三章 1-1

 三章


 1


 フロルティア祭は盛況のままに幕を閉じた。

 それから七日、観光客は姿を消したが、町には名残の花飾りがそこかしこに残っている。

 セルカは病人用の食事をのせたトレイを片手で支えて扉を叩いた。気怠けだるげな声で返事があり、そっと扉を押し開けて中に入る。

「ご飯持ってきたわよ」

 サイドテーブルにトレイを置きながら尋ねると、寝ていたエルネスがゆっくりと目を開けた。熱のせいで頬が紅潮して目が潤んでおり、苦しげに息をつく。

「あんまり食べたくない……」

「食べられるだけでいいから。少しだけでも」

 セルカは寝台の傍らにある椅子に腰掛け、エルネスの額にのせられた布を取り上げた。それから額に触れて、熱が上がっていないことに安堵する。まだ下がりきったとは言えないが、一時期は溶けてしまうのではないかというほどの高熱で、水しか口にできず、半ば昏睡状態だった。順調に回復していると言える。

 他の子に感染うつるのを防ぐために、エルネスは子ども部屋から遠い空き部屋に隔離されている。可哀想だが、全快するまではクレフとセルカ、アルドワーズ以外は立ち入り禁止だ。

「ね? 栄養を摂らないと治るの遅くなっちゃうわ」

 エルネスは小さく頷き、辛そうに起き上がった。スプーンを手に取って押し麦の粥をぼそぼそと食べ始める。セルカは彼の肩を毛布で包んだ。せっかく治り始めているのに身体を冷やしてはいけない。

 祭の終わり頃から、クレーエの町で病が流行り出した。発熱や咳といった症状が風邪に似ており、それに加えて関節痛や胸の痛みを伴うらしい。おそらくは空気感染だろうとクレフが言っていた。そうでないと説明がつかないくらい広がりかたが早い、と。

 セルカは、急な熱で「花の娘」を辞退することになったアベリアや「花の子」たちも、この病だったのではないかと考えている。じわじわと感染が広がり、祭の後から本格的に流行し始めたのだろう。

 孤児院では、食堂で働いていて他人と接する機会の一番多いエルネスが真っ先に感染した。原因が不明で、効果がある薬もわかっておらず、栄養を摂って安静にしているしかないのだという。

 幸いクレフが薬草に詳しく、医療にも明るいので大事には至らなかったが、万が一のことを考えると、今でも喉が塞がったようになる。

(エルネスは回復してきてるからいいけど……小さい子たちは注意しなきゃ)

 遠くから鐘の音が聞こえてきて、セルカはいつの間にか俯き加減になっていた顔を上げた。四回ずつ三度鳴らされるのは弔いの鐘だ。此度の病で幼子や老人が亡くなったという話が随分あり、耳にする度に胸が痛む。信仰もしていない神に、どうかこれ以上広がらないようにと祈らずにはいられない。

 粥を半分ほど食べ、エルネスはスプーンを置いた。ホットミルクを少し飲んで手を引っ込める。

「……ごちそうさま」

「よかった、昨日よりは食べられたわね。お薬も飲んで」

 セルカはトレイを退けて、カップに薬湯を注いで差し出した。クレフが調合した、解熱の効果がある薬草を煎じたもので、独特の匂いが苦手らしいエルネスは顔を顰める。

「飲まなきゃ駄目?」

「熱を下げたいならね」

 嫌そうに呻き、しかしエルネスは素直に薬湯を飲み干した。カップを受け取ってセルカはエルネスの頭を撫でる。

「偉い偉い。さすがお兄ちゃん。明日には元気になってるわよ」

「子ども扱いしないでよ……」

 力なく言い、エルネスは再び寝台に横になった。上掛けを引っ張り上げ、額に絞った布をのせてやってセルカは笑みを浮かべる。

「そんな口がきけるなら大丈夫ね。何かあったらすぐ呼んで。あと、お水を沢山飲んでね。ここに置いとくから」

「うん……」

 頷くエルネスに頷き返し、セルカは食器を持って部屋を出た。たちまち、廊下の角から様子を伺っていた子どもたちが寄ってくる。

「ねえちゃん、エルにいちゃんは?」

「もう平気だよね? 治るよね?」

「しーっ。エルネス寝てるから、向こうで話しましょう」

 囁き声で子どもたちを促し、セルカは歩き出す。

「大丈夫よ、お熱も下がってきてるし、ご飯も食べられるようになったし」

「よかったー」

「よかった、じゃあもう治る?」

「治るよね?」

 一様に安堵の表情をする子どもたちへ、セルカは頷いた。

「ええ、もうすぐ起きられるようになるわ。でも、煩くすると眠れなくて、またお熱が上がっちゃうかも知れないから、お部屋には入っちゃ駄目よ。遊ぶときはお庭でね。町の方は行っちゃ駄目」

