182 落陽
激突を間近にした七篠と天内を余所に同門剣士の刃が鍔迫り合う。
桜井は強敵を倒すためならば敵であろうがなんだろうが即座に手を組むし利用もする。
そして同時に今の彼の状態は隙さえあれば気分次第で裏切り
檜垣はかつて彼と同様に深い狂気に陥った経験からその性質を本能的に理解していた。だからこそほぼ反射的に桜井の凶刃を防ぐに至る。
刃を押し込むかそれとも引いて
鍔迫り合い中に伝わる力の動きが相手の心理を伺う手掛かりとなる。
剣士同士にのみ許された刹那の対話。その結論として互いに剣から焔を生み出す。
「『
「――『
「「『
手のひらを返すように炎をまとった刃が翻り、敵対が即座に協力へと変わる。
放たれた高速の蛇焔はその規模と速度を増して先んじていた天内を瞬く間に追い抜き七篠を飲み込まんとする。
「『
魔剣より生じた竜の力が蛇を打ち払う。双頭の蛇焔が辺り一面にわざとらしく火花を撒き散らしながら四散する。
大技の振り抜き。その隙に続くは天内 隼人。七篠の顔面に向けて拳を放つ。
「無駄だろうが!!」
七篠は拳に向けて頭突きを放つ。そもそも打撃が殆ど通じないという頑強さに加えて打点をわざとズラし硬い額でぶつけることで天内の拳を潰さんとした。
しかし衝突のわずか手前で天内の拳が停止する。手が開かれ、頭突きを空かされた七篠の胸ぐらを掴みこむ。
「
引き込みからの密着、流れるように腕を極めてそのまま投げへと繋がる。
そして床へと投げ落とされた七篠に天内が組み付く。
「(俺の打撃は効かない。なら、
「離しやがれクソが!! 気色悪い!!」
人外の膂力による抵抗は激しい。
しかしその身体の構造が人型であるのならば寝技・関節技はその膂力に関わらず通用する。
「こ、のぉ!」
何度振りほどこうとしても体勢を変えて絡みつく天内に対して七篠は剣を手中に収めながらも指を床に突き立て、組み付く天内諸共その身体を持ち上げ力強く床に叩きつける。
一度ではなく二度三度と。しかし何度背を叩きつけられようとも天内はその寝技を解くことはない。
彼が持つ『打撃耐性』がその衝撃を緩和していたこともあれば、そもそもこの世界の人間は身体能力が元の世界よりも高いことも理由に挙げられる。
なぜならレベルそしてステータスの差によっては力技で抜け出されることなどいくらでもあるからだ。
だからこそこの世界には組み付いた状態で叩きつけられた場合に対する受け身の技術があり、天内はそれを身に着けている。
七篠の体力を消耗させる。人造英雄に対してその効力は微々たるものではあるが長引けば無視できない消耗を強いることもできるし、単純に行動の阻害になる。そして純粋な技術に裏付けられた寝技は抜け出すための技術を使わねば脱することはできない。
「~~~ッ、『
故に七篠は魔法を行使した。
膨大な魔力を対価に血肉が持つ実体を幻想へと変え、自らを縛り付ける拘束をすり抜ける。
立ち上がるとともにさらなる力を行使する。足元に残る天内に向けて、そして駆けてくる桜井と檜垣に向けて。
「『見えるアホは攻撃の瞬間まで実体が無いから迎撃は肌に触れた瞬間、見えない斬撃の実体化は少し早い』」
糸を通じて手短な情報共有が行われ、その間にまたも複数の七篠が出現する。
視認可能な七篠だけに注視してはならない。それを囮とした不可視の斬撃も含め多重の攻撃が各々に襲いかかる。
「よっと!」
掛け声と共に桜井が身体を大きく回転させ、それに合わせて床に転がっていた天内の身体が糸に引かれ飛び出すように七篠の間合いから滑り抜ける。
助けたと言うよりかは自分の
「言うのは楽だがッ」
「いいからやれ!」
桜井と檜垣が背中を合わせ背後を潰し攻撃の方向を限定。互いに剣から炎を噴射、それによる加速を得て襲いかかる幾人もの七篠を迎撃する。
