四章 3-1
3
病魔は少女を攫って姿を消し、群衆は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。病魔が正体を現したことは、瞬時に町中に広まることだろう。
(こんなに上手くいくとは思わなかったわ)
ルフィニアは内心でほくそ笑みながら、まだ
「お気をたしかに、リートス様。痛みますか?」
「……アル、と……セルカは……」
よほど強く殴られたのか、声を出すのも辛そうに言ってクレフトールはよろよろと立ち上がる。
油断していたとはいえ、この
「無理をしてはいけませんわ。手当を」
「不要です。……アルはどこへ行きました? セルカは?」
「アルとは、あの病魔のことですの?」
クレフは痛みを逃がすかのように大きく息をつき、背筋を伸ばした。
「病魔ではありません。アルドワーズです」
「アルドワーズ……?」
どこかで聞いたような名だと思ったが、どこで聞いたかは思い出せない。ならばさほど重要なのではないだろうと、ルフィニアはその名前をすぐに頭から追い出した。今はそれよりももっと重要なことがある。
「病魔はセルカさんを連れて行きましたわ」
「なんだと?」
クレフトールの顔色が変わり、ルフィニアは嬉しさに笑いそうになって口元に手を当てて目を伏せた。どうやら彼にとってあの少女は特別な存在のようだし、もう少し煽ればいかな愚鈍であろうとも剣を手にするだろう。
「彼女を人質に逃げるつもりなのかも知れません。ああ、お可哀想なセルカさん……病魔に囚われて、さぞ心細い思いをしているでしょう」
「あなたはそれを黙って見ていたのですか?」
咎めるように言われて、ルフィニアはなるべく気弱に見えるように目を伏せた。
「わたくし、恐ろしくて……でも、セルカさんを助けるべきでしたわ。シスター失格です」
クレフトールならば、そんなことはない、ルフィニアは立派なシスターだと言うだろうと思ったのだが、彼は舌打ちを堪えたかのように唇を歪め、低く言う。
「どちらへ行きました」
「どちら、とは?」
「アルがどちらへ行ったかと訊いています」
「共同墓地の方だと思いますわ。あちらへ向かいましたから」
それだけわかれば十分だとでも言いたげに踵を返し、クレフトールは早足で歩き出す。置いて行かれそうになったルフィニアは慌てて追いかけた。
「お待ちください、リートス様。どちらへ?」
「あなたが来る必要はありません」
突き放すように言われて少々腹を立てながら、ルフィニアは言い返す。昔のクレフトールは、口は悪かったがこんな言い方はしなかった。
「いいえ、わたくしも参ります。教会から派遣された身、責任がございます」
「……そうですか」
無感動に呟いたきり、クレフトールは口を閉じた。彼の方が足が速いのでルフィニアはどうしても遅れがちになる。
「リートス様、もう少し……お待ちくださいませ」
「来なくていいと言っているでしょう」
クレフトールはとりつく島もない。速度は緩めてくれないようなので、置いて行かれてなるものかと、小走りで追いかけた。
(周囲が見えなくなるところは変わらないのだから。丁寧に喋るのはミハイルの真似事かしら? 案外幼稚なのね)
そんなことをしても死者は帰らないし、ミハイルに成り代わることもできない。それがわからぬほど愚かでもあるまいに、とルフィニアは少々呆れた。ミハイルが死んで十年近く経つ。未だに引き
ふと、クレフトールの向かう方向が共同墓地からずれていることに気付いて、ルフィニアは眉寄せた。しかしすぐに、孤児院へ向かっているのだということを察し、思わず笑みを浮かべる。
(剣を取りに行くつもりね。重畳、重畳)
病魔を退治するには武器が必要だ。セルカを取り戻すために、クレフトールは病魔を殺す。できれば相討ちになってくれるのがいい。そうすればルフィニアの仕事が減る。
(孤児院に子どもは何人いるのかしら。できれば少ない方がいいのだけれど)
病魔がただの人間だと知る者は、消しておいた方が安全であるに違いない。イベリスは微妙なところだが、クレフトールやセルカとのやりとりからして、あまり孤児院には関わっていないように感じた。残しておいても支障はないだろう。
そうなると、やはり始末すべきは孤児院の関係者だ。手っ取り早く、火でも着けようかと考える。
(そうね、病魔の穢れを恐れた誰かが孤児院に火を着けるのよ。民度の低いこの町の住民ならやりそうなことだわ)
無辜の子どもたちを手に掛けることを考えると胸が痛むが、大義に犠牲は付きものだ。病魔に
(どうせなら病魔があの小娘を始末しておいてくれるといいのだけれど。それはさすがに都合が良すぎかしら)
気が触れた人間の考えることはわからない。自分が病魔だと言い出したときはルフィニアも驚いたが、すべてはルフィニアの望んだとおり、思惑どおりの方向へ転がった。これこそ神の思し召しだ。
(わたくしは正しいわ。今の状況がその証拠)
最後まで確実に計画通り進むよう仕向けなければならない。
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