123 親子と親子


 大聖堂の上層部には聖女に与えられる私室が存在する。


 私室の広さは凡そ12帖ほどだが壁際には所狭しと並べられた本棚が連なり、執務用のテーブルに同じような衣服ばかりが納められている衣装棚、そして休眠を取るための簡易なベッドさえも一室の中に押し込まれているため実際の広さに対して自由に動き回れる空間はそこまで多くはない。


 一人暮らしならば問題はないが二人で手狭、三人以上は苦しい……そんな場所が仮にも宗教組織を代表する聖女に与えられている部屋であった。


 そんな私室に持ち込まれた食事用のテーブルには暖かな料理が並べられていた。

 しかしそれらは聖女という肩書に比べると酷く質素なものであり一般的な家庭料理といった程度のもの。

 だがこれでも普段の食事よりも豪華であるというのだからエセルは聖女を取り巻く環境に対して苦い顔を浮かべざるを得なかった。


「…………」

「…………」


 食事の間はお互いに無言であった。

 聖女にとって食事というのは感謝の祈りを捧げながら自らの血肉とする儀式の一環であり、その際に会話をするというのは礼儀作法に反するものであると教えられている。

 逃げ出したとは言えエセルもまたそう教えられてきたことから守るつもりはなくとも食事中は自然と口数が減る。

 会話とはお互いのキャッチボールで成り立つものであるため、この状況はなるべくしてなったと言えるだろう。


「(あぁ、もう。何話せばいいのよ。というかトールの奴、あの様子だと私がお金を稼ぐ理由も知ってそうで……うわぁ、きもっ)」


 食後の紅茶に口をつけながらエセルはやや現実逃避しながら悩んでいた。

 腹を割って話してこいと言われても着地点も考えないというのに胸の内を言うだけ言ってどうしろというのか。

 こうして母親との対話の機会を与えられながらも最終的な落とし所、その見通しが立たないためにエセルはいつになく及び腰になっていた。


 ちなみに桜井が言外に込めた意図としては「家族間のあれそれなんざどうでもいいことはさっさと済ませて大図書館の利用許可を得てこい」である。

 それをそのままストレートに言わないほうがよいと考える人間性を彼は獲得していた。無論、この意図はエセルに伝わっていなかった。


 対する母コーデリアも涼しい顔の下で悩んでいた。

 いかなる手段でそれを知ったのかは不明だが娘の学友である少年が語ったことは全てにおいて事実だったからだ。


「(……どうしましょう)」


 コーデリアはエセルと同じく幼少期から聖女かくあるべしと教育を受け続け、今やこうして立派に聖女を努めている人物だ。

 その結果、今の聖女を取り巻く環境は当然のものであると認識しているし、外から見ればそれは奴隷労働に等しいものであるとわかった後も「だからこそ聖女の言葉には相応の重みが備わる」と考えていた。


 誰もがやりたがらない仕事だがそれは確かに必要な存在であり、それを進んで担うことはとても尊いものである。

 そして自分の働きによって争いが収まることにコーデリアは強い達成感を感じる。自分の苦労が無駄ではなかったと安堵できる。

 故に彼女は『聖女』という役割に対してやりがいと誇りを持っていた。そして娘であるエセルにこの誇りある仕事を継いでもらいたいと考えていた。


 だが娘は大聖堂から逃げ出し冒険者となった。

 仕事人間といっても過言ではないコーデリアだが娘には自分の道を選ぶ自由があると思っていた。聖女としてではなく、母親としての考えであった。

 だから逃げ出すことを目論んでいると知った時には残念に思いながらもそれを後押しするように警備にわざと穴を作った。

 その事実に感づいて行動しておきながらも理由を問い詰めることをしなかったのはひとえに母親としての彼女が臆病であったからである。


 そして問い詰めることをしなかったからこそ、彼女は娘が冒険者を目指していると知って酷く狼狽えた。

 愛する娘がよりにもよって最も命を失う可能性が高い職業を目指しているなどとは夢にも思っていなかったからだ。


 コーデリアは今日まで悩み続けてきた。

 母親として冒険者になることには反対ではあるが、それを確認せずに送り出した自分に今更口を出す資格があるのかと。

 仮にそのことに口に出したとして娘が本心から冒険者となることを願っていた時、それを諦めさせることは娘のためになるのだろうか? 娘に酷く嫌われてしまうのではないだろうか?


