三章 2-1

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 セルカはずかずかと通りを歩いていた。

(なんなのよ、まったく!)

 大通りにも人影は少ない。そのちらほらと擦れ違う人々が、皆一様にセルカを盗み見て行くのだ。

 セルカの素性や、孤児院で暮らしていることは多くの住人が知っている。幼い頃はそれらのことで好奇の視線を向けられることはあったが、ここ最近はすっかりなくなっていた。言いたいことがあるなら、正面からはっきり言えという怒りが湧いてくる。

(やっぱり、アルが避けられてるのと関係あるのかしら……)

 ため息を飲み込みつつ、セルカは出てくる前のやり取りを思い返した。



 セルカが洗濯物を取り込んでいると、買い物に行っていたアルドワーズが帰ってきた。

「お帰りなさい、アル」

「……ただいま」

 表情はあまり変わらないのだが、どこか沈んだ様子なのが気になってセルカは尋ねる。

「どうしたの? 何かあった?」

「いや……、悪い。何も売って貰えなかった」

 アルドワーズの言っていることを飲み込むまでに少々時間がかかった。

「売って貰えなかったって……なんで? もしかして、お金足りなかった? だったらごめんなさい」

「いや、違う。なんて言うか、俺が近付くとみんな急に店を閉め始めて……」

 まだ夕方とも呼べない時間帯だ、店仕舞いには早過ぎる。流行病のせいで閉まっている店が普段よりも多いとはいえ、通常営業の店も変わらずある。

「何よそれ。どういうつもりなのかしら」

 これまでアルドワーズが買い物に行って、売って貰えなかったということは一度もなかった。孤児院に来たばかりのときは行く先々で珍しがられたらしいが、その程度だ。元より宿場町であることもあり、余所者を爪弾きにするような風土でもない。

「アルが前に買い物に行ってくれたのって、一昨日だったわよね。そのときは売ってくれたんでしょ?」

「そうだな。変わりなかった」

「それから今日までの間に何かあったってことかしら……でも、別にアルは町に出てなかったわよね」

「うん。店仕舞いが一、二件なら偶然かも知れないけど、さすがに行く先全部っていうのは、何かあったとしか思えない。でも、俺には心当たりがない。一昨日以来町には出てない」

 原因は一体なんなのだろうとセルカは眉を寄せる。アルドワーズも、しきりに首を捻っている。

「代わりにわたしが行ってみるわ。上手くすれば理由が聞けるかも知れないし」

 同じように避けられたら、とちらりと頭を過ぎったが、それは考えないことにして、セルカは空の買い物籠と財布を受け取った。

「洗濯物の続き頼める? 取り込むだけでいいから」

「わかった。すまないな」

「アルが悪いんじゃないもの、謝ることないわよ。それじゃ、お願いね」



 セルカは露骨に避けられこそしないが、かなり意識はされている。視線を感じた方向に顔を向けても誰も目を合わせないので、いい意味ではないだろう。

(ほんとに何があったっていうの……わたしたち何もしてないのに)

 考えているうちに開いている店を通り過ぎかけ、セルカは慌てて足を止めた。

「いらっしゃい。……やあ、セルカちゃん」

 人の気配を察してか、出てきた青果店の店主はセルカの姿を見て一瞬ひるんだようだった。セルカは眉を顰めそうになったが、気付かなかった振りをして挨拶をする。

「こんにちは。一昨日はありがとうございました」

「一昨日? 何かしたっけか」

「エルネスに果物をくださいましたよね、アルが買い物にきたとき……」

「あ、あーあーあー! いやそんな、気にしなくていいよ!」

 不自然な大声で遮られ、今度こそセルカは眉を顰める。まるで、アルドワーズがここへ来たと知られたくないようだ。

(やっぱりアルが避けられてる……? でも、どうして?)

 この様子では、訊いても教えてくれないだろう。気を取り直してセルカは言う。

「今日は何がお勧めですか?」

「いや……、特には。どれも同じだよ、うん」

 いつもだったら不必要なほど様々な野菜を勧めて来る店主なのに、妙に歯切れが悪い。視線をあちこちに飛ばし、あまりセルカのことを見ないようにしている様子も不可解で、早く離れた方がよさそうだとセルカは積んである野菜を適当に指差した。

「……じゃあ、それとそれ、ください」

「はいよ」

 包まれたそれを受け取って代金を払い、挨拶もそこそこにセルカは店を後にした。無視されなかっただけましだろうかと考えかけ、それは違うと振り払う。やましいことは何もないのだから、堂々としていようと思う。

