三章 3
3
同日、夜。
「『ふはははは馬鹿め! おまえも! おまえも! おまえも! 一人残らず死ぬ! 苦しみながら死ぬ! この世界の人間は全滅だ!』『黙れ! そんなことはさせない! 僕たちが相手だ!』」
セルカが、子ども相手に物語を読み聞かせている声が聞こえる。アルドワーズに本を読んで貰った記憶はないが、幾つかの声音を巧みに使い分けて朗読するセルカは上手いと思う。
「激しい戦いの末、勇者は魔王を倒しました。宝物をたくさん持って、仲間たちと故郷に帰った勇者は、お姫様と結婚して末永く幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。―――さあ、今日はもうおしまいよ」
「ええー、もっと読んでー」
「もっとお話し聞きたーい」
「だーめ。明日ね。おやすみなさい」
子どもたちの声もやがて静かになり、セルカが子ども部屋を出てきた。足音を忍ばせて部屋に戻る気配がしてしばし、眠ったのか、静かになる。耳に神経を集中していたアルドワーズは、そっと目を開けた。
(……そろそろいいかな)
子ども部屋からも隣の部屋からも物音はしない。予め纏めておいた荷物を手に、アルドワーズはそっと部屋を出た。―――と同時に隣の部屋から出てきたクレフは、アルドワーズを見て満面の、しかし背筋が寒くなるような笑みを浮かべた。
「どちらへ?」
「……ちょっとトイレに」
「そんな大荷物では大変でしょう。荷物はお預かりしますよ」
せめてもの抵抗に思い切りため息をつき、アルドワーズは部屋へ戻った。何故か当然のような顔をしたクレフもついてきて、後ろ手に扉を閉める。
(……駄目もと)
アルドワーズは身体ごと振り返り、クレフの双眸を覗き込んだ。一瞬驚いた顔をしたクレフは、アルドワーズが口を開く前に頬に力を込める。何かを噛み砕く音がして、まさか舌でも噛んだのかとアルドワーズは目を見開いた。クレフは顔を顰めて舌を突き出す。吐息からは香辛料の匂いがした。
「……胡椒?」
「
アルドワーズは思わず目を逸らした。何も言われなかったので催眠をかけたことには気付いていないのだと思っていたが、そんなことはなかったらしい。
「そうまでしなくとも、同じ相手にはかかりづらくなるのに」
「知りませんよ、早く言ってください。胡椒が一粒無駄になったじゃないですか」
「そんなこと言われても……」
「耐性でもつくのでしょうかね? ああ辛い。まったく辛い」
辛い辛いと繰り返すクレフは扉の前からどかない。このまま出て行くのは諦め、アルドワーズは鞄を下ろして寝台に座る。
「なんで俺が夜中に出て行くとわかった?」
「セルカに倣ってみました。私ならそうすると思ったので」
「……なるほど」
隣室から、息を潜めて様子を伺っていたらしい。扉に寄りかかったクレフは、悪戯めいた表情になって口を開く。
「この後、アルがとるであろう行動は、こうです。―――私たちが寝静まった後にこっそりここを抜け出して、町の宿屋に向かいます。女将さんと顔見知りですし、緑華亭にしますか。そこで女将さんを叩き起こし、孤児院を追い出されたから泊めてくれと頼みます。十中八九、断られるでしょう。万が一受け入れられてもそれはそれでよし。女将さんは話し好きなかたですから、明日には尾鰭や背鰭がついて町中に広がっているでしょうね。アルが孤児院を追われたと」
クレフが語ったのはアルドワーズが考えていたことそのままで、そんなに自分はわかりやすいだろうかと少々落ち込む。
「……君は
「違いますよ。ですから、私ならそうすると思いまして」
「まあ、なんでもいいや。そこまでわかってるなら……」
「行かせるとお思いですか? 町を出てくださるなら別ですが」
アルドワーズは町を出るつもりはない。ここでその場凌ぎの嘘をついても、おそらくクレフには見抜かれる。どう答えたものかと無言でいると、クレフが悲しそうに眉を下げた。
「何故一人で背負おうとするのですか。あなたに罪科は何もないのに」
「何もなくはないだろ。俺が長居してなかったら孤児院が巻き込まれることはなかっただろうし……もっと早くに発つつもりだったんだけど、居心地がよくて、ついな」
「それが咎められるようなことですか? ルフィニアのことなら私がなんとかします。アルが気に病むことはありません」
「もう無理だろ。噂の広がりかたからして」
ある程度広がってしまえば、噂は一人歩きする。
「ですから、町を出てくださいと」
「世話になった人たちを置いてまで逃げたくない」
「恩義を感じていただけるほど、お世話した覚えはありません」
「それを決めるのはクレフじゃない。幸い、俺の身体は丈夫だ。なんとかなるさ」
クレフは目を伏せ、かぶりを振った。
「引き留めるのではありませんでした……こんなことになるのなら。私の自己満足と独善に、あなたもセルカも子どもたちも、巻き込んでしまった」
「セルカと子どもたちはまだ間に合う。孤児院に手出しさせなければいい。―――それに」
続きを言うか迷い、アルドワーズは言葉を切った。己の中の疑問は解決したし、それに伴って、クレフが最初から異様に親切だった理由も腑に落ちた。
言動を見るに、クレフは気付いていない。ならば、わざわざ古傷を
(でも、この様子だとクレフは死ぬまで引き摺りそうなんだよな……)
罪滅ぼしだとクレフは言った。自分を通して誰に償いたいのか、アルドワーズにはわかってしまった。ここにいる「アルドワーズ」に尽くすことに救いを見出してしまうほどに、彼は重く冷たいものを抱えている。おそらくは、セルカにも子どもたちにも知らせないまま。
クレフが伏せていた目を上げて先を促す。
「それに?」
「……それに」
繰り返して、アルドワーズは腹を決めた。クレフが自身を責め続けるのをやめさせることはできないが、ほんの僅かでも軽くすることはできるかも知れない。
「独善でも自己満足でもない。君の気持ちは受け取った」
「……は?」
「その上で、頼みがある。クレフトール」
「…………」
束の間きょとんとしたクレフは、次の瞬間目を一杯に見開いた。
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