 だが、でも、しかし。


 そんな自問自答を一人で続けていたところにもたらされたのが冒険者学園からの大聖堂への協力要請。

 悩みの種となっていた冒険者学園からの要請に冷静さを欠いた彼女は『伝統派』が口にしたエセルを呼び寄せ聖女へと引き戻す提案に思わず首を縦に振ってしまった。

 聖女としてはありえない判断であったが、その時のコーデリアは母親としての想いが勝ってしまった。


 そしてそのこと全てを完全に暴露された結果、まるで冷水をかけられたかのように気勢を殺がれたコーデリアはエセルに向けるべき言葉や資格があるのかとまた自問自答する結果になった。

 「とりあえず久々に再会できたのだから顔を向き合わせるべきだろう」と考え夕食に誘った辺り完全な元の木阿弥というわけではないのだろうが、それでもコーデリアはいざという場面で言葉に詰まってしまっていた。


「母さん」

「エセル」


 お互いに何かを言わねばと思い、同時に言葉を発して出鼻を挫き合った。

 沈黙の後にそれをどうにかしようと先に口を開いたのはコーデリアであった。

 彼女は兎にも角にも会話を行うことが先決であると判断し、母親としてではなく聖女としてエセルが大聖堂へとやってきた案件についてを語ることとしたのだ。


「私の方から失礼して。まず大図書館の利用については問題ないでしょう。明日の朝に聖女再就任の略式儀礼を行いその後に利用許可を与えます。ただし、希望している禁書区画に立ち入るには聖女である私の同行が必須となります。それに加えて護衛の者たちも付いていく形になりますから、それに関しては同意してもらいます」

「ん、わかった。むしろウチのバカ野郎が変なことしないように監視の目が増えるのはありがたいし」

「大図書館の利用は午後からになるのでその間は自由にしていて下さい。時間になったら入館手続きをするので大図書館の受付で待つように」

「うん。わかった」

「……それと貴方はともかく同行者の方には大図書館は不慣れでしょう。今回の一件に関する情報収集を行うことについて私も協力します」

「え? その、他の仕事は良いの?」

「構いません。くだらぬ企みに巻き込んだ贖罪です」

「そっか……ありがとう、母さん」


 母さん、という呼称にコーデリアは僅かに勇気を貰った気がした。

 母親としての言葉が喉元で詰まっていた彼女にとってその僅かな勇気は必要不可欠なもので、それが胸の内にある言葉を外へ外へと押し上げて行く。


 それでもコーデリアは無意識に怒りを恐れる子供のようにテーブルの中心に視線を落として顔を俯かせた。

 だがしかし、そうやって娘と向き合うことに内心怯えながらも彼女は自然と心中でうずまき続けていた気持ちを吐き出すことができた。


「エセル。私は、貴方に冒険者を続けてほしくはありません」

「どうして?」

「命の危険がある職業だからです。冒険者は何時どこで死ぬかもわからない。それも、時には遺体さえ回収できないことになるかもしれない」

「お父さんみたいに?」

「……はい」


 お父さん、その単語にコーデリアはやや言葉に詰まりながらも絞り出すように肯定を返した。


 エセルの父親でありコーデリアの夫、大聖堂を守護する騎士達のトップでもあった男『聖者』レイモンド・タイナー。

 この国において“剣聖が国の矛であるならば、国の盾は聖者”と呼ばれるほどの実力者であり、高レベルの『神聖魔法』と『結界術』によって一軍全体を守護できる術者としての実力に加えて自らを守るための『操盾そうじゅん』を組み合わせることで難攻不落の個人要塞とまで評された最硬の騎士。


 今より3年前の『対竜総力戦ドラゴン・レイド』に参戦し、帰らぬ人となった男だ。


「3年前のことが特殊な事例であることは理解しています。しかしあの時、国内から選抜され参戦した冒険者と騎士によって構成された討伐軍740名の中で帰ってきたのは60人弱。その殆どが後方で支援していた者たちであり、最前線から帰ってきたのは半死状態の剣聖様のみでした」


