186 竜滅
両翼はその機能を奪われ、喉奥からの出血が中々止まらない。
ドクンドクンと脈打つ鼓動に合わせて吹き上がる血潮を吐き捨てて、久方ぶりに感じる痛みに耐える。
その上で竜は自身の勝利を確信していた。
眼の前に立つダンジョンは両腕を失い全身が焼け爛れている。胸部の奥にいる小粒達も含めてもはや自分を害する力は残っていない。
勝利の美酒がすぐそこにある。それを飲み干したならば真似とった「
血を攻撃に転用する技も色々試したい。溜め込み吐き出すだけでなく、乾かした血を武器にすれば「
竜はそんなことを考えながら唸るように笑い――
「…………?」
自分のものではない。
しかし、くぐもってはいるものの確かに何かの笑い声が聞こえてくる。
周囲の生物その殆どは戦いに巻き込まれ消し飛んだか逃げ出している。こんなにハッキリと声が聞こえるほど近くにいるのはダンジョンぐらいなもの。
しかしそこからではない。羽虫の一匹すらも捉えることができるその瞳で様々な場所を
どこにいる? 何が笑っている?
周囲を見回し咆えて、薙ぎ払ってもなおその笑いが止まることはない。
不愉快極まりない。何がそんなに面白い。苛立ちが募り怒りの咆哮が増える。
「――っ!?」
その笑い声が
竜の意識が内部へと向けられる。
体の中にいるものに気がつけたのはそれもまた小さな竜であったから。
馬鹿な、いつの間に、どうやって?
竜が驚愕している間に胃の中を飛び回る小さな竜は次第にその行動範囲を広げていく。
それに気がつくと同時に、竜は体に異変を感じ始めた。
まずは腹痛。
そして僅かな
そこに強い
「グルルァアアア! オォォオオオオッ!」
体を強くねじる、揺らす、跳ぶ、腹部を撫でる叩く、大きく深呼吸を繰り返す尻尾を何度も大地に打ち付ける。
なにか一つでも効果がないかと祈る思いで動き回る。
傍から見れば不審極まりない、まるで赤子が駄々をこねているかのような無様な姿を竜が見せる。
小さな竜が移動を始める。筋繊維の壁を容易く斬り裂き突き進んでいく。
向かう先にあるのは体を支える骨の中でも最も重要なもの。端的に言えば、背骨がある。
「グギィっ……! ガァアァァアアア!!」
もはやなりふり構う暇など無かった。
奥歯を強く噛み締めて、竜は体の中にいるその小さな竜に向けて貫手を突き立てる。
自らの手で鱗と皮膚を突き破り、滝のように流れる血潮とそこにある生暖かな体温を感じながら奥へ奥へと腕を伸ばす。
しかし、
それでもと腕で体内を
「ガァ!? ァッ!? カァッ!? ガギィアアアアア!」
しかしそれは
竜は様々な感情を混ぜ込んだ叫びをただ上げることしかできない。
どうすればいい、今度は何をすればいい。
体から腕を引き抜き、傷口を抑えて血潮と臓器の肉片が流れ落ちるのを留めながら竜は思考する。何かあるはずだと考える。
できないことなど
――ガクリと、
竜が
腰が、下半身が、足が、尻尾が何一つ動かない。感覚が断絶している。
体の中でも
そのせいで
「ガゥアアアッ!! アァッ!!」
力が入らなくなったせいか、竜の下半身から溜め込まれた排泄物が漏れ出た。
大量の汚れた血液と何かの肉片が混じって、強い悪臭を放っている。
感覚が無くとも不浄なるそれに身を浸している事実が屈辱的に過ぎる。
「ガッァァ……ァァ……アアアァッ!? ガアアアァッ!?」
竜がもがく。
微動だにしない
そのためにも多くを喰らわねばならない。なんでもいい、とにかく数が必要だ。
そうだ、と竜の首が跳ね上がった。
近くに巣がある。小さな
それを喰らい体を癒そう! 癒やすのだ! そうしなければ、死んでしまう!
「させる、もんかぁっ!!」
「っ!?」
動き出すために伸ばした手が蹴り飛ばされた。そしてすぐに顔に衝撃が走る。
怒りを覚え睨みつけるように顔を戻せば、死に体のダンジョンがいつの間にかそこにいた。
「グゥゥゥガアアアアアッッッ!」
「通すわけ無いだろうがァッ!!」
両腕を失い満身創痍、いつ崩れ落ちてもおかしくはない焼き溶けた身体でダンジョンはなお
いや、それは攻撃にすらなっていない。竜の動きを抑える邪魔でしかない。
しかし命の危機にある
「ッカァァァァァッ」
威嚇の咆哮は空気を擦るような掠れ声になっていた。
ダンジョンを追い払おうと振るう腕に、今まであった膂力も恐ろしさも無い。
死に体であっても余裕を持ってそれを躱し、ダンジョンは繰り返し竜を蹴り続ける。
「カッ、ケァ、カァァッ!? ァァァァ……!」
竜はいつしか腕を振るうことを止めて頭を抱えて蹲っていた。
凍る背筋から首へと徐々にせり上がってくる異物から
何故だ? 何故こんなことになっている? 何が悪かった?
自分はただ、喰らいに来ただけだというのに!
