三章 2-3

「まず、ルフィニアは、教会時代の同僚です。とはいえ、組んだのは彼女がシスター見習いだった頃に数回しかありませんが。もう十年以上前、私がセルカくらいだった頃の話です」

 語るクレフは、懐かしそうな、しかしどこか悲しげな、複雑な表情をしている。

「最後に組まされたのが、今から丁度十年前のこと。大陸の西方、フェーブルという、ここより少し大きな町に、今と同じように原因不明の病が流行しまして。教会から派遣されたのが私と、もう一人の神父、そして当時シスター見習いだったルフィニアでした」

「組む相手は選べないんですか?」

「ええ、上の人からここへ行けと指示されるだけです。任務当日まで誰と一緒になるかわからないときもありますね」

「え、じゃあ初対面でいきなりってことも……?」

「結構ありましたよ。個々の能力や適性で振り分けられますから、合わない相手と組まされることもありましたし。上の人たちにしてみれば、現場の空気が悪いかろうが任務が完遂できればどうでもよかったんでしょうけど」

 クレフは苦笑めいた笑みを浮かべ、すぐに消して続けた。

「当時フェーブルの町でルフィニアは……たまたま知り合った旅人を病魔だと思わせるような噂を流したのです。人々の恐怖と怒りを旅人に集めて、最後には旅人を殺してしまうことで事態の収束を計ろうとする、策とも呼べない酷い手を打ちました」

 思わずセルカはクレフを見上げた。ルフィニアがまた繰り返そうとしているのならば、アルドワーズは殺されてしまう。

「その旅人さんは、何もしてないんですよね」

「ええ。勿論、病と旅人に因果関係はありません。ですがそのときは、病の流行が落ち着くのと、旅人が……、死んだ時期が重なったこともあって、上手くいってしまいました。ルフィニアは評価されて、持てはやされた……ですから、今回も上手くいくと思っているのでしょうね」

 言葉を切り、クレフは微かに吐息を零した。

「旅人が死ぬ必要などなかった……私はただの人殺しです」

「そんな、人殺しだなんて! 先生は悪くないじゃないですか。シスター・ルフィニアがありもしないことを吹聴したのが原因でしょう?」

「止められなかった私も同罪ですよ。何より、旅人を手に掛けたのは……私ですから」

 セルカは思わず息を飲む。掌に視線を落とすクレフは表情こそ変わらないものの、耐えがたい痛みを堪えているように見えた。

「恐慌に陥った人々に求められるがまま、無実の旅人を殺めてしまった。人々の誤解を解いて無辜むこの旅人を守ることよりも、己の保身を優先したのです」

「そんな……だって、それは……」

 たかだか十六歳の少年の元に、「病魔」の存在を信じ込んだ―――信じ込まされた人々が、死の手から逃れようと殺到する。自分たちを救え、「病魔」を殺せと迫る。死病が蔓延した町の住人も必死だったのだろうが、殺気立った群衆に、たった一人の少年が抗えなかったことを、誰が責められるだろうかとセルカは拳を握り締めた。ましてや、同じ立場であるはずのルフィニアは、人々の恐怖を煽るばかりだったとすれば、事態は収束するどころか悪化する一方だったことだろう。

「罪滅ぼしにもなりませんが……繰り返させません。絶対に」

 低く、宣言するように呟いたクレフが口を噤み、会話が途切れる。

 重い沈黙に耐え切れず、セルカは努めて明るい声を作って別のことを尋ねた。

「こ……今回はシスターだけなんですね、派遣されてきたの」

「人数は町の規模によって変わるんです。フェーブルはここよりも大きな町でしたから、二人。ルフィニアは研修でついてきた見習いですから、数には入りません」

「そっか、正式に派遣されたのはクレフ先生と、ミハイルさんって神父様だったんですね」

「ええ、そうです」

「ミハイルさんは今も神父を?」

「……いいえ。十年前に死にました」

「まさか、流行病でですか?」

 顔を曇らせたクレフが首を左右に振った。短い沈黙の後に、ぽつりと落とす。

「自死です」

「え……」

 絶句したセルカへ、クレフは気にするなと言うように笑顔を作った。

「セルカ、買い物は終わったのですか?」

「あ、はい……」

「では大丈夫ですね。帰りましょう」

 頷いて、セルカはそれ以上何も訊けずにクレフの隣を歩いた。

(わたし……最低)

 結局クレフに全部―――おそらく、一番話したくなかったことまで喋らせてしまった。セルカにあるのはただの好奇心で、クレフの過去を穿鑿せんさくしていいはずがない。それでも笑ってくれたクレフの、笑顔が胸に刺さる。

(ごめんなさい……)

