四章 3-2

     *     *     *


「……?」

 まぶたを持ち上げると、薄暗かった。周囲を見回せばまったく見覚えのない場所で、セルカは目を瞬く。自分はどうしたのだったかと考え、一気に記憶が蘇って飛び起きた。

(ど、どこ!? ここは!?)

 広さは孤児院の礼拝堂を縦に繋げたくらい、床も壁も石造りで、窓は天井近くに細く採ってあるだけなので外の様子は窺えない。左の頬が突っ張ったように感じて手を遣れば、指先に乾きかけた血がこびりついた。どうやら、石か何かをぶつけられた場所が切れてしまったらしい。

 立ち上がろうと手をつくと、触れたのは石畳ではなく布だった。身体の下に敷かれていたそれを引っ張り出して広げてみると、アルドワーズの上着である。

「アル……アル、どこなの!」

 呼び声に答えたのかはわからないが、ざり、と靴底が床を擦る音がしてセルカはそちらを振り返った。床より一段高くなった場所にアルドワーズか腰掛け、片膝を抱えている。

「……起きたか」

 独白のように落とされた呟きは、覚えがないほど低く硬質で、セルカは一瞬ひるんだ。ここにいるのは、自分の知るアルドワーズではないような気すらする。

(ううん、そんなことない。あれはアルよ)

 おびえている場合ではないと振り切って立ち上がる。アルドワーズが何故あんな振る舞いをしたのか、問いたださねばならない。

「ここはどこ? あなたがわたしを連れてきたの?」

 答えず、アルドワーズはふいと目を逸らした。無視をするなと声を張り上げる。

「アル! 答えて!」

 聞こえていないはずはないのに、脚を下ろしたアルドワーズは床を見つめて眉一つ動かさない。どこまでも無視をするつもりならばと、セルカは拾い上げた上着を投げつけた。

「それ、ありがとう。でも、本物の病魔ならこんな気遣いしないわ」

 上着を受け止めたアルドワーズは、微かに唇を動かしたが、何も言わずに立ち上がった。上着の埃を払ってはおりながらセルカに顔を近付ける。

「な、何よ」

「もう少し眠れ」

「……は?」

 いきなりなんなのかと眉を寄せると、アルドワーズは姿勢を戻して小さく息をついた。そのまま何も言わずに踵を返す。

「ちょっと、今の何? ……あっ、もしかしてさっき急に眠くなったの、あなたのせい?」

 やはり黙ったままアルドワーズは壁へ向かった。セルカもそれについていく。

 途中で爪先が小石を蹴飛ばした。床には元が何だったかよくわからない石礫が転がっている。古そうな建物なので、壁や床が壊れて落ちているのかも知れない。

「ねえ、なんであんなことしたの? アルは病魔なんかじゃないのに、あれじゃルフィニアの思う壺じゃない。アルが自分を病魔だって言い始めた時、あの女、物凄く嬉しそうだったわ。正体を現しましたわね! なんて言って」

 アルドワーズは無言で壁際にある燭台に手をかけた。石でできた台部を踏みつけて押さえると、セルカの身長よりも長い燭台を引き抜き、器用にくるくると回す。一体何をやっているのかと、セルカは彼を睨んだ。

「壊しちゃ駄目でしょ、ここのものなのに」

 アルドワーズはかたくなにセルカを見ようとしない。ならばと、別の角度からつついてみることにする。

「クレフ先生、怒ると怖いんだから。殴ったこと、早く謝った方がいいわよ」

 クレフを引き合いに出せば反応するかと思ったが、アルドワーズは沈黙を守っている。だんだん腹が立ってきて、セルカは床を踏み鳴らした。

「ねえったら。犠牲が一人ならいいなんて思ってるんじゃないでしょうね? アルがいなくなっても、なんの解決にもならないんだから。アルは病魔なんかじゃないもの。それにね、みんなの前で言った台詞、あれ絵本の魔王そのままじゃない。知ってる人はすぐ気付くわ。アルに魔王なんて似合わないわよ」

