四章 1

 四章


 1


 一昨日くらいから、アルドワーズの様子がおかしい。

 本を読んでいたかと思えばぶつぶつと呟き、しきりに首を捻っている。何をしているのか尋ねても曖昧な答えしか返ってこず、何を言っているのかこっそり聞いてみようとしても、耳のいいアルドワーズはセルカが近付くと気配を察してぴたりと口を閉ざしてしまう。

(どうしちゃったのかしら……)

 昨日、アルドワーズが読んでいた本が食卓に置きっぱなしになっていたので、興味本位で開いてみたところ、悪い魔女や魔王を英雄が退治する話や、眠れる姫を助ける勇者の話などが集められた、子ども向けの読み物だった。おかげでますますわからなくなる。

「……ません。ごめんください」

 勝手口の扉を叩く音と呼ぶ声がして、セルカは思考から引き戻された。台所の広い食卓を利用して洗濯物を畳んでいたのだが、考える方に頭が行ってしまって手が止まっていた。

「はい、どちらさまでしょう」

 返事をしながら扉を開けると、イベリスが拳を振り上げた姿勢で立っていた。

「セルカお嬢さん、こんにちは」

「こんにちは、イベリスさん。お嬢さんはやめてくださいってば」

「これはすみません。クレフ先生はいらっしゃいますかな」

「ええ、いますけど……」

 なんの用事かと言外に含ませて返せば、イベリスは困ったような複雑な表情で言う。

「少々お話しがありまして。ちなみに……例の旅人さんは?」

 例のというのはどういう意味かと少々むっとするが、口には出さずにセルカは答える。

「朝から姿を見ていないので、どこかに出掛けてるんじゃないですか」

「そうですか。丁度よかったですわ」

 唐突にルフィニアの声がして、セルカはぎょっと目を見開いた。死角に立っていたシスターが出てきてイベリスの隣に並ぶ。彼女は布に包まれた細長い棒状の物を携えていた。

「リートス様にお目通りを。お渡ししたい物がありますの」

 ルフィニアがいるなら出なかったのにと、セルカは内心で歯噛みした。それをわかっていて隠れていたのかも知れない。

「……お待ちください」

 言い置いてセルカはクレフのもとへ向かった。クレフに訊いてきた振りをして追い返そうかとちらりと考えるが、後々面倒なことになりそうなので考え直す。

 扉を叩くと、すぐにクレフの声で返事があった。扉を開けたセルカを振り返り、クレフは首をかしげる。

「どうしました?」

「イベリスさんと、シスター・ルフィニアが来てます。先生にお話があるそうです」

 クレフは僅かに目を見張ったが、一つ頷いて立ち上がった。

「……わかりました、会います。どちらに?」

「今はまだ勝手口のところです。……わたしも、同席していいですか」

 イベリスはともかく、ルフィニアはまたおかしなことを言い出しかねない。アルドワーズが不在だというのを歓迎する素振りだったのも気にかかる。

 意外そうな表情を見せたが、セルカの胸中を慮ってか、クレフは小さく笑んだ。

「ええ、一緒に聞きましょう。応接室へ、お茶をお願いできますか」

「はい」

 セルカはクレフと共に台所へ戻った。クレフは型どおりの挨拶をしてイベリスとルフィニアを応接室へ案内して行く。セルカは四人分のお茶の準備をしながら眉を寄せた。

(改まって、一体何かしら……アルもいればよかったのに)

 町長とシスターが連れ立ってやってきたということは、流行病の相談に違いない。ルフィニアのせいで、町では最早アルドワーズが諸悪の根源のような言われかたをしていた。そんな中外出して大丈夫なのかと心配になるのだが、アルドワーズに行き先を訊いても曖昧にぼかすだけだった。

 お茶を淹れて運んで行くと、セルカを待たずに話は始まっていた。気にせずお茶を並べてクレフの隣に座れば、ルフィニアが眉を顰めた。しかし何も言わないので、セルカも無言でお茶を口に運ぶ。