 口にすればクレフは謝るなと言うだろう。だから、胸中で呟くだけに留めた。


     *     *     *


 孤児院に帰ると、釘を打ち付ける音が聞こえた。そちらに足を向ければ、廊下で床板を修理しているアルドワーズがいる。

「アル、ちょっと今話せる?」

「ああ。―――おかえり、二人とも」

 アルドワーズは頷くと、釘を拾い上げて立ち上がった。

「ただいま。……あのね、なんでアルが避けられてるのかわかったの」

「わかったのか?」

 セルカはルフィニアとのやり取りを簡単に話した。するとアルドワーズは首をかしげる。

「『神父と旅人』って、なんだ?」

「アサーティ教の昔話よ。旅人の振りした病魔と神父が知恵比べして、勝った神父が旅人を、ころ……懲らしめる話」

 その説明だけで、アルドワーズはルフィニアの意図するところを汲み取ったようだった。

「俺を原因に仕立て上げるためにあるような話だな」

「……実際、それが目的なのかもしれませんね。元を辿れば、教会が作った話ですから」

 硬い声で言うクレフに、アルドワーズは鼻を鳴らした。

「旅人の病魔が俺で、神父は自分だと言いたいわけか、そのシスターは。孤児院に転がり込んだよそ者は、病魔役に丁度いい」

 わかっているのに何もできない己が歯痒く、セルカは両手を握り合わせた。

「アルが来た時期と病が流行りだした時期は全然違うのに……ちょっと考えればわかることなのに」

「自分が理不尽に死ぬかも知れないとなれば、人は近視になるものさ」

「他人事みたいに言わないで。狙われてるのはアルなのよ」

 セルカが軽く睨むと、アルドワーズは小さく首を竦めた。クレフがすまなそうに口を開く。

「それで、アル。追い出すようで申し訳ないのですが、今すぐ町を出てください。今ならまだ咎められるようなことはないでしょう」

 アルドワーズは不思議そうに首をかしげる。

「シスターが俺を殺して手柄を立てるつもりなら、俺はここに残った方がいいと思うけど」

 セルカはぎょっとアルドワーズを見上げた。

「なんでよ! 殺されちゃうかもしれないのよ、今のうちに……」

「俺がいなくなれば、次に『病魔』にされるのは多分、孤児院ここだ」

「……え?」

 思いがけないことを言われて、セルカはアルドワーズとクレフを交互に見た。クレフには予想の範囲内だったらしく、驚くでもなく厳しい顔をしている。

「シスターとしては、原因はなんでもいいんだと思う。わかりやすい標的があって、それを取り除くことで大勢が安心するなら―――自分の手柄にできるなら、俺じゃなくたって」

「そんな……でも、孤児院を原因になんて、どうやって」

「理由なんかいくらでも作れる。病魔がいなくなっても病の流行が収まらないのは、病魔にけがされた人間がいるからだ、なんてな」

 いかにもルフィニアが言い出しそうで、セルカは唖然とした。クレフがかぶりを振る。

「ですが、アル。あなたが残る理由にはなりません」

「クレフやセルカは自分でなんとかできるかもしれない。でも、子どもたちは? 二人で全員を守るなんて無茶だろ。孤児院に火でも着けられたらどうする」

 アルドワーズの言葉を聞いて思わず声を上げそうになって、セルカは両手で口を押さえた。放火だなんてぞっとしない。彼の言う通り、クレフやセルカ、エルネスは逃げられるだろうが、小さい子たちはと思うと、守りきれるか不安を覚える。セルカにできることはあまりにも少ない。

「そのことと、アルが病魔呼ばわりされるのは別の話です。……お願いです、あなたに危害を加えようという人間が出てくる前に町を出てください」

 アルドワーズはしばらくクレフとセルカを見ていたが、やがて頷いた。

「わかった、出て行く。世話になったな」

「……ちょっと待って」

 あまりにもあっさりと反論をやめて引き下がったことがひっかかり、セルカは踵を返したアルドワーズを呼び止めた。

 アルドワーズと知り合って半月ほどだが、彼があまり執着するたちでないことはわかっている。それにしても今の切り替えは早過ぎるように思えた。心変わりと言うよりは、何かを思いついたように。

「アル……あなた、孤児院を出て行くだけで、町は出ないつもりでしょう」

 振り返ったアルドワーズが驚いた顔ではなく、悪戯がばれた子どものような顔になって、セルカは予感を確信に変えた。

「……何故そう思うんだ?」

「わたしならそうすると思ったからよ」

 言い切れば、アルドワーズはなんとも言えない顔をした。

 セルカなら、今のアルドワーズと同じような立場になったら、真っ先に孤児院を出る。そして一人でルフィニアと対峙することを選ぶ。

「町を出るならいいわ。でもこの町に留まるなら、孤児院を出て行っても見付け次第連れ戻すから。隠れても無駄よ、地の利はこっちにあるんですからね。完全に出て行ったって確信するまで捜し続けるわよ」

 アルドワーズは無言のまま救いを求めるようにクレフを見た。クレフはにこりと微笑む。

「私はセルカの味方です」

「だろうな」

 ため息のように言い、首を竦めたアルドワーズは、修理道具を片付けながら呟いた。

「少し……、明日の朝くらいまで考えさせてくれ」

 言い置いて工具箱を片手に去って行く。それを見送ったセルカは、クレフと顔を見合わせた。

「アル、行ってくれますかね」

「どうでしょう。私としては、今のうちに町を出て欲しいですが……無理強いできることでもありませんからね。彼が本気を出せば、私たちくらい簡単に撒けそうですし」

「やっぱり、理由を話さない方が良かったでしょうか」

「ええ……でも、ただ出て行けと言っても、結果は同じような気がします」

「そう、ですよね……」

 出て行けと言えばアルドワーズは、孤児院は出て行くだろう。だが、その後の彼の行動はわからない。少し町を回れば、ルフィニアの思惑と追い出された理由の察しはつく。

 クレフに軽く肩を叩かれて、セルカはいつの間にか俯いていた顔を上げた。目が合うと、クレフは淡く微笑む。

「明日、アルが彼自身のために結論を出してくれることを祈りましょう」

「……はい」

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