二章 3-2
* * *
孤児院に戻り、着替えて一息ついたセルカは、様子を見に表に回った。衣装の修理はあとで考えることにする。
「お疲れ様。大盛況ね」
孤児院の入り口に立つアルドワーズは、両手一杯に白薔薇を抱えていた。セルカの姿を見て困ったように眉を下げる。
「やたら白薔薇を貰ったんだけど」
「
アルドワーズは目を瞬いてから、困ったように抱えた白薔薇を見下ろした。
「そんなこと言われても……」
今も、礼拝を終えたらしい観光客がアルドワーズをちらちらと見ながら出て行く。アルドワーズは、黙ってさえいれば非の打ち所のない美形だ。女性たちの注目を集めるのも無理はない。
セルカが見る限り例年よりも客足が多く、入り口脇に置いてある募金箱にも結構な額が入っているようだった。今はアルドワーズが募金箱の番をしてくれていて、整った容姿のおかげで客寄せになっているのかも知れない。
孤児院は廃教会の建物を再利用しているだけで、もう教会としては機能していない。しかし、外観は教会なので、祭の期間中は参拝者が絶えない。聖印や聖像もそのままだし、祈りに場所は関係ないだろうというクレフの方針で、毎年解放しているのだ。
アルドワーズが薔薇から精気を吸い取れることを思い出したセルカは、周囲に聞こえないようにこそりと囁いた。
「今は薔薇食べちゃ駄目よ?」
「人前ではやらないよ」
苦笑するアルドワーズの隣へ、奥から出てきたクレフが並んだ。彼もまた貰ったらしい薔薇を両手に持っていて、セルカは揶揄の笑みを向ける。
「先生もモテモテですね」
「そうですね。アルほどではありませんが」
クレフが冗談めかして言うと、アルドワーズはやれやれとでも言いたげに息をついた。
「その辺に花瓶でも置いて、適当に活けて行ってくださいってのじゃ駄目なのか」
「駄目よ。手渡しが重要なの」
クレフとアルドワーズに目当てでやってきたらしい三人連れの婦人が、募金をして行ってくれた。セルカも隣にいるのだが、三人はクレフとアルドワーズしか見ていない。募金はありがたいので、セルカは笑顔でお礼を言う。
婦人がたを見送り、クレフは改めてセルカを見た。
「『花の娘』役お疲れ様でした、セルカ。とても綺麗でしたよ」
奥から出てきたクレフに真正面から褒められ、セルカは慌てて首と手を左右に振った。
「そ、そんな、
「衣装のことでも、お世辞でもありません。本物の花の精みたいでした。ねえ、アル」
「ああ。綺麗だった」
「あ……ありがとうございます」
セルカは赤面して俯いた。逃げ出したいくらい照れ臭いのに、頬が緩んで仕方がない。クレフが褒めてくれただけでも、代役を引き受けてよかったと思ってしまう。
「セルカちゃーん」
呼ばれて振り返れば宿屋の女将が立っている。彼女はにこにこと三人に歩み寄ってきた。
「先生も、アルドワーズさんもこんにちは」
「こんにちは、女将さん」
「こんにちは」
会釈をするアルドワーズを見上げ、女将は相好を崩した。
「今日もいい男ぶりだこと。暇だったらうちの呼び込みもやって欲しいわあ。ああ、うちは
「はあ……」
呼び込みの話は本気ではないのだろう。生返事のアルドワーズを気にした様子もなく、女将は抱えた包みをセルカに差し出した。
「見たよ、『花の娘』さん。綺麗だったねえ。セルカちゃんの魅力に気付いちゃった男の子も沢山いるんじゃないかしら」
「いや、そんな……」
「駄目だよ、自分の魅力に無自覚じゃ。―――これ、差し入れ。今年も忙しいんでしょう?」
「わあ! ありがとうございます」
クレフも頭を下げて礼を言う。
「いつもすみません、女将さん。助かります」
「いいえ、いいんですよ。残り物ですからね。そうそうセルカちゃん、あれは見てくれた?」
「あれって……?」
心当たりがなく、セルカは首をかしげた。
「おや、まだ見ていないのかい。クレフ先生に渡したんだけど……」
女将に視線を向けられ、クレフはどこか芝居がかった調子で声を上げた。
「ああ、うっかりしていました。すみません女将さん、祭の準備でばたばたしていて」
「あらそうでしたか、忙しいところにごめんなさいね。お返事はいつでもいいからね、セルカちゃん。それじゃあまたね」
宿も忙しいのだろう、女将はすぐに帰っていった。彼女の言いかたでクレフが受け取ったものの内容を察し、セルカは眉を寄せる。
「……先生」
「なんですか、セルカ」
「縁談は全部断ってくださいって、前も言いましたよね」
「聞きましたけど、見てみないとわからないじゃないですか。今度こそ気に入るかも……」
「気に入りません」
「そう言わずに、少しだけ……」
「見ません。次受け取ったら怒りますからね」
「もう怒って……なんでもないです」
何やら言いかけたクレフは、セルカが睨むと口を閉じた。頬を膨らませ、セルカは女将からの差し入れを手に踵を返した。
「募金の番は先生がしてくれるって。行きましょ、アル」
「え? いや、俺は」
「行きましょう?」
「……はい」
何故か目を逸らして生真面目な返事をするアルドワーズを引き摺るように連れて、セルカは奥へ引っ込んだ。先程までの嬉しい気分がしぼんでしまって、息をつく。
クレフにとってセルカはきっと、娘か妹のようなものなのだ。身を固めて落ち着かせようという、親心にも似た気持ちはわからないでもないが、だからといって適当な相手に嫁ぐことはできない。先方にも失礼だろう。
(……傍にいるくらい、いいわよね?)
