185 生まれてよかった。
「勝つための条件は3つ。中でも最優先は翼を潰して飛行能力を奪うこと。ブレスと合わさると一方的に嬲り殺しにされるからな」
ダンジョンを口説き落としたあと、さらなる説得の末にダンジョンの巨大ロボ化を成し遂げた桜井はパイロットに任命した天内に告げる。
「本命はユリアの『換金術』による射撃攻撃。周囲に展開した鬼剣オニガシマ共を使った視覚共有で多角的に観測すれば射撃精度も上がるだろ。隙を見つけて叩き込め。一撃限りだが、骨の部位に当てれば片翼を奪う位はできるだろ」
「多角的に観測って、簡単に言うが難しさの想像すらできないんだが」
「エセルに補助をさせる。聖女教育の中に砲術の類に関する数学教育もあったらしい」
「この世界の連中は聖女を何だと思ってるんだ???」
「俺も同じこと思ったけどもしも王族と共に戦場に立つ必要があった場合を想定してとかなんとか……まぁ、あるもんはありがたく使わせてもらおう」
そして飛行能力を奪うことに成功したならば、次はブレスだと桜井は言った。
「その2つさえなんとかできれば最後は俺がなんとかする。だからお前は翼とブレスをなんとかしてくれ」
「(竜のブレスは喉奥にある生体器官が作り出し、それを口から吐いている。つまりそこをなんとかすれば良い!)」
天内は桜井から伝えられた竜の生体情報を思い出しつつダンジョンを動かし、大地を踏み砕きながら竜へと迫る。
竜は咆哮を挟み一拍遅れて動き出す。姿勢を低く、手を地につけた四つ足のでの突進。二足歩行のダンジョンと比べその加速力には歴然とした差がある。
激突すれば大きな被害を被るのはダンジョン側だろう。しかし天内はその足を緩めることをしない。むしろより早くと速度を求めて足を動かす。
「聖闘派、『迅雷』ッ!」
天内がスキルを発動する。瞬き程度の間を置きダンジョンがそれを模倣する。
瞬間的な速度上昇の狙いは激突のタイミングをずらし竜の虚を突くこと。突撃姿勢に入る前の、無防備な頭部への飛び膝蹴りが放たれる。
だが竜の動体視力はダンジョンの加速を捉え、即座に頭部が狙われていると看破する。
竜は本能的に前へと飛び込んでいた。後ろ足で蹴り上げた大地が爆散し、その反動を受けたかのように巨体が射出される。
タイミングをずらされたのはダンジョン側であった。
頭部狙いの膝蹴りは飛び込んできた竜の胸部を蹴り上げる。その衝撃に竜の上体は持ち上がり、飛び込んできた巨体がその場に留まる。
それこそが竜の狙い。敵の攻撃を利用して再び直立した竜の眼前にあるのは膝を立てて未だ宙に浮かんだままのダンジョン。
竜はその腰回りを抱えるようにして掴みこむ。捉えたダンジョンへ噛みつくも締め上げるも投げるも押し倒すも自由自在。主導権を竜が得る。
が、天内はそれを許さない。
「玲花ッ!」
「うん!」
装備を組み替えていた赤野 玲花が魔法を発動する。
それを模倣し、ダンジョンが左肘から生えた突起物の先から炎を噴射する。
腰が掴まれようと上半身はまだ動く。腰の入らない拳には炎の加速を乗せる。
コンパクトに折りたたまれた拳が振り下ろされ竜の頭を打ち据えた。腕の拘束が緩み、ダンジョンが再び大地に立つ。
ダンジョンの両腕が次々に振り抜かれていく。殴りつけられた竜の顔と首が右へ左へと揺れ動く。
合間の抵抗として放たれる竜の爪はスウェーで躱して再びの連打を叩き込む。一方的な展開は勝利の光を強く感じさせていく。
「――ッ!?」
天内が咄嗟に身を引いた。
それをダンジョンが模倣するまでの刹那の隙に、ダンジョンの胴体が下から上へと抉られる。
