三章 1-2
ルフィニアは礼拝堂で聖印を見上げていた。クレフが唐突に足を止め、セルカはその背にぶつかりそうになって慌てて止まった。
「先生?」
セルカの声が聞こえたか、ルフィニアが二人の方を見た。そして目を見開く。
「リートス様ではありませんか!」
顔を輝かせたルフィニアとは対照的に、強張った表情のクレフが半ば呆然と呟いた。
「……シスター・ルフィニア」
「覚えていてくださったのですね、光栄です。お懐かしいですわ。お元気そうで何よりです」
「何故あなたがここに……」
「心配しておりましたのよ、突然お姿が見えなくなってしまうのですもの。やはり、お辞めになったというのは嘘でしたのね。まったく、誰が根も葉もない噂を広めたのかしら」
「ルフィニア」
クレフが鋭い声で呼ぶと、漸くルフィニアは口を閉じた。クレフは静かに言う。
「辞めたというのは本当です。今の私は教会とはなんの関わりもありません」
「なんですって?」
ルフィニアは瞠目し、信じられないとでも言うようにかぶりを振った。
「嘘ですわ……リートス様がお辞めになるなんて。皆の模範とまで言われたかたが!」
「昔の話です。あなたは何をしにここへ?」
一言で切り、クレフは尋ねる。ルフィニアは不満げだったが説明を始めた。
「この町から教会に要請があったのです。謎の病が流行している、町医者だけでは手が回らないので助けて欲しいと。それで派遣されたのがわたくしです」
「そうですか。医療を学んでいたあなたなら大丈夫でしょう。尽力なさい」
「お褒めにあずかり光栄ですが、わたくしなどリートス様の足下にも及びませんわ」
クレフが話を終えたがっているのは明白なのに、ルフィニアは一人で楽しげに続ける。
「リートス様がいながら何故要請がきたのか、理解に苦しみます。リートス様でしたら疫病くらいすぐさま押さえ込めるでしょうに」
「私は手の届く範囲で精一杯ですよ」
「何を仰いますやら、謙遜も過ぎれば嫌味でしてよ。嘘はいけませんわ」
「な……なんなのよ、嘘、嘘ってさっきから! 先生は嘘なんてつかないわよ!」
我慢できずにセルカは声を上げた。ルフィニアが今初めてセルカの存在気付いたかのように視線を横に滑らせる。いたのかと言わんばかりの態度に、更に腹が立った。
ルフィニアは侮蔑の笑みを浮かべた。
「言葉も礼儀もなっていませんわね。子どもの無礼な振る舞いは親の恥でしてよ」
セルカは一瞬言葉に詰まった。しかし、怯んでいる場合ではないと言い返す。
「あなたに言葉を改める必要はないと思っただけよ! 今それ関係ないでしょう!?」
「セルカ」
やんわりと呼ばれてセルカは口を閉じた。クレフは笑みを見せ、すぐにそれを消すとルフィニアを真っ直ぐに見て言う。
「何を買い被っているか知りませんが、ルフィニア。私では町を救うことはできません。それに、先程も言いましたが、今は教会と無関係なのは本当です。正確には、辞職ではなく破門されたので」
「破門ですって……?」
「ええ」
セルカもその話は初耳で、思わずクレフを見上げる。クレフの横顔からはなんの感情も読み取れない。
「もういいでしょう、お行きなさい。あなたが向かうべきなのは、町長さんのところです。この町には、医者はお一人しかいませんから、手助けをして差し上げてください」
ルフィニアは震えながらクレフを見つめていたが、やがて強くかぶりを振った。
「ありえません! あのリートス様が破門だなど、何かの間違いですわ!」
「リートスという名を持つ人間が、私の他にもいるようですね。―――まだ用はありますか、ルフィニア」
クレフの声は静かだが、反論を許さない厳しさがある。
「……失礼しますわ」
低く告げてルフィニアは出て行った。扉が閉まり、セルカを見下ろしたクレフは困ったように笑った。
「話していませんでしたね。私がどうして教会を去ったのか」
「先生……」
なんと言えばいいのか、セルカにはわからない。戸惑っているうちにクレフは続ける。