 セルカが座るのを待ってくれていたらしいクレフは、静かに口を開いた。

「つまり、私にアルを殺せと言うのですね」

 クレフの言葉を聞いてセルカはお茶を吹き出しそうになった。なんとか飲み込み、隣のクレフを見る。

「な……ど、どういうことですか!」

「いやですわ。まさか、そんな」

 応えたルフィニアの声は笑みさえ含んでいて、セルカは思い切り彼女を睨む。意に介した様子もなくシスターは続けた。

「でも、もしリートス様が病魔を退治してくださったなら、孤児院が荷担しているという噂も一掃できますわね」

「その噂も拡散済みと。周到ですね」

「周到? 何がですの?」

 きょとんとするルフィニアに小さく息をつき、クレフは口を噤んだ。静寂を恐れるかのように、イベリスが額の汗を拭いながら言う。

「こちらとしましては、あの旅人さんに」

「アルを排除しても病は治りません。流行も止まりません」

 クレフが硬い声で言い切ると、イベリスはぱくんと口を閉じた。ルフィニアは笑んだままイベリスの言葉を継ぐ。

「わたくしも不本意なのです。けれど、病魔をなんとかして欲しいという訴えは日増しに高まっていますわ。病の流行が落ち着く気配もありませんし、ここは」

 堪らずセルカは声を上げた。

「あなたがそう仕向けたんでしょう!」

 ここで初めてルフィニアがセルカを見た。

「仕向ける?」

「そうよ! アルは病気と無関係だってこと、みんな知ってるわ。病気が流行りだしても、アルは怖がられてなかったんだから。おかしくなったのはあなたが来てからよ! あなたが変な噂を流すから!」

 セルカを非難するような目で見てから、ルフィニアは大仰な動作で口元を押さえた。笑いを堪えているような、不快な仕草だ。

「アルドワーズ、さん……でしたかしら。あのかたは魂の救いを得て、人々は心の安寧を得られます。それは悪いことでしょうか」

「何が救いよ。全部アルに押しつけて、なかったことにしようとしてるだけじゃない!」

「押しつけるというのは、何をです?」

「だからっ……」

 ルフィニアと話していると徐々に論旨がずれていく。乗せられるものかと、セルカは呼吸を挟んで激昂しかけた気分を落ち着かせた。真面目に反論していてはらちがあかない。

「アルは病魔なんかじゃないわ。無実の人に濡れ衣を着せて殺すのが、シスターのやりかた? それとも、教会の?」

「殺すのではありません。魂の救いを……」

「救いってなんなの? 死んでアルが救われたなんて誰がわかるのよ。そんな曖昧な理由で他人に死ねって言えるあなたのほうが、わたしにはよっぽど魔物に見えるわ!」

 ルフィニアの顔から一瞬笑みが消えた。しかしすぐに憐れむような目をセルカに向ける。

「あなたはまだ幼い……お若いから。きっと、そのうちわかるようになる日がきますわ」

 あからさまにばかにされてセルカは絶句した。怒りの勢いで反駁するよりも先にクレフが厳然と言う。

「セルカには、あなたの気持ちは永遠にわからないでしょう」

 ルフィニアは何も言わず、束の間クレフを見つめると、床から何かを重そうに取り上げた。それは彼女が持参してきた棒状の物で、ルフィニアは布を解いて中身をテーブルに置いた。クレフが微かに肩を揺らし、その反応を見て満足そうに口角をつり上げたルフィニアが布を畳みながら言う。

「リートス様はご存じでしょう? 退魔の剣ですわ。取り寄せたのが届きましたの。慣れた物の方がいいかと思いまして。どうぞお使いください」

「慣れた……?」

 言い回しが気になって呟くと、ルフィニアは勝ち誇ったような、セルカを見下すような笑みを浮かべる。

「あら、セルカさんは知らないのね。リートス様は将来を嘱望された退魔士でしたのよ。教会でその名を知らぬ者がいないほどの」

「……退魔士」

 半ば無意識に繰り返し、セルカは首を左右に振った。

「違う……違うわ、だって先生は、神父様の短剣を持っていたもの。退魔士なら……」

「それはミハイル神父の持ち物ではありませんか? リートス様が退魔士だったのは間違いありませんわ」

 セルカの言葉の途中に割り込み、ルフィニアは相手の反応を楽しんでいるかのように言い切った。テーブルの剣に目を落としているクレフは、幾つか呼吸を数えた後に小さく落とす。

「古い話です。……黙っていてすみませんでした、セルカ」

 謝られることではないのだが、セルカは驚きのあまり言葉もなくクレフを見た。

 確かに、クレフの口から彼が神父だと聞いた覚えはないので、これはセルカの思い込みだ。だが、教会が定める妖魔と戦い倒すことを専門とする、退魔士だとは思いも寄らなかった。