それ以上の我が儘は言わないから、せめて、とセルカは包みを抱く手に力を込めた。
子どもたちは祭り見物にでも行っているのか、声も足音も聞こえない。台所の入口に差し掛かったところでアルドワーズが口を開いた。
「セルカはクレフが好きなのか?」
「は?」
セルカは思わず足を止めて振り返った。聞こえなかったと思ったのか、アルドワーズは小首をかしげて繰り返す。
「セルカはクレフが……」
「はあ!? ななな何!? なんで!? 何言ってるの急に!?」
「俺としては急でもないんだが。違うのか?」
きょとんと訊かれて、セルカは言葉を探してぱくぱくと口を動かした。徐々に頬が熱くなるのが変わって、余計に恥ずかしくなる。
「ち……違わない、けど……」
「ならクレフにそう言えばいいのに」
何故そうしないのかとでも言いたげに、アルドワーズは本当に不思議そうにしている。
「……そう簡単な問題じゃないの」
「そうか? 縁談を断らなかったからって怒ったり、落ち込んだりしてるよりいいと思うけど」
「え……」
セルカは思わず片手を頬に当てた。
「そ、そんなにわかりやすかった?」
「うん」
迷いなく肯定されて、セルカはますます赤面する。第三者であるアルドワーズに指摘されるほどなら、怒りはともかく、がっかりしてしまったのもクレフにも伝わっていたに違いない。
なんだかますます落ち込みながら、セルカは台所に入った。女将さんからの差し入れを調理台に置いて、お茶のためのお湯を沸かそうとしたら、アルドワーズが薬缶に水を汲んで渡してくれた。
「ありがとう」
「これ、取っ手ぐらぐらで危ないな」
「薬缶? そうね、何回直してもすぐそうなっちゃうの。そろそろ寿命かも」
買ってこなければと思っているのだが、まだ辛うじて使えるので、ついつい後回しになってしまっている。次に買い物に出たときこそ新しいのを買ってこようと思う。
「それで、クレフに言わないのか」
「……ちょっと。まだ続いてるの、その話」
見上げながら軽く睨むと、アルドワーズは素知らぬ顔で首をかたむけた。
「セルカが駄目ならクレフを焚きつけてみようかと」
「なんでそうなるのよ! 先生は関係ないでしょ!」
「いや、あるだろ」
「ないわよ。先生はわたしのことなんてなんとも思ってないし、わたしが……す、好きだっていうのも、全然……」
自分で言っていてなんだか悲しくなってきて、セルカは肩を落とした。クレフは優しいが、セルカにだけ限ったことではない。
「だから、言えばいいじゃないか」
「……わたしが好きだって言っても、クレフ先生を困らせるだけよ」
「なんで?」
「わたしは、先生にとって妹か娘みたいなものだもの。それなのに好きだって言われても、困るでしょう」
「実の妹でも娘でもないなら問題ないだろ」
「そんなこと言ったって……」
否定しようとして、セルカは口を噤んだ。
わかっている。自分はただ怖いだけだ。
今、この場所はとても居心地がいい。それを壊してしまうのが怖い。セルカが想いを告げて、それを受け入れても受け入れなくても、クレフは態度を変えることはしないだろう。だが、セルカには無理だ。口にしてしまえば、なかったことにはできない。
「とにかく、これはわたしの問題だから。先生にも、みんなにも言わないで。……お願い」
食い下がられるかと思ったが、アルドワーズはあっさり頷いた。
「わかった。悪かったな、余計なこと言って」
「ううん……、少なくともアルには丸わかりってことよね」
「うん。とても焦れったい」
「……素直すぎるでしょ。もっと遠回しに言いなさいよ」
お湯が沸いたので、ため息を飲み込みながらセルカは二人分のお茶を淹れた。これはアルドワーズとクレフの分だ。
「飲んでて。先生と代わってくるわ」
感情にまかせて、クレフに募金箱の番を押しつけてしまった。クレフも忙しいのに、申し訳ないことをした。ちゃんと謝って、あとの番は自分がやろうとセルカは表へ急いだ。
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