首筋が痛い、手が痺れる、じわりじわりと蠢くように進んでくるものが怖い。
掻き毟る。もう嫌だと、出ていってくれと掻き毟る。血が流れる。それでも小さき竜は突き進む。
「ゥァガアアアアアアアアアアぁぁ……っ!!」
竜が啼いた。涙を溢して、啼いた。
啼いて、鳴いて、泣いて。
『脳みそとうちゃァァァくッ!!』
その
「……終わった、のか?」
大地に倒れた竜、光を失った瞳に力なく開いた口からは舌がだらしなく垂れている。
念の為にと何度か蹴り飛ばしてみるも反応らしい反応はない。
しかし倒したのであれば天内にも見える戦闘経験値の表示が現れるはずであった。それが見えない以上、気は抜けない。
「ねぇ、ねぇ! これ倒したの? 倒したんじゃない!?」
「ピクリとも動かないけど。隼人、どう思う?」
「まだ死んでない、と思う」
赤野の疑問に天内はそう答えた。思うというのは眼の前の状況と自分のみが知れる情報が一致しないからこその迷いがあったからだ。
それに対する反応は様々だ。
檜垣は「じゃあとりあえず頭が潰れるまで蹴り続けるか?」などと提案してくるし、アイリスは竜の生死よりも竜の内側へと飛び込んだ桜井の無事を気にしている。
ルイシーナは興味なさげに、ユリアは考え込んで二人合わせて沈黙。
エセルは自分にできることはないかとブツブツ独り言を始め、赤野に関しては判断を天内に委ねていた。
「(竜の死を絶対にするなら檜垣さんの言う通り物理的に損壊させる方が良い、だけど……)」
問題は桜井が今どこで何をしているかだ。
竜の不審な挙動、自傷という凶行、突然の下半身不随。
それら全てが桜井の手によるものだと天内は考える。
特に下半身不随が発生したということは医学に詳しくはない彼であっても背骨周りで何かが起きたのではないかと推測することができた。
となれば桜井は口から胃に入り、背骨へと至った。先ほど竜はしきりに首周りを自傷していた。
であるならば、と……見ていた竜の動き全てを踏まえて天内は桜井の位置を考えていく。
「(上……心臓、は違う。そこにいるなら竜は死んでいる。なら首を通って……生きているなら頭にいるのか?)」
ならばダンジョンの足を鋭利な形に組み替えて、竜の首の根本を切断すれば確実。
そう考えて天内はゆっくりと足を持ち上げダンジョンを竜へと歩み寄るように促す。
「ん? あれ?」
「どうかしたのかい天内君? 何やら動きが急に止まったが」
「いや俺じゃなくて……」
しかし今度はダンジョンが動きを止めた。
何事かと天内が思ったとしても、『魔物使役』の技能を持たない彼には意思疎通どころか言葉を伝えることもできない。
ついには限界に至ったのかと心中に不安が押し寄せる中、その答えは眼の前ですぐに起きた。
「ガギュっベッ!」
「――っ!?」
竜が跳ねた。打ち上げられた魚のように全身を痙攣させながら跳ね始める。
その巨体がもたらす躍動の衝撃は大地を揺らし、地震をもたらす。
天内は竜のさらなる抵抗を感じ取り、飛び退くダンジョンと共に身構えた。
復活か? 新たな抵抗か? それとも未知の生態か?
悪い想像が天内の頭によぎる。しかしその中から考えうる可能性を絞り込む間もなく竜はその動きを止めた。
そして横倒れになった竜の側頭部に、小さな光が灯る。
「あれは、剣だ」
気がついたのは檜垣だった。
その光は月光。突き出たのはそれを反射する刃。彼女の脳裏に焼き付いている、狂うほどに憧れていた
龍鱗の内側からスラリと突き出たそれはゆっくりと、斬り裂く肉を味わうように上下の動きを繰り返して、その傷口を広げていく。
程なくして剣が内側へと戻った。
そしてすぐに別の位置から剣が突き出て同じ動きをする。
それが4度、作られた傷は四角形を描いていた。
そして、間欠泉の如く。赤い血潮が肉塊を押し退け噴き出した。
大地に転がったサイコロ状の肉片、降り頻る血の雨の中でゆっくりと這い出てくる人影が一つ。
「――クーッ、ハァー……」
全身がどろりとした赤黒い粘液に塗れていて、細かな肉片と骨片が糊付けされたように張り付いている。
それでも頭とわかる場所には爛々と輝く双眸があり。グチャリと音を立てながら、粘液を押し退けて笑みを描いく口角が露わになっていく。それは確かに笑っている。
顔がわからないほどの有り様であったとしてもそれが浮かべた笑みだけで、這いずり出てきた何者が何を成し遂げてきたかを天内達は理解した。
人型が、竜の頭の上に立つ。
返り血は脱ぎ捨てるように流れ落ちて、内に秘されていた彼の姿を月光が出迎えて。
竜を屠りし
「レベルがァァアアァ! 上がったぞォオオオオオオオゥッッッッ!!!!」
それは共に戦った者たちの喜びさえも塗りつぶすほどに大きく、晴れやかで、清々しさに満ちた声だった。
――>ドラゴン、【未熟なれど溶鉄の火竜】を倒した!
――>経験値+1,202,748,562! レベルが3上昇した!
「フゥゥゥォオオオオォォォ、ォおぉ……ぉ、っ。……ふぅ、さてと」
「え? オイ、待て桜井!」
「トールが竜の中に戻ろうとしてる!」
「桜井さーん!!」
「アイリス! 桜井を引きずり出すぞ! アイツあのまま竜の中に住む気だ!」
「亨の好きにさせれば良いんじゃない? なんか面白そうだし」
「ルイシーナ! 私達が下に降りるのを手伝ってくれ! 報告のためにも彼にはいてくれないと困る!」
「この高さなら……落ちたほうが早いかな。隼人ー! 私1人なら風魔法でなんとかなるから先に行くねー! よっと」
「玲花!? そんなに思い切り良かったっけ!?」
17分後、逃げ回る桜井は天内達の手により竜の頭の中から引きずり出されるに至る。
彼は確保直前まで「ここは俺の国土だぞ!!!」と繰り返し叫び続けていたという。
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