134 後門の毒親


 朝永 彩子が感じる暗澹たる思いに反して交渉そのものはトントン拍子に進んでいった。

 それは実際に会話を成立させる桜井とヨゼフが舌戦を楽しめる人種ではなかったことが理由でもあれば、お互いに自らが持つ交渉カードの価値に興味がなかったことも理由である。


 桜井が握る聖女の身柄や杖の所在、ヨゼフの握る学園ダンジョンの作業用通路の情報等など……それが「交渉に使える手札である」という理解はあるものの「吐き出したところで自分が困ることは無い」だの「駄目なら駄目で別の方法を考える」だのと考える身勝手極まりない思考と割り切り方をする連中が相見えた結果、情報の「質の等価交換」ではなく「数の等価交換」を目的にした交渉が発生したのだ。


「聖女の身柄に魔物たちが跋扈している人災ダンジョン内から杖を回収するための協力。そして俺はまだ襲撃者であるお前たちの正体を騎士団には伝えていない。これで3つだ」

「これはこれは随分と多いね。予想するに君が求めるものの内、1つは私が持つ知識だろう。構わないとも。魂移転の魔技から彩子のあらゆる情報まで、好きな知識を持って行くと良い。何を知られようとも私が困ることはないのだからね」

「じゃあお前が遥か昔、学園ダンジョンの改造工事に関わった時に使っていた作業用通路の詳細教えて」

「8番通路のことだね。学園生である君がここに来た目的を考えれば自然とそれを求めてくるとは思っていた。あぁ、もちろん構わないとも」

「じゃあ、後2つ分な」

「彩子、これは随分と手強い相手だ。考えに考え、残り2つ分の交渉カードを切らねばならないよ。私が出せるものであればもちろん追加で提供することもできるが、何を提供するか他に出せるものがあるか……それをしっかり考えて提示しなければならない。私は彩子がこの苦難を前に悩むキミの姿を目に焼き付けようじゃないか」

「……っ! ~~!!」


 どんな重要な情報であろうとも、1つは1つ。

 互いにカードを出し合って、出したカードの数が相手より上回るのであればその分を補填する何かの要求を加える。

 社会性が欠如している者達による圧倒的低次元の交渉に彩子は目眩がした。


 これがもしも相手が求める代償に彩子自身が与えることが出来るものがあるのであれば強く口を挟むことができたのだが、いかんせん相手が求めているのはヨゼフの知識でありそれをヨゼフが秒で承諾してしまったせいで彼女の発言力というものが大幅に損なわれてしまっていた。

 それでもどうにかこの交渉のあり方を正しい姿に戻し、自分に有利な条件を引き出すしか無いと決意した彩子は近場の民家から持ち出した筆記用具を使った『筆談』をもって抵抗した。


「えぇ、読むの面倒くさい。ヨゼフが通訳するままの方が俺にとって都合がいいんだけど」

「キミの都合云々はどうでもいい。彩子がわざわざ用意した文字や文章を読めないというのであればこの交渉はここで終わりだ」


 彩子が書いた文章を読むのを面倒臭がる桜井に「家の愛娘が書いた文字が読めないというのか」と怒りだすヨゼフ。


「――まぁ取り決めはこんなところか。そうだ、後で『そんなこと言ってない』は無しにするために証拠としてそのメモに内容を総括してこっちに渡してくれ」

「は? 彩子が書いたこのメモは私の愛娘が作り出した創造物。それを他者に渡すなどできるものではないね」

「なんかまた気持ち悪いこと言い出したな」


 成立した取引の証拠として彩子が書いたメモを確保しようとする桜井に「家の愛娘が書いたメモを渡すことなどできない」と状況を拗らせてくるヨゼフ。


「じゃあ同じ内容のもの2枚書いてお互いに持つ感じで」

「同じ内容であろうとも字体の飛び、跳ね、払いに差異があるじゃないか。趣の違いがわからないのかね!」


 仕方がないので同じ内容のものをもう一度書き連ねそれぞれに渡そうとしたところ「一枚一枚、字体の趣が違う」と意味不明なことを言い出すヨゼフ。

 彩子はこの自称父親はやはり味方としてカウントすべきではないと強く思ったし、流石の桜井も生き生きとした気持ち悪さを前に蔑みの視線を向けた。


 ともあれ、この交渉によって両者の間にいくつかの取り決めが結ばれた。


 1つ目は『杖』の回収のため、大図書館の禁書区画に向かうまでの協力をすること。

 大図書館に向かうまでには何匹もの魔物がいる。それを打倒しつつ進むには戦力があるに越したことはない。

 加えて自分たちが大聖堂の結界内部に侵入する際に周囲を固める騎士団に気が付かれないための工作も必要である。

 よって彩子が戦力として、ヨゼフが情報工作のために協力することが決められた。


 2つ目は各々が有してる情報と物品の引き渡しについて。

 桜井は『聖女』と『杖』をヨゼフは『通路の情報』を、どのタイミングでどう渡すかという部分。

 普通であれば『聖女』と『杖』が揃った状況でヨゼフの情報を渡せば良いものの、ヨゼフが先に「確かめようもない無形の情報を後出しするのはどうだろうねぇ、彩子?」等と試すようなことを言い出したせいで彩子は圧倒的に不利な条件を受けざるを得なくなった。

