気に目の前の現実へと引き戻した。

 自然と蛍の瞳に涙が溢れた。

「神さまになんて、なりたくないよ……っ」

 そして、それが蛍自身の本心なのだと自覚する。

 だが、無情に告げる声がした。

「もう遅い。我らの神は、無慈悲な災禍とあまねく幸いの共にある」

 祠を中心に風が唸りをあげ、木々の枝が大きく傾いで揺れた。

 周りのどよめきと共に、蛍はゆっくりと瞳を開ける。

 そこには、夢で見た銀の狼が姿を現していた。

 眩いばかりの月の光に照らされて、一歩、一歩、狼が踏み出した場所から、鮮やかな銀の色彩に映り変わっていく。神域の空間は瞬く間に、触れてしまえば脆く壊れてしまいそうな銀色の森へ、蛍の瞳が映す世界はその色を変えた。

「これが、――カミシロ」

 呆然としたまま蛍がぽつりと呟いた。

 夢の中で何度も見たことがあるはずなのに、実際目にするとその存在感に圧倒される。

 銀の毛並みが輝きを放ち、まさに神々しいという言葉がふさわしい。

 言葉を失くして見入る蛍に、神無翁が命じた。

「さぁ、カミシロ様と契約を結ぶのだ」

「くそ、離せよっ」

 暴れる宗司の喉元に刃が突きつけられた。

「守護役の代わりなど、いくらでもいる。こやつの命が惜しいなら、早く結べ」

「この土地と共に、カミシロ様の力を宿す器となるのだ」

 蛍は逡巡する。けれど、その目は本気だった。

「やめろ、ばか、やめろって……っ!」

 宗司が悲痛な声を張り上げる。

 蛍は現れた狼を前に、ゆっくりと自分から近づいた。

銀の毛並みと対照的に、深い海のように藍色の瞳で見つめられる。

この瞳を自分は知っている、と思った。

「あなたは――」

 その時、蛍たちの頭上を一つの影が横切った。。

「とことん下衆なことをするな、神無翁。オレの頃と変わらんやり口だ」

 銀の狼の背に降り立つと、一陣の刀が目の前で鈍く閃いた。

 その首に刀を突き立てたのは永峯だった。



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