三章 2-2

 子どもたちは親に連れられ、人々は三々五々散っていった。彼らを見送っていたルフィニアはセルカに気付いて首をかたむけた。

「あら、あなた……セルカさん、だったかしら。今日の診察はもう終わりましたのよ。また明日来てくださるかしら」

 よくもいけしゃあしゃあとと、セルカはルフィニアを睨み付けた。

 シスターという立場上、無償で治療を施すというのを建前に、布教活動をするのはわかる。しかし、今この時に「神父と旅人」を話すのは作為的に過ぎる。

 たった今ルフィニアが話していた「神父と旅人」という昔話―――アサーティ教の寓話は、旅人に化けた病魔と神父が知恵比べして、勝った神父が病魔を退治するという内容なのだ。

 ルフィニアが現れたのが二日前。その日から診察ついでに人を集めてこの話をしていれば、そう広くはない町だ、あっという間に広まるだろう。

(この人が町の人がアルを避ける原因を作ったのね!)

 無論、物語をそのまま現在の町の状況になぞらえるのは無理だ。しかし、ルフィニアとしては、話を聞いた誰かが呟けばいいのだ―――そういえば孤児院に旅人がいたな、と。

「……どういうつもりよ」

「どういう、とは?」

「今の、『神父と旅人』でしょう」

「ええ。それが何か?」

「それが、ですって? 沢山あるアサーティ教の話の中からこの話を選ぶなんて……アルを病魔にしようっていうの? どうして?」

「アル……? どなたです?」

「とぼけないで!」

「往来で大声を出すなど、はしたない。つつしみが足りませんわ」

 顔を顰めるルフィニアに、セルカはますます苛立ちを覚える。

「あんたに言われる筋合いはないわよ! どうせ誰かから聞いたんでしょ、孤児院に旅人がいるって! それを……」

「静かになさい。子の不行儀は親の恥だと申せば。……ああ、あなたはリートス様の孤児院の娘でしたね。リートス様の恥ですわ。あなたの行いのせいでリートス様が評判を落とすのですよ」

「そ……っ」

 話を逸らすなとか、今それは関係ないだろうとか、言いたいことは色々あったが、もっと大きなもので喉がつかえて出てこない。

(そんなこと……わかってる)

 ルフィニアの言葉は、セルカがずっと気付かないように目に入らないように、奥深くへ押し込めていたものを抉り出した。

 恥だけではない。クレフにとってセルカの存在は、くびきであり重荷だろう。彼の負担を考えるなら離れた方がいいに決まっているのに、自分の感情を優先してできないでいる。

 セルカが何も言えないでいると、ルフィニアがふと視線を滑らせた。なんだろうと振り返る前に後ろから両肩を掴まれ、セルカは目を見開く。

「私はセルカを誇りに思いこそすれ、恥だと思ったことは一度もありませんよ」

「……先生」

 見上げると目が合い、クレフは柔らかく笑んだ。セルカの肩から手を放して笑みを消すと、ルフィニアに厳しい眼差しを向ける。

「あなたの価値観で勝手なことを言わないでください、ルフィニア。こんないい子のどこを恥じねばならないというのですか」

 じわりと目の前が滲み、セルカは慌てて顔を伏せた。ルフィニアがころころと笑う。

「相変わらずリートス様はお優しいこと。わたくしに何かご用でしょうか」

「あなたに用はありません。セルカの帰りが遅かったので迎えにきただけです。今、町は人出が少ないですからね」

 わざわざきてくれたのかと驚いて、セルカはクレフを振り返った。

「すみません、わたし……」

「気にしなくていいですよ。事情はアルから聞きました。―――ああ、用はありましたね。人々の前で『神父と旅人』を話すのは、やめてくれませんか、ルフィニア」

「あら、何故ですの? わたくしは昔からあるアサーティ教の物語をお話ししているだけ。偉大なる我らが父の恩寵を、一人でも多くの人に知っていただきたいだけですわ。無論、イベリス町長から許可はいただいております」

 悪びれもせずに言うルフィニアへの怒りが蘇り、セルカは声を上げた。

「何が、我らが父の恩寵よ、卑怯者!」

「卑怯者? 何を根拠に。意味をわかって言っていますか?」

 呆れ混じりに嘲るように言われて、セルカは拳を握り締めた。買い物籠の持ち手がみしりと音を立てる。

 クレフはうんざりした様子で息をついた。

「この町へ来たことの目的が布教でも結構。ですが、あなたのやりかたは間違っています」

「いいえ、布教は二の次ですわ。わたくしは流行病から人々を救うために参りました。町の人々を守ることが先決です」

「なんの罪科つみとがもない旅人を悪者にして、恐怖を煽り攻撃させるのが守るということですか。あなたのしたことで、人々は余計に怯えているではありませんか」

「お言葉ですが、リートス様。どこに悪者がいるのです?」

「偽の原因と言い換えてもいいです。病の源を無理矢理に作りだして、それを排除することで安心感を与えようというのでしょう。真の原因を取り除かなければ、病の流行は終息しないというのに」