攻撃の正体は竜の股下から突き上げられた尻尾。
決して鋭くはないはずの尻尾だが、その余りある勢いがそれを斬撃の如き攻撃へと変貌させていた。
「(咄嗟の動きにダンジョンが追いつけなかっ――!)」
悪態をつく間もなく今度は竜の攻勢が始まる。身を引いたことで生まれた距離を利用して竜が自らの巨体をぶつける。
ダンジョンがたたらを踏みながら下がる。竜が再び組み付き、ダンジョンを持ち上げ、体を捻り後方へと投げ飛ばす。
「全員掴まれェェェェエエエ!!!」
為す術もなく投げ飛ばされたダンジョンの中で天内が叫んだ。
その警告に従い内部にいる面々は近場の何かしらに掴まるものの、襲いかかる浮遊感とそれを自覚した次の瞬間には落下の衝撃が襲いかかる。
「っ、ぐぅ……!」
天内は痛みを噛み殺しながらダンジョンの周囲を飛び回らせている鬼剣達による視覚共有の中から状況を確認する。
上空から見下しから彼は竜とダンジョンの立ち位置が当初とは逆転していることを知った。
つまり、竜が国側に背を向けて立っており。ダンジョンは竜が一度身を沈めた山に叩きつけられている。
そして竜が顎を引いて視線を上空に向けていた。
ダンジョンを無視するかのようなその動きに天内は鬼剣の存在に気が付かれたものかと考えたが、喉の膨らみがその考えを否定する。
「ブレスッ!!」
今度は警告ですら無く反射的な叫び。腕を大地に叩きつけその反動で横へと転がる。
次の瞬間、
「ゴォォォォァァァァッッ!!!!」
ただの炎というよりも
そしてそれは火炎『放射』から『熱線』へと変わり、紅に縁取られた白色のそれが大地から空へと向けて一閃される。
山が縦に斬り裂かれ割れていた。
天内の回避行動が一瞬でも遅れていたならばダンジョンはそのブレスによって左右に分かれていただろう。
そして竜が
「なぁっ!?」
照射中の熱線を掴み、曲げる。
鞭のようにしなる熱線が宙を跳ねてダンジョンへと襲いかかる。
エネルギーの塊でしか無いそれを素手で掴むなどという無法は桜井が目にした資料の中に記載など無かった。
想像すらしていなかった理外の攻撃。それに触れたダンジョンの脇腹が抉られ右腕が斬り飛ばされる。
「っのォ!!」
宙に舞う右腕を残された左で掴み取り投擲。
幸運にも熱線照射が切れるタイミングに投げられたそれは竜の頭に直撃、ひるませる事に成功する。
「なに!? 今のなによ!? あんなの聞いてないんですけど!!」
「原作だと見たこと無い攻撃だな。予備動作の溜めは大きいし、後2~3回見れば大体見きれるだろ」
「その前にコッチが死ぬわよ! 他人事だと思ってんじゃないわよトール!!」
「いやだって俺の出番まだじゃん」
「桜井は相変わらず肝が座ってると言うか無関心と言うか……!」
「桜井! ガタイが多少小さくなっても良い! 腕を直すようにダンジョンに言ってくれ!!」
あいよー、という緊張感のない返事の後にダンジョンが大きく揺れた。
その体格が一回り小さくなる代わりに脇腹の傷は塞がり余剰となった部分を使って失った右腕が音を立てて『再生産』される。
もちろん体格が小さくなることでのデメリットは存在する。
一回り小さくなるということは射程距離が短くなるだけではなく質量の低下に合わせた破壊力の減少も発生する。
また歩幅も小さくなるため近づくための苦労がより一層高まってくる。近接戦に持ち込む上でこれは重大なデメリットだ。
しかし、それでも天内は即座の補強を選んだ。
単純に片手を失った状態で戦闘を行うことがスケールの差以上の不利を生むということもあれば、情報でしかなかったドラゴンブレスの脅威を実感を持って理解したためでもあった。
