177 残して、伝わる


「ん、ん”ん”っ……ごぼっ」


 緊張が解けるに合わせてピグマリオンの口から血が吐き出された。

 天井に向けられた視界はどこかぼやけていて焦点が定まらない。

 仰向けに倒れた身体には首元から腰まで深々と刻みつけられた一閃の傷が残されている。

 とめどなく流れ出していく血液は暖かく、逆に自分から熱という熱が失われていくのをピグマリオンは感じる。

 魔人としての再生能力が必死に生き足掻いているのが伝わってくるが、それはもはや無駄なことだと彼は本能で理解していた。


 終わった。

 その一言が胸の内にストンと収まった。


 後悔も未練も無かった。

 むしろ今までの行いに対してこんなにも晴れやかな気持ちで最後を迎えて良いものかとすら思った。


「経験値が入ってないっつーことはまだ生きてるよな?」


 首元に何かが当てられる。恐らく剣の刃だろう。

 その冷たさすら感じなくなってしまっている。


 僅かに傾けることができた視界の中に桜井の姿が不思議とハッキリ映り込む。

 ピグマリオンを見下ろす瞳には先程までの熱意のようなものは無かった。

 だが傷と血潮で汚れた醜悪な身体に対する嫌悪も無かった。


「介錯は……したほうが良いのか? 望むなら首を跳ねるけど」


 随分と変なことを聞いてくる桜井にピグマリオンは笑ってしまいそうになったが口から飛び出したのは血液だけでろくな答えを返せなかった。

 それでも彼を見続けていた少年に自分の考えは伝わったようで、「そうか」と呟き剣を引いた。


「よく創作では剣を交えれば相手がわかるっつーけど、こんな感じなのか? わかるようなわからんような……」


 桜井がピグマリオンの傍らに腰を下ろした。気にするほどの疲れがあったわけではない。

 なんとなくだがピグマリオンがそうして欲しそうだと思ったから、急いでいる身ではあるがそれくらいは良いだろうと。

 感傷……というよりかはどちらかといえば勝者の義務、敗者への礼儀といった感覚。

 その表情は露骨に退屈そうなものであったがことには付き合うつもりだった。


「(んんっ本当に、良いんですかねぇ……)」


 対するピグマリオンは「最後まで自分を見ていて欲しい」と望んで起きながら裏社会で多くの人々を手にかけてきた自分が死に際を看取ってもらえるなど許されるのだろうか? と罪悪感を持ち始めていた。