肌が触れた瞬間に弾く、と言うのは簡単ではあるが視覚情報から斬撃の方向を予測して事前に動き出したとしても実体化のタイミングに合わせなければすり抜けるか遅れて深手を負う羽目になる非常に困難な行いだ。そこに不可視の斬撃も加わるとなればより一層難易度は上昇する。
檜垣は戦いを通じて発揮されつつある過集中と鋭敏になった肌感覚で、桜井は
そして突然発生する不可視の斬撃に関しては周囲に張り巡らされた糸から伝わる振動を頼りに桜井がその位置を特定して対処する。
もちろんそんなことができるのは糸の主である桜井のみ。必然的に不可視の斬撃は彼が担当することになる。
となれば突発的に動きを変える必要もあり、檜垣がフォローに入ったとしても無傷というのは不可能。
深手を負うことだけは紙一重で避け続けているものの傷は次々と刻まれていく。防御だけで手一杯、反撃をするには凌ぎ切る他にない。
「どうしたもう限界ってかァ!?」
自分たちの周りに現れた七篠達だけでほぼ限界。そして場には天内を取り逃がしたことで手の空いた本体が残っている。
加われば確実に2人を殺すことができる。それを見逃すほど七篠は愚かではないし――それを許すほど天内 隼人は弱くない。
「フーッ……スゥー……」
戦域から離脱し、エセルの支援を再び受けた天内が膝立ちの姿勢で開いた左手を前に右拳を大きく後方に引き絞る。
イメージするのは透明の杭。それは自身のわずか手前から七篠の顔にまで真っ直ぐと伸びている。
「(引き出せ、あの時の感覚を。指先が触れたその瞬間を!)」
再びの
加速する意識の中にその杭がハッキリと浮かび上がる。
「『遠当て』」
右拳が肩が外れるほどに勢いよく振り抜かれ、数m離れていた七篠の顔が跳ね上がる。
ダメージなど殆ど無いだろう。しかしその心理的な衝撃は強く、七篠は呆然としたまま体勢を崩し、釣られるように背後に転んでしまう。
その瞬間に現れる攻撃の乱れ。数ある幻影にノイズが走り、不可視の斬撃が途中で消失する。
それを見逃すこと無く桜井と檜垣の二人は本体へと向けて駆け出した。その背にある空間を後追いで刃が通り抜けていく。
「『火剣』、『蛇焔』ァ!」
檜垣が放つ9匹の蛇焔が渦巻きながら七篠へと襲いかかる。
視界を塗りつぶすその光景に彼は『
身体が不自然に跳ね上がり、大きく剣を振りかぶり竜の一爪を放たんとして――炎の渦の中を駆け抜けてきた桜井を目にした。
「ハッハァ!」
『自動操縦』は今目の前にある脅威に対して圧倒的反射速度による自動対処を行うもの。
そこには思考がないため予測を立てるというものがない。迫りくる脅威の度合いについては判断を行わない。
考えないから「
考えないから力技だろうが手っ取り早い手段で対応する。
幾度も繰り返してきた戦いの中で桜井はそれを確信していた。
その性質を見抜けたならば後はもう十分。
大仰な技を囮にして七篠の『自動操縦』から大仰な対処を誘発させる。
囮には視界を埋め尽くすほどに派手な9匹の蛇焔、それに対する手っ取り早い対処は全てをまとめて薙ぎ払う竜の一爪。『稲火狩り』に対して行った成功体験がそれを選択させるだろう。
そして大仰な対処には大きな動作が伴う。それが放たれる直前に自らをねじ込むことができたならば、ピンチはチャンスへと変化する。
だからこそ桜井は耐火性スキルだけを頼りにかつて自分を焼き殺した蛇焔の中を身を焦がしながらも駆け抜けてきた。
「ッ!?」
どれほどの反射速度があろうとも桜井の姿が見えた時点で時すでに遅し。
その魔剣が振り下ろされるよりも早く彼の刃が放たれる。
「『剣聖、一閃』ッ!」
銀の軌跡が瞬く間に駆け抜ける。
七篠の両肘から先が斬り飛ばされ、握られていた魔剣がその制御を失い宙に舞う。
