178 竜の魔剣


 桜井とピグマリオンの決着から時は遡る。


「――――ハンデはやったぞ?」

「ッ!」


 跳ね上がった『不壊剣エッケザックス』に対し天内はその場から飛び退いた。

 しかし天内は未だに七篠の攻撃圏内に身体を残している。一歩踏み込めば届く距離、七篠に迷う理由はない。


「フッ!」

檜垣ひがき あおか! はじめましてだなァ!」


 それを阻止したのは横槍を入れてきた檜垣 碧。

 彼女の振るった剣が凶刃を弾き、天内と入れ替わるように斬り結び始める。


 檜垣の剣は同門である桜井と違い攻撃的な剣技であり、それは本来の担い手である剣聖のそれによく近いものである。

 果敢に激しく炎の如く。剣より滾る焔が紅く輝き、七篠の視界にその残光を焼き付け惑わす。


 上段からの斬り下ろし、続く脛切り、斬り上げ。

 胴への斬り下げ、『火剣』の炎で勢いづけた燕返し。

 振り抜きの隙をうねる『蛇焔』が埋める。その間に檜垣は体勢を立て直しさらなる剣戟を振るう。


 その一つ一つが鋭く、それでいて技と技の繋ぎ目は滑らか。

 こと剣才においては檜垣は桜井を大きく上回っている。修めている技の多彩さが彼女の苛烈な剣技スタイルを支えていた。


「(ッ、硬い!)」


 視界に焼き付く炎の明滅に虚実入り交じる剣技による攻めは七篠の防御を綻ばせ刃を届かせる。

 しかし魔人化技術によって多くの英傑達の身体を繋ぎ合わせた強靭な身体は不壊剣エッケザックスの力でより強固になっており、檜垣の刃は一撃では軽症以上の傷を与えられない。


「おいおいその程度かよ剣聖のお弟子さんよ! 剣が泣いてる、ぜッ!」


 剣を腕で受け止めた七篠がお返しとばかりに両手剣を振る。

 身体能力任せのように見えて染み付いた剣術から放たれる剣戟は檜垣の目では追うことすら困難で、七篠の視覚に残る炎の残光が邪魔をしていなければ手足の一本は既に斬り捨てられていただろう。