 そういうことかとセルカは息を飲んだ。何故ルフィニアがアルドワーズを病魔にしたいのかわからなかったが、得心がいった。恐怖や不安の捌け口―――怒りの矛先になる存在である「病魔」を作っておいて、シスターが病魔を倒したことにすれば、多くの人々に感謝されるだろうし、アサーティ教の信者が増える可能性もある。

(なんて酷い……)

 突然流行り出した原因不明の病、増える患者と死者。特効薬もなく、次は自分かも知れないという不安は、渦中にいる皆が感じていることだろう。そんな人々の恐怖を利用してまで布教がしたいのかと、セルカは愕然とする。

 ルフィニアは淡い笑顔を浮かべたまま、眉一つ動かさない。

「病は気からと申します。不安を取り除くことで収まる症状もありますわ」

「それは否定しません。方法が間違っていると言っているのです。犠牲になるのが一人ならばいいとでも? あなたがやろうとしていることは救いなどとは程遠い、ただの独善です。病の原因は他にあるのですから、人々はすぐに気付きますよ。あなたの欺瞞ぎまんに」

「犠牲などではありませんわ。無論、悪でもありません。一人の死によって人々の心は救われます。そしてその死した一人もまた、主の御許みもとで永遠の安寧あんねいを得るのです。多くを救ったまったき善なる人として主に迎えられるでしょう。これ以上の救いがあるでしょうか」

 ルフィニアの声には躊躇いも迷いもない。自身の言う「救い」を信じ込んでいる様子に、セルカは得体の知れない嫌悪と恐怖を感じた。

 身勝手な理屈と都合で他人を殺そうという計画を、穏やかな顔で口にできる神経がわからない。クレフとの会話が噛み合っていないのにも、意図的にそうしているかのような不気味さを覚える。

「ならばあなたが永遠の安寧を得なさい。他人に死を強要する権利は誰にもありません」

「わたくしでは意味がありませんわ。脅威は取り除かれたのだと人々が確信してこそですもの。それに、わたくしはまだ修行中の身。主の御許に参るなど恐れ多いことです」

「詭弁ですね。あなたは己が可愛いだけではないですか。自らの手を汚す覚悟もないまま、いたずらに争乱を大きくして稼ぐ点数を多くしたいだけでしょう」

「点数、とは……?」

 怪訝そうにするルフィニアへ、クレフは侮蔑もあらわに言った。

「十年前、功績を高く評価され、あなたは最年少で見習いから昇格しました。それに味をしめて、同じことを繰り返そうとしている」

「仰っている意味がよくわかりませんわ」

「わからないのなら結構。今後は病の治療にだけ専念してください、欲を出さずに。―――それでは私はこれで。行きましょうセルカ」

「だって、ミハイル神父がいませんもの。繰り返しなどできないではないですか」

 ルフィニアの一言で、踵を返しかけたクレフは動きを止めた。祈るような仕草でルフィニアはにっこりと微笑む。

「リートス様もご存じでしょう、ミハイル神父がいなければ十年前の再現はできません。罪深いミハイル神父。優しく愚かな、可哀想な人」

「……軽々しくその名を呼ばないでください」

「リートス様は、まだミハイル神父のことをお心に留めていらっしゃいますのね。やはりお優しい」

 ルフィニアの声には揶揄や皮肉は感じられない。クレフの横顔から表情が消えて、これ以上はいけないとセルカは根拠もなく思った。

「帰りましょう、先生! こんな人、話しても無駄です」

 セルカが腕を引くと、クレフは我に返った様子で目を瞬く。

「……ええ。帰りましょう」

 無理矢理のような笑みを浮かべたクレフは踵を返した。早足で去って行く背中を小走りに追いかけながら、セルカは思い切って問う。

「あ……あのっ」

「なんです?」

「先生とあの人って、どういう……その」

 どう言えばいいのかわからず言葉を選んでいると、歩調を緩めて隣に並んだクレフが微かに笑んだ。

「少し説明が必要ですね」

「え、あ、いえ……、でも」

「私が聞いて欲しいのです。あまり楽しい話ではありませんけれど、いいですか?」

「……はい」

 言わせてしまったとセルカは後悔した。聞きたいのは自分なのだから、セルカが聞かせてくれと言わなければならなかった。

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