180 裏切り
それは手にするものに力を与え、代償として担い手の精神を蝕み狂気に落とす。
狂気への溺れは力への溺れ。求めた理由を見失いあらゆる全てに見境なく刃を向ける獣を作り上げる。
それが人を獣へと変えることに理由など無い。誰かが目的を持ってそれを作り上げたわけではない。
ただそういう機構が手に取られるために、まるで擬態するかのように手にしやすい道具を形どって産み落とされただけだった。
故にそれは手にした少年をただ機械的に狂気へと落とすことにした。
しかし少年の中には最初から極大の狂気が渦巻いており、当然のように彼の精神はその渦中に佇んでいた。既に堕ちるところまで堕ちていた。
その上で……恐るべきことに彼は狂気に身を浸しながらも獣にならず人の形と有り様を保ち続けていたのだ。
既に狂気に堕ちている者を改めて堕とすことはできない。
それは『狂気に堕とし、獣を作る』機構として、その本懐を遂げることができない状況に対して新たな解答を導き出した。
『ならば彼が人足り得る、人の形を維持するための要素を蝕めば良い』、と。
こうして少年はこれまで培ってきた倫理観や道徳、おおよそ理性とまとめられるそれらを蝕まれた。
それはまるでどのような者であろうとも、一足飛びに力を求めたならばその代償を踏み倒すなど許されないと告げるかのようであった。
桜井 亨は足りぬ力を道具によって補った。
その道具の名は、指定管理魔道具『狂刃宿し』。
自分の足元に転がる
意識を失っている
剣を手に這いずる
骨折の痛みに呻いている
絶えず咳き込み続けている
そして、他と違って明らかに強くて元気そうな
桜井が周囲を見回した結果として認識したのはこのようなものだ。
『狂刃宿し』によって理性を大きく削られた彼には周囲の全てが経験値の種として見えている。
だがそれでも桜井は完全な獣にまでは堕ちていない。
彼は『他人の戦闘中にハイエナの如く
だがしかし、次の瞬間には「じゃあどの経験値ならもらって良いのか?」ということに考えを巡らせ始めた。
口を半開きにして虚空を見上げ、瞳を小刻みに動かし続けるその姿は桜井が尋常な状態ではないことを周囲に示す。
「おい、テメェ」
「?」
声の方向に桜井は目を向ける。
その姿はとても見覚えがあるような、無いような。頭のどこかに引っかかりを感じて桜井は眉を潜めた。
しかし思い出せない。だがそれも当然、なにせ今の彼は経験値欲に振り切れている。
全てにおいて優先されるべきは経験値でありそれ以外は些事。いや、些事どころか記憶にすら止めようとしない状態にある。
例えなにかに引っかかりを覚えようとも吹き出る欲望に押し流されてしまう。
「殺したはずだろ。死んだはずだろ。なんで生きてやがる」
今の桜井に向けられている言葉の内容を汲み取るつもりはない。そう努めようと思う理性を彼は有していない。
重要なのは声を発するそれが経験値なのか、そして経験値であるとすればそれが量と質共にどれほどの獲物であるかである。
よって言葉に対して返すのは品定めするかのような無遠慮かつ無神経な視線のみ。それが七篠の神経を逆撫でしていく。
「テメェなんだその」
「――っ、桜井ッ!」
その視線の意味をただ一人、檜垣 碧だけが理解することができた。
かつてお互いに狂気をぶつけ合ったからこそ、償いのために桜井が求めることに協力を続けていたからこそ。
『熱意』の方向性を定めるだけの言葉を発することができる。
「その男がダンジョンを奪った!」
ビクリと一瞬、桜井の身体が跳ねたように見えた。言葉に対する確かな反応があった。
それを見た天内とエセルが自分たちにできることを察する。
「そうよトール! あいつがあんたのダンジョンを奪ったのよ! そのせいであんたはダンジョンでだーい好きな鍛錬ができなくなったのよ!」
「桜井! お前は経験値を! レベリングの時間を失った! なんでだ!? 思い出すんだ! エルフ領に行く羽目になった理由を!」