 沈黙が落ち、それを破ってイベリスが妙に明るい声を出す。

「や、やー。退魔士と言えば教会の中でも高級職、何故お辞めに……」

「申し訳ありませんが、お二方」

 クレフには珍しく、強引にイベリスの言葉を遮った。

「今日はお引き取り願えますか」

 声は静かだったが、否と言わせない響きがあった。再びぱくんと口を閉じたイベリスは、探るようにルフィニアを見る。

 ルフィニアは茶色のガラス玉のような双眸でクレフを見ていたが、やがて笑顔のまま立ち上がった。

「仰せのままに。お邪魔いたしました」

「剣を持ち帰ってください。必要ありません」

「差し上げますわ、必要になる時のために。―――では、お暇いたします」

 優雅に去るルフィニアに続き、イベリスも挨拶をしてあたふたと出て行った。

 見送りに出た方がいいか迷ったが、クレフが動かないのでセルカも座ったままクレフを見る。クレフが申し訳なさそうに笑んだ。

「すみません。私は、嘘ばかりですね」

「そんなこと!」

 反射的に声を上げ、セルカは強く首を左右に振った。

「誰にだって話したくないことはあります。クレフ先生のは嘘とは違います」

「……ありがとう」

 ぽつりと落とされた声は泣き声よりも悲しくて、セルカは強引に話題を変えた。

「あのっ、……短剣、お返しします」

 クレフの友人の形見を自分が持っているわけにはいかない。しかし、クレフはかぶりを振る。

「いえ、もし嫌でなければ持っていてください。勝手な考えですが、ミハイルがあなたを守ってくれるような気がして。本当に優しい人でしたから」

「でも……大事なものなのに」

「私がしまい込んでいるより、セルカを守った方が喜びますよ。短剣も、彼も」

 懐かしそうに、僅かな痛みを堪えるように眼を細め、クレフはセルカの頭を軽く撫でて立ち上がった。セルカも立ち上がり、テーブルから剣を退けてしまおうとして、想像以上に重いそれによろめく。

「重っ……」

「気を付けて、怪我をしてしまいます。退魔の剣と言っても、所詮ただの金属の塊ですからね」

 セルカを支え、クレフは片手で軽々と剣を取り上げた。

「ありがとうございます。―――先生、力持ちですね。その剣、凄く重いのに」

「昔取ったなんとやらです。これ、金物屋で買い取ってくれるといいのですが」

「一目で教会のものだとわかりますから、金物屋さんも扱いに困るんじゃないですか?」

「それもそうですね。仕方ありません、後で返してきましょう」

 剣を手にクレフは部屋を出ていた。セルカは脇に避けていたトレイを手に、殆ど手のつけられていないお茶を回収する。勿体ないので、自分の分は飲んでしまうことにした。

(……先生にアルを殺させようだなんて、どこまで卑怯なの)

 どんなにルフィニアが画策しようが、クレフを動かすのは彼自身の意志だ。剣を押しつけられたとしても、クレフがそれを誰かに向けることはない。

(いちいちやることがあざといのよ、あのシスター。噂ばらまいてアルを悪者にしようとしたり、わざわざ退魔の剣とか言うのを取り寄せて先生に持ってきたり)

 自らの手を汚す覚悟もない癖にと、胸中でルフィニアを罵る。状況を操り、他人に全部押しつけて、自分は安全な場所で高みの見物というのが許せない。

(大体、なんでイベリスさんがシスターを連れてくるわけ? ここが教会ならまだしも、今は孤児院だし。シスターか神父の派遣を要請したのは町長の名前ででしょうけど、だからってシスターが町長を顎で使っていいはずがないわ。抗議してやろうかしら)

 勢いで考えたことだが、存外いい思いつきであるような気がして、セルカは一人で頷いた。

(今はまだシスターと一緒かも知れないわね……明日にでも直談判しに行こう)

 ルフィニアと一緒にやってきたイベリスは、あまり積極的に彼女に協力しているようには見えなかった。ルフィニアに要求されるまま、あるいは押し負けて孤児院までやってきたのかも知れない。話す価値はあるだろうと、セルカは一気にお茶を飲み干して立ち上がった。とりあえず、中途半端になっている家事を片付けなければならない。

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