第5話 陰謀



    5.陰謀


 高校生活が始まって、一カ月になろうとしている。

 私立三峰学園の高等部に入学してからは毎日があっという間だった。

蛍の通う三峰学園は中等部からの持ち上がりも多いが、半数は外部からの進学組だ。それにより守森市外からの通学も多く、県外からの推薦入学も珍しくない。

「ほったるぅ、お昼食べよう。ほら、机並べちゃってさ」

 クラスメイトの瀬戸千鶴がぴょこんと飛び跳ねるようにやって来て、お弁当を掲げた。その隣では、眼鏡が似合う秀才の吉井沙穂が呆れたように腰に手を当てていた。

「さっきまで居眠りしてた割に、すごく元気ね」

「うるさいなぁ、沢木の授業で眠らずにいられる方が不思議だよ」

 千鶴も沙穂も、巷では難関と言われる試験を合格した外部からの進学組だ。最初の人間関係でつまずきやすい蛍にとって、二人のような存在はありがたかった。

『ねえねえ、あなたも三峰学園は高校からなんでしょう?』

そんな声をかけてくれたのが、たまたま後ろの席になった千鶴だった。それ以来、同じように進学組だった沙穂も交えて、こうして三人で過ごすようになったのだ。

 蛍が弁当の蓋を開けると、千鶴が感心して小さく口笛を鳴らした。

「今日も今日とて蛍さんのお弁当は、超豪華仕様だねぇ」

「これ作ってるのは使用人さんなんだっけ」

 さっすがお嬢様~、と二人が声を揃えて目を丸くする。

依子手製の弁当は、栄養バランスも見た目も申し分ない。東京にいた頃は、永峯と二人分を用意していたのは蛍だったが、もっと適当で、夕飯の残りものも多かった。

それに比べれば、毎日用意してくれるのは頭が下がる思いだ。

「でも、ちーちゃんのお弁当は相変わらず可愛いね」

小さめの弁当には、卵焼きやプチトマト、そして冷凍食品のコロッケと言ったお馴染みの品が彩よく敷き詰めてあった。

「またまたご冗談を。蛍のお弁当の方が数倍上だよ」

「それは私も否定しないわ」

「えぇー、早起きして作ってるんだからね、これでも」

「このお弁当一人じゃちょっと量も多いし、よかったら二人とも食べない?」

 やったぁ! と千鶴が瞳を輝かせれば、こら、と沙穂がたしなめる。

 牛蒡の肉巻きに舌鼓を打って、沙穂がしみじみと言った。

「家には使用人がいて、送り迎えは車でしょう。蛍って、今時珍しいくらいお嬢様ね」

「でも普段は全然そんなんじゃないよ」

 それを謙遜と受け取って、またまたと二人は笑い飛ばした。

けれど東京にいた頃は、本当に二人と何ら変わらない生活を送っていたのだ。

(今の私が言っても、説得力がないかもしれないけど……)