「お前の目的を邪魔したのは誰だ! お前の生きる道を邪魔しているのは誰だ! どうしてここに来たんだ! 元からおかしいお前なら、魔道具に心をより乱されても生き様そのものは変わらないだろ! この場で最もお前の餌にして良い相手はあいつだ桜井! あっちだ! あっちいけ!!」
天内達が一様に声を上げる。特に檜垣からは害獣を追い払うかのような威嚇混じりの必死さがあった。
対して七篠は彼らの有様に目を丸くしていた。
先程まで自分を罵っていた者たちがまるで命乞いをしているかのような姿を晒していたから。
「(どういうこった、なんだこのザマは?)」
そしてその「恐れ」が原作キャラでもなんでもないモブキャラに向けられているという事実。
殺したはずが生きている、加えて転生者であることを加味したと言えどモブはどこまで行ってもモブキャラであり脅威足り得ない。
確かに自分は二度もあのモブキャラにしてやられた。だがそれは”取り逃がした”と意味であり、七篠は
恐ろしさなど微塵も感じない。
そんな相手に自分を妥協させるほどに追い詰めてきた者たちが恐れている。あまりにも不可解な光景だった。
「桜井!」
「桜井ッ!」
「トール!!」
喧々諤々たる言葉の矛先を向けられている桜井はただそれを受け止め続けていた。
口を開く
そして彼が微動だにしていないことに徐々に気が付き始めた天内たちが次第に沈黙する。
桜井の視線に込められた意図に気がついていた檜垣さえも、今の彼がなにを考えているのかわからない。
「桜井? 聞こえて、いるのか?」
「……ふー」
檜垣が恐る恐る声をかけた。
対して桜井は静かに息を吐いてから確かな意思を込めた視線を向けて――
「そうやって人をいじめるのはやめろよッッ!!」
「なんだって?」
――激怒した。
「え? いや、ちょっと、ちょっと待て桜井。お前は何を言ってるんだ???」
「どうもこうも言葉通りだろうが! お前らみんなして寄ってたかってアイツのことを責め立てて! 酷い!」
「ね、ねぇ天内。何がおきてるの? トールはおかしくなっちゃったの?」
天内の隣に這い寄って来ていたエセルが脂汗を滲ませながらも彼に問いかける。
しかし問われたところで天内は答えを返すことはできない。
辛うじて思いつくことと言えば『狂刃宿し』のデバフである『狂気』が桜井がそもそも有している狂気とぶつかったことで、マイナスにマイナスをかけるように一周回って変に
だがそれでは赤野を手に掛けようとしていたことに説明がつかない。本当に何を思っているのか、わけがわからないとしか言いようがなかった。
「確かにこいつは悪いことをしたかもしれない。でも、だからといって殺せ殺せと叫び追い立てるのは違うだろ! それが正しいやり方なのかよ!? 私刑のような真似は許しちゃいけないだろ! なぁ
「言ってる!!!」
「正義という名の大義名分を掲げ、それに酔い、集団で個人を過剰に追い詰める! 自分らの醜悪さを顧みることができないというならば!」
桜井が歩きだす。
無防備にも、だからこそ誰もが止められぬ歩みで七篠の右に並び立った彼は有無を言わせぬとばかりに声を上げた。
「お前らの暴走を止めるために……俺はこいつの味方をするッ!!」
「は、ハァァァあああ!?!?」
「は?」
檜垣が叫び、天内とエセルが絶句する。
その堂々たる裏切り宣言に驚いていたのは七篠もまた同じであった。
「――は、ははっ、あはっ! おいおい嘘だろ! マジで言ってんのかお前!」
「マジもマジ。大マジだ。俺は例え悪と呼ばれようとも自分が信じた正義を貫きたい……!」
「あははは! あっはっははァ!」
七篠は笑いながらも間近にいる桜井の顔を見ていた。
その表情、瞳、見取ることができる嘘偽りなき微表情が桜井の本気を伝えてくる。
演技などではない。彼の背中にある『狂刃宿し』を見た七篠もその脳裏に性格反転の仮説が浮かぶ。
そして間近で嘘ではないことを自分の目で確かめたから。彼は自説が正しく、それに伴い桜井の行動に納得をした。
