159 嵐の前


 エセルとアイリスを連れた桜井がエルフ領で一騒動起こして帰路につくまでの間。

 冒険者学園が建つ地域一帯はなんてことはないどころか、桜井が居ない分だけ平穏な日々が続いていた。


「おー、天内君! こっちだこっち!」

「お疲れ様ですフランクリンさん。それで荷物運搬の依頼と聞いてますが」

「この倉庫内にある商品、それらが詰まった箱だな。大口の契約でここの商品を全部吐き出して買主の倉庫に動かさなきゃならん」

「物が入りすぎてて狭いですね。これは確かに運び出し用の道具も入らないか……単純に力仕事になりそうだな。わかりました」

「悪いなぁ、うちの若い連中は別の仕事で出払ってて。俺ももうちょっと若けりゃ運べたんだが、どーにも腰がなぁ」

「結構時間がかかりそうですし早速取り掛かりますね。とりあえず内から外に出して並べていく感じでいいですか?」

「おう、すまんな。実際の配送は後から来る連中に任せるから、種類ごとにざっくり分けて並べてくれりゃ良い。本当に助かるよ」


 例えば天内 隼人は多くの冒険者が避けるような割に合わない雑用、それでいて街の人々の生活に密着した困りごとに関する依頼を解決する日々を過ごしていた。

 それは桜井がエルフ領に旅立つ直前に話していた「色眼鏡を外し、生きている人たちのことを知るため」のものだ。


 学園祭の最中、手段と目的はともかく桜井によって精神的に叩きのめされ長年の膿を吐き出したことで広がった視野。

 ある意味で生まれ変わったとも言える天内は多くの人々と触れ合い、その生活の中に存在する「命」を感じ、晴れやかな気持ちで生を実感していた。


「隼人、お疲れ。お昼持ってきたよ」

「ありがとう玲花。なんか、毎日手作りだなんて……その」

「変に恥ずかしがらないでよ。こっちまでむず痒くなっちゃう。好きでやってるんだから素直に感謝すればいいの!」


 そんな天内を支えているのは彼の仲間であり幼馴染である赤野 玲花。

 学園祭を通じて転生者という秘密を知った彼女はこれまでの恋心とは打って変わって親愛を以て天内に接するようになった。


 天内に中にあった『主人公』という存在への強い負い目のようなものは学園祭での暴露により一見解消したかのように思えるが、未だにそれは心のどこかで燻っている可能性がある。

