最終章 レベルバカと理想郷
158 醜悪な光
生まれ落ちた子供はまるで岩石のような有様だった。
単純に皮膚の色が鼠色であったこともあれば、その肌が赤子とは思えぬほど、それこそ石のように硬かったのである。
それは先天的な皮膚病であった。
そして赤子には大病の代償としてそれに見合った天禀を与えられていた。
何をせずとも筋肉が肥大化し強化されていく超人体質。
増え続ける筋肉に負けぬように、それでいて健康を一切害さないまま過剰発達する骨格。
一を聞いて十を知る類稀なる知性に裏付けられた優れた洞察力。
生まれた時点で平均的な魔術師の数倍にも及ぶ魔力の高さ。
どのような道を歩もうとも大成が約束された数々の天禀、歳を重ねるごとに露見していくその優秀さには両親をして舌を巻くほどであった。
しかしその優れたる様に驚かれる反面、周囲から向けられる視線に好意的なものは何一つ存在しなかった。
赤子が育ち、少年と称して然るべき年頃になったころ。
肥大化し続ける筋肉と強靭さを求め過剰発達する骨格は大の大人を超える体躯を作り上げながらも、筋骨格の発達は膨大なエネルギーを求め継続的な食事を取らねば瞬く間に飢餓状態に陥るため、四六時中何かを喰らい続ける必要に迫られていた。
そして食事によるエネルギー補給をより効率的に行うため彼の消化器官は大量の食材を取り込むことを前提としたものへと変わる。
必然的な臓器類の巨大化。
それらを内包する腹部はまるで妊婦のように膨れ上がり、取り込まれたエネルギーがより強く体の成長を促す。
ともすれば、ある程度の成長が進んだ彼の体はまるで紐で結んだ肉塊を繋ぎ合わせたかのような悍ましいものへと変わっていった。
異常発達の歪さは顔にも現れ始める。
成長に伴い発生した肉割れが傷跡のように顔の上に刻まれ、顔筋と骨格のバランスが崩れたことにより左右非対称かつ真っ当に口を閉じることもできなくなっていた。
気道を確保するために鼻の先はより上向きに、そして穴は大きくなり、「豚面」と称される醜悪な容姿を作り上げる。
それでいながら食事のために大量に分泌される唾液が閉じきらない口の端から流れ落ちることが頻発するため、鼠色の肌も相まって清潔さなど欠片も感じ取れ無い始末。
どこまでも醜悪で汚らしい存在に追い抜かれ続ける周囲の人間がどのような感情を抱くかなど想像に難くないだろう。
それでも彼は自らの優秀さを示し続けた。
それこそが自らが社会に受け入れられる唯一の道であると信じていた。
魔物に囲われたこの世界においてはそれと戦う術を持ち、人を守り救う力があることが最も尊ばれるものであると理解していたから。
その力さえ持っていれば外見など関係なく受け入れてくれる者たちがいると信じていたから。
根本的な原因に目を向けたところでどうしようもないものなのだからと、彼は直向きに努力を重ね続けた。
結果として彼を取り巻く環境は悪化の一途を辿っていく。
どのコミュニティにも属することができず、ただそこに居るだけで悪意を向けられ、単純な嫌がらせは段々とエスカレートしていき暴力行為など日常茶飯事になった。
その被害は彼のみならず両親やその親類にまで波及した。
大凡人とは思えぬ外見の彼は「魔物の子」だと揶揄され、母親は「魔物と不貞を働いた淫売」と言われ、家族を守ろうとする父親は向けられる誹謗中傷の盾となり日に日にやせ衰えていく。
家族への攻撃は次第に外聞を気にする親類が主導するようになり、逃げるように住処を移しても居場所を突き止め執拗に社会的な圧力をかけてくる。
「生きていることが不愉快で、汚点だ。気持ちが悪い」
かつては貴族であったとされる親類、母の妊娠を父と共に祝福していた彼らに告げられた言葉は今でも覚えている。
それを言われた父と母の涙を堪える顔を今でもはっきりと覚えている。
深夜に父の胸の中で嗚咽を漏らす母の姿をはっきりと覚えている。
苦しみ続けながらも自分を守り続けてくれている両親は愛おしかった。
だからこそ彼らのためにできることをしようと決意して、武を磨き、知識を得て、師事のためにはプライドなどかなぐり捨てて何度も頭を下げて教えを請うことを続けた。
時には冤罪を論と証拠で跳ね除け、時に理不尽な暴力をその大盾で受け止め、時には弱者を助け――裏切られる。
「それでも」
「それでも、きっと」