 それでも見下ろす視線の心地よさに甘えてしまい、言葉も出ぬままに彼はぼんやりと桜井を見つめ続ける。


 どれくらいの時が経っただろうか。

 魔人の生き汚さにピグマリオンが呆れ始めていた頃、ふと彼は思い出すことがあった。


「(……そういえば七篠さんの……計画には……まだ)」


 『先』がある。自分だけに話していた、最後のイベント惨劇が。

 それを思い出したから、伝えなければならないと思った。

 七篠 克己の狙いにまだ『隠し玉』があることを。桜井に。


「ん"ん"、がっ……ごぼっ……ばぼ」


 だが言葉を発する事ができない。死から逃れようと足掻く魔人の身体にそこまでの余力は残されてなかったのだ。

 自分は与えられてばかりだというのに、これでは勝者に対して何も返すことができない。それはあまりにも申し訳ない。

 ジェスチャーだの指を動かし血文字を書くだの。思い浮かぶものを試そうとしても身体はピクリとも動かない。


「(……せめ、て)」


 ピグマリオンは残された力を振り絞り、ただ胸元に力を込めた。

 一瞬の止血と共に押し止められた血液が力が抜けると共に反動で吹き上がる。命の水が飛び散り桜井の顔に吹きかかった。

 それを受けても彼はピグマリオンから視線を逸らすことはなかった。


 ともすれば一矢報いる気持ちで吹き付けた血の噴射にも見えるだろう。

 だがそれはピグマリオンからのメッセージであり、勝者に対する最後の手向けだった。

 そしてその代償として、彼はより一歩深く死へと踏み込んでしまった。


「ば、ぼっ」


 具体的にどころか抽象的にさえ何かが伝わったとは思えない。

 今際の際にできることがあまりにも不甲斐なくて逆に笑えてきてしまう。

 だから彼はその視線に想いを込めた。薄れゆく意識の中で微睡み、眠りにつくまでの間。


 どうか――――。






 視界の端に浮き上がった経験値獲得ログはピグマリオンが息絶えたことを示す証拠であった。

 それに伴い戦闘終了の判定が下されたのだろう。『狂刃宿し』による身体能力上昇の代償と息をつかずの『剣聖一閃』二連の反動が身体に襲いかかる。

 全身が筋肉痛になったかのような鈍く続く痛みと強い倦怠感。ポーションを飲んだところで治らない辺り、ただのダメージとは違うらしい。

 その痛みに息が乱れる。それでも俺は眼の前の亡骸に両手を合わせてらしくもない黙祷を捧げた。


「どうやら助力は不要だったようだね」

「ユリアか」


 祈りを終えてぎこちなくも体を動かし立ち上がるとまるで測ったようなタイミングで声がかけられた。


 現れたのは外の鬼剣を任せていた男装の麗人、ユリア・フォン・クナウスト。

 王族の威厳を示す綺羅びやかな衣装の腰回りに黄金のぶどうがぶら下がっているのは中々にシュールだ。

 そしてその後ろには黒い外套に身を包んだルイシーナ・マテオス。

 彼女は怠そうに欠伸をしながら現れたのだが、俺の前に転がる遺体を見るなり呆れたかのように嘆息してピグマリオンに歩み寄りその傍らに屈み込んだ。


「……満足したのに素直に眠れないなんて、最後まで生真面目なやつね」


 ルイシーナはピグマリオンの顔をじっと見つめてそう呟いた。


 2人がここにいるということは外の対応は終わったのだろう。

 聞けば飛び回り鬼剣共を撃破しつつ第一層に突入。鬼剣を操っていた連中を制圧すると残っていた鬼剣群も大人しくなったらしく、とりあえず動かないように拘束してきたらしい。

 操る人間がいなくなったらそれぞれが独りでに暴れ出しそうな鬼剣を単純な縄で縛れるものなのかと思ったが、そこは無限再生する『黄金ぶどう高級品』を手に入れた『換金術』。時間をかけて作り出した特別製の鎖でなんとかしたそうな。


 自分で与えておきながらなんだが、対価さえ積み重ねれば作中最大火力を出せる相手が無限リソースを手に入れたなんて無法だよな……時間かけてスキルを使い続ければ理論上カンストダメージ連発できるわけだし。


「というわけで私達も手が空いた。桜井くんに同行しようと思うがどうかな?」

「それはありがたいが……うーん」


 どうにも引っ掛かるものがあり、俺は眉間にシワを寄せた。

 というのもピグマリオンは死ぬその瞬間に俺に何かを伝えようとしていた気がするのだ。気がすると言うだけで理屈で説明できるものではない。

 心臓から吹き出した血も『一矢報いる』というには不自然で、むしろヒントと言うかメッセージな気がする。

 だがそれを読み取ることができない。何かがあるのだろうけれど、俺には意図がわからないのだ。


「なぁ、ちょっと2人に聞いてほしいんだが――」


 なので俺は自分の所感と共に戦いの中で起きたことをユリア達に話すことにした。

 特にピグマリオンが突然大盾を捨て剣に持ち替えた辺りからはやや細かく。彼が「思うところがある」と言い出した辺りからが手掛かりになると思ったから。


「――って感じでなんか引っ掛かるんだが。わかるか?」


 語った内容には原作知識からくるピグマリオンの経歴や人物像もある。

 それを知っていることは不自然に思われるだろうがユリアもルイシーナも口を挟むことなく静かに耳を傾けてくれていた。

 そして俺の話を聞き終えた後、ユリアが少しばかり目を瞑りそのまま口を開いた。


「外?」

「人物像、起きた出来事。戦いの中での心境の変化。今際の際に彼は君に返礼として何かを与えようとしていた。なにか確信的な、彼だけが知る情報だ」

「それって?」

「私達が攻め込んできている以上はダンジョンに対する対処法を有していると考えるのが自然。だから残そうとしたものはダンジョンに関することだとは考えにくい。であれば思いつくのは今回の一件、この計画の先にあるものだろう。いわゆる隠し玉というものだ」