 結果として禁書区画で『杖』を回収した際に『通路の情報』を引き渡し、彩子がヨゼフの下に無事に帰還した上で『聖女』を引き渡すことに決定した。


 そして最後に『聖女』の監視について。

 最終的に引き渡すことになる『聖女』についてはダンジョン攻略中の逃走をさせないためにヨゼフがその近くに自らの人形をつけることで監視するという約束が交わされた。

 そもそも負傷しているコーデリアを病院から動かすつもりなど桜井には無かったので彼はこれをすんなりと受け入れた。

 だが当然ながらそれを無条件で受け入れる訳もなく、桜井は『聖女』に自分側の護衛をつけることをヨゼフに了承させた。

 これは自分たちがダンジョン攻略中に『聖女』が攫われるという事態を防ぐためであり、桜井はこの護衛にアイリスをつけること決めていた。彼女の『魔眼』があれば『聖女』に近づく者の内、誰が人形なのかを判別できるからであった。


 こうして両者の交渉は終了した。

 やはりと言うべきか決定した内容は桜井側に圧倒的なまでに有利であり、ヨゼフはそれを理解した上で敢えて要所要所で彩子の不利に傾く発言をしていることを彼女は察していた。

 しかし彩子はヨゼフが「成功しようとも失敗しようとも、むしろ失敗したほうが自然と慰められる分良いかもしれない」と考えていることを理解できてはいなかった。

 故に彼女は彼に対して至極単純に「協力すると言った言葉を翻すクソ野郎」という感想を抱き、これ以下は無いであろうと思っていた評価の底を更に下回る結果を打ち出していた。


「……んっ、ふふっ。良いね、こんな状況でもなければ見ることもできなかったであろうキミの視線もまた可愛らしく、愛おしいものだ」


 対して自らへの評価が下がったことを理解しながらも愛娘が自分に対して向けてくる視線を堪能する男が1人。

 彩子の蔑みと怒りの視線は彼の中で反抗期を迎えた娘の様子に自動変換され、それは環境の変化に伴う彩子の成長であり喜ばしいものであると処理されていた。

 そして数年の後、一端の女性へと成長を遂げた彩子と共に席を囲み「昔はあんなにもお父さんのことを嫌っていたのになぁ」と娘をからかい笑い合う光景を想像して彼は暖かな喜びを感じていた。


 ヨゼフ・アサナガはバビ・ニブルヘイムが単純で身勝手な暴力という『攻撃性』によって「力がある方の最悪」と呼ばれているのに対し、彩子が向けてくるあらゆる感情を都合よく受け取る『防御力』によって「技がある方の最悪」と呼ばれる人物であった。

 この作中二大汚物とも言うべき者達を前に原作ゲームのプレイヤー達は「父親という存在に何か恨みでもあるのか?」と邪推せざるを得なかったのだが……それはまた別の話である。




 こうして彩子は回想を終え、項垂れる。

 何故自分がこんな目に合わねばならないのだと強い怒りを感じていた。


 だが自らを縛る理不尽さから解放されるためにも今はグッと堪えねばなるまい。

 そう決意したところで彩子の耳にパカラパカラと軽快な蹄の音が聞こえてくる。


「お、いたいた」

「ねぇトール……本当に大丈夫なの? 襲ってきた奴と一緒にだなんて」

「なんとかなるだろ。いけるいける」

「ハァ。あんたに託した手前、信じるしかないか」

「ヒンッ、ヒヒーン」


 音のする方に振り向けば視線の先に件の桜井とその仲間がやってきていることに気がついた。


 馬が一頭、それが牽引している荷台に桜井と聖女の娘であるエルフが一人。

 この面子に自分を加えて、彼が人災ダンジョンと呼称する『エルフ領の大聖堂』へと挑むのだ。


「…………」


 やらねばならない、堪えねばならない、そして彼らを出し抜きヨゼフを始末しなければならない。

 誰よりも苦しい状況にいると自覚しながらも、彩子は最後に笑うのは自分でなければならないと決意し手に持つ三叉槍を強く握りしめるのであった。

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