005 私怨私情
恨みには種類がある。
許せぬ仕打ちを受けて怒り憎む気持ち。怨恨。
他と比べて不満に思い、物足りなく感じる気持ち。逆恨みの類。
俺は檜垣 碧との接点が無いのだから怨恨の線は無いだろう。となれば逆恨み系のあれそれと思うのだが……割と真面目に思い当たる節がない。
そもそも俺は人間関係を投げ捨ててレベル上げを行い続けてきた。なので両親を除いて恨まれるほどの迷惑をかけた覚えはない。
……ということは俺の両親関係で何処か繋がりが? いや、だが……しかし……そんな事があり得るのか?
「檜垣さん」
「何だ?」
「その、実は、俺ら生き別れの姉弟だったり?」
「はぁ?」
「俺が弟で何か文句でもあるのかよ!?」
「率直に気持ち悪い」
だよね、俺みたいな兄弟が居たら引くわ。
「となると本当にわからないんですけど。何で恨んでるんですか? 何処かで会ったことありましたっけ?」
「直接会ったことはない。私が君を一方的に知っているだけだ」
「一方的に?」
「その剣だよ」
檜垣さんはそう言って俺が腰に携えた剣を指差す。
俺はボーナスおじさんから貰った古臭い剣にどのような因縁があるのか分からず小首を傾げるが、彼女はそんな俺の様子を無視して独白するかのように言葉を紡ぎ始める。
「その剣は私の師であり、私の憧れの人が持っていた剣だ」
「師? 憧れって……」
「『剣聖』佐貫 章一郎。私はあの人の振るう剣を見て、心奪われ、手を伸ばした」
檜垣 碧は語る。それが如何に衝撃的であったかと。
「幼き頃に、軽い気持ちで壁の外へと出た事があった。外がどういう場所かもよく理解していなかった私は、当然魔物に襲われた。共に抜け出した友人たちと逃げ惑い、一人ひとりと傷つき倒れていく中……私は佐貫先生に救われた」
彼女の視線は天井へと向いている。しかしその瞳は過去の記憶、脳裏に焼き付くその瞬間へと向けられている。
「綺麗、美しい、言葉にするだけでも陳腐になってしまうその一太刀が私の恐怖をスルリと抜けて心を奪い去った。綺麗だった……綺麗だったんだ」
僅かに朱色に染まる頬と湿り気を帯びた唇から漏れるその声が、甘くとろけるような熱と共に耳の中へと入り込んでくる。
彼女は先程までの凛とした姿からは想像もできないような『女』の顔を見せ、まるで湧き上がる熱を抑えるかのように自分の身を抱きしめ始める。
「剣聖に魅せられた私はその領域に手を伸ばさんと剣を手にした。何度も何度も先生の下へ行き無理を押して弟子としての薫陶を受けた。その日々のなんと甘美で心躍る時間だったことか……剣を振るう度に、技を知る度に、あの憧憬の中の太刀筋に一歩でも近づけている事実に胸がときめいた」
「だが」、と彼女は言葉を区切りギョロリと俺へと視線を向ける。
たった今まで『女』の顔を覗かせていた彼女の熱が一瞬にして冷めていく。その鋭い視線に睨まれ、どこか部屋の温度まで下がったかのような悪寒を感じた。
「ある日、お前の存在を知った。私が一番弟子ではなく、『二番目』であると知った。先生は『お前のほうが遥かに才覚があるから気にしなくて良い、あの坊主に手解きしたのは戯れの類だ』と言っていたが……私にとっては気が気じゃなかった」
一番ではなく、二番だった。
私は何度も頭を下げたというのに、その誰かは先生が自ら進んで技を教えた。
妬ましい、妬ましい妬ましい。そして恨めしい。
「私が一番でありたかった。私があの人の一番だったはずなのに、お前は私を『二番』に貶めた。あの人の背を追う道の先にお前の姿が映り込むッ! ダンジョンで壁に刻まれた傷を見て同門を疑い、その腰の剣を見て確信した! お前が、お前が私からあの人の一番を奪ったんだ! これがどうして恨まずにいられようか!?」
そのあまりの豹変と鬼気迫る表情に気圧されてしまった俺を誰が責められるだろうか。
確かに彼女は原作で剣聖の一太刀に見惚れて剣を手にしたというエピソードがある。
しかし剣を振るう内に剣聖が自分を助けたように、自分も誰かを助けられるようになりたいと考え始めたと原作で独白していたはずだ。