「(撃たせないためにも、そして排除するにもやはり取れる手段は近接での肉弾戦しか――っ)」
仕切り直すためにダンジョンに『聖闘派』の構えを取らせる。そして気がつく。
対峙する竜が同じ構えを取っている。
たったの一秒すら鍛錬をしていないはずであるというのに、自分と同じくらい長い年月をかけてきたかのようで。堂に入っている。
そうであると見抜けるほどに竜の構えは形も練度も天内のそれとほぼ同一と言って良いほどであった。
「……意趣返しのつもりかよ」
山に叩き込まれ、武の力を見せつけられる。自分たちがやったことをやり返しに来ている。
竜の真意がいかなるものであったとしても傍から見れば正しく意趣返しとしか言えないだろう。
もしくは武人が積み重ねてきた
この挑発に引っかかることそのものが「見様見真似で比類するものか」というある種の傲慢を晒すようなもの。
だが、ありがたい。
つまるところ竜は同じ徒手空拳の舞台に上がってくれているのだ。
その証拠に構えたまますり足で動けばまるで鏡写しかのように竜も動く。
ただでさえ身体を縮めた影響で距離を詰める手段に悩んでいたところに降って湧いた好機。これを蹴る理由は無いと天内は判断した。
「檜垣さん、念の為に準備お願いします」
「わかった」
「んー。俺も準備しておくか、賭けどころな気がする」
「桜井さん気をつけてくださいね!? 本当に、本当にですからね!?」
ダンジョンが竜との少しづつ距離を縮めながらその内部で少年たちが動き出す。
そして距離を詰めたダンジョンと竜がお互いの射程圏を重ね合わせ――――同時に拳が放たれた。
ダンジョンの振るう右フックを竜は肘で受け、返す拳のストレートをダンジョンが身体を傾け回避する。
パンチ、肘打ち、エルボー・バット、チョップに掌底裏拳アッパー貫手に縦拳。
互いに放つ打撃技の応酬を互いに受け、流し、返し、掴みと捌いていく。一つ一つの激突が衝撃を伴い空気を打って重厚な破裂音を響かせる。
そして同時に足下でもまた立ち位置や足踏み足払いの応酬が行われていた。
傍から見ればまるで猫がじゃれついているかのような、その実は両手足を最大限利用した高速の攻防が続く近接戦闘。
その優勢は、竜に傾いていた。
「こ、のぉォ!!」
直撃は食らっていない。しかし竜の攻撃を捌くたびに両碗の接触面が削れていく。
龍鱗の凹凸がそのまま荒いヤスリのように表面を傷つけるのだ。
しかも竜がその事実に気がついてからというもの意図的に鱗を逆立たせ、接触時の傷をより深いものへと変えてくる。
削れればそこは脆くなる。
脆くなれば防御に支障をきたす。ジリ貧になっていく。
その上で竜は徐々にその武術を進化させはじめている。
例えば尻尾を使い背中越しに股下腰に刺突の如き攻撃を放ってくる。時には足を絡め取り転ばせようとしてくる。
大ぶりの隙を埋めるように背中の翼を振る。それは平手打ちのようにダメージこそ薄いが追撃を阻止するには十分な衝撃力を有している。
加えて竜は天内が死線を超えて身につけた『
今は攻撃の間にやり得とばかりに差し込まれる指の弾き、指弾程度――それでも人間比で見れば砲撃規模だが――の遠当てを行ってくる。
そしてその程度ですらもダンジョンの防御力を貫通してくる。
ダンジョンの装甲が弱いわけではない、竜の力が強すぎるのだ。
「(ダンジョンが指弾の傷よりも腕の修復を優先してくれてる! ありがたい!)」
竜が大ぶりの右フックを当て損ない、その隙をカバーするように翼を広げて叩きつけてくる。
