四章 4-3
* * *
同日、夜。
セルカの言いつけに従って一日中ごろごろしていたせいで眠れず、アルドワーズは寝台に腰掛けて本を読んでいた。先程までセルカの読み聞かせの声が聞こえていたが、それも終わって建物の中は静まっている。
(……そろそろいいかな)
立ち上がろうと本を閉じたとき、隣の部屋の扉が開いた音がして、アルドワーズは妙な既視感を覚えた。部屋を出たクレフはアルドワーズの部屋の前で足を止め、扉を叩く。
「どうぞ」
返事をすると、クレフが顔を出す。後ろ手に扉を閉めた彼は、寝台の傍らにある椅子を示した。
「座っても?」
「うん。でも、夜更かしするとセルカに叱られるぞ」
本を脇に置き、冗談めかして言えば、椅子に腰掛けながらクレフは苦笑する。
「あなたもですよ。……髪を切ったんですね」
「いい加減、邪魔だったしな。頭が軽くなった。セルカが整えてくれたんだ」
「ああ、セルカは器用ですからね。子どもたちの髪もやってくれてますし。アルは短いのも似合いますね」
「……そりゃどうも」
どう返していいのかわからず、アルドワーズは片手を頭に遣った。髪の長い姿を大勢に見られているので、軽い変装のつもりもあったのだが、効果があるのかはわからない。
「傷の具合はどうですか?」
「もう塞がった。セルカといいクレフといい、心配性だな。怪我なら、クレフの方が酷かっただろ」
「何を言っているんですか。私は背中から刺されただけですが、アルは致命傷を受けているんですよ。それも二回も」
「心臓刺されたのはルフィニアの一回だけだぞ」
「その前に私が……」
「クレフは上手いこと服と血糊袋だけを斬った」
クレフは疑わしそうに眼を細める。
「本当ですか?」
「なんで嘘つかなきゃいけないんだ。本当だよ」
「結構な手応えがあった気がしたんですけど」
「血糊袋だろ」
まだ納得していないような顔をしていたが、クレフはそれ以上追求してこなかった。
実際、クレフからの傷は極浅く、ルフィニアは死んだ振りをしていたアルドワーズの心臓を的確に突き刺していった。アルドワーズが普通の人間だったら、即死していたところだ。医学的な知識のある殺人者というのは始末が悪い。
「だから、そんなに気にするな」
不意を突かれたようにクレフは顔を上げた。そして、小さくかぶりを振る。
「……すみません」
「謝って貰う必要はないな。俺たちは共犯みたいなもんだろ」
「共犯、ですか」
小さく笑い、しかしすぐに真顔に戻った。
「そうだとしたらセルカを攫って行くというのは」
「だーかーらー。不可抗力。偶然。たまたま。俺だって巻き込みたくはなかったんだって。なんで君はセルカのことになると一ミリも融通がきかなくなるんだ。過保護か」
このままこの話題を長引かせると危険な気がして、アルドワーズは話を変える。
「そうだ、クレフに言わないといけないと思ってたんだ。いろいろ思い出して」
「なんですか?」
「十年前に俺が君に『殺された』のは、俺の意思だった」
一呼吸ほどの間を置いて、クレフは静かに瞠目した。
「シスターが病魔の噂を流してるのは知ってたし……それで町の人が退魔士のところに病魔を殺せって殺到してるのもな。ミハイルは早く町を出ろってわざわざ言いにきた。この間、クレフとセルカが俺に言ったみたいに」
クレフは独り言のように呟く。
「そんな、ことが……」
「でも、俺は町を出なかった。間に合わなかったわけじゃないぞ。あの頃は、なんのために生きてるかわからなかったから、自分が一回『死ぬ』ことでみんなが落ち着くならいいと思ったんだ」
「それは」
「わかってる、化け物の思い上がりだ。自分は死なないだろうって過信もあった。退魔士の少年の得物は剣だったしな。最悪首は切られても、頭は潰されないだろうと思ったのさ」
視線を落としたクレフは黙り込んでしまった。過去を思い返しているのかも知れないと思いつつ、アルドワーズは続ける。
「だから、今も昔も俺たちは共犯ってこと。……まあ、十年前に関しては俺一人の犯行って感じだけど。俺は本物の化け物なんだって、ミハイルかクレフに伝えておけばよかったな」
「アルは化け物などではありません」
言い切り、クレフはかぶりを振った。