そのために力を求め風紀委員として活動していたが、彼女は次第に『誰か』よりも『ルール』を優先するようになり、それを主人公との交流の中で自覚するのが原作の檜垣 碧だったはず。
だがしかし、眼の前に居る彼女はどう見ても『拗らせて』いる。それこそ正気を疑うほどにだ。
原作キャラである『檜垣 碧』とはかけ離れた言動に目を白黒させている俺の様子をどう受け取ったのか、今度は苦笑と共に言葉を紡ぐ。
「君は先生の名前さえ禄に覚えてなかったと聞く。それどころか愛称さえ付けていたと。だからきっと私のことなど知りはしないだろうし、こんな醜い私の様子を真正面から突き付けられて頭が追いつかないだろうとは思う。これは私の身勝手極まりない問題であり、それに巻き込んでしまった事は本当に申し訳なく思う」
でも、だけど……と。そう区切り。
「その剣は私のものだ」
瞬間、俺は剣へと手を伸ばした。
彼女はそれよりも早く俺の懐へと潜り込み。
俺はとっさに柄へと伸ばした手を拳へと切り替え彼女へと叩き込まんと振り抜いた。
「――ッ!?」
しかしその拳の先に彼女の姿は無く。
俺の腰から鞘ごと剣を引き抜いた彼女は回るように俺の背後へとすり抜けて。
後頭部に炸裂した衝撃に、俺は意識を手放した。
目覚めたのは学園に併設された病院の一室であった。
なんでも相当な衝撃で何度も頭を殴られたようで頭蓋骨の一部がひび割れており、回復魔術を使うにしても数日間はベッドの上だと説明された。
治療費に関してはこれまでダンジョン内でのレベリングの際に手に入れていた魔物素材を売却することでなんとでもなり、加えて風紀委員の予算の一部から補助も出るそうだ。
俺にはこれが明らかな口止め料だと感じざるを得ず、また不法侵入諸々の罪は風紀委員側の過剰な取締と合わせて黙認という形になっていると説明を受けた。
目覚めた後に顧問のような人が謝罪をしに来てくれたが、当然その場に檜垣 碧の姿はなく気持ちが晴れることは無い。
「…………」
ボーナスおじさんがあの『剣聖』佐貫 章一郎であったこと。
それと知らず知らず関わったことで檜垣 碧が拗らせる原因になってしまったこと。
前者はビジュアルも用意されてない、語られるだけの存在に気がつけと言う方が無理だろう。後者にあたってはそれこそ事故のようなものであり知ったこっちゃない。
何度考えてみても自身の落ち度が見当たらず、思い当たらず。その理不尽な仕打ちに怒りが湧き上がる。俺が一体何をしたというのだろうか? 俺はただ一人、レベリングに勤しんでいただけだろうが。
確かに人には迷惑をかけただろう。
この仕打が『公務』としての行いならばまだ納得することが出来た。
だが、あの女は『公務』を利用してどこまでも『私情』で俺へと襲いかかり剣を奪ったのだ。そしてその後も止まること無く俺を殴打し続けたという。理不尽だ、あまりにも理不尽だろう。
だが、そんな理不尽の中でも特に許せないことが――『剣を奪った』点だ。
正直な所、あの剣には大した思い入れは無い。
確かにおじさんに貰ったあの剣は長い付き合いのアイテムで、現状の中で自分が手に入れられる武器の中では一番良い性能を持っていた故に愛用もしていた。
だが所詮アイテムはアイテムであり、将来的にはより良い武器に変更するつもり満々だった。貰い物故に捨てる気は無かったが、序盤で使えるユニークアイテムくらいの印象しかない。
だが、しかし。しかしだ。
「人が手に入れたアイテムを横から奪うとかあのクソアマァ"ァ"ァ"ァ"!!!」
お前テメェこの野郎! このゲームにPK要素どころか対人システムなんて無かったやろがい!!
マジふざけんなよあのクソアマ! 俺のアイテムだぞ! テメェ自身でイベント起こせなかった敗北者風情が、恋心とも呼ぶのも悍ましいキモさを大義名分に突っかかってきてんだ恥知らずが!
「原作(そっち)が理不尽に関わってくるってんなら、あぁいいとも! 俺だって好き勝手してやらぁ!」
ベッドの上を怒りに任せてドッタンバッタン大騒ぎ。そのせいで計器が反応してお医者さん達がすっ飛んできたことで俺はやっと冷静さを取り戻したのであった。
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