天内はそれを予測してダンジョンの両手を身体の側面に、五指を広げて翼膜を受け止め引きちぎった。
ダンジョンは即座に飛びかかり右翼を抱え込み左側に向けて身体を回す。
片翼すら残さない覚悟の捻り切りが――翼の稼働力に敗北する。
そもそも竜の翼というものはその巨体を羽ばたきだけで宙に浮かせることができる部位なのだ。
一点集中で力をかけるならまだしも全体に力を分散させたやり方では竜に軍配が上がる。
翼膜は破り捨てたため翼としての機能は十分に奪った。欲をかいたしっぺ返しをくらう。
「ゴガァァァァァ!!」
咆哮と翼をはためかせ身体を激しく振るう。
翼に組み付いていたダンジョンは腕の緩みと共に遠心力も加えて投げ飛ばされる。
大地を日々割る衝撃と共に一度バウンドしてから、滑る巨大が擦るように土をえぐり出し背に新たな山を作り上げて静止する。
再びの咆哮。四つ足の加速をもって竜が突撃してくる。
武術を捨てた竜が本来持っている野生のフィジカルを利用したそれに直撃。背面に盛りたっていた土の山を爆ぜさせながら、ダンジョンが更に先へと吹き飛ばされていく。
転がりながらもなんとか体勢を立て直し、開いた両手を突き立て減速する。大地に何本もの塹壕のような筋が生まれた。
そしてその塹壕を踏み砕きながら竜が再び迫る。ダンジョンもまた天内の動きに合わせ立ち上がり駆け出す。
正面衝突に対する優劣は既に決している。
ダンジョンが万全であった時でさえ危険だったのだ、サイズが小さくなったならば激突直後に轢殺されてもおかしくはない。
それでも前に出たのは竜が喉を膨らませていたから。
突撃と同時のドラゴンブレス。一度に放たれる熱線の持続時間は9秒弱。
例え横に避けたとしても少し首を動かされればブレスは容易に大地を焼き払いながらダンジョンを両断せしめるだろう。
ならば跳んで避けるか? ブレスを掴み鞭のようにしならせる技がある以上、宙に浮いた瞬間に斬り刻まれてもおかしくはない。
防御不可、回避不可。であるならばできることは迎撃による阻止しかない。
だから全力で駆ける。ドラゴンブレスによる確実な敗北よりも、正面衝突の中に残されている僅かな活路へと向けて。
「(途中で土を掴んで目潰しいや目に膜があるから無意味か突進は受け止めたら負けるならこちらから飛びかかり首を掴んで背に回るいやブレスを吐こうとしてるから頭と首の位置が低いならばじゃあいやしかしでも)」
激突までの約十秒間で天内は幾つもの手段を検討しては却下する。
目まぐるしいほどの速度で行われた思案の中で残った案は2つ。
最も生存の可能性が高い次に繋がる動きと、後先考えぬ失敗すればそれまでの一挙両得の動き。
賭けるか、否か。
好機でもなんでもない破れかぶれでしかないようなこのタイミングで賭けに出るなど――
『んー。俺も準備しておくか、賭けどころな気がする』
「(そうだ、もう、賭けてる奴がいる)」
――ならば勝負するしかないじゃないか。
迫りくる竜の威圧感に全身が震える。咆哮に総毛立つ。
怯える心を噛み締めてそれでも前へと意識を向ける。
やるべきことは決まった。後はそれに突き進むだけ。
賭けに出る。
そのために天内は速度を落としブレスを誘う。
「アイリスさん、氷を!」
「――! 了解しましたぁ!」
アイリスの魔法が発動し、それを模倣したダンジョンの全身が氷に包まれる。駆けながら左腕を振りかぶる。
だがそれよりも早く大きく開いた竜の顎から一瞬の閃光が弾け、骨すら残さない獄炎が放射。ダンジョンの全身を飲み込んでいく。