「わかった!」

「それ、先生にも言われたよ」

「お部屋入らないよ、ずっと入ってないもん」

「メルーも!」

 子どもたちは一斉に物わかりの良い返事をする。セルカは笑んで見せてから、それぞれの顔を見回した。

「さて。みんなここにいるけど、今はお勉強の時間じゃなかったかしら」

 子どもたちは顔を見合わせると、脱兎の如く逃げ出した。ばたばたと走って行くのに静かにと声を投げようとして思い留まる。今は病人が寝ているのだ、大声を出すのはまずい。

 一つ息をつき、セルカは台所へ移動した。とりあえず食器を水に浸しておこうと桶に水を汲んでいると、背後から声がかかった。

「セルカねえ……」

 振り返れば、入り口のところに不安げな表情のユーリエが立っている。

「どしたの? ユーリエ」

 セルカの横まで来たユーリエは、遠慮がちに口を開いた。

「……あたしもエルにいの看病できるよ。代わるからセルカ姉は休んで」

「ありがとう。大丈夫よ、先生とアルと交代だから。それよりユーリエこそ、小さい子たちの相手を全部させちゃってごめんね。大変でしょ」

 ユーリエはかぶりを振って口を噤んだが、何かを決心したようにセルカを見上げた。

「……エル兄、治るよね? 大丈夫だよね?」

「ええ、ちょっと酷い風邪をひいただけって、クレフ先生も……」

「あたしの父さんと母さん、風邪で死んじゃったの」

 驚いてセルカは目を見開いた。

 ユーリエは泣きそうな顔で続ける。

「ちょっと風邪をこじらせただけだって……すぐ治るからって……でも……」

 声を震わせ、必死に涙を堪えているユーリエを、セルカは抱き締めた。

 子どもたちの、家族を失くした理由を、セルカはあまり知らない。ユーリエの両親のことも、今初めて知った。クレフは知っているのだろうが、セルカを気遣って教えなかったのかも知れない。

「大丈夫。エルネスはよくなるわ」

「うん……」

 ぎゅっとセルカを抱き返し、身体を離してユーリエは潤んだ双眸で見上げてくる。

「セルカ姉も、絶対に無理しないでね。先生も、アルも……大人でも、疲れすぎてたり寝不足だったりすると、悪くなりやすいって」

「ありがとう。先生とアルにも伝えるわね」

「うん」

 もう一度セルカに抱きついてから、ユーリエは笑顔を作った。

「みんなのこと見てくる」

 身を翻し、ユーリエは台所を出て行った。それを見送ってセルカは目を伏せる。

(ユーリエだけじゃない……みんな心配してるし、不安がってる)

 外で遊ぶのが大好きな子どもたちが、言いつけ通りに裏庭以外に出ようとしない。いつも誰かが外出する気配に気付いたら、目的も構わずついて行きたがるのに、それをしない。その様子は、できるだけ孤児院から離れまいとしているようだった。

(少しでも安心させてあげられればいいんだけど……)

 考え込んでいると、今し方出て行ったばかりのユーリエが引き返してきた。

「あれ、どうしたの?」

「表にお客が来てるの」

「表? 知ってる人?」

「知らない女の人。礼拝堂にいるよ」

「そう……わかったわ。ユーリエはみんなのことお願いね」

 よく孤児院を訪れる人々は、表側の礼拝堂には普段は人がいないことを知っているので、裏へ回って勝手口を叩く。表から訪ねて来るのはあまり関わりのない人間だ。今は落ち着いているが、流行病のことを尋ねに博識のクレフを頼って来る人が多く、少し前は引きも切らなかった。今度もそうだろうかとセルカは足を速める。

 礼拝堂まで来てみても、扉が半開きになっているだけで人影は見当たらない。帰ってしまったのだろうかと首を巡らせつつ中央付近まで足を進め、跪いている女性を見つけてセルカはぎょっと立ち止まった。

 暗色の服を纏い、同じ布で頭と髪を覆った女性は、掲げられた聖印に向かって熱心に祈りを捧げている。

「あの……もしもし?」

 声をかけてみても、ぶつぶつと何かを唱えている女性はセルカを一顧いっこだにしない。

(ここ、教会じゃないんだけど……)

 言い出せずに立ち尽くしていると、気が済んだのか女性が不意に立ち上がった。そしてセルカを振り返って眉を顰める。

「あなた、その格好はなんですの」

「は?」

「修道服は? ヴェールも……まあ、半袖。スカートも短いこと。シスターともあろうものが」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 このまま勘違いの説教が始まりそうだったので、セルカは声を上げて止めた。