 檜垣は桜井に比べて防御面で劣っている。

 彼女は彼と違って『剣聖』佐貫 章一郎と真剣で斬り結んだ経験など無いのだ。

 だからこそ『剣聖』に次ぐ速度と力を有する七篠の剣戟を前に耐え凌ぎ勝機を見出すことは困難。


「ハッハァ!」

「くっ!」


 斬られる、斬られる、斬られる。

 重症と言うほどでもない無いが軽くもない。ともすれば削り殺されていくとはこのことだろう。

 真正面からの斬り合いは死を待つだけの防戦となる。檜垣一人ではもはやどうにもならない。


「『雷帝拳、雷炎刃らいえんじん』!」

「うおっと」

「『風魔法エア風向行ステップ』!」


 だが戦っているのは檜垣だけではない。

 七篠の後方に回り込んでいた天内が帯電する焔の刃『雷炎刃』を首元に向けて振るう。

 奇襲に反応した七篠は檜垣への追撃を取り止め身体を屈ませてそれを回避。

 その間に発動した赤野の魔法によって傷ついた檜垣が後方に吸い込まれるように吹き飛ばされた。


「変わります!」


 そして檜垣と入れ替わるように前に出たのがアイリス・ニブルヘイム。

 長棒を構えた彼女は接近すると共に足を大きく振り上げる。


「『魂撃こんげき仁王破脚におうはきゃく』っ!」


 床に強く叩きつけた足から発せられる『全方位』に広がる三重の衝撃波。

 敵味方の区別なく襲いかかるそれに天内は『雷帝拳』で、後方にいる檜垣とエセルは赤野の使う風魔法で短時間の滞空を行い回避する。


 当然、七篠もまた身体能力任せの跳躍によって衝撃波を回避しようとする。

 しかしその行いは突如として肩に走った衝撃に阻止され、彼は床に背中から叩き落された。


「テメっ」


 見上げた先には宙に浮く天内の姿。

 先回りしていた彼の踵落としが七篠の逃げを阻止する。

 踵落としによるダメージは殆ど無い。しかし落とされた七篠は迫る衝撃波を回避する術を失った。


 身体全てが驚きに動きを止めたかのような僅かな硬直状態スタン

 動くに動けない七篠に飛来する水球はアイリスによるもの。それは七篠の手足に触れた途端に凍りつき彼の手足を拘束した。

 硬直が解除されてなお手足の氷を力任せに砕かねばならない。行動可能になるまでの時間が伸びる。


 追撃が来る。

 上から落ちてくる天内による頭部狙いの攻撃、前からはアイリスも迫る。

 七篠 克己にはそれを回避する術はない。強靭強固な身体が天内の『雷炎刃』を避けろと叫んでいる。


「(しゃあねぇか)」


 早々に見切りをつけた七篠は本能に身を任せる。

 パチリとスイッチが切り替わる感覚と共に身体の制御が『何か』に委ねられる。


「避けてッ!」

「――!?」


 アイリスの声に天内が咄嗟に身を捻り、振り上げられた両手剣が通り抜けた。

 天内は振り抜かれた刀身を蹴りつけ弾きつつその勢いを利用して着地を急ぐが既に『七篠 克己』は彼の着地点に向けて刃を切り替えしている。


 しかし刃が天内を斬り裂くことはなかった。

 発動した『雷帝拳』による一瞬の滞空、鋭い斬撃であるからこそ僅かなタイミングのズレが空振りを生む。

 そして着地、即座に後退。入れ替わるように前に出たアイリスがカバーに回る。


 先程まで人を見下していた、嘲笑すら浮かべていた七篠の表情は今や全くの無表情。

 そこから繰り出される斬撃の数々は剣速こそ変わらねどより純粋に遊びのない殺しの剣へと変貌した。


 七篠の両手剣とアイリスの長棒が交差する。

 この世界において主流となっている武器は剣である。だからこそアイリスが修めている棒術が一番の仮想敵として想定しているのも剣術だ。

 故にこと受けにおいては檜垣よりもアイリスに分がある。彼女は薙ぎ、払い、弾きを巧みに繰り襲いかかる剣戟の数々に対処していく。


「(っ、この人!)」


 しかし八を超える交差を終えれば身体能力や技術の差から綻びが生まれ始め、長引くほどにそれは大きくなる。

 その綻びが致命に繋がる前に回復と魔法支援バフの再付与を終えた天内と檜垣が割り込む。


「ゼェァッ!!」


 振るわれ続ける剣と長棒の間を掻い潜り接敵した天内が鎧通しの両掌底にてアイリスから七篠を引き離し。


「『火剣、稲火狩いなびかり』!」


 檜垣が中距離から高速で一直線に放つ一匹の蛇焔、『稲火狩り』が吹き飛ばされた七篠へと迫る。

 だがその到達よりも早く地に足が触れた七篠が即座にバックステップを行い回避、檜垣の『稲火狩り』は散らす火の粉が触れる程度に留まった。


 互いに距離が空き、仕切り直しの構え。


「貴方、何者ですか」


 その中で天内の横に立つアイリスが七篠を睨みつけながら口を開いた。


「アイリスさん? 何を」

「さっきまでの『熱』が一瞬で胸の奥に集まって、今は別の何かが表に出て来てます」


 見ればわかる、と魔眼の持ち主である少女が口にする。

 『熱』を通じて人物の判別も行えるアイリスが見て取ったその存在は七篠の第二人格のようにも見えて、その実正体の掴めない何かであった。

 人と言うには、人格と認めるには随分と希薄な『熱』であり、それでいて冷え切っているわけでもない。

 妄執・執念の類でもない。ただそこに残された残骸のようなそれをアイリスの目は捉えている。


。何者です!」


 それが七篠を凶行に突き動かすものなのか?