 そしてレイモンド・タイナーを含む後衛に向けられた攻撃を受け止める役割を担った者たちはその尽くが戦いの中で肉塊と化した。

 共同墓地に立てられた墓の下には戦死した彼に与えられた勲章と副葬品として国に残されていたかつて彼が使用していた武具が秘密裏に納められているだけだ。


「家族が死んで、それを耳にする。そんな未来を想像させるような職業に従事して欲しくはないのです。だから貴方にはこの大聖堂に戻ってきて欲しいのです」


 それは戦いで夫を失った母親として当然の想いだった。

 しかしエセルにとってその想いを語る姿は初めて見るもので、聖女としてではない肉親の言葉に彼女は絆されてしまいそうに……甘えてしまいそうになってしまう。


「ぁあ、もうッ!」


 だからこそエセルは自ら自分の両頬を強く叩いて気合を入れ直した。

 パンッ! と鳴り響く突然の音に思わず顔を上げたコーデリアは何事かと目を丸くしており、エセルなやや赤みがかった頬を痛みでひりつかせながらも強い意志を持って母親を見据えた。


「母さん! 私は聖女になんてなりたくないし、それを認めてる大聖堂が大嫌いなの! どうしてかわかる!?」

「……いえ、まるでわかりません」

「なら教えてあげる! 私はね、聖女の立場も大聖堂の連中もどいつもこいつも母さんに助けられているくせに誰も母さん助けようとしないのが! 尻ぬぐいばかりさせておいて、それに報いようとしないのが心底気に食わないの! だから嫌いなの!」


 コーデリアはエセルの激昂に怪訝な顔をした。

 なにせ争いを納め他者と組織を助け続けることが聖女の役割であり、その施しを受けた者たちが報いるべきなのは対立していた他者と組織だと考えているからだ。

 そもそも調停・解決は聖女としての職務、その報酬として衣食住を保証されているのだから十二分に報われているではないか?


 母親がそう考えているであろうことをエセルはよく理解していた、なにせ自分も「そうあれ」とかつては教育を受けてきたのだから。

 自分がそこから脱却できたのは一重に父であるレイモンドの影響が強いと言っていいだろう。


「父さんはいつも言ってた、『母さんを1人の女性として幸せにしたい』って。古着じゃない綺麗な服を着て、美味しい物をいっぱい食べて、刺激的な物語を楽しんで……そういう普通の幸せを知ってもらいたいから結婚して『家族』になることを決めたって」


 若き日のコーデリアを見てその有様を知った父親は聖女の夫でありながらもその体制には強く否定的であった。

 聖女の役割と責任は個人ではなく組織化された集団が担うべきものであり、幼少期から行われる“聖女”とは名ばかりの生贄を作り出す洗脳教育は無くしていくべきであると。


 だからこそ彼は結婚後、常に激務に追われ続けるコーデリアに『家族との時間プライベート』を与えるため日々奮闘し続け、聖女体制の歪さを周囲に説き続けてきた。


 そしてレイモンドは多くの敵を作りながらも少なくはない味方の尽力により何とか捻り出した時間を使って聖女の立場からでは見えない外の世界について多くを語った。

 時には聖女に相応しくないからという理由で禁じられている食べ物を持ち込み手ずから調理して振る舞った。

 コーデリアの持つ聖女としての感性に配慮しながら真新しい衣服をプレゼントしたり、流行りの物語や書物を持ち込んではやたら仰々しい下手くそな演技を交えながらそれを読み聞かせたりもした。


 娘であるエセルが生まれてからは聖女としての教育自体は止められなかったものの、聖女の夫という立場を使ってカリキュラムに干渉することで母親が受けたそれと比べると遥かにマシなものへと変更させ、より『家族との時間』を大切にするため積極的に仕事をこなしては時間を捻り出していた。


 レイモンドのこうした献身により聖女として当時は機械的な情緒しか持ち得なかったコーデリアも理解が及ばぬ部分はあれど「自分が愛されている」ということを知った。

 そしてそうであるならば自分も夫を愛したいと思い、今となっては聖女の立場とは関係なく不器用ながらも家族を愛することができるようになっていた。


「私も父さんのおかげで聖女ではない人々の生活を知ることができた。美味しい食べ物にお洒落な服装、多くの物語に演劇や歌……聖女の生活からは考えられない色んな『贅沢』を知って、それが贅沢でもなんでもない普通のことだと気が付かされて、普通のことが許されない聖女がおかしいと思い始めた」