「女将さん、こんにちは」

 丁度店先に出ていた緑華亭ろっかていの女将に声をかけると、顔を上げた女将は目を瞠った。

「セルカちゃん! なんだか久しぶりねえ」

 普通に話してくれる人がいたことに安堵していると、女将は声を潜めた。

「エルネスくんは大丈夫かい? 病を貰っちゃったんでしょう?」

「ええ、一時はどうなることかと思ったんですけど、おかげさまで回復しました」

「そう、よかったわ。他の子たちは?」

「幸い、今のところはエルネス以外は誰も」

 病の流行が落ち着くまではと、クレフから外出禁止令が出ているのだと説明すれば、女将は眉を下げた。

「外遊びしたいだろうにね。小さい子は特に」

「ええ……早く流行が収まればいいですが」

「本当に。でも、ほら、なんだっけ? 教会からシスターが来てくれたらしいから」

 ルフィニアのことだと、セルカは思わず身構えた。孤児院での出来事を知らない女将に、シスターを良く思っていないことを悟られないように、笑顔を作って答える。

「シスターは往診してるんですか?」

「そうみたいだね、頼めば往診もしてくれるって。一昨日から、広場に簡易診療所を開いてるそうだよ。広場に行けば無償で診て貰えるってさ」

 そのあたりは普通なのだなと、セルカは胸中で肩を竦めた。無償で診察をしている姿など、ルフィニアの孤児院での振る舞いからは想像できない。

「その……セルカちゃん」

「はい」

「孤児院に旅の人、いたよね。アルドワーズさん」

「……アルが何か?」

 問い返しながら、女将から僅かな緊張を感じ取ってセルカはこれが本題なのだと悟る。努めて表情を変えないように返事を待っていると、女将は取り繕うように話し始めた。

「いやね、最近見ないから。少し前はたまに買い物にきてたよね? また旅に出て行っちゃったのかと思って」

「さっきも買い物に出ていたはずですけど、見ませんでしたか?」

 事実なので告げれば、女将ははっとしたように口元を押さえた。

 どうにも真意が読めず、セルカは普段どおりを装う。

「まだいますよ。子どもたちの遊び相手とか、普段できない力仕事とかをして貰って、助かってます。みんな懐いちゃって、アルがいなくなったら寂しがるんじゃないかしら」

「そう……、そうかい。子どもが懐いてるのはいいことだね」

 会話が途切れ、奇妙な沈黙が落ちた。もういいだろうかと、セルカは軽く頭を下げる。

「じゃあ……」

「セルカちゃん」

 立ち去ろうとしたところで呼ばれ、セルカは改めて女将を見た。彼女は笑おうか迷っているような不思議な表情で言う。

「いい話があるんだよ」

「え?」

大店おおだなの息子さんでね、セルカちゃんが『花の娘』やったとき見てたみたいで、明るくて働き者なら是非にって。お嫁入り前に住み込みで働いてみないかい? 今日からでも」

 いくらなんでも唐突すぎるとセルカは瞠目した。女将の持ってくる縁談はいつも突然だが、今回のは脈絡がなさ過ぎる。まるで自分をどこかへ遠ざけておきたいようだと考え、まさかと打ち消しながら首を左右に振った。

「すみません……今は考えられないので」

 女将は半ばその答えを予想していたかのように頷いた。

「ああ……うん、そうだよね。―――もし……、もしもだよ、何かあったらうちにおいで。みんなを連れて、クレフ先生も一緒にね」

「……わかりました」

「気を付けて」

「ありがとうございます」

 女将から離れ、セルカは作り笑いを真顔に戻した。歩きながら考える。

……?)

 何に気を付けろと言うのか、女将の真意がわからない。アルドワーズのことを訊きたかったようだが、話は要領を得なかったし、何かあったらみんなを連れて、クレフも一緒にうちにおいでというのは、アルドワーズを警戒しろと言っているようにも聞こえる。

(アルに気を付けろってことかしら。でも、どうして今更?)

 アルドワーズが孤児院にきて半月と少し。近所の住人は殆どが孤児院に滞在している旅人のことを知っているし、買い物などで出掛けるので、町の中には女将のように顔見知りもいる。女将の性格からして、知り合いなのだから本人に訊きそうなものだが、今回に限ってそれをせず、セルカに忠告めいたことを言うのが不思議だ。

(何かが町の人たちをおびえさせて……そう、怯えてる感じだった。アルの何を怖がっているの……?)

 町の人々が豹変したのは、少なくともアルドワーズが変化に気付いたのは今日だ。この二日間に何があっただろうかと自問すれば、ルフィニアがやって来たことくらいしか考えつかない。

 ならばシスターに会いに行ってみようとセルカは広場に足を向けた。女将の話では往診もしているようなので、いなかったら出直すまでだ。

 通りは人が少なかったのに、広場の中央にはひとだかりができていた。往診には出ていなかったらしいと人々に近付くと、椅子に腰掛けたルフィニアの前に様々な年齢の子どもたちが扇型に地面に座り、その後ろには子どもたちの倍はいそうな大勢の大人が立っている。

「―――旅人の正体は、なんと病魔だったのです」

 漏れ聞こえてきたルフィニアの話を耳にして、セルカは足を止めた。どうやら子どもたちを相手に素話をしているようだが、今の話は聞き捨てならない。

「神父様は王様の協力を得て病魔を退治し、その後、白の国は長い繁栄の時代を築いたのでした。めでたし、めでたし」

 子どもたちの中から幼い声が上がる。

「シスター、『びょうま』ってなあに?」

「おれ知ってる! 悪い病気を撒き散らす悪魔のことだよ」

 代わって答えた年嵩としかさの少年へ、ルフィニアは笑みを向ける。

「よく知っていますわね。その通りです」

 ルフィニアに褒められた男の子はえへへと照れ笑いを浮かべた。子どもたちを見回してルフィニアは微笑む。その姿だけを見ていると、ただのシスターにしか見えない。外面そとづらがいいのと、取り繕うのが上手いのだとセルカは歯噛みする。

「皆さんも、こっそり近付いてくる病魔には気を付けてくださいね。お話の旅人みたいに、人間に化けて近くにいるかも知れません」

『はーい』

 子どもたちは声を揃えて返事をする。セルカはその光景を愕然と見た。

(この人……!)

「さあ、今日のお話はこれでおしまいです」

 ルフィニアが首を巡らせながら言うと、子どもたちから一斉に不満げな声が上がる。

「もっとお話しして、シスター」

「ぼく、他の話が聞きたいよ」

「昨日も『神父と旅人』だったよね」

「これ以上は遅くなってしまいますから、また明日。明日は『神父と旅人』の他にも、お話しをしましょう」

 一転、子どもたちから歓声が上がる。こうして子どもを利用して、ルフィニアに都合のいい話を聞かせて広めさせているのだと思うと、腹の底が焦げ付くような怒りを覚える。

「みんなお家に帰って、お父さんお母さんの言うことをよく聞いてくださいね」

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