「それに、知り合って間もない、おそらくこの先二度と関わらないであろう相手に、己の素性を明かすほうが難しいでしょう。信用されるとも限らないのに」
「まあな。多分、当時の俺もそう考えたんだろうな」
「十年前のことがアルの意思だとしても、アルが生きていたのだとしても、私のしたことは正当化されませんし、罪も消えません」
やれやれとアルドワーズは息をついた。これは、事実がどうだったかというより、クレフの中で折り合いがつかなければ、彼の呪いは解けないのだろう。
「頑固だな、君は。殺された本人が別にいいって言ってるのに」
「頑固で結構。……でも」
一度言葉を切り、クレフは柔らかく笑む。
「おかげで随分楽になりました。ありがとう、アル」
「どういたしまして。ああ、そうそう。俺、明日発つから」
言葉の意味を量りかねたようで、きょとんと目を瞬いたクレフは、すぐに顔を顰めた。
「……ついでのように言わないでくれますか。びっくりするじゃないですか」
「驚いてるようには見えないけど。悪かったな、厚意に甘えて長く留まりすぎた」
「そんなことはありません。居着いてくれてもいいんですよ」
「いや、それはさすがに……」
「私は構いません。養い子が一人増えるようなものです。しかも、自分の食い扶持以上に稼いでくれる養い子ですから、大歓迎です」
「養い子って、俺はクレフより随分長く生きてるんだが」
笑いながらアルドワーズは首を左右に振った。とても魅力的な申し出だが、受けるわけにはいかない。
「お誘いはありがたいけど、やっぱり行くよ。嫌疑が晴れたとしても、俺は町の人にとっちゃ喉に刺さった小骨みたいな存在だ」
クレフは何か言いたげな顔をしたが、反論はせずに小さく息をついた。
「なら、せめて明後日にしてください」
「なんで?」
「子どもたちは、あなたが思っている以上にあなたに懐いているんですよ。いきなり、出て行く、はいさようなら、では絶対に大騒ぎになります。目に見えるようです」
「大袈裟だな。俺なんていてもいなくても変わらないだろ」
「なんで自分のことになるとそんなに鈍感なんです? いてもいなくても変わらないなら、ここにいてください」
そういう考え方もあるのかと感心しながら、アルドワーズはもう一度かぶりを振った。クレフと話していると、決心が揺らぎそうだ。
「明後日に発つよ」
クレフは残念そうに眉を下げたが、やがて一つ頷いた。
「わかりました。……もしかしてアル、私が今夜様子を見にこなかったら、黙っていなくなるつもりじゃなかったでしょうね」
「え?」
何故わかったのだろうと首をかしげると、クレフは不機嫌そうに目を眇める。
「……いい加減怒りますよ」
「書き置きは残すつもりだったぞ」
「想像してご覧なさい。それを見てがっかりしながら、アルが行ってしまったと大泣きする子どもたちを宥めるわけですよ、私とセルカは。最近はエルネスやユーリエも」
言われるままに想像してしまい、アルドワーズはなんだか申し訳ない気持ちになる。
「ごめん……?」
「未遂ですから謝られても困りますけれど」
苦笑して言い、アルドワーズは立ち上がる。
「遅くにすみませんでした。明日、ちゃんとセルカや子どもたちと話して、納得させてくださいね」
「……努力はする」
微笑み、おやすみなさいと言い置いてクレフは部屋を出て行った。一人残されたアルドワーズは、自分もそろそろ寝る支度をしようかと立ち上がる。
(セルカや子どもたち、ね……)
クレフは孤児院の子どもたちのことを語るとき、セルカと他の子どもを分けて言う。クレフの中で、セルカはもう「子どもたち」の括りに入っていないからだろう。クレフ自身はそのことを自覚しているのかいないのか、自覚しながら気付かないふりをしているのか。
二人の距離がもどかしいが、アルドワーズが口を出せばクレフはますます頑なになってしまうような気がする。
(いい加減認めればいいのになあ)
アルドワーズには見守ることしかできない。いつか、再びここを訪れるときがあったとして、そのときまでには纏まっていてくれるよう祈る。
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