 エセルにとっての幸運は抱いた疑問を肯定し、それに対して喜んで答えを返してくれる父親がいた事であった。

 彼女は激務に追われ続ける母親に比べて父親と過ごした時間のほうが多く、その分受けた影響も強い。


 結果としてエセルは聖女としての教育を受けながらも聖女ではない個人としての自我と考えを確立させることに成功し、大聖堂から逃げ出す前までは父親と同じく聖女としての体制を変えられないものかと考えていた。


「だから私も最初は何とかできないかって、そのためには聖女になるのも吝かじゃないとは思ってた」

「……エセル」


 いかなる理由か顔を苦しみに歪め始めた娘にコーデリアはそれを止めるように声をかけた。

 それでもエセルは言わねばならないと溢れそうになる怒りと悲しみを食いしばって耐えながら、自らの自分勝手な醜さを伝えねばならないと覚悟する。


「でも、父さんが死んで。母さんが『対竜総力戦ドラゴン・レイド』の国葬を任されてから、聖女が本当に凄い人だって知って……」


 竜の侵攻という国家の一大事において命を落とした者たちは皆が例外なく英雄であるとされ、回収しきれぬ遺体なき死者のためにもその葬儀は国を上げての国葬となった。

 戦死した犠牲者の中には王族やそれに連なる貴族の面々も居たが『身分に関係なく皆が等しく英雄である』という前提を崩さないためにも国葬の主催者は王族でありながらもその実務は宗教側へ、中でもあらゆる宗派に属さぬ中立存在である聖女コーデリアにその白羽の矢が立てられた。


 王族と連携を取りつつ貴族や各宗派達にどの仕事を任せるかによって変動する政治的力学に配慮しながら、犠牲者達の身分や出身地における慣例や禁忌を調べ上げ誰から見ても不満のない葬儀になるように計画する。

 また葬儀後についても希望者には身内向けの再葬儀の手配や埋葬までの間の遺体保管、遺体さえない者達への埋葬手続きや埋葬先の手配、相談窓口などの体制作り。

 加えて各地へ聖女自身が慰問して回ることで残された遺族たちへの精神的なケアを行いその苦しみを取り除く一助となる等々……休める時間は日に1時間を切るというまさしく殺人的と言っても過言ではない激務を聖女コーデリアは見事成し遂げた。


 その超人的な成果に多くの人々が感嘆の声を漏らし、感謝の念を覚え、そして国内における聖女の権威ひいては彼女が率いる宗教の存在感を強めることに繋がった。


「……そんな母さんの周りにいる連中が、本当に嫌いになった」


 高まった権威、強まった存在感。

 聖女の周りに集まった者達は彼女の威を借り自らの栄達や一族の繁栄を求め始めた。


 ある者は聖女の側付きという立場を利用し周囲に対して優遇を求め横暴を働き出した。

 ある者は聖女への返礼と称して資金を募り、自らの教会や邸宅をより豪勢に作り変えた。

 そして中でも特に多かったのが自らに割り当てられた仕事を様々な方法で聖女の下へと流し、その成果をまるで自らが成し遂げたかのように振る舞う者達の存在だ。


 彼ら彼女らは自らが解決すべき問題や仕事を誇大に扱い与えられた裁量では解決できないとして報告してきたり、締め切りを守らなかったため結果的に聖女がそれを処理することになったり……そういった””が蔓延り始めたのだ。


 そしてその原因は聖女コーデリアの超人的な職務能力の高さにあった。

 つまるところ国葬を発端とした一連の業務を疲れも見せずやり遂げてしまったことで、サボり始めた者達の中に「自分たちが手を抜いても聖女ならば問題ないだろう」という意識が生まれてしまったことがサボり蔓延の原因であったのだ。


「『聖女様がいれば大丈夫だろう』って、『聖女様に任せてしまえばいい』って。どいつもこいつもふざけたこと言ってサボり始めて、今までもずっと助けられてきたっていうのに誰も母さんのことを助けようとしなかった! 母さんだって父さんを失ってるのに! 悲しむ時間さえも自分たちのために奪っていった!」