 彼女は脳裏に人を物にして操る狂人ヨゼフを思い浮かべ、そのようなものであったならばと怒気を含んだ声で問いかけた。


「あぁ? あー……お前の魔眼、そういうこともできるのか?」


 胸の奥に集まっていた『熱』が再び七篠の身体を満たしていくのがアイリスには見えた。

 そして彼女の問いかけを耳にして真正面から観察に徹していた天内もまた感覚的にそれを察し、思考を巡らせる。


「んー、まぁ別段隠すことでも無いし良いか。今、俺の身体を動かしてたのは何者か? 答えは俺の身体そのものだ」

「身体そのもの、ってまさか」


 いち早く反応したのは転生者である天内。

 『七篠 克己』というキャラの設定を知っているからこそ『身体そのもの』という言葉から一つの推測を立てることができた。

 同時にそんなことがあり得るのかという驚愕を得て、彼は思わずそれを口から吐き出していく。


「七篠 克己の身体は、死んだの英雄たちの身体を竜の血肉を使って繋ぎ合わせたもの」

「ある意味動く死体みたいなもんだな。それで?」

「戦闘技術は『身体に染み込ませる』ことが大事とは言うけれど、それが、もしも、文字通り染み付いていて」

「お? おぉ?」

「それを任意で引き出して、いや、自分が身体を手放すことで、戦いを『身体任せ』にしてるってのか!?」

「おぉ、正解じゃん。つか設定知ってるにしても、今の言葉で当てやがったの気色悪いなお前」


 七篠は天内の推測を認めて彼の思考能力に驚愕を関心を覚えながらも、気色が悪いと蔑むことを忘れない。

 ただ実際にその巡りの良さに笑みを引き攣らせかけたのも事実であった。


「(前に戦った時、動きが急加速して反撃されたことがあった。その種がこれか)」


 言ってしまえば『マニュアル』に対する『オート』行動。

 身体に染み付くほどに極まった戦闘技術が思考と選択の時間を省略して反射の如く放たれる。


「(省略があるから、動作が突如として加速する。反射だから、前兆がわからない)」


 それを七篠の持つ肉体の性能で振り回されたとあれば酷く厄介だ。

 しかし天内は、いや、今の会話を耳にしたアイリスと檜垣も含めて彼らは勝機を見出さんと頭を回す。


「……どうにも哀れな男だな」

「あぁ?」


 口火を切ったのは檜垣。単純な挑発に七篠の意識が向けられる。

 天内がそれに合わせすり足で移動を始めた。同時にアイリスが小さく静かに詠唱を始める。

 互いに自らの動きを七篠に悟らせぬように少しずつ。


「それっぽい振る舞いを心がけているようだが、程度も器も小さい。これが騒動を起こした黒幕だとまるで信じられん。それに聞いていれば、無い器を借り物で補うどころか偽って騙している始末」


 言葉にするのも億劫そうに、心底くだらないとばかりに檜垣は吐き捨てる。

 その上で視線には哀れみを込めて見下す。彼女は実際にそう思っていたし、桜井ならば自然とこうするだろうと狙ってのもの。


「目的は悪名高くあろうと人の記憶に残りたいだったか? お前のその有様でよくもまぁ……」

「何が言いてぇんだ。言ってみろよ」

「自覚が無いなら教えてやろう。黒幕を気取っているようだがお前は体よく周りに利用されてた神輿に過ぎない」


 神輿というのも言い過ぎか、と訂正して。

 暴れただけのバカどもにとって都合よく、都合が良いことを言う、面倒を任せて美味しいとこだけを与えてくれる都合のいいヤツ。


「肉の味を覚えたつもりが他人ヒトに食われるために肥え太らされていた豚。それに気が付かず小屋の中でふんぞり返っている……哀れと言わずなんと言う? 滑稽か? 一時の同情は買えたとしても記憶からはすぐに消え失せる程度の男だよお前は」


