二章 3-1

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 フロルティア祭当日。

 この祭の間は、隙間があれば誰かが花飾りを刺して行くという有様なので、町中が花で溢れかえっている。色とりどりに華やぐ町とは裏腹に、役場の一室に姿見を持ち込んだだけの控え室で、セルカは途方に暮れていた。

(どうしよう……)

 「花の娘」のドレスは、白い布と並べて初めて色が付いているとわかるくらい淡い青である。純白でないのは、白薔薇を象徴とする聖女フロルティアをはばかってということらしい。

 くるぶを隠す長さのスカートは柔らかい薄布を幾重にも重ねてあり、腰から裾に向かって色が薄くなるそれが薄雲か細波さざなみを思わせる。上半身は綺麗なドレープができるように贅沢に布を使っている割に、胸元が開いた袖のない意匠なので、どうしても傷痕が隠れない。

 アベリアに合わせて作られ対象を試着したときは、ちゃんと隠れていた。しかし今日、セルカに合わせて直されたものに袖を通してみたら、傷痕が半分以上露出してしまう。

(下に何か着るとか、上に何か羽織るとか、駄目かしら?)

 どうにかならないかと肩の布を引っ張ったり摘んだしていると、前触れなく扉が開いた。

「準備できた?」

「ぎゃあ!」

 驚いたセルカは声を上げたが、入ってきたのはエレナだった。大きなお腹を抱えるようにして近付いてくる。

「わあ、似合うじゃない! 可愛いわ。……あら、どうしたのその傷」

 傷痕を指摘されて、セルカは反射的にそこを片手で押さえた。

「これは……その……」

 もっともらしい説明を考えている間に、エレナはセルカの横に並んでぽんと背を叩くと、姿見越しに微笑んだ。

「ああ、隠れなくて困ってたのね。気にすることないと思うけど」

「ええ……でも、不快に思う人もいるかもしれませんし」

「んー。昨日から話を聞いてると、セルカちゃんはちょっと他人の目を気にしすぎね」

 エレナは困ったような表情で人差し指を顎の先にあてた。

「気配り屋さんなのはいいことだけと、他人は他人、自分は自分よ。周りの人はごちゃごちゃ言うだけで責任まではとってくれないんだから、話半分に聞き流すくらいで丁度いいのよ。大事なのは自分の気持ち」