「エセル……」

「母さんのように優れた人になりなさいって言っていたその口で! 頭おかしいんじゃないの!?」

「そのような者達が居たのは承知しています。しかしそれは一時的なもの、彼らには相応の罰を下していますから今ではそのようなことはありません」

「だとしてもッ!」


 胸から湧き上がる怒り、その勢いに押されるようにエセルが立ち上がりテーブルに両手を叩きつける。

 その勢いに負けた椅子がガタンと大きな音を立てて床に転がった。


 耳に届いた音にエセルはハッとして、自身の怒りの矛先を八つ当たりのように母親へと向けそうになっていたことを自覚する。

 そのことを恥じながらもそれでも吐き出さずにはいられない言葉を彼女は苦虫を噛み潰したような表情で口にした。


「だとしても……私はもう聖女にはなれない、なりたくない。そんな連中のために働くなんてできない。私は母さんみたいに聖女であることを貫くなんて、できない」


 醜態を晒す周囲に対する怒り、そんな聖女を取り巻く環境に対する失望にも似た悲しみ。

 そしてなによりもその環境の中で顔色一つ変えずに自らの役割を貫き通してみせた母親に対する畏敬の念とコンプレックス。


 それら全てが自身の身勝手な想いから来るものであるという自覚があるが故にエセルは聖女になることを強く拒む。


「だから私は、せめて父さんの願いを……その一欠片でも叶えるために冒険者になるの」


 勇気を得るために父の形見である両手首の十字架を片方だけ握りしめ、エセルは顔を上げて宣言する。


「レイモンドの、願い?」

「『母さんを1人の女性として幸せにしたい』。今は無理でも、聖女を引退した時に私が母さんの手を引いて色んな『贅沢』を教えてあげられるように。そのためには沢山のお金が必要なの。だから私は冒険者になるって決めたの」


 身勝手に聖女の立場を捨てた以上、それに口出しをする資格はない。

 ならばせめて母が本当に聖女を引退した時に今までの苦労に見合う『贅沢』な余生を過ごしてもらいたい。

 

 美味しくて豪勢な料理や綺羅びやかで美しい衣服、胸を打つ物語を書き綴る書物にそれを高らかに歌い上げる舞台や演劇。

 感動や幸福を分かち合い思い出を育む観光旅行にただ何もせず微睡むことが許されるなんてことはない余暇……その全てを味わい尽くしてもらいたい。


 そしてその隣には自分もいて、父が教えようとしてくれていたものを『家族』として分かち合いたい。


 だからお金を稼がなければならない。

 それも並の職業では手に入れられないほどに膨大なお金をだ。

 そのために最も適していたのが冒険者であり、死の危険があることを承知の上で冒険者を目指しているのだ。


「私は死ぬつもりなんてこれっぽっちもない。ダンジョンだろうが壁外だろうが、必ず稼いで絶対に生きて戻る。私はもうそう決めたから、冒険者を止めるつもりはないわ」 


 娘は母を見据え自らの原点と決意を語り、母は娘の全てを受け止めた。

 コーデリアは数秒ほど瞼を閉じて、仕方がないと納得するように吐息を漏らした。


「そうですか、エセル」

「そうよ、母さん」

「貴方が父の意思を継ぎたいというのであれば、私は母親としてそれを止める言葉を持っていません。しかし私はやはり娘に危険な目にあって欲しくないと強く願っています」

「母さんの気持ちは理解したわ。私って、その……自分で言うのもなんだけれど想像以上に愛されていたのね」

「私が貴方を愛するのは当然のことです」

「やめてよ、恥ずかしい。……私も母さんの気持ちはわかったわ。だからなるべく危ないことは避けるけど、冒険者そのものはやめるつもりは無いわ」

「わかりました。ですが、もしも何かあればすぐに私を頼るようにして下さい。死にかけるなどの大怪我などをしたら聖女にならずとも無理矢理にでも私のもとに連れ帰ります。後、手紙でも良いので近況報告は豆にするように。それと」