 実際には七篠に惹かれてついてきた人物もいるかもしれない。

 彼らなりに仲間意識や奉仕の精神があったかもしれない。

 だがしかし街で遭遇した魔人達を見て、その低俗さから判断して言い放つ。


「(別に事実である必要はない、的外れでも良い。私が奴を本気で見下して哀れんでいるということが伝われば十分な挑発になる)」


 言葉は装飾、その態度で人の神経を逆撫でする。

 そして言い切った後は口を噤んで自分からは何もしない。無興味を装い相手の怒り促す。


 檜垣が桜井から学んだ挑発の妙技である。

 これを自然体で無意識に行うのだから桜井はたちが悪いと彼女は思っていた。

 そしてこの挑発はともすれば自分の格を落とす諸刃の剣だが、檜垣は今更そんなものに拘るつもりはなかった。


「ハッ、そうかよ。そう思うならお前の中ではそうなんだろうな。それで? 他には?」


 相変わらずの嘲笑、しかしこれまでにない怒気が含まれているのを感じて檜垣は剣を改めて握り直した。


「……」

「無いのか? 本当に? なら仕方ねぇな、遊びはここで終わりっつーことで」


 七篠が両手剣の切っ先を檜垣に向ける。まずはお前からだと宣言するかのように。

 そして獰猛な笑みを浮かべて第一歩を踏み出す。


「そうだな。遊びは終わりだ」


 檜垣もまた踏み込んでいく。

 防御に回れば劣るとわかっているからこそ攻勢へと回るために。


「『火剣』ッ!」


 焔が吹き荒ぶ。業火の熱と光入り乱れその間隙を縫うように刃が振るわれる。

 対する七篠は『オート』を使うこと無く自らの手で剣戟を迎え撃つ。


 七篠はつい先程の攻防において檜垣の刃は自分に深手を負わせることはなく、その剣技は劣っていると確信していた。

 勿論、味方との連携があったとは言え剣聖の攻勢すら凌いでみせた『自動操縦オート』に切り替えればこの程度無傷で突破が可能である。

 だが今は『自分マニュアル』でやりたい、『自分』でねじ伏せられるならばそっちの方がスカっとする。


「ハッハァ!」

「ッ!」


 顔を見せた加虐心が刃に乗せられる。

 重みを増した両手剣を受け止めた瞬間、各関節が軋んだような感覚を檜垣は覚えた。


「だが――ッ!」


 痛みを噛み殺し跳ね除ける、その歪んだ顔に七篠の笑みが深まる。


「(身体の硬さは理解した。だが刃が完全に通らないわけではない、ならば!)」


 檜垣は相手の身体に刻んだ傷にさらに傷を重ねるように剣を振るう。

 軽症しか与えられぬならば今ある傷を深手にする。削るように刻んでいく。


「くっだらねぇなァ!!」


 とはいえその程度のことは予想していたのか七篠は身体の頑強さ任せに攻勢を突破しようとする。

 瞬く間に一転、攻守が入れ替わる。七篠と檜垣の間で焼き回したかのような攻防が展開されていく。



「――っ」


 そして再び七篠が檜垣の剣を跳ね上げ、彼女は無防備な身体を晒しかける。


 だからこそ檜垣は剣を手放した。

 桜井から預かっている、古臭い剣を、即座に。


「『火雷針ひらいしん』ッ!」


 屈み込み、切り替えしてきた刃をくぐり抜け。

 腰から取り出した小石と共に七篠の腹部へと左手を押し当て技を放つ。

 檜垣の掌で小爆発が起きた。並の相手ならばその衝撃で身体が吹き飛ばされるだろう。


「ハッ! おざなりだなァ!」


 だが七篠は耐えてみせた。

 衣服もろとも腹部を焼きながらも微動だにすることなく。

 衝撃が発生する直前に後ろ足を自らを支える棒のように深く下げて、力任せにそれを耐えきって、檜垣を嘲笑う。



 そして身体を包み込む炎の発生に笑みは驚愕へと変化した。



「っぉ!? うぉぉあああ!?」


 突然の人体発火現象。

 七篠の全身を包み込んだ現象の正体は『炎上』の状態異常である。


 『火剣』にはヒット数に応じて蓄積されるゲージが一定値を超えると『炎上』を付与する副次効果が存在する。

 ゲージは強敵ほど溜まり辛いものではあるが完全に無効化する敵は少なく、戦い続ければどこかのタイミングで『炎上』は発生する。ボスキャラであろうとそこに変わりはない。


 その『炎上』が今この瞬間に発生した。

 攻防の中で蓄積されてきたそれが檜垣の『火雷針』と同時に叩きつけたゲージ蓄積を促すアイテム『火打ち石』が最後のひと押しとなったのだ。


「ぐっ、ざっげんなぁああああ!!」