 とん、と燭台の先で軽く床を叩き、アルドワーズはセルカを振り返った。

「気付いても、もう遅い」

「なんですって?」

 セルカが聞き返したのと同時に、重い音が響いた。驚いて振り返ると、両開きの鉄扉が軋みながらゆっくりと開いていく。

 外には墓碑が並んでおり、セルカは自分の居る場所が墓地の古い霊廟れいびょうであることを知った。この霊廟は、今は使われておらず、中を見たこともなかった。勿論、入ったこともない。

 扉が開ききり、姿を現したのは剣を手にしたクレフだった。彼に寄り添うようにルフィニアがいて、よくクレフと共にこられたものだとセルカは歯を食いしばった。でないと、叫びだしてしまいそうだ。

 一言言ってやらねばと足を踏み出した瞬間、アルドワーズに軽く右の太腿ふとももを叩かれた。

 何をするのかと問う間もなく右脚の力が抜けて、セルカはその場に座り込んだ。感覚はあるのに力が入らず、動かすことができない。

「え? ……え? ちょっと、何これ……何したのよ、アル!」

「少し大人しくしてれば元に戻る」

 言い置いて、引き抜いた燭台を手にアルドワーズは霊廟の出入り口へと向かった。ほぼ同時にクレフも踏み込んでくる。

 二人は中央付近で向かい合った。クレフからは普段の穏やかさが消え去り、苛烈な瞳でアルドワーズを睨む。

「セルカを返してください」

 それ以外は用がないとばかりに言い捨てるクレフへ、アルドワーズは鼻を鳴らした。

「怖いな、神父様。いや、退魔士だっけか」

「二度は言いません。今なら半殺しで町から叩き出すだけで許してあげます」

「命までは取らないって? 優しいんだか怖いんだか」

 この期に及んで笑い混じりに言い、アルドワーズは燭台を槍のように構えた。それを見てセルカは、あれは武器にするためだったのかと瞠目する。

「痛いのは御免だ。大勢で来るかと思ったらクレフとシスターの二人だけみたいだし、君さえどうにかできれば逃げられるな」

「できるものなら」

 低く呟いてクレフは剣を抜いた。その迷いのない動作に、セルカは焦る。

「やめっ……あ痛」

 セルカは止めなければと身を乗り出し、おもりのような右脚に引き摺られて倒れ込んでしまう。びたん、と思いの外派手な音が響いて二人がセルカの方を振り返り、立ち上がれないでいるのを見てクレフが表情を変えた。

「……セルカに何をした」

 周囲まで凍てつかせてしまうような声音に、セルカはびくりとすくむ。こんなクレフは見たことがない。

「えー……逃げられると困るから、脚にちょっと」

 アルドワーズが言い終わらないうちに、空気を切り裂く音がした。横ぎにされた剣と燭台がぶつかり、火花が散る。

「や……やめて二人とも!」

 上段から切り下ろされる剣をアルドワーズは燭台で受け止めた。押し返し、踏み込んで喉を狙う。クレフは首をかたむけてそれを避け、斬り上げる。半身を引いて刃を避けると同時にアルドワーズは燭台で足下を払い、跳んでかわしたクレフが爪先で相手の顎を狙う。

「お願い先生、やめてください! アルもやめて!」

 二人はセルカの声など耳に入っていないようで、攻防の手を緩めない。このままではきっと二人とも怪我では済まない。

 蹴りをいなしたアルドワーズが石突きでクレフの腕を打ち据えた。クレフは短く呻いて無事な方の手で剣を逆手に持ち替え、アルドワーズの足を斬り付けた。切っ先が掠めた膝上から飛沫が散る。舌打ちをしたアルドワーズは大きく飛び退すさった。しかしクレフは間合いを取らせず、ぴたりとついて剣を突き出す。

 突きを仰け反ってやり過ごしたアルドワーズは、反動を利用して燭台を振り下ろした。だがそれは剣に防がれ、押し合いになる。

(動いて、動いて、動いて!)