「行けえええええッ!!」
その獄炎の中をダンジョンは突き進む。防護の氷が瞬く間に溶け落ち、ブレスに晒された全身が火炎放射の熱に耐えかね融解を始めたとしても。
踏み込む、倒れない。ダンジョンは振りかぶった拳をまっすぐに突き出した。
その行動は賭けだった。
竜の息吹は火炎放射から熱線へと変わる。
逆に言えば熱線に変わるまで1秒弱の放射状態がある。
熱線でなければ即死は免れることができる。
戦闘開始当初、ダンジョンの追撃を止めるために竜が初めてブレスが放った時に距離を開けたのはそれを隠すためでもあった。
その隠し札をここで切る。
辿り着くまでに焼き尽くされれば終わり、火炎放射が照射に切り替わった瞬間に終わり。
潰される正面視界の代わりに別の位置にある視界情報から測る距離感諸々が誤っていたら終わり。
突き出した拳を躱されれば終わり。
命中してもその勢いを削ぐことができなければ終わり。
勢いを削いだとしても焼けた身体が耐え切られなければ終わり。
五分五分の賭けではない。成功の確率は酷く低い。
しかしこのまま安全策を取り続けていたとしても勝利は見えないまま。
蛮勇無謀それとも勇気ある決断か。その結果を知るために、天内は拳を振り抜いた。
その結果が、これだ。
「――ゴ、ガボッゴッ!?」
竜の口の中、その喉奥深くまでにダンジョンの焼けた拳が入り込んでいた。
ドロドロとマグマのように溶け落ちる腕の石材が竜の気道を塞ぎかけ、喉奥からゴボゴボと泡立つ音が聞こえてくる。
突撃の勢いは削がれていた。落ちた速度にダンジョンは耐えきった。
口の拳を突き込まれた竜が驚愕から数秒の硬直をしていた。
次の行動にはその数秒があれば十分だった。
「っのぉおおおおおお!」
「ガボグガロロオっ!?」
拳を開き、その先にあるものを握りしめ、捻りながら引き抜く。
引きずり出したのは竜が喉奥に備えている生体器官。
巨大な水袋のようなそれは魔力を炎へと変え、集め、吐き出すドラゴンブレスの要となるもの。一拍遅れて竜の口から血が吹き出る。
「ゴブガラァァァァッッ!!!」
「がっ!? ごっ!?!?」
ダンジョンに大きな衝撃が走った。竜がその巨体をぶつけて来たのだ。
それは攻撃というよりも相手を遠ざけるための破れかぶれのタックル。
しかし全身を焼かれ脆くなっているダンジョンではその衝撃に耐えられず、体をボロボロと崩しながら転がっていく。
「ぐっ……みんな、無事か……?」
衝撃に振り回された内部で天内は呟くように声を出した。
強い耳鳴りで返答があったのかわからない。未だに揺れる視界、額から一筋の血を流していた。
被害は天内たちがいるダンジョンの心臓部にも及んでいる。
そこは他のどこよりも装甲を厚くしていたというのに、顔を上げた先には外へと繋がる大穴が開いていた。
「うっ、ぐっ……」
風と共に入り込んでくるのは周囲の何もかもが焼かれたことによる焦げた臭い。そしてむせ返るほどに濃い血の匂い。
自分たちのものではない。
穴の先に広がる風景の中で何度も咳き込みながら夥しい量の血液を振りまいている竜のものだ。
「(ブレスは、潰した……桜井は……? ここからどうする? ダンジョンは、まだ動け――)」
竜と、目があった。
「――っぃッ!!」
全身から血の気が引いて息が詰まった。
怒りに塗れたその双眸を目にして、全身が金縛りにあったかのように動かなくなる。
まるで全身が何かに押し付けられているような圧力を感じる中で、竜の閉じた口が、その両頬が膨らんでいるのが見える。
ブレスは失ったはず。では、何を?