「昔、禁呪を使いまして。信仰を疑問に思うようになっていまいしたし、破門にならずとも、どのみち教会を出ていたでしょう」
「くだらない」
突然飛んできた声に驚いて振り返ると、奥からアルドワーズが出てくるところだった。いつの間にか買い出しから帰っていたらしい。
「禁呪なんて、教会の上層部が勝手に決めて禁止してるだけだろ。幻術と召喚術だっけ?」
それらが教会の禁呪だというのは知らなかったので、セルカは首をかしげてアルドワーズに尋ねた。
「なんでその二つは駄目なの?」
「何かを作り出せるのは創造主であるアサーティ神だけであるべき、って理屈だよ。―――ばかばかしい、幻術は所詮幻だし、召喚術はその名の通り呼び出すだけだ」
「けれど、知らない人にはあたかも術者が無から創り出したように見えてしまう。それが気に入らないんですよ、教会は」
言い添え、クレフは笑んだ。
「お帰りなさい、アル。早かったですね」
「半分くらい店閉まってたからな。人もあんまり歩いてなかった。病が怖いんだろうな」
言いながら肩を竦め、アルドワーズは荷物の中から果物をいくつか取り出した。
「これ、青果店の親父さんから。エルネスに食べさせてやれって」
「ありがとう。おじさんにはお礼を言っておくわね」
果物を受け取り、それとこれとは別の話だと、眉を寄せつつセルカは尋ねた。
「どこから聞いてたのよ、アル」
「お懐かしい、くらいから」
外に聞こえていたのか、と聞き返しそうになって、そういえばアルドワーズは耳がいいのだったとセルカは思い直した。
「殆ど全部じゃないの。趣味が悪いわね、出てくればいいじゃない」
「ややこしい話みたいだったから」
アルドワーズが応えたところで、奥の方からユーリエが出てきた。
「あの……先生」
「どうしました、ユーリエ」
「お子さんを診て欲しいってかたが、裏に」
「わかりました。すぐに行きます」
頷いたユーリエは、ぱたぱたと戻って行った。クレフも踵を返す。
「エルネスのことをお願いしますね、セルカ」
「はい」
クレフの姿が見えなくなってから、アルドワーズが呟いた。
「クレフ……と、ルフィニア……、あと……」
独白だったのだろう、アルドワーズは難しい顔で奥へ行ってしまった。何か心当たりでもあるのだろうかと、首をかしげつつセルカは大扉へ向かった。
(もしかして、記憶が戻ってきてるのかしら)
ルフィニアと面識があるのか、それとも別のことなのかわからないが、記憶が戻るのは悪いことではないはずだ。今の話で、思い出したことか、心当たりがあるのかもしれない。
またルフィニアのような人間にこられると困るので、大扉をしっかりと閉めて、普段は夜しか使わない閂をかける。
(あのルフィニアってシスター……話は聞かないし頭から決めつけるし、何様のつもりよ)
思い出すと腹立たしく、セルカは一人で肩を怒らせた。
しかしその一方で、クレフが教会を離れた原因が自分になかったと知って、ひっそりと安心してしまったのは確かだ。クレフに疎まれる理由が減ったと喜んだ。それと同時にほんの少し感じた、すきま風のような何かの正体には気付かなかったことにする―――どんな形であれ、クレフの特別でありたいなどと。
(ただでさえ嫌な子なのに、こんなの知られたら……先生、わたしのこと軽蔑するわ)
クレフの負担になりたくないし、嫌われたらと考えるのも恐ろしい。けれど、クレフにとってのその他大勢になってしまうのも嫌で、どうすればいいのか、どうしたいのか、自分のことなのにわからない。今はそんなことを考えている場合ではないという思いもあり、自己嫌悪に陥りそうになる。
(……駄目。やめよう。あの人、もうこないわよね。シスターは孤児院には用がないもの)
自分に言い聞かせ、セルカも礼拝堂を後にした。流行病のせいで賃仕事もないので、日頃できない家事を片付けてしまおうと思う。
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