 そう言われてみれば『ダンジョンに目を向けさせておいて「実は大本命は別にありました~!」と暴露して人を嘲笑う』というのはいかにも七篠が考えそうだ。

 そして隠し玉というからにはダンジョンとは関わりが薄いものである可能性が高い。

 となればそれがあるのはダンジョン内ではなく外である……ユリアの推測に俺は一理あるなと納得した。


「内側に関しては桜井くんと天内くんらがいれば大丈夫だろう。私は外に出て手勢と共に一応の備えをしておくというのが次善だと思うがどうかな?」

「んじゃそれで、頼んだぞ」

「即断即決だね。実に心地良いことだ」

「なんで急に満面の笑みを。お前頼む側王族なんだから頼まれて喜んじゃダメじゃね?」

「ハハハこれは手厳しいな。だが友人に信じて託されるというのは立場に関わらず嬉しいもの…………友人だよね? 私達?」

「お前が望めば友人くらいは名乗ってやるから威厳を維持してくれ」

「じゃ、じゃあ名前で呼んでもいいかな……?」

「好きに呼んでくれていいからそういう反応しないでくれる???」


 呆れ気味にそう返すとユリアは「わかったよ亨くん! 後は任せてくれ!」とニコニコ笑った。

 まったく、突然寂しがり屋な面を出されるとなんかこっちが下心ありきで付き合って一方的に利用するつもりの卑しいやつみたいな気になってくるから勘弁して欲しい。

 確かに一方的に利用できれば最高だが世の中そうは上手くいかないし、だからこそ俺にはユリアが良くしてくれた分こっちも配慮と譲歩をしてやるかくらいの考えはあるんだ。この健全な打算精神を権力に群がる連中と一緒にしないでもらいたい!


「さて、というわけで私は外に。マテオスさん、キミはどうする?」

「私も行くわ。戦うのも面倒だし」


 そういうルイシーナは立ち上がると共に伸ばした両手でピグマリオンを持ち上げた。

 一体何をするつもりなのかと思えばどうやらそのまま持って帰ろうとしているようで。


「なに?」

「いやお前こそピグマリオンに何するつもりだよ」

「こんなところに捨て置くには惜しいと思っただけよ。元同僚として弔ってやるくらいの義理はあるわ」


 この巨体を連れていけるのは私くらいでしょ、とぶっきらぼうに言い残してルイシーナは先んじて歩き去った。

 ユリアもそれに続くように歩き出したのだが途中で思い出したかのように振り向いて「そうだ、七篠 克己はできれば殺さないで欲しい」などと言い出した。


「捕まえることができたのであれば隠し玉の詳細を聞き出すことができるし、王族としては断頭台で首を落としてもらいたいからね。とはいえ亨くんが怒っているのも理解できるから本当にできればで良いよ」


 それだけ言うとユリアは俺の返答を待たずに部屋を出ていった。

 残された俺は顔にかかった血を拭うと下層へと向かうために少しばかり柔軟をした上で動き出す。


「(胸から血を拭き上げたこと。注目すべきは血じゃあなくて胸からだったこと……つまり、心臓部)」


 色々と口にして話したことで自分の中でも情報の整理ができたこと、それに加えてユリアが述べた見解を参考にできたこともありピグマリオンが残したメッセージに察しがついた。

 あれは場所を知らせようとしていたのだ。立ち上がったダンジョンを人体に見立てた際に心臓部に位置する場所。そこに『何か』があると。


 いや、”ある”というよりも”いる”と言った方が正しいか。

 そこにいるのだ。きっと、『何か七篠』が。


 ゴール地点がダンジョン心臓部に当たる場所ならばコレまで通り抜けてきた各階層の傾き、捻じれなどを参考に今いる35層から先のマップがを導き出しそこから心臓部に繋がる経路を見つけ出す。

 言ってることは難しそうだが結局は覚えきってる原作知識のマップを人型になるようにパズルの如く当て嵌めていくだけだ。


 そして道ができたのであれば駆け抜けるだけ。一人で駆け抜けるのであれば身体能力が高い方が良い。

 どうせ魔物も殆ど出ないのだから問題ないとして俺はアバルソードを再び背中の『狂刃宿し』に挿し込んだ。


「(ダンジョンが足を止めてるってことは意図して止めたか、止めざるをえなくなったか。後者となれば天内達が先に七篠とぶつかってる可能性がある。ラスボス討伐は蚊帳の外にされたんだ、俺抜きでのボス討伐を二度もやらせてたまるかってんだ!)」


 狂剣抜刀。心のギアが上がると共に走る速度も上がっていく。

 道のりは見つけ出したので後はそれに従い走って飛んで、道なき場所は糸を使ってでも駆け抜けるだけだ。


 よって頭の中は七篠を”どう殺すか”という思考にリソースが割かれていく。

 ユリアに頼まれたのはあくまで「できれば」でしかないのだ。

 そもそも最終盤に位置するボスキャラなのだから殺す気全力で挑まなければ勝利もままならないだろう。

 絶対の殺意を持って、そのため戦いをして。

 それでもなお、奴の悪運が上回り生き延びたとしたら……その時になってやっと選択肢の1つとなるだろう。

 これが俺にできるユリアへの譲歩だ。


「くっくくくはッ! 待ってろよォ、今行くからなァ経験値ィ!!」


 雄叫びが興奮を呼び、それが疲労と痛みを忘れさせる。

 俺はすでに戦っているであろう天内達経験値にいい具合に経験値七篠を弱らせておいてくれと願いつつダンジョン内部を走り抜けていくのであった。

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