「――ヒッ」
そこに後追いで迫りくる9匹の蛇焔。背に迫るそれらを気にすることもなく追撃の姿勢に入る桜井。
その全てが七篠にはゆっくりと、そしてハッキリと見えていた。
目に映る全てに脅威を感じ、混ぜ合わさったその光景に恐怖を感じる。
死だ。死の恐怖がそこにある。
「っ、ッ~~~~そがぁぁあああああッッ!!!」
竦む心を噛み殺し本能とプライドが眼前への拒否反応を引き起こす。
認めず許さず怒りに沸き立つ精神の爆発がその身に宿る力を呼び覚ます。
「『
爆ぜる魔力の波動に蛇焔はかき消され、その絶叫は竜の咆哮を思わせるほどの圧を叩きつけてくる。
背には竜の両翼、頭に悪魔の如き捻れた角が生まれた。
瞳は爬虫然としたものへと変化し、その肌には深緑の龍鱗が連なり始める。
そして両腕の断面が泡立ち、急速な再生が始まる。だが取り戻したものは人のそれではなく龍鱗と緋色に輝く爪を携えた筋骨隆々とした竜の手を形成していく。
その変身を止めることはできない。
魔力を感じるものは七篠から発せられる波動に押しのけられ、そうでなくとも咆哮に含まれている状態異常『恐怖』の強制付与に身を竦ませてしまう。
僅かな間とは言え隙であるとも言える変身途中、それに対する襲撃一切を許さぬ力が四方八方へと撒き散らされる。
だが、彼は魔力を感じ取る才能が無く。
邪神との戦いで『恐怖』をねじ伏せ、さらなる力に変える
あらゆる威圧を跳ね除けるだけの『狂気』を持ち得ていた。
「オッラァッ!」
「ァァァッバァッ!?!?」
剣を構え直すことを中断して、代わりに放たれた桜井の左拳が七篠の顔面を捉えた。
変身途中という無防備な状態を攻撃され、彼は勢いよく壁へと殴り飛ばされる。
それは強化された桜井の身体能力を考慮してなお異常なほどに真っ直ぐと、地に触れることもなく壁に叩きつけられ衝撃による亀裂が走った。
「がっ、げほ、なっ、ばっ……!? !?!?」
痛みと衝撃に咳込み、殴り飛ばされたことを理解して、その事実以上の出来事に七篠は目を見開いて驚愕する。
目に入ったその光景は変身途中に攻撃されたことよりも重大で理解不能。
推測すら立てられないほどに異常で、彼の自我すら脅かすものであったから。
「なん、だよ……なんで……!? なんなんだよソレェェェェェ!?!?!?!!」
竜の腕があった。
七篠が今しがた生やし終えたものではない。
桜井 亨の左肘から先が竜の腕と化していた。
「あ~? 俺が知るかよこんなもん! テメェの痴態より万倍かっこいいってことしかわッかんねぇなァ!!」
それは偶然の産物であり、ある意味で七篠が原因であるとも言えた。
学園祭での戦いで桜井が付けた七篠の傷口。そこに手を落とされた左腕を叩きつけた時、触れ合った傷口から血を通じて僅かながらに竜の因子が桜井に渡っていたのだ。
その竜の因子は通常であれば極微量であっても常人にとっては致死性の毒として作用し、魔人化失敗時の悲惨な末路を追わせるもの。
しかし桜井は『冥府』の邪神討伐後に魂の傷を癒やすために数々の英雄たちの魂を取り込んでいたことでその魂に竜の因子を受け止めるだけの強度を獲得していた。
更に彼には因子に宿る竜の意思を全く気が付かないままにねじ伏せるだけの強い
加えて二度目の死を迎えた際に因子の存在に気がついた魔術神トートの手によってそれは過負荷なく体に溶け込むように調整されていたのである。
問題はその因子を呼び覚ますきっかけが無かったこと。
違和感が無く、当然自覚もないのだからそれを覚醒させることなど桜井にできるはずもなかった。
それを呼び起こしてしまったのは七篠だ。
元はと言えば桜井の中にある竜の因子は彼のものであったのだから、『竜魔人化』に呼応して活性化することになんの不思議があるだろうか?