「あとあと、蛍の周りもすごいよね。あの中等部のお目付役みたいな子!」

 うっと愛想笑いが思わず引きつった。

 宗司のことは入学早々に人目について目立ってしまい、周りから「二人の関係ってどういうこと?」と質問攻めにあったことは記憶に新しい。

「だって蛍のボディガードみたいだもん。毎日校門前で待ってるじゃん」

「それは、宗司くんが家に居候しているからで」

「お家の事情で、一つ屋根の下かぁ」

 居候と言っても別棟だから、とは何度も言っているのだが、そこはいつも流される。にやりと沙穂がさらに追い打ちをかけてきた。

「その上よ、一学年上の三上先輩にも特別可愛がられて」

「それは颯さ……三上先輩とは、親戚同士だから」

「いいなぁ、上も下も選びたい放題じゃん。うらやましすぎる……!」

「で、本命はどっちなの?」

「だから、そんなんじゃないってば!」

 もう勘弁してよ、と蛍が憤慨すると、二人はようやくからかうのを止めた。

誰にでも気さくな千鶴や竹を割ったような性格の沙穂は細かいことを気にしないため、お嬢様だと口ではからかってくるが、案外うまが合うことは事実だ。

ただお昼の弁当一つにしても、これまでは自分の手の届く範囲だった物事が、どんどん自分の手を離れていくように感じる。その不安をわかってもらうのは難しい。

 ふと顔を上げると、窓の向こうに飛行機雲が見えた。

真っ直ぐに伸びて行く白線に、しばし目を奪われる。今いる場所から遠くに思いを馳せるように、蛍はぼんやりと目で追った。そこへ急に話題を振られた。

「そう言えば蛍って、結局どこの部活にも入ってないわよね。興味はないの?」

「うちの硬式テニス部はまだまだ部員募集中だよ。見学もおっけー」

「アンタ、そもそも練習についていけてるの? 千鶴」

「まあまあ、今は体力強化中なだけだって」

「美術室からいつもヘロヘロになって歩いてる千鶴が見えるわよ」

「だってあの辺り、先輩たちから見えないんだもーん」

(私もやってみたいけど……)

あれから永峯は戻ってはまた仕事の関係で本家を離れてしまっていた。

普段食卓を囲むのは、蛍と宗司の二人きりだ。時々颯も顔を出すが、母からの呼び出しもない。真耶もあれ以来、本家を訪れることはなかった。

あの家に母が本当にいるのかそれすらも今は疑わしく思えてくる。

まだ蛍には自分を取り巻く環境の全貌が見えていない。だから、千鶴たちのいる元いた日常へと戻る術がわからなかった。


 いつものように賑やかな昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。

それを合図に理系選択の千鶴や沙穂とは別れて、ようやく慣れてきた校舎を蛍は一人で歩いていた。昼休み特有の喧騒がまだあちこちから響いてくる。日常の光景だ。

(……どうして、宗司くんはあんなことを言うんだろう)

 宗司はいつも校門前で別れる時に決まって「外では特に気をつけろ」と言う。きつい眼差しで凄まれると、うかつに疑問を差し挟む余地はない。

「大神さんも古典Ⅰの授業っすか?」

 後ろから並んで来たのは、同じクラスの生徒だ。名前は佐庭譲。

「えっと、佐庭くんだよね」

「そうそう、同じクラスだけどこうやってちゃんと話したことないっすよ」

 それなのに自分の名前を知っていることに蛍は驚く。

学業に力を入れているこの学園は、一年生から選択授業も多い。そのためクラスメイトの顔と名前がようやく一致してきた感じだ。特別席が近かったり、出席番号が近くないとなかなか覚えきれない。

「一度ゆっくり話をしてみたかったんすよ」

 えっ、と驚いて見返すと、自分を覗き込む視線とかち合った。興味深そうにくるくると動く瞳には、不安そうな自分が映っていた。

 単なるクラスメイトへの興味だと思えるほど、蛍は目立つことはしていないし、見目に関して自惚れはない。警戒を感じたのか、にこやかに佐庭は続けた。

「本家の姫さまってどんな人なのかなーって」

「それ、どうして……」

「あ、この呼び方はちょっと嫌っすか? 大人連中がみんなそう呼ぶんでつい」

「それよりも、佐庭くんはうちと関わりがあるの?」

宗司や颯に対してはまだ接し方に遠慮があるが、クラスメイトだということもあって、蛍は佐庭の話に食いついた。この機会を逃さないとばかりに踏みこんでいく。

「えっ、もしかして、大神さんてオレのことも知らない?」

 蛍が頷くと、あちゃーと額を押さえた。どうやら予想外だったらしい。つまり、佐庭は蛍が後継者候補だとわかって近づいてきたということだ。

「佐庭くんみたいに私がそうだと知っている人、他にもいるの?」

「……そりゃ、まあ本家の姫さまが戻ったって話は、一族間では噂になってるんで」

 頬をかきながら、気まずいのか目を逸らす。

 元より顔に出やすいのか、失敗したと思っているのがありありとわかった。

「……あー、これ絶対オレが言ったって秘密ですよ」

「うん。わかった、約束する」

「春休みの通り魔事件、あれも実は神異が人に憑いて起こしたって話みたいで。最近なーんか血なまぐさい嫌な事件も結構多いんすよ、この辺って。当主が今になって呼び戻したのも、そういう事情があるんじゃないかって……」