「きっと、理解してもらえる」
「私が生まれたことは間違いなんかじゃないと」
「求められる意義が、価値が、この五体に宿っているはず」
「いつか、きっと」
「きっと……」
奥歯を噛み締め泥水を啜り木の根を喰らいながら、ついに彼は英雄と称するに足る力を身に着けた。
その努力が実を結び末席とはいえ騎士団に所属することも決定。
雌伏の時間は終わりだと胸を張って両親に告げることができると人知れず微笑んだ。
燃え盛るボロ屋を前に笑みは消えた。
周囲を囲う者たちを押しのけ、たどり着いた室内には執拗な暴行を受け胸の鼓動を止めた枯れ木のような姿の父がいた。
暴力に晒されながらも辛うじて息があった母は抱え込んだ腕の中でしきりに彼に対して生んでしまったことを謝り続けていた。
口を閉ざさなかったが故に煙を吸いすぎた母は、家から脱出した頃にはすでに息絶えていた。
「お前が悪い」
「貴様のような奴が俺たちを差し置いて騎士になどなるからだ」
「化け物を生かし続けた報いだ」
「自業自得だろう」
「これは正義の行いだ」
母の躯を抱えながら理由を問うた叫びに返ってきたのは「正しさ」に包まれた嫉妬と怒り。
理解不能なままに向けられる感情の刃に呆然として、腕の中の遺体と共に胸の内から何かが取り落とされていく。
もう、何も残っていなかった。
何もかもが残されていなかった。
気がつけば周りには人だった何かが幾つも転がっていた。
それが何者かであったかを理解してなお、心は凪いでおり空虚であった。
晴れる想いなど無い。
ともすれば晴れというものなど感じたことがなかったような気もする。
曇天よりも深い暗闇に包まれ、彼はスルリと落ちていき、程なくして黒曜の下へと流れていった。
組織の中でも忌避されながら言われるがままに指示をこなし、幹部の地位を手に入れた後も満たされることなく惰性で生きる。
たとえその身を悪に浸していたとわかっていても、希望の光を失った彼にとってはもはやどうでも良い。
ただ両親に愛され産み落とされた自分という生き物を捨て去ることができなかっただけだった。
「よう、ちょっと良いか?」
それでも心のどこかに燻っていたものがあるのだろう。
誰にも教えたことのない自身の過去をまるで見てきたかのように知る男、
彼が口にする称賛に訝しみ、耳を傾けてしまったことが間違いだった。
「俺は夢を叶えたい。この世界で、誰にも縛られずに望むがままにそれを実現したい。そのためにも絶対に必要なものがある」
「んん~? つまり、それを調達するための手伝いをしろということですかねぇ~?」
「いいや。それはもう、ここにある」
「と、言いますとぉ?」
「お前だ。ピグマリオン」
「はい?」
「ピグマリオン・ドン・トロールという男が欲しい」
突然の言葉に目を丸くしたピグマリオンに七篠は詰め寄り、その子供のように煌めく視線を真っ直ぐに向ける。
煌めきの中にあるもの、その殆どが邪悪と言って差し支えない無邪気さであったとしても、そこには確かにピグマリオンが求め続けていたものがあった。
「俺の夢にはお前が必要なんだ。一緒に来てくれ、ピグマリオン」
牙を向くような笑顔で心の底から告げられた言葉がピグマリオンを射抜いた。
自分を利用するためだけの猛毒であったとわかっていても、求められていることだけは嘘偽りのない事実。
「ん、んんっ……えぇ、良いでしょう。ご協力させていただきましょう」
奈落へと身を落とすには十分な理由だった。
卑怯者めと罵りながらもピグマリオンにはもはや抗うことはできない。
故に彼は七篠 克己の手を取り『黒曜の剣』に反旗を翻した。
心の何処かで「これで良いのか?」と問いかけるものがある。
「これが自分を愛してくれたものが望んでいたことか」と責め立てるものがある。
「こんなはずではなかった」と後悔に泣き続けているものがある。
しかしピグマリオンはそれらを理解した上で、七篠によって灯された醜悪な光を手放すことができなかった。
もはや逃れることができないからこそ、ピグマリオンはその光と共に終わることを決めている。
終わりはすぐそこまで来ている。
きっと、そうであって欲しいと、ピグマリオンは想うのであった。
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