「……はい。ありがとうございます」

 エレナと話していると、気持ちが軽くなってセルカは笑んで頷いた。自分もこういうふうに、誰かの気持ちを明るくする存在でありたい。

「でも、やっぱりわたしも気になるので……傷痕は」

「そっか、そうよね。セルカちゃん、お裁縫は得意?」

 唐突に尋ねられて、セルカは目を瞬いた。

「え、ええ……まあ、人並みには」

「だったら大丈夫ね。待ってて」

 言うが早いか、エレナは外に出ていった。程なくして、小さなコサージュを手に戻ってくる。

「これ持ってて。ちょっと失礼」

 セルカにコサージュを渡すと、エレナはセルカのスカートを捲り上げた。

「ひゃあ!? ちょっ、エレナさん!」

「はいはい、動かないで」

 エレナはスカートの中程の飾り布を選ぶと、躊躇うことなく糸を切り、強く引っ張って外してしまった。

「ああああ! これ借り物なのに!」

「目立たないところだもの、ばれないばれない。返すまでに直しておいてね」

 裁縫の質問の意味がわかって、セルカは眉を下げた。針仕事は日常的にしているが、ドレスなど縫ったことがない。直せるだろうかと心配になる。

 エレナはスカートから外した飾り布を、セルカの肩に巻き付けた。落ちないように軽く結んで、結び目にコサージュを飾ってケープのように形を整えてくれる。

「これならいいでしょ?」

 姿見を示してエレナが笑う。とりあえずの問題は解決したのと、エレナが気遣ってくれたことが嬉しくて、セルカも笑みを返した。修理の問題はあとで考えることにする。

「ありがとうございます。やっぱり辞退しようかと思ってたとこでした」

「辞退だなんて勿体ない!」

「ぎゃああ! ……誰!?」

 再び突然扉が開いて、セルカは思わず声を上げた。入ってきた少女は、後ろ手に扉を閉めながら首を竦める。

「ごめんなさい。まだ着替え中なんですね」

「んもう、ミリアったら。ノックくらいしなさい。―――ごめんね、セルカちゃん。この子は妹のミリアよ」

 自分を棚上げして叱るエレナへ、ミリアは不満げに唇を尖らせた。

「だって、『花の娘』を辞退なんて言うんだもん。一年に一人なのよ、勿体ないじゃない」

 年頃はエルネスと同じくらいだろうか、くるくると表情を変えるミリアを微笑ましく思いながらセルカはかぶりを振る。

「よかったら、ミリアさん……」

「こら。んもう、セルカちゃんたら往生際が悪いわよ」

 セルカの先の言葉を察したらしいエレナは、両手を腰に当ててしかつめらしい顔を作った。

「え? セルカさん、代わってくれるんですか?」

「そんなわけないでしょ、ミリア。今からじゃ衣装直しも口上を覚えるのも間に合わないわよ」

「だよね。あーあ、あたしも『花の娘』やりたーい。お姉ちゃんみたいに幸せになりたーい」

「そうよ、わたしはとっても幸せよ。今日も彼がここまで送ってくれたの。役場の職員は全員お祭りの係に駆り出されてて、物凄く忙しいのに、わたしと赤ちゃんが心配だからって。うふふふふ」

 両手で頬を包んで幸せそうに笑うエレナを、呆れたようにミリアが遮る。

「ああもう、話を振るんじゃなかったわ。お姉ちゃんがお義兄にいさんを大好きなのはわかったから、ところ構わず惚気のろけないで」

「いいじゃないの。ね、セルカちゃんもきっと好きな人と一緒になれるわ。『花の娘』の恋愛成就は迷信なんかじゃないって、わたしたちが証明していけばいいのよ」

 幸福を体現しているようなエレナに言われると、本当に叶うような気がしてくる。想いを告げるつもりはないが、そうなればいいと希望を込めて、セルカは首肯した。

「さ、そろそろ時間ね。行きましょ」

「行きましょ行きましょ」

 口真似をする妹を、エレナが怪訝そうに見る。

「ミリア、あなた何しにきたの?」

「うわ失礼! お姉ちゃんが急に産気づいたら大変だから、心配してきたのに」

「とかなんとか言って、『花の娘』を近くで見たいだけでしょ?」

「そりゃあ少しは……去年お姉ちゃんが『花の娘』やったとき、全然近付けなかったんだもん」

「ほんとにもう、この子ったら。騒がしくてごめんね、セルカちゃん」

「いいえ。賑やかな方が楽しいです」

「ですよね、ですよねー! セルカさん優しい。こんなお姉ちゃんがよかったなあ」

「悪かったわね、口煩い姉で。いちいち騒がないの」

 エレナとミリアに付き添われてセルカは控え室を出た。役場の入り口には綺麗に着飾った「花の子」たちが嬉しげにお喋りしながら待っている。それぞれ花綱と一輪の白薔薇を手にした女の子たちのドレスは淡い黄色だ。

「『花の娘』さんはこれを」

 同じく待っていた係員が、大きな花輪をセルカへ差し出した。肖像画の大きさに合わせた聖女の花冠は、セルカが両手を広げないと持てないくらいの幅がある。

 花冠を受け取ると、エレナ姉妹とのやり取りでほぐれたと思っていた緊張がぶり返してきて、セルカは深呼吸をする。

(大丈夫。歩いて喋って供えるだけよ)

「はい、じゃあ 『花の子』さんたちは娘さんについていってくださいね。楽隊は外に出てから合流しますので。町長さんたちは広場にいます。あとは練習したとおりです」

『はーい』

 口々に返事をする「花の子」たちと共に頷いて、セルカは出入り口の前に立った。エレナが様々な花で編まれた花冠を被せてくれて、軽く肩を叩かれる。

「表情が硬いわよ。『花の娘』は笑顔。頑張ってね」

「ありがとうございます。行ってきます」

 合図と共に出入り口の扉が開かれた。セルカたちは役場から広場までの大通りを歩くことになっている。役場の前と通りの左右には既に大勢の見物客が集まっており、セルカは一瞬立ちすくみそうになる。

(だ……大丈夫、裾さえ踏まなければ大丈夫。笑顔よ、笑顔)

 行進の先頭はセルカなので、セルカが道を間違えると全員が違う方向へ進んでしまうことが心配だったが、これなら間違えようがない。それだけはよかった。

 引きりそうになる頬に笑みを貼り付け、セルカは足を踏み出した。歩いて五分もかからないような距離が、今は永遠にも思える。できるだけゆっくり進めと言われているが、早足になってしまいそうだ。