 蛍が考え込んだ様子を見せると、あくまで噂っすよ、と念押しした。

「その、佐庭くんにも、何か力があるってこと?」

 まあちょっとだけ、と親指と人差し指で得意そうに示した。

そう言いながらも佐庭は肩を竦めると、小声で続けた。

「でも、オレなんて御三家の人間に比べたら全然っすよ。それでもここは一族の人間のほとんどが通う学園なんで。というより、うちの一族はこの街じゃどこにだっていると思っていいっす。姫さまだと知っていても、オレみたいに話かけたりしないですけどね」

「もしかして千鶴や沙穂も……?」

 不安そうに尋ねると、それはないっす、と手を振って否定した。

「あの子たちは外部からの進学組でしょう。裏を返せば、この学園に昔からいる奴は多かれ少なかれ、本家との関わりを持っている」

(だから私は、この学園に通わされることになったんだ)

 まだ手探り状態の蛍にとっては、それがわかっただけでも小さな一歩だ。

 ありがとう、と蛍は素直に佐庭に言った。

「今まで宗司くんたちに聞いてもなかなか教えてくれないことが多くて。佐庭くん、また今度色々なこと教えてくれる?」

 蛍が上目づかいで尋ねると、あはは、と笑っていた佐庭がぴたりと動きを止めた。

「まずい。それはまずいっす。今の色々全部忘れてください。オレから何を話したとか、じじいにわかるとマジでオレがやばい……っ」

「そんなに慌てるようなこと?」

「オレは正直なとこ部外者同然なんすよ。候補選びの件に関しては、もう部外者も部外者! だからオレが何か情報を与えるのってたぶんルール違反みたいなもんで」

「ルール違反? みんな、……勝手なことばかり」

 蛍はムッとして口を尖らせる。何だか八つ当たりのようにも思えたが、ふつふつと怒りがわいてくるのがわかった。

「うわぁ、えっと、じゃあこれだけ」

 教室を前にして、佐庭が声を潜めて耳打ちした。

「オレだけじゃないっすよ。ここで大神さんのことを知っているのは」

 視線を辿ると同じ教室へと入ろうとしている生徒の姿があった。

「隣のクラスの三峰直澄。この学園の理事長の息子で、大神に名前を連ねる家系です」

「それって」

 真耶の名前を思い出す。

口に出さない疑問を引き継ぐ形で佐庭が応じた。

「アイツもあなたの関係者です」


 校舎裏に出ると、人目を気にしながら蛍は少し離れたフェンスへと走った。

噂されるのは面倒なので、正直なところ誰かに目撃されたくない。

 放課後になって佐庭にまだ尋ねたいこともあったが、宗司からの呼び出しメールに気を取られている内に、すっかり姿を見失ってしまった。

「遅いっ!」

 一喝されて、蛍はびくりと肩を強張らせた。

 中等部のフェンスにもたれかかっていた宗司の表情が険しい。三峰学園は中等部と高等部は隣接しており、このフェンスが敷地を隔てていた。

「ホームルームが長引いたんだもの。しょうがないでしょう」

「オレが待たされたことは事実だ」

「それは謝るけど」

 先に怒ったのはそっちなのに、という不服は口に出さなかった。

がしゃん、と足をかけてフェンスを揺らすと、軽々と飛び越えて、宗司は蛍の前に降り立った。その危なげない身のこなしには素直に心の中で拍手する。

「おまえ、今日一日何も感じなかったのか?」

「何を? 呼び出した理由を教えてくれるのが先じゃないの?」

「……結界が揺らいでいる、ってことだ」

 皆まで言わせるなという苛立ちが言外に滲んでいる。だが、佐庭との一件を思い出し、今度は蛍が言い返した。

「そんなのわかる訳ないじゃない、私は宗司くんたちとは違うもの!」

 一瞬驚いた顔をした宗司が、罰が悪そうに目を逸らした。

「今日は早く帰れ。ここも危ないかもしれない」

「ねえ危ないって、何が危ないの? それに結界って何?」

「神田がもうすぐ来る」

「それは、もしかしてあの通り魔事件にも関係しているの?」

 ――神異、という佐庭の話に出てきた言葉が脳裏に閃いた。

宗司は少し驚いたようだったが、その問いかけには無言を貫いた。