「ちょっと、ちょっとストップ。子供が親離れしようとしてんだからあんまり束縛しないでよ母さん」

「………………ひとまずはそれで納得しましょう」


 本当に渋々ながらと行った様子で納得したコーデリアを見て彼女の母親としての顔がここまで強いものだとは思わなかったエセルはやや苦笑した。

 そしてその表情の下で「オペラハウス事件で片手を無くしかけたことは言わないでおこう」と静かに決意した。


「気がつけば話し込んでしまいましたね。片付けはしておきますので、貴方は宿へ帰りなさい。一人歩きというのも危険ですから見送りの者を」

「あー、母さん。その、もし良ければなんだけれど」

「どうかしましたかエセル?」

「今日……泊まっていっちゃ、ダメ?」


 エセルが恥ずかしそうに口にしたその提案にコーデリアは僅かに驚いて、そしてすぐに穏やかな笑みを浮かべて「構いません」と優しい声で言葉を返した。


 こうして2人の間にあった確執はどこぞの馬鹿が口を滑らせた事により解消とは行かずとも解決に至ることができた。

 彼女らは想い合っていたが故に生まれた溝を埋めようとするかのように沢山のことを語り合い、譲り合い、認め合い……そして手を取り合いながら一つの寝床で隣り合って眠りについた。







 深夜、大聖堂よりやや離れた場所にあるとある邸宅。主人の名はテレンス・ケンドール。

 初代聖女の血筋を尊ぶ『伝統派』と呼ばれる者達を率いる老いたエルフは数本の蝋燭で照らされた薄暗い寝室の中で抵抗虚しく床に両膝をついた。


「がっ、ぼぐぉ……!」


 その体は魔法陣から射出された鎖によって拘束され、背中には白銀の三叉槍トライデントが深々と突き刺さっている。

 悲鳴の形に開かれた口から流れるものは助けを求める声ではなく、肺を貫かれたことで気道を遡って溢れてきた血液ばかり。

 背中に突き立つ三叉槍はテレンスの心臓と左右の肺を正確に穿ちその命を刈り取っていた。


「……っ!」


 身体を縛る鎖が溶けるように消え、深々と突き刺さっていた三叉槍が強引に引き抜かれたことで老エルフの死体は音を立てて転がった。

 しかしその響き渡る音を耳にするものはもう居ない。邸宅に在中していた全ての人物はテレンスよりも早く物言わぬ死体へと変わっていたからだ。


 引き抜いた三叉槍を握りしめているのは病的なまでに生気が見えない白い肌を持つ少女。

 黒曜の剣より離反し、今や七篠一派に属する朝永あさなが 彩子あやこは僅かに乱れたボブカットの黒髪を手櫛で軽く整えていた。

 毛先に向かうほどに色が抜け落ち白くなっていくその髪と彼女の特徴的な大きな猫目はこの薄暗い部屋の雰囲気と合わさり見るもの全てに不気味さを感じさせる。


「さて、これで最後になるかな?」


 開け放たれていた扉の先から現れたのは片手に火の灯った燭台を持った青いローブに身を包んだ人物だった。


 声からして男性ということは明確にわかるものの、頭を包むフードの中にあるその顔は蝋燭の光に照らされているはずなのに表情どころか輪郭さえも判断できないほどに圧倒的なまでの『暗黒』が広がっている。

 その『暗黒』のやや上部に浮かぶ白濁した双眸だけがそこに男の顔があることを示していた。


 何故そのような顔なのか、もしくは隠蔽のために何らかの手段を使っているのか……その全てに朝永は興味がなかった。

 むしろ男が発する上機嫌な声色に無関心を貫けず嫌悪感が湧き上がる。願わくば一歩でも多く距離を取りたいとさえ思っていた。


 だがそれが叶うことはない。

 なにせ朝永 彩子の肉体はこの男に狂気的なまでに執着され、その者が有する『魔』によって囚われつづけているからだ。


「時間がかかってすまなかったねぇ彩子。これでも下の者達の処理を急いだんだけれど……に身体がうまく動かせなかったんだ」


 彼はそう言いながら燭台を置き、片手で朝永を抱き寄せると頭から首筋に至るまでを舐めるような手付きで撫で回し始める。

 朝永は抵抗しない、抵抗できない。

 その胸の内にいかなる感情の嵐が吹き荒れていようとも彼を拒絶する自由は生まれた時から剥奪されているから。


「だが安心してくれ彩子。聖女が突然退任するというトラブルはあったものの明日にはやはり聖女に戻るそうだ。『清き青は聖女の血に汚れ、罪の色へと染まる』……だったかな? 克己くんからの情報を私達の力では裏付けることができない以上、その情報に沿ったシチュエーションで事を成すしか私達には道がない。いかなる心境の変化があったかはわからないが、状況が元に戻ってくれたことは私達にとって好ましい」