「クッカカッ、アハッ」
愉快だった。
恐れるが故に矛先を他者に向けようとした者たちがその行動のせいで目をつけられている姿が。
自業自得の末に愕然とした表情を浮かべ、思わぬ不幸に呼吸を浅く早める姿が。
「アハハッ! アッハハハハハハハハ!! ざまぁねぇなぁ! よりにもよって、モブにすら見捨てられるなんてよぉ! あぁクソ、こんな、こんな笑える展開ありかよ! アハッアハハハ!」
今にも腹を抱えてしまうほどに、愉快で愉快でたまらなくて笑わずにはいられないほどだった。
「アッハァ! アハハハッハッハ――」
だから。
「――――は?」
ザクリと、腰に突き立てられた短剣の痛みに思考が止まった。
「ぇぅっ!?」
「ゥシャァッ!!」
痛みに対して無意識的に飛び退いたことが桜井が振り抜いたアバルソードから七篠の頸動脈を救う。
そして彼は着地と同時に腰に刺さった短剣を抜こうと手を添えるがそこにあるべき柄は無く、傷口に深々と埋まる刃だけが残されていた。
「流石にさぁ、首狙いは警戒してるだろうと腰にしたけど。こんなすんなりと刺さるんなら首にしときゃ良かったなぁ。予想通りエッケザックス持って無きゃ耐久力は人並みっぽかったし……まぁ、いいかぁ!」
口角が釣り上がり、口元を三日月のように歪めた桜井が嘲笑うように口にする。
その左手にはテコの原理で刃を根本から圧し折った『奇術師のナイフ』の柄が握られていた。
「な、は!? テメェ!」
「悪いな。弱ってる奴らの方から経験値にしてやろうと思ってたんだが――気が変わった」
「気が変わった、だァ!?」
「うん! だって死にかけのあいつらよりもさ、お前のほうが経験値多そうじゃん? 元気なやつのほうがレベル上げも長く楽しめるだろうし。だからさ、やっぱりお前から経験値にすることにしたわ、ごめんな!」
桜井は用済みになった『奇術師のナイフ』を投げ捨て、謝罪を示すように顔の前で左手を立てた。
しかしその表明はたった一秒にも満たないものであり、それが終わるやいなや彼はそのまま左手を宙に彷徨わせる。
「ほいっと」
そして桜井は勢いよく手のひらを返した。その動きに呼して地に伏せる檜垣の上を『不壊剣エッケザックス』が飛び越え七篠の眼の前に突き立つ。
それは『糸繍』スキルの応用によるもの。糸を使った物品の移動。桜井は無手の七篠にあえて武器を渡す暴挙に出る。
「ほら、使えよ」
「お前……わざわざ武器を渡してくるなんざ……! 俺のことを舐めてんのかァ……ッ!」
「は? 何いってんだお前。使えって言ったんだよ。命令形だ。わかるか?」
「アァ!?」
「より強いほうが戦って稼げる経験値が多い。倒した時の経験値もきっと多い。だからお前には一番強い状態になってもらわなきゃ、経験値が勿体ないだろ?」
あっけらかんと言う桜井に七篠は奥歯を噛み締めた。
この男は、モブキャラは、動ける仲間もいない状況で一人で勝てるという前提で話をしている。
剣を握った瞬間、その顔に大きな笑みを浮かべる姿が気に食わない。
天内達とは別で分不相応に調子に乗っているその笑みと余裕が気に食わない。
自分のことをどこまでも
いや、もはや気に食わないという領域ではない。七篠は桜井のことが殺したいほどに嫌いであると自覚した。
だから構える。視線に殺意をしっかりと込めて彼は桜井を見据える。
それを受けて桜井はたまらぬ御馳走を前に品もなく唇をペロリと舐めて剣を構えた。
三度目の対峙、しかし直接剣を交えるのは学園祭以降初めてのこと。
そして今度の桜井には逃げの選択肢はない。七篠もまた焦点を桜井に絞っている。
目の前の敵を倒すという目的を2人は共有している。
「さぁて、レベル上げだぁ」
「残機含めてゼロにしてやらァ!」
モブとボス、されど互いに転生者なる特異点。
本来存在し得ない戦いの幕が切って落とされた。
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