 力の入らない右脚を無理矢理引き摺り、両手と左足で地面を掻くようにしてセルカは前に進む。ほんの数メートル先が果てしない距離に感じた。伸ばした指先が拳大ほどの石の欠片に触れる。

 剣を弾かれたクレフの両腕が上に流れた。がら空きになった胴へ燭台が突き出される。考える間もなく、セルカは叫んで石を投げつけていた。

「やめてええええええええええええ!!」

 石はアルドワーズの脇をかすめ、一瞬動きが止まった。刹那、体勢を立て直したクレフが剣を振り下ろす。それを防ごうとアルドワーズが燭台を水平に翳すが、速度の乗った斬撃は燭台を二つに断ち割った。アルドワーズが瞠目し、次の瞬間、クレフの剣がアルドワーズの左脇腹から逆袈裟に切り裂いていた。

 束の間、耳が痛いほどの静寂が満ち、アルドワーズの手から零れ落ちた燭台の残骸が床に落ちてそれを破った。アルドワーズの胴からは赤い液体が大量に流れ出ており、それを見下ろしたアルドワーズはぽかんとした表情のまま膝を落とした。やけにゆっくりと横様に倒れる。

「……うそ」

 呟きは勝手に口を突いて出ていた。

 セルカの目には全てが作りごとめいて見える。一切の躊躇が見えなかった戦いも、赤い水溜まりの上に四肢を投げ出して横たわるアルドワーズも、すべてが虚構か夢のように思えた。

(わたしのせい……)

 クレフの爪先が視界に入り、セルカはのろのろと顔を上げた。半身を赤いもので重く濡らしたクレフが片手を差し出してくる。

「立てますか」

「先生……」

 セルカはクレフの手を取り損ねた。手が酷く震えている。否、震えているのは手だけではない。何故だかおこりのように全身が震える。

「わ……わたし……わたしが……アルを」

「いいえ、セルカ。あなたは何も」

「わたしのせいで……!!」

 アルドワーズは倒れている。動かない。赤い水溜まりは急速に広がりつつあった。

「わたしが石なんか投げたから!! わたしのせいでアルが!! アルが死―――」

「違います!」

 強引に遮り、クレフはセルカを抱き締めた。耳元で言い聞かせるように言う。

「あなたのせいではありません、セルカ。落ち着いて。大丈夫です。あなたは何も悪くない」

「で、でも……わた……わたしが、邪魔をしなければ」

「邪魔ではありません。あなたは私を助けてくれたんです。ありがとう、セルカ」

 クレフが背中をさすってくれて、震えは徐々に治まってきた。しかし、恐怖にも似た後悔は消えない。セルカの投げた石に気を取られてアルドワーズの動きが止まった。それが隙になった。

(わたしが余計なことをしたから……!)

 二人を止めるどころか、アルドワーズは死に、クレフにアルドワーズを手に掛けさせてしまった。いっそ夢であってほしいと強く願う。

 子どもをあやすようにしばらくセルカの背中を撫でていたクレフは、やがて身体を離すとセルカを覗き込んだ。

「さあ、立てますね」

「あ……脚が……右脚に、力が入らなくて……動かなくて」

 掠れる声で応えると、クレフはセルカの右脚に触れた。たしかめるようにさすって、一つ頷く。

「大丈夫、異常はありません。脚は動きますよ。さあ、掴まって」

 セルカはクレフの手を借り、立ち上がる。彼の言う通り、あれだけ動かそうとしても駄目だった右脚は何の問題もなく動いた。

 クレフが漸く表情を緩める。

「セルカが無事で、よかっ―――」

 言葉の途中でクレフの身体が揺れた。菫の双眸を一杯に開くと、肩越しに振り返る。

「ル、フィニ、ア……」

 呻くようにシスターを呼び、クレフはその場に崩れ落ちた。

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