 空はよく晴れていて、初夏の日差しが降り注いでいた。雨天中止を期待する気持ちが少しあったことは否めないが、快晴なのは両親が見守ってくれているということにしようと思い直す。

(そうよね。お父さんもお母さんも、楽しみにしるって言ってくれたもの)

 小さい頃に両親に連れられて見た「花の娘」はとても綺麗だった。自分もなりたいとはしゃぐセルカに、きっとなれると請け負ってくれた父、楽しみにしていると微笑んだ母を覚えている。思い出すと今でも温かい気持ちになれる、両親との幸せな記憶だ。

「今年は町長さんとこの娘さんじゃなかったかしら?」

「一昨日から熱出して寝込んじゃったんですって。急遽セルカお嬢さんを代役に頼んだらしいわよ」

「あら、それは残念だったわねえ。そういえば隣のご隠居さんも、ちょっと前から熱を出してるのよ」

「そうなの、心配ね。夏風邪かしら? 流行らないといいけど」

「そうね、うちも小さい子がいるから心配だわ。なんにせよ幸運だったわね、セルカちゃん」

(幸運……なのかしら? うん、きっとそう、よね?)

 聞こえてくる見物客の無責任な会話に胸中で首を捻りつつ、裾を踏まないことに注意を払って広場を目指す。足下は履き慣れた靴ではなく、衣装に合わせた華奢なサンダルだ。スカートをさばければいいのだが、花冠で両手が塞がっているためにそれもままならない。

 じりじりと進んだ先に広場が見えてきたとき、セルカは快哉かいさいを上げそうになった。

「ねえちゃーん!」

「セルカおねえちゃん!」

「セルカねえ、綺麗!」

 聞き覚えのある声にそちらを見れば、子どもたちが手を振っていた。アルドワーズとクレフの姿もあり、皆で見にきてくれたらしい。

 セルカが気付いたことに気付くと、子どもたちは伸び上がるようにして更に大きく手を振ってくれた。振り返したいが花冠から手を放すことはできないので、セルカは彼らに微笑んだ。役場を出てから、初めて自然に笑えた気がする。

 広場の中央には、花びらで描かれた聖女の巨大な肖像画がある。これほど間近で見たことはなかったので、セルカはその大きさに素直に感心した。

 肖像画の脇に町長や町の名士たちが揃っている。「花の娘」と「花の子」たちが肖像画の頭の方に並ぶと、楽隊は一旦演奏を終えた。「花の子」の代表が手にした白薔薇を掲げ、声を上げる。

聖女の祝福をフェート・フロラ・トート!」

『聖女の祝福を!』

 一斉に唱和した花の子たちが肖像画に薔薇を捧げると、見物客から拍手が起きた。次は自分の番だとセルカは目を閉じた。一つ深呼吸をして目を開け、進み出る。

「慈しみ深き聖女フロルティアが、今年もこの地へいらっしゃいました。我らが敬愛する聖女フロルティアは、朝も昼も夜も、穏やかなる家庭と睦まじき恋人をお守りくださいます。ここに感謝を捧げ、願わくは、やがて来たる冬に備え、この祝祭にて聖女の祝福を賜らんことを」

 とちらずに言えたことにひとまず安堵しながら、セルカは最後の難関に挑む。肖像画の上に花輪を下ろすのだが、失敗したらどうしようと思うと、手が震える。画材は花びらなので、一度花冠を置いてしまうと、その部分が潰れてしまって元に戻せなくなる。故に、これだけはぶっつけ本番で行わなくてはならない。

(お願い、揺れないで……!)

 祈りながら慎重に花冠を下ろし、無事決められた場所に収めることができて、セルカはほっと息をついた。

 立ち上がってしずしずと元の位置に戻り、「花の子」と同じように声を上げる。

聖女の祝福をフェート・フロラ・トート!」

 セルカの声を合図に楽隊が高らかに演奏を再開し、歓声と拍手が上がる。あとは町長の挨拶などがあるが、とりあえず自分の役目は終わりだと、セルカは「花の子」たちを連れて楽隊の脇に下がった。

(よかった……無事に終わった)

 一番の気がかりは乗り越えたので、あとは純粋にフロルティア祭を楽しもうと思う。

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