「腕を上げろッッ!!」
「あっ、あ!」
檜垣の叱咤に言われるがまま、天内は反射的に腕を上げる。
ダンジョンもまたその動作に釣られるように右腕を上げて――肘から先が爆散した。
「なっ!?」
「今度はなによぉ!?」
「檜垣さん今のは!」
「血だ! 口に溜めた血を飛ばしてきた!」
雑に言えば唾を吐いたようなものだ。喉奥からせり上がってくる血液を唾液の代わりにして。
圧縮された
大穴を通じて爆ぜた右腕の欠片と竜の血滴が入り込む。
それらから身を守る余裕など無かった。竜の口に次弾が装填されていることに気がついたから。
「動けェェェェェ!!!」
ダンジョンが体を傾け無様に転がり始める。竜が放つ血の砲弾がそれを追いかけていく。
右腕を失った状態で、体も焼け爛れ大きなダメージを受けているダンジョンは動くたびにどこかしらが崩れていく。
それでも止まるわけにはいかなかった。
転がるたびにそれまでいた場所から爆発音が響き渡るから。
「立て! 立つんだ天内!!」
「わかってる!」
そうして手に入れた勢いを利用してダンジョンは立ち上がり、再び横へと駆け出した。
とにかく冷静になれる時間が欲しい。その天内の考えは自然と「距離を開ける」行動、選択となって現れていく。
対して竜は血を溜めた口元に手刀のように並べた爪を添えていた。
その光景を見た全員が感じた嫌な予感はすぐに現実となる。
「ブーーーッォッッッ!!」
竜が血を吐いた。
今度は一塊ではなく液体として、口をすぼめて遠くまで飛ばすように。
そして口から吹き出た血は添えた爪先にある隙間によって更に勢いを増し、ついには細く鋭利な血流の刃と変貌する。
下から上へと切り裂く刃、斜めに動く刃、刺突のように地平線へと突き進む刃、そして跳躍を防ぐように上空を右往左往する刃。
いかなる理由かそれぞれが独立した動きを見せる4本の血流の刃が襲いかかる。本来のブレスは潰したというのに。
天内にとってそれはまさに悪夢のような光景であった。
悪夢であって欲しかった。それならば、夢ということで終わらせることができたから。
「ぅ、あああああああッッッ!!」
防御、迎撃、回避。どう動こうとも防ぎきれない。
刃は次々とダンジョンの巨体に斬撃を浴びせる。一刀両断されることがなかったのは一重にそれが
本来であればブレスを潰した後は
翼を奪い遠距離攻撃を奪い去ったのであれば今度はこちらがリーチの差を活かす番……ということで、ダンジョンに巨大な剣を作らせそれを檜垣が振るう予定だったのだ。
だがそれはもうできない。ダンジョンが受けたダメージが深すぎる。
賭けに出た結果、予定通りの戦果を得た代わりに想定以上の深手を負ってしまった。
流血を利用した新たな遠距離攻撃など誰が予想できるのかと悪態をついたとしても、これがどうしようもないほどに残酷な
「(桜井は……桜井はどうなった! 桜井は、桜井は!!)」
両腕を失い膝から崩れ落ちるダンジョンの中で天内は縋るような思いで視線を彷徨わせた。
鬼剣による数々の視点を忙しなく切り替えてその存在を探し求めた。
だが映らない。どこにもいない。音沙汰もない。
それが天内を支えていたものをゆっくりと崩していき、彼は苦しみに顔を歪める。
「ングゥゥ」
「っ!」
竜が口を膨らませ、天内は少しでもダメージを減らすために蹲る。
吐き出されたのは血霧。
しかし『血霧』といっても実際には血の弾幕といっても過言ではない。人体に向けられたのならば途端に蜂の巣にされるだろう。
だがその程度ならばダンジョンには通じない。
敵もそれはわかっているのだろう。竜はその血霧をダンジョンではなく周囲に向けて振りまいている。
何が狙いか? その答えは辺りを飛び交う鬼剣オニガシマ達だった。
血霧の弾幕に晒された鬼剣達が為す術もなく破壊されていく。
次々に消えていく共有視覚がそれを確かなものにする。
脳裏で処理する情報が減ったことで天内は幾分か調子を取り戻した。
鬼剣達の存在に気がついていたのか、というよりも今更どういうつもりだという疑問が打ち勝ち天内は竜を直視する。
「グゥゥゥルルゥ……」
竜が笑っているように見えた。
血混じりの、それ以上に多い唾液を口の間から垂らしながら竜は牙を見せて唸っていた。
竜が鬼剣を破壊したことにどんな意図があるかはわからないが。脳の負担が減った分だけそれをハッキリ捉えることができてしまう。