 それがもしも再び燃え上がった時。

 彼がそれに焼かれて潰されぬように、そして今この場所にいる自分を肯定できるようにと精神的な支えとして「強くなる」ことを赤野は決意していた。


 支える決意は少女の恋を愛へと昇華させ、それは隣り合って肩を寄せ合う穏やかな時間に幸福を見出すほどに高まっている。

 その加速度的変化の要因には一人の仲間であるエセルの不在が挙げられるだろう。

 これまで邪魔だったというわけではなく、彼女の不在により二人きりになる時間が大幅に増えたから……ということだ。


「午後はどうするの? 今日も学園ダンジョンに?」

「いや、瞑想とユリアさんとの模擬戦かな。魔力量を増やして『雷帝拳』の維持時間を増やすのと対人経験を積みたいから」

「クナウストさん、学園祭も終わってるのにまだこの街にいるんだ。士官学校の方に戻らなくて大丈夫なのかな? なんか行事でもあったっけ?」

「士官学校で将来的に行う壁外演習だとかの事前打ち合わせだとか、王族として冒険者学園含めた関連施設の視察だとかでまだ居るつもりなんだって」

「ふーん……それ、私もお邪魔していいかな? 一人で鍛錬するのもなんだかつまらないし」

「良いと思うよ。あの人、あれで寂しがり屋だし人が多い分には喜ぶと思う」

「でも一応手土産くらいは持っていった方がいいよね……うーん、何贈っても失礼になりそう」


 王族であるユリアを敬いながらも恐れることのなく考え込む赤野の姿に天内は思わず微笑み、それを察した彼女が「なによー」と肩を軽くぶつけてくる。

 天内は笑いながら謝りつつ暖かく色づいた世界を見据え、守りたいと思うものを守れるだけの強さを身につけなければならないとより強く決心していた。




 桜井不在の恩恵を誰が最も受けたかといえば、それは間違いなく檜垣 碧だろう。

 アイリスと共に桜井のやることなすことに巻き込まれていた彼女は彼の不在に加えて風紀委員を辞めたことで今までになく自由な時間というものが増えた。


「……なんだかな」


 そして一人の時間が増えるということはかつての自分を省みる時間も増えるということ。

 自然と檜垣は自身の狂愛・狂信が引き起こした所業を思い出し、ここ数日の間は平穏な時間を過ごしながらどうにも気持ちが晴れない状態が続いていた。


 憂鬱な気持ちのまま家主不在のアイリス宅を掃除して、それが終われば与えられている自室から桜井より預かっている剣の手入れを始める。

 それは使い込まれた古臭い剣であり、『剣聖』佐貫 章一郎から桜井に与えられたものだ。


 刀身の研磨はもちろん、グリップも汗や血を吸い劣化していくため定期的な調整は必要不可欠だ。

 また柄頭の留具を外して刀身と持ち手を固定するなかごもしくはタングと呼ばれる部位を露出させて状態の確認を繰り返す。

 長年、『剣聖』の有する馬鹿力を受け続けてきた剣である。いくら高い耐久力を有していたとしても歪みや疲労が蓄積されていくものだろう。

 グリップと刀身をつなぎ合わせるその部位に問題が起きてしまったら、それは剣としての寿命が切れることを意味する。


 この剣がその役割を終えるまでを一秒でも長くしなければならないという使命感と共に、檜垣は身につけた知識と技能を総動員して手入れに全霊をかける。

 「とりあえず切れれば何でもいいや」と数打ちの片手剣を使い捨てるタイプの桜井とは違う真っ当な剣士としての姿がそこにあった。


「…………」 


 口に強く力を込めて、漏れ出そうになるため息をかみ殺す。

 その剣に触れる度に、喜びとそれを上回る罪悪感に苛まれる。同時に良くも悪くも桜井が引き起こす喧騒がそれを忘れさせてくれていたのだなと檜垣は自覚した。


「(少し外を歩くとするか。篭っていたら無意味に時間を腐らせてしまいそうだ)」


 手入れを終えた剣を丁重に棚へと戻り、それに向けて一礼してから鍛錬用の剣を携えて家を出る。


 平穏だからといって幸福を享受できるとは限らない。

 良くも悪くも意識した物事に対する執着心が高い檜垣にとって、桜井という償う相手の不在というものはそれなりにストレスが溜まるものであった。






「いらっしゃーいまーせー。なんだアオいのじゃない」

「……ルイシーナ・マテオス、こんなところで何をしている」

「パン屋の看板娘ごっこよ。入ってきたならなんか買いなさい」


 人気のない通り道でふと目についたパン屋に「こんなところにパン屋などあっただろうか?」と思い入店した檜垣。

 彼女を出迎えたのは『黒曜の剣』の呪縛から解き放たれた元歌姫のルイシーナ・マテオスだった。


 ルイシーナの特徴的な渦を巻くようにまとめ上げた綺羅びやかな金の髪は真っ白な三角巾で隠され、元より病的なまでに白い肌も相まってその真紅の瞳が激しく協調されている。

 まるで高級な白磁を思わせるかのような洗練された美しさがあるが故にパン屋の看板娘という言葉があまりにも似合わない。

 しかし檜垣は桜井との付き合いの中で鍛えられた直感が「余計なことは言わないほうが良い」と警告してきたため口をつぐんだ。


 そして檜垣は並べられたトレーの中から菓子パンを1つ購入する。

 パン屋の看板娘”ごっこ”と言う辺りにかなりの不安を感じたものの、下手に突けば藪をつついて蛇を出すことになりかねないとも思った。


 檜垣にとってルイシーナはなんとも言い難い知り合いといった人物だ。

 彼女は一応、アイリス宅に居候しているという扱いではあるものの、頻繁に家を出てこうして思うがままに行動していることが多い。

 加えて家に帰ってこずにそのまま数日消息不明になることもよくある。

 むしろ居候ながら時折泊まりにやってくる客人のような印象の方が強いと言えるだろう。

 それでいて家に居る時は桜井のことをジッと観察したり、動きを真似たり、ちょっかいかけたりとまるでこちらに興味を向けないためイマイチどう接したら良いのかがわからない相手だった。