 怒りと動揺で乱雑に剣を振り回す七篠から檜垣は冷や汗を置き去りにして飛び退いた。

 原作ゲームであれば『炎上』の蓄積ゲージは視認ができる。しかしこの世界においてそれが見えることはない。

 檜垣の本命は『火雷針』による吹き飛ばしであり、火打ち石による炎上発生は破れかぶれの行いに近かった。


「(九死に一生を得た――)――アイリス!!」

「いきます!」

「「『火葬世海かそうせかい』ッ!」」


 全身を焼く痛みの中で七篠の耳に会話が聞こえてくる。

 何かをしてくることがわかった。しかしこの世界に生まれ落ちて初めて感じた状態異常に彼は軽度のパニックに陥っていた。


 反射的に、そして逃げるように『自分マニュアル』から『自動操縦オート』へと動きを切り替える。

 途端にその身体は燃え上がる炎の痛みを無視して動き出し、乱雑に振るわれていた両手剣を正しく刃として周囲に走らせる。

 何かを斬り裂いた感覚だけが七篠に伝わり、それが彼に落ち着きを取り戻させ怒りを湧き上がらせた。


「くッそが! 小賢しいこ」


 アイリスが作り出し、七篠が斬り裂いた水球から発生した触手が彼を包み込もうとする。

 その対処のために身体が自動的に動き出したため彼は言葉を続けることができなかった。

 七篠を隔離せんとする水の檻は瓦解した、続く9匹の『蛇焔』を前に剣を振りかぶる。


「――、っ!?」


 彼は迎撃のために動く身体の状態と眼の前に広がる状況とを主観視点ながら他人事のように見ていた。

 だからこそ彼は迫る『蛇焔』が自分を狙っていないと気がつくことができた。


 自動の動きを打ち消すために身体の制御を取り戻し防御しながらその場から跳ぶ。

 刹那、『蛇焔』に触れた水の触手から爆発的に発生した水蒸気が七篠の全身を打ち据え、その勢いに彼の身体は高々と打ち上がった。


 『炎上』による痛みが無くなったかと思えば次に襲いかかったのは強い浮遊感。

 全身の鈍痛に耐えながらも空中で身体を捻り体勢を整え、手にした魔剣が先に床へと触れるように切っ先を下へと向ける。


「(着地狩りなんぞ、させっかよ!)」


 剣先が床に刺さり落ちる身体を支える棒となる。柄を握る両手とそこから続く腕に力を込めて、曲げ、勢いよく伸ばす。

 その動きで身体が再び持ち上げ任意の方向へと落下地点を定める。

 もしも自分の着地を狙っていたならばこのタイミングずらしで攻撃が空振ると七篠は考えていた。


 改めての着地。さしもの七篠も襲いかかった衝撃の影響で僅かに足元が揺らいだ。

 だが耐えられないほどでもなく、剣を構え直し――視界いっぱいに広がる霧を目にした。


「(さっきの水蒸気爆発的なやつの残りか? いや、にしては残りすぎだろ)」


 部屋は5人を相手にできるほど広い。剣で軽く振り払っても霧は時を巻き戻すかのように戻ってくる。

 幾らなんでも1m先も見通せない程の濃霧が漂っているのは不自然だと七篠は考え、事実それは正しかった。

 アイリスが生み出した水を檜垣が水蒸気に変え、それが霧散することを防ぎ七篠の周りに留めているのが赤野の『風魔法』である。


「ふー……」

「凄い霧ね。私にはなーんにも見えないけど、レイカにはわかるんでしょ?」

「うん、大丈夫。みんながどこにいるのか、わかる」

「おっけ。20秒したら『祝福』かけ直すから、その瞬間だけ感覚が変わるわよ。気をつけなさい」


 エセルの言葉に赤野は瞼を閉じたまま頷いた。

 水蒸気を発散させず、濃霧を維持し続けるためには視覚情報を切るほどに高い集中力が必要だった。


 しかし赤野には霧の中にいる各人の位置を正確に把握することができていた。

 生来有している『絶対魔力知覚』によって感じ取ることができる自身の魔力とそれ以外。

 風魔法によって形成した濃霧は赤野の魔力で満ちている。故にその中に空白が生まれていることを感じ取ることができる。

 しかもただの空白ではなくそれは細かなシルエットとして浮かび上がっていた。

 だからこそ赤野は敵味方を判別し、微風を操り霧の中にいる味方に位置情報を正確に伝えることができていた。


「できてる……大丈夫、わかる……できてる……」


 そもそも彼女の『風魔法』は授業で触れていた程度の習得度。使えた技は1つや2つだった。

 それを学園から持ち出した装備品の数々で補強して無理矢理に練度を高めているのが今の状態である。