 蛍にも自分が今、何かの渦中にいることはわかってきた。望む望まざるに関わらず、もう何かが始まっていて、それに巻き込まれているのだ。

深呼吸をすると、視線を逸らすことを許さず宗司を見つめた。

「教えて」

 胸元できつく手を握り込んだ。

「お願い、本当のことをちゃんと私に教えて」

 宗司がたじろぎ、言葉を探すように逡巡しているのがわかる。

 ゆらり、と地面が傾いだ気がして、眩暈がしたのかと額を押さえた。この感覚には覚えがあった。途端、切羽詰まった声で宗司が辺りを見回した。

「まずい、場が変異しているぞ」

「ちょ、ちょっと、どういうこと?」

 蛍を背に庇うようにして、宗司が距離を近づける。まずいな、と舌打ちした。いつもとは違い、宗司が何かに焦っていることはわかる。

 携帯を取り出して電話をかけるが、あいにく通じないようだった。

「急にどうしちゃったの? 何が起きているの?」

「いいから離れるなよ」

 そんな勝手なと思い、反論しようとして、出そうとした声が出なかった。心臓を鷲掴みされたようなそんな感覚に陥る。今まで見えていた景色が色を失っていく。

どくん、と心臓が跳ねあがる。身体が意思に反して緊張が高まる。

 ここにいたくない。ここから逃げ出したい。

全身がそう訴えている。

「……ねえ、何なの、何が来るの?」

「うるさい。少し黙ってろ」

 あの時と同じだ。

 通り魔に襲われた時と同じような、そんな恐怖。

(――どうして、こんなに怖いの)

 自分の肩を抱くようにして、蛍は蹲りそうになる自分を叱咤した。座り込んでしまったら立ち上がれなくなる。

 周囲を警戒する宗司の背中を見つめる。

「一から説明している時間はない。とりあえず、ここを出る」

「出るって……」

「ここはもう学校じゃない」

「何それ、そんなこと言われてもわかんないよ。だって、ここは学校でしょう」

「オレにもわからん。どうしてこうなったのか」

 颯のバカ野郎、と呻いて、宗司は校舎を指し示した。

「とりあえず、ここは目立つ。場所を変えるぞ」

 二人は走って、その場を後にした。


 校舎に入ってすぐ蛍は違和感を感じた。

今は放課後なのに嘘のような静けさ、音が一切しないのだ。

太陽が雲に隠れたのとは違い、まるで夜のように薄暗く感じる。それなのに、足下に視線を落とせば、そこにあるはずの影はなかった。

「ちょっと、ねえ、ちょっと待ってっ」

「おい、引っ張るな」

 宗司はようやく足を止めた。一旦、教室に入ると、素早く身を隠すように扉を閉めた。ここにも人がいない。この校舎に人影がない。

「ったく、颯はどこにいやがる」

「二年生の教室はこの校舎じゃなくて、そもそも南校舎だよ」

「そっ、それを早く言えっ」

「説明しないまま走り出したのはそっちでしょ」

 蛍もさすがに反論する。宗司はがしがしと頭をかいて、床に座り込んだ。

「……悪かった。焦ると余裕をなくすのはオレの悪い癖だ」

 あの宗司が素直に非を認めるとは思わず、蛍は呆気にとられた。

 蛍にとって言葉のきつい宗司のような人間は相手にするのが苦手な類だ。怒っているつもりは本人にないのかもしれないが、勝手に委縮してしまう。

そういう意味では反対に、言いたいことがあっても黙り込んでしまうのは、蛍の悪い癖なのかもしれなかった。

(私は宗司くんのこと、今まで苦手に思いすぎているのかも)

 考え込んでいた宗司の瞳から、すっと焦りが消えた。

「誰か知らねえが、すぐに仕掛けて来ないあたりがいやらしいな。じたばたしても相手の思うつぼだ。ここで態勢を立て直す」

「うん、わかった」

(……あ、何かすごくホッとしてる)

宗司が落ち着きを取り戻したことで、こんなに安心するとは思わなかった。

この状況を打開にするのに、宗司だけが今の頼りなのだ。

「それに相手の狙いはわかってる」

一点を見つめていた宗司の視線が蛍を捉えた。

「――狙いは、おまえだ」

 次の瞬間、蛍の目の前で教室のガラス窓が一斉にはじけ飛んだ。



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