 男はそう言って名残惜しそうに朝永を開放すると、倒れたテレンスの横に屈み込み未だ生暖かいその死骸に手を触れる。


「『人形製造マニピュレイト』」


 突如としてテレンスの身体が痙攣を始める。

 合わせて彼の体内からガリゴリと岩を削っているかのような音が響き渡る。痙攣はその音に連動していた。


 男が手を離すと、死んでいたはずのテレンスが自ら手をついてゆっくりと立ち上がった。

 三叉槍で貫かれた傷跡も口からの吐血もさっぱり無くなり整然と変わらぬ姿を見せながらも、その表情は生気を感じさせないほどに無表情極まりない。


 しかしそれも数秒のこと。

 創造主たる男の指令が入力されたことで死骸を素材に作り出されたテレンス人形は生前の表情を取り戻し、調子を確かめるように何度かの発声練習を済ませてから寝室のベッドへと潜り込んだ。


 男はこの邸宅に住んでいた全ての犠牲者たちに同様の魔技を使用して人形化させていた。

 下の者達の処理、というものはそのような意味であった。


 明確なまでの死者への冒涜に男は欠片も動じることはなく、彼らを実際に手にかけた朝永もまたそれに関して思うところなどなかった。


「状況が元に戻ったということは当初の予定通りにことを進められるということ。後は私に任せてくれ彩子、君が望む全てを私が与えるよ」


 すべき事を終えた男は朝永の手を引き傀儡化したテレンスが横たわるベッドの端に座り、彼女の身体を抱き寄せる。

 何をするわけでもなくただただ無言で愛でるだけ。普段の骸骨姿では堪能できない生身の触感を楽しみ続ける。


「あぁ、彩子。私は言葉を紡ぐ喉の震えがこんなにも心地よいものだとは身体を失う前にはついぞ思わなかった。肉体なんぞと考え外法に身を委ねたが……時折こうして取り戻し君に愛を告げるのも一興かもしれないね」

「…………」

「おっと変な言い回しになってしまったか。安心しなさい、私と君の関係は親子。娘に手を出すような父親は製造者を名乗る資格は無いからね」


 自らが作り上げた人形を常に愛で続ける、そのためには肉体という枷を取り払う必要があった。

 男はそのために『魔人』となることを選び、その対価として自らが培ってきた『魔技』を組織に捧げた。

 そうして望みを叶え安寧を得たはずの彼が再び肉体を得た理由はに過ぎない。


 言葉を発することもできず文字も教えていないはずの娘がピグマリオンなる醜悪な汚物に頼ってでも読み書きを覚え自分に対してその意思を伝えてきたのだ。

 拙い文字で送られたメッセージを見て、男はそれを反抗期の娘が胸の内に秘めた父への敬愛を発露する場面を瞬時に夢想した。

 仮にも父親を名乗るのであればこれに感動するなというのが無理だろう。男は娘の成長に喜び二つ返事でその協力を約束した。


「『大罪聖杖パニッシャー』なるもの、私が必ず手に入れ君に捧げよう。約束するよ彩子」


 それが何なのか、何に使うのか、何故求めるのか。

 全ての疑問をかなぐり捨てて男は全身全霊を尽くすことを誓った。

 そして誓いを告げた時に娘が見せた小さな微笑みに自身の愛がより深まったのを感じた。


 明日、手に入れたものを捧げたならば娘はどれほどの笑みを見せてくれるだろうか?


 意識の3割を人形化した者達への操作指示に当てつつ、残り全ては妄想の翼を生やして飛び立たせる。

 肉体はあれど睡眠も食事も不要な男は予定された時刻になるまで彩子を愛でながらそうして過ごすことにした。


 腕の中の愛娘と称するそれが自身の命を狙い続けていることに彼は気がつけない。

 それに気がつくための必要な会話の自由を『寡黙な娘であって欲しい』という理想性癖を押し付けるために奪ったから。


 彩子を作りその父親を自負する男、『ヨゼフ・アサナガ』の愛情はどこまでも一方通行でしかなかった。

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