「(ダンジョンは見捨てられない。逃げようとも国が向こうの背にあるからたどり着けない。貪り食われるか羽虫を払うように殺されるか。桜井の姿も見えないし……はは、本当に、どうしようもないな)」
絶望感が押し寄せてくる。
桜井の話に乗らなければ良かったとか、あそこで賭けに出るべきではなかったとか、数々の後悔が湧いてくる。
今にでも弱音を吐きそうになる自分を抑え込みながら天内はダンジョンと共にゆっくりと立ち上がる。
「(なんとか、せめてなんとか竜の背に……国側に回り込む。そうすれば他の皆は逃げ切れる、かも、しれない。いやわからないな。でもなにもしないよりマシだ)」
悲壮な覚悟を決めて竜と再び対峙する。
両腕を失い全身を黒く焼き焦がした崩壊寸前のダンジョンと両翼が機能不全となり口から血を垂れ流すものの未だ健在と言える竜が対峙する。
これから先の未来など、どちらが勝利の栄冠を手に入れるかなど、もう目に見えて明らかなほどに優劣が決定づけられていた。
そして竜が動き出し――――眉をひそめて、動きを止めた。
「……なんだ?」
竜がキョロキョロと周囲を見回し始める。
咆える。尻尾を振り回し周囲を薙ぎ払い始める。
そこにダンジョンの姿は写っておらず、背すら向けている。明らかに不審な行動が続く。
頭を抱え、何度も何度も咆哮を繰り返す。竜が何かに苛立ち、苦しんでいる。
突然の奇行。
その理由を龍の姿を見ていた誰もが考え、そして誰もが一人の人物を脳裏に浮かべる。
「まさか」
本当にできるのか? という作戦だった。余りにも突拍子もない考えをしていたから。
それでもそれしかないと思ったから全員が参加した。
そして竜の理不尽さに直面して諦めかけていた。
だからこそ、今まさに苦しみだした竜を見て全員の顔に活力が取り戻されていく。
そして希望を得た瞳と共に脱帽の気持ちを込めて、彼らは各々の呼び方でその名を口にする。
嘔吐感を促す強い酸性の悪臭が立ち込める暗黒の空間。一切の光源のないその場所に火が灯る。
火に照らされて、脈動する『壁』に翼を生やした人型のシルエットが写し出された。
その正体は蝙蝠の翼のように形を変えた『翼手外套』を身につける少年。
火を灯しているのはかつて『剣聖』より与えられた使い古された一本の片手剣。
空間の底にある悪臭の発生源たる強酸に触れぬように、彼は空間に張り巡らせた糸の上に立つ。
そして悪臭の吸引を少しでも減らすために外套を操作して作り上げた黒いマスクの下で彼は笑みを浮かべた。
「右か左か、どっちで殴るか。飛び出た瞬間に死ぬかどうか。まぁ1/2を2回ってところか? まぁどうでもいいか」
そんなことよりと、彼は左手に握る炎を宿したその刃で『壁』を斬りつける。
想像よりもすんなりと通る刃。
切り口は即座に焼き潰され返り血の一つも生じない。
都合がいい。そのうえで視界の端に表示された数字を見て彼は笑みを深める。
「ク、クフ、クク、クハッ」
今ばかりは一切の我慢をせず、思うがままに振るうことが許される。やっとここまで辿り着いたという喜びがあった。
その喜びを吐き出すように彼――桜井 亨は叫ぶ。
「俺さぁ! この世界で生まれて初めて、前世が日本人で良かったって心から思ってる! 本当に、最高の気分だ!」
叫びながら刃を振るう。剣だけではなく糸を操り生み出した斬撃が無差別に周囲を切り刻む。
先ほど都合がいいと考えた頭はどこへやら。糸の斬撃に晒された傷口から血が吹き出し桜井の全身を血に染める。
そのことへの不快感など無かった。むしろ『強敵を相手にした場合のプラス補正』が加えられた
「アハッハハハッ! なぁ、ドラゴン! なぁ!! お前、一寸法師って知ってるかァ!?」
狂気に塗れた絶叫を最後に桜井 亨は縦横無尽に暴れ出す。
斬り裂き潰し胃袋を抜け出てどんどんと加速しながらその体内で暴れまわる。
そして笑うのだ。大声を上げて。楽しくてしょうがないと声高々に笑って表す。
「アハッ! アハッヒャァ! ヒャァッハッハッハハハハッハァ! タノシイ! タァノシィ!! タァァァノシィィイイイッヒッヒィッ!!!」
その狂乱の歓喜を、世界でただ一匹、竜だけが耳にしていた。
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