「わたしはシスターじゃありませんし、ここは教会じゃありません。何かご用ですか?」

「教会ではない? 嘘を仰らないで」

 頭ごなしに嘘と決めつけられ、内心むっとしながらセルカは反駁する。

「本当です、ここは孤児院です。昔は教会でしたけど、神父さんや管理する人がいなくなって廃教会に……」

「なんということ!」

 セルカの話を皆まで聞かず、女性は悲鳴のように叫んだ。そのまま固まってしまったので、セルカはどうしたのかとも訊けずに半ば呆然と彼女を見る。

 年の頃はクレフと同じか少し下に見える。髪の色はヴェールでわからないが、瞳は明るい茶色で、ややきつい顔立ちながらもなかなかの美人だ。

(本当に何しに来たのかしら)

 セルカが困惑していると、女性はくるりと向きを変えて再び聖印に向かって膝を折った。

「我が主よ、憐れなるまよい子たちを許し給え」

 今度は聞こえよがしに祈る女性へ、セルカはため息混じりに言った。

「あの、用がないなら行っていいですか?」

「お待ちなさい」

 祈るのを止め、女性は立ち上がった。服の裾を整え、首から提げた聖印を示しながら言う。

「わたくしはシスター・ルフィニア。南方教会から派遣されて参りました。あなたは?」

 南方教会と言うなら、やはりアサーティ教なのだろう。しかし、シスターが派遣されて来る理由がわからない。あまり信用しない方がいいだろうかとセルカは警戒を強める。

「……セルカです」

「セルカさん。ここは教会ではないと仰いましたね。ならばなんなのか教えてくださらない?」

 さっきも言ったではないかとげんなりしつつ、セルカは答えた。

「孤児院です」

「孤児院。そう。聖なる尊き場所の跡地が使われるのに相応しいですわね。おかしいと思いましたの、町の教会をとおさずに町長から直接中央へ派遣依頼があったと聞きましたから。教会が廃されていたのなら、それも頷けます」

「はあ……そうですか」

 ルフィニアは一人で説明し、納得しているが、教会の事情に明るくないセルカにはいまひとつピンとこない。つまり、流行病のことで町長のイベリスがアサーティ教の総本山へ助けを求めたということだろうかと、胸中で首を捻る。神父やシスターには医療に精通する者が多いのは事実だ。

「責任者はいらっしゃって? ご挨拶をしたいわ」

 一応疑問系だがセルカには命令に聞こえた。いないと答えようか迷ったが、嘘と知れれば面倒なことになりそうなので、仕方なくクレフに任せることにする。

「……呼んできます。ここでお待ちください」

 言い置いてセルカはのろのろとクレフの部屋を目指した。

 エルネスが快方へ向かっているので多少離れても大丈夫だろう、溜まっている仕事を片付けたいからと、クレフは朝から部屋に籠もっている。邪魔をしてしまうようで気が引けたが、仕方がない。

 控えめに扉を叩いて待つことしばし、いつもならすぐに返事があるのだが、今日は聞こえない。いないのだろうかとそっと中を覗き込み、机に突っ伏しているクレフを見付けてセルカは息を飲んだ。よもや体調が悪いのかと慌てて駆け寄って、単にうたをしているだけだと確認してほっとする。

(お疲れなのね……)

 ここ数日、昼夜を問わずエルネスの看病をし、不安を訴え頼ってくる人々の対応に追われて、疲れていないはずがない。先程のユーリエの言葉が過ぎり、このまま起こさないでおこうと思う。

(シスターにはまた出直して貰おう)

 クレフの肩に毛布を掛け、静かに部屋を出ようとするが、小さな呻き声が聞こえてセルカは動きを止めた。振り返れば、起き上がったクレフの肩から毛布が滑り落ちるところだった。セルカに気付いたらしいクレフは毛布を拾い上げながら言う。

「……ああ、セルカですか」

「すみません、起こしちゃって」

「いいえ、毛布をありがとう。ご用ですか?」

「あの、シスター・ルフィニアって名乗る人がきてるんですけど……」

「ルフィニア……?」

「お知り合いですか?」

「いえ……、同じ名前のかたを知っていますが、おそらく別人でしょう。ここに来る理由がない」

 言葉とは裏腹にクレフの表情は硬く、少々心配になりながら、セルカは説明した。

「派遣されて来たって言ってました。ここを教会と勘違いしたみたいで……孤児院だって説明したら、責任者はいるか、と」

「そういうことですか。どちらに?」

「礼拝堂です」

 頷いてクレフは礼拝堂へ向かった。セルカもそれに付いていく。

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