 故に檜垣がさっさと退散するに限ると考えるのも自然な帰結であった。

 しかしそれに待ったをかけたのが暇を持て余していたルイシーナである。


「ちょっと待ちなさいアオいの。貴方なんか面白い話しなさい」

「は? なぜ私がそんなことを」

「暇なのよ。亨がいれば見てるだけで暇つぶしになったけれど、あいつ私に無断でどっか行ったじゃない。だから貴方が代わりをするの」

「今日明日には帰ってくると連絡が来ていたが」

「今、居ないじゃないの」

「私が桜井の代わりを務めることなんてできる筈ないだろう……」

「でも褐色のが言ってたわよ。あんたは亨に匹敵するくらい『熱い』って」


 逃がすつもりはないとばかりにルイシーナは背中から生み出した太く長い第三の腕を伸ばし出入り口の扉を抑え込む。

 アイリスの語る『熱い』とはきっとその魔眼で感じ取れるであろう意志に宿った熱量のことを言っているのだろう。


 桜井の持つ「鍛錬レベル上げ」に対する強い意志狂気。それに匹敵するものとして思い浮かぶものはただひとつ。

 だがそれによって自分が行ってしまった過ちを思い返して檜垣の心中に影が差す。

 心の陰りは表情を僅かに曇らせ、演者でもあったルイシーナはそこから檜垣の心中を察して興味を持った。


「なんかあるのね」

「いや、私にできる話など」

「なんかあるでしょ? 後ろめたいことがあるんでしょ? 良いわそういうものでも暇つぶしになるし、内容次第で好き勝手言ってあげるわ」

「言ってること最悪だぞお前!」


 桜井に負けず劣らずデリカシーというものを投げ捨てたルイシーナにとって「隠したいこと・言い辛いこと」というものは「暴き立てる楽しみ」が伴うものだ。

 それは自身を縛る鎖であった『黒曜の剣』に対する暗躍の中で見つけた楽しみの一つであり、ルイシーナはより強く檜垣の口を割らせようと圧を強める。

 具体的には生み出した数多の手で相手を囲いながらめちゃくちゃ詰め寄って「話せ話せ話せ」と至近距離で連呼し続けるという凄まじい嫌がらせである。


 しかもルイシーナの身体は魔人としての能力によって液状化が可能。

 それはつまり単純な暴力で突破することが困難であるということであり、顔面パンチしても頭を突き抜ける流体に対して、檜垣が取れる手段は『火剣』本気で殺しにかかる以外無かったため彼女は諦めて口を割ることにした。




 檜垣は嫉妬からくる逆恨みから桜井に対して行った強盗傷害事件、その顛末、冥府での争いから師匠である『剣聖』に実質的な破門とされたことを語った。

 ルイシーナはその話をジッと真顔のまま聞き続け、一段落したところで「まぁ暇つぶし程度にはなったわ」と口にした。


「そうか。それなら何よりだ。それじゃあ私はここらで帰らせてもらうぞ」

「待ちなさいアオいの。暇つぶしの礼としてありがたい言葉を贈ってあげるわ。感謝しなさい」

「あぁ、そうか。ありがとうなー」

「貴方がモヤモヤしている原因は『誰に許されたいか』が不明瞭なままだからよ」


 適当に流そうとしていたお礼の言葉に檜垣は黙り込んだ。

 ルイシーナは見下すような冷たい視線を向け淡々と語り続ける。


「私、オペラの中で色々な登場人物を演じてきたわ。その中には貴方みたいに過去に罪を犯した人物だっている。そういうキャラクター達って因果応報で破滅するか、努力しても惨めに終わるか、もしくは良い感じに新しい道を見つけるかって感じなのだけれど……演じてると何となくそこにある差っていうのがわかってくるのよ」


 曰く、破滅するものは罪の自覚がない。惨めに終わるものは自覚はあれど償うことができていない、そして良い感じに終わるやつはしっかり償って許しを得ている。

 その上で檜垣の話を聞いたルイシーナは『惨めに終わる人物に似ている』と感じたと言う。


「償いができていないってのは、要は贖罪の気持ちに対して行動が伴っていなかったり見当違いの行いをしていたりってのが殆ど。そしてその原因が」

「誰に許されたいかが不明瞭、にあると?」

「『誰に』っていうのは特定個人でも良いし、友人たちだとかそれこそ世間の人々だとかみたいな大きな括りでも良い。ただ漠然と『許されたい』『償わなきゃいけない』なんて思ってる人物キャラほど道を間違えるのよ」


 ルイシーナが思う償いとは許しを得るための手段であり、手段には目的が伴わなければならない。

 手段そのものを目的化することは間違いであり、無意味でしかない。

 よって『誰に許されたいか』という目的が無ければ適切な手段、正しい償いを考え遂行することはできない。


「そもそも亨がそこら辺をよく考えず適当に和解して、解消と解決を履き違えたまま終わらせてることにも原因はありそうだけれど。ともあれアオいの、貴方のそれを解決したいならばまずはどう償うかの前に誰に許されたいかを見直すことね。なんなら亨に相談すれば? あいつも当事者なわけだし」

「……なんというか。それでいいのかという気持ちと、どことなく腑に落ちる気持ちがあってなんとも言い難い気分だ」

「腑に落ちる部分があるなら検討に値するってことでしょ」

「そうかもしれない。そこはしっかり考えていきたいとは思うが……それにしても意外だった。桜井にしか興味がなさそうなあのルイシーナからこんな意見を聞けるだなんて思っても見なかった。どういう心境の変化だ?」

「別に、貴方から聞いた話に対する感想を礼として述べただけよ。後はどうなろうとも知ったこっちゃないわ」


 ルイシーナにとってそれは読んだ本への感想を軽く口にする程度の感覚であり、それが終われば暇つぶし程度にしかならなかった檜垣にもう興味はない。

 商品であるはずのパンを適当につまみ始めるルイシーナを見て檜垣はため息をついた。


「誰に、許されたい……か」


 檜垣はその場で立ち尽くしたまま自分の気持ちを見つめ直す。

 償うべき相手は直接の被害者である桜井に変わりはないと断言できる。だから檜垣は彼のやることなすことにこれからも付き合い、協力し続けると決めている。


 それでいいのではないか?

 いや、であればなぜこんなにモヤモヤとしたものを感じ続けているのか?

 その疑念を始点として、檜垣は自身の羞恥と理性が結託して「考えてはならない」と無意識の内に目を逸らしていた『許されたい相手』の輪郭を描き始める。



 しかし直後、突如として跳ね上がった大地に姿勢を崩されその思考は途切れるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る