 練度補強に最も貢献しているアイテムは彼女の二の腕に装着されている翡翠の腕輪『シルフィード・ハート』。

 これは「風魔法のスキルレベルを3上昇させる変わりに他の属性魔法スキルを使用不可能にする」という効果を持つ。

 そこに学園祭で入手した消費魔力の軽減する『大導師の魔導杖』、最大魔力量を大きく上昇させる『魔宝石商のローブ』。

 所有している2種の魔法スキルを指定し、一方の効果量を10%上昇する変わりにもう一方の効果量を半減させる『化け猫のティアラ』。

 更にエセルの神聖魔法による支援バフを加えることで赤野 玲花は事実上の再構成リビルドを果たしている。


「(火に雷、水と氷、そして風。トールの言ってた『属性を散らす』『引き出しを増やす』……今のところ上手くいってるわね)」


 補強された風魔法で濃霧を制御し続ける赤野を横目にエセルは神聖魔法の効力を高める『聖句』を呟きながらそう思った。

 そしてその上で”できる可能”と”できない不可能”が大きく変わってなお十二分に操り、この状況に対応することができている赤野 玲花という仲間の才覚に感心していた。



 その頃、七篠は濃霧の中、身体の制御を手放し『待ち』の体勢を取りつつ状況の整理を始めていた。


「(明確な脅威は天内の帯電する炎の剣。ゲームじゃ見たことねぇし、俺の世界介入と同様のオリジナルだろ。身体も反応したからアレを受けるのは避けた方がいい)」


 次点で一応とは言え自分の肌を斬り裂くことができる檜垣 碧の剣技。

 斬られたところで傷は浅いがダメージであることは変わらない。自分に劣るとは言え見誤れば傷を重ねる程度のことはしてくるだろう。

 それがもしも急所に行われたらと考えると流石に無警戒ではいられない。


「(タイマンでやるならば殺せるが、それを周りが邪魔してくるため決め手に欠けるな。あの女、絶妙に面倒だな)」


 思い浮かべるのはアイリス・ニブルヘイム。

 オート行動に対して受けに回れるだけの技量があり、『魂撃』によるスタン付与を有している。

 更にはこの濃霧を生み出すきっかけとなった氷と水を操る魔法も使用できる。前でも後ろでも戦える遊撃手だ。


 だが原作におけるデータを鑑みても攻撃力は檜垣以下。

 こうして目の前で動くところを見ても使用している武器が打撃武器の長棒であることも踏まえると攻撃そのものへの警戒は低く見て良い。

 だからこそ邪魔と言えば邪魔で、放置しても良いと言えばそうでもある。


「(反面、エセル・タイナーは放置でいい。支援能力なんぞたかが知れてる。消去法でこの状況を作ってるのは赤野……風魔法辺りの構築ビルドか?)」


 吟味する。誰を、どう殺すか。

 今も虎視眈々と霧の中でこちらを狙っているであろう者たちは自分以上に多くのことを考えて、その刃を喉元に突き立てようとしているのだろう。

 ならばその考えを至極単純な方法で、純粋な能力差で打ち砕くのが最も絶望的でスカッとする。


 事実としてこれだけ責め立てられてなお多少の切り傷を与えられた程度なのだ、ゴリ押しで手傷を負ってでも一人殺せば天秤はこちらに傾く。

 後手に回り続けていたが今度はこちらが攻める番だ。


 そう決めた七篠は身体の制御を取り戻す。

 構えていた両手剣を肩越しに振りかぶるように構え力を込める。まずは霧を払うために。


「『七篠 克己』といえばまずはコレだよな」


 竜の血潮より生ずる魔力を餌に魔剣の鍔から深い紫のエネルギーが溢れ出る。

 暴れまわる力の奔流は一拍の後に形を変え、それは爬虫類の指先のようなものを作り上げた。


 それは『七篠 克己』というボスキャラが有している強力な全体攻撃スキル。 

 七篠を形成する数々の英雄たちの身体に刻まれた絶死の一爪いっそう、その再現。

 ともすれば剣聖の一閃を剣聖以上の規模で放つ技である。


「『世界介入システムコマンド事象改竄チートコード』」


 そして魔法の言葉を唱えると共に構えを取った七篠 克己が増殖した。

 七篠達はそれぞれの半身を重ねるようにズラリと左右に広がる。


 理不尽で不条理、道理を蹴り飛ばし世界すらも嘲笑う行いに竜の力が添えられた。


「「「「『神呪災爪かんのさいしょう』」」」」


 幾重にも重なった技名と共にそれが放たれる。

 満ちる濃霧を薙ぎ払う竜の魔剣ツメは、前後左右全てに向けて”爪痕”を刻む。

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