七篠の魔人化に合わせて変異した自身の左腕。
強いて言えば『半魔化』、それに伴う竜の因子由来の身体能力のさらなる強化。
桜井はそれら全てに驚くどころか理解も及ばぬままに一瞬の迷いも無く攻撃に転用してのけたのだ。
「ぁ……あぁ……! うああぁぁっ」
言葉にできない感情の奔流に七篠が掻くように顔を抑え、呻く。
ボスキャラとしての強さ、専用装備である魔剣、竜魔人化という唯一の性能。
自らを支えていた特別性が眼の前のモブキャラの手により崩されていく。無くなっていく。心が軋み始めている。
「ァァあああああ! テメェェェェェェ!!!」
全てを失う前に全てを取り戻すため、魔人が床を砕きながら飛び出した。
掴みかかるように前へと伸ばしたその両手には人体を容易く解体する緋色の爪が伸びており、それは触れるだけで爆発を発生させる性質がある。
翼のはためきで生じる風圧がそのスピードを加速させ、殺人的速度をもって桜井へと迫る。
桜井は不敵な笑みを浮かべて剣を左手、竜の手に持ち替え居合の構えを取る。
七篠のそれは衝動的故に直線的な動きであり自らが前に出るよりも待ち構えたほうがタイミングは合わせやすいという理由があった。
だがそれは絶対の成功を約束するものではない。だからこそ桜井はダメ押しの一手を打つ。
「天内ッ!」
声を上げた。
七篠から目を離すことなく、相手の姿を見ることもなく。声を上げただけ。
桜井が具体的に何かを求めたわけではない。何ができるかもわかっていない。それでも何かできるだろうと思っただけ。
そんな余りにも身勝手で投げやりな声を『恐怖』の硬直から抜け出した天内は確かに受け取った。
「――っ」
だが天内には時間がなかった。
外れている右肩を治す余裕がない、駆け出したところで間に合わず、身に付けた『遠当て』は狙いを定める溜めがいる。思考する暇すらない。
だから声を受けて返せるものはただ一つだけ。
桜井が参戦してから消耗を控えていた魔力。残されたそれらをかき集めて、自らが有する魔法を起動する。
『
それは七篠が扱うものと同じ転生者のみに許されたメタ視点に由来する魔法である。
しかし『
主人公とは『
自分だけではない。天内が心の底から自分以上に相応しいと考えた相手にすらも世界の寵愛を与えることができるのが七篠が扱う『事象改竄』との違いである。
だからこそ、その相手が余りにも狂気的な欲求に突き動かされる身勝手極まりない性格で顔見知りであろうとも自分の定めた目的のために何の呵責もなく平然と利用するようなクソッタレ暴走特急野郎であったとしても。
あれでいて意外と義理堅く彼なりに周りへの譲歩や配慮は考えていて、私欲のための行動であったとしてもその過程で苦悩する自分の闇を晴らすきっかけを与えてくれたのだから。
天内 隼人にとって桜井 亨は間違いなく自分以上の『
そう断言できるからこそ彼の魔法は桜井にその力を与えることが可能であった。
「ウォォアアアアアアアアアッッッ!!!」
絶叫する七篠を見据え桜井はスッと小さく息を吸い込んだ。意図的に生み出した過集中状態が知覚する全ての速度を低下させる。
左半身を前にした居合の構え、腕のみならず全身に滾る力をただ一点に集中させていく。
そこには積み重ねてきた努力の力があった。溢れ出る狂気の力があった。
数々の異能を宿した道具の力があった。これまで出会ってきた人々の力があった。
敵から簒奪した竜の力があった。仲間に託された世界の力があった。
全てが彼の力となって、モブキャラの刃は新たな極地に到達する。
「
それは音もなく軌跡すら見せることもなかった。
憤怒の形相で両手を伸ばしていた七篠は桜井の眼の前でただの一言すら発すること無く動きを止めて、ほか一切の反応を見せない。
瞬きの静寂、そして七篠の四肢が音もなく付け根から切り落とされその胴にジワリと致命の一撃が浮かび上がる。
振り抜いていた剣は技に耐えかね砕け散り、後追いで空気が渦巻き吹き荒ぶ。
風に乗って舞い上がる刀身の欠片には次々と火が灯り、それはまるで桜の花吹雪の様に踊った。その旋風の中で七篠の体が重さを感じさせぬほどにふわりと浮かんで転がっていく。
七篠の体向かう先に壁はなかった。
ダンジョンを内部から外へと抜けた斬撃、それによって生まれた傷跡が地平線へと沈む太陽を映し出す。
七篠がその傷口から地に落ちること無く体を止めたのはただの幸運に過ぎない。
そしてほどなくして落陽が最後の輝きを放つと共に――七篠 克己の意識もまた闇へと沈んでいった。
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