四章 4-1

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「どこから話しましょうかね」

 薬湯やくとうの入ったカップを両手で包み、寝台に半身を起こしたクレフは独白のように呟いた。お茶のカップを下ろしてセルカは返す。

「最初から全部お願いします」

「全部、ですか」

 微かに笑んだクレフは、薬湯を一口飲んで息をついた。

「長くなりますが……」

「大丈夫です。洗濯物を取り込むまで時間がありますから。先生が疲れない範囲で」

 現在は昼下がりという時分である。時間を作るために大急ぎで家事を片付けてきた。

 クレフはしばし目を伏せて考え込んでいたが、やがて顔を上げると話し始めた。

「数日前、礼拝堂でのことです」



「独善でも自己満足でもない。君の気持ちは受け取った」

「……は?」

「その上で、頼みがある。クレフトール」

「…………」

 アルドワーズが何を言ったのか、クレフは一瞬わからなかった。理解して、目を一杯に見開く。

(まさか……ありえない)

 教会を出てからは「クレフ」でとおしてきた。教会関係者以外で「クレフトール」の名を知るものは限られる。

 驚愕をやり過ごし、クレフはアルドワーズに尋ねた。

「何故、私をクレフトールと?」

「十年前、君はクレフトール・リートスと名乗った」

 十年前、とクレフは口の中で繰り返した。そして、すぐに思い至る。

「復讐ですか」

「へ?」

「あなたは十年前に死んだ『アルドワーズ』の知り合いか、身内のかたなんですね。あえて彼の名を名乗り、私に復讐を」

「いやいや、待て待て。なんでそうなる」

「そうでなければ『アルドワーズ』は家名ですか? ご家族のかたで……」

「違うってば。俺は俺、アルドワーズは俺しかいない」

 遮られ、クレフは眉を顰めた。過去のことを承知でここにきたのではないのだろうかと思いつつ、説明する。

「十年前、『アルドワーズ』をあやめたのは私です。彼が無実だと知りながら……それしか方法がないと言い訳をして」

 当時のフェーブルの町の状況は、この町よりも酷かった。流行したのは死病で、運良く助かっても四肢に麻痺や痺れが残る可能性の高い、恐ろしい病だった。ゆえに町の住人の恐怖は強く、ルフィニアの流した「病魔」の噂にこぞって飛びついた。「病魔」さえ排除すれば病が治る、流行が収まると信じて。

 そして、殺気立った人々が役立たずの退魔士に向ける、憎悪にも似た感情に身の危険を感じたクレフは、望まれるまま無実の旅人を―――「アルドワーズ」を手に掛けた。

「どんな理由があろうとも、無辜の旅人の命を奪うなど許されないことです。あなたが仇を討ちにくるのも当然……」

「待てってば。勝手に殺すなよ。今ここに生きてるだろ、俺」

「悪い冗談はやめてください。私を恨みに思っているのは当然ですが」

「だーかーらー。君を恨んでなんかないし、冗談でもない。どうしたら信じてくれるんだ」

 アルドワーズというのはあまり聞かない名だが、世界にただ一人というわけではないだろう。クレフの知っている「アルドワーズ」は十年前に己が手で殺めた。ゆえに、同じ名前の別人だと、ずっと思っていた。

 十年前の「アルドワーズ」も、目の前にいるアルドワーズと同じく普通の人間ではなかったが、剣で心臓を貫いたのだから生きているはずがない。そのことを説明しても、アルドワーズは首を左右に振った。

「言わなかったか? 俺は頭が無事なら治るんだ。外側から俺を殺そうと思ったら、頭を潰すしかないと思う。治せって命令出してるとこがなくなれば、さすがに死ぬだろ」

 言葉を返せずにクレフが無言でいると、アルドワーズは微かに笑った。

「信じてないな? なんなら、ここで心臓をえぐってみようか」

「やめてください。床が汚れてしまいます」

「掃除の心配かよ。まだ冗談だと思ってるだろ。俺は」

「やめてください!」

 堪えきれず声を上げれば、アルドワーズは驚いた顔で固まった。クレフは俯き、両手を握り合わせる。

「……『アルドワーズ』が生きているなら……、殺していなかったのなら……ロウは、なんのために……」

「……ごめん」

 謝られて、クレフははっと顔を上げた。これはただの八つ当たりで、アルドワーズが謝る理由はどこにもない。

 考える前に言ってしまったことを後悔して、しかし、取り消す前にアルドワーズが言う。

「ミハイルが死んだのは、俺のせいだな」

「いいえ! いいえ……あなたのせいではありません。ロウの死は、私の……」

 強く否定しながら、あることに気付いてクレフは言葉を止めた。

「……何故、知っているのです?」

「ミハイルのことか? 死んだのは今知ったけど……」

「そうではありません。『ロウ』がミハイルの愛称だということです」

 ミハイル・ローゼルート・グリューヴルムというのがミハイルの名だ。ミドルネームの、更に愛称を呼ぶのは、ごく親しい人間に限られた。

「十年前、クレフが呼んでたのを聞いたから」

「私が……」

 呟き、クレフは細く息を吐きだした。呼気と共に力も抜ける。これ以上否定するのは無理であるように思われた。

「あなたは……本当に、私が殺した『アルドワーズ』なのですね……」

「何回もそう言ってるだろ。あと、勝手に殺すな。俺は生きてる」

「……生き、て」

 声が震えてしまい、それだけ言うのがやっとだった。更に言葉を重ねれば無様に泣き出してしまいそうで、唇を引き結ぶ。押し黙っていると、頭の上にぽんと手が乗せられた。

「泣くなよ」

 笑い混じりに言われ、クレフは首を左右に振ってアルドワーズの手をどかした。

「泣いていませんよ」

 顔を上げ、改めてアルドワーズの顔をしっかりと見て、古い記憶にあるのと同じものを見つける。どうして気付かなかったのだろうと自問し、考えるまでもなく答えは出た。

(殺したと思い込んでいた……生きている筈などないと)

 「アルドワーズ」の生存は、クレフにとって都合のいい夢だ。そんなことを考えることすら罪だと思っていた。

 クレフの考えを見透かしたようにアルドワーズが言う。

「気付かないものか? 髪はともかく、顔はそんなに変わってない筈だぞ」

「あなたこそ、さっきまで何も言わなかったじゃないですか」

「俺もなかなか確信できなかったんだ。人間は早く成長する生き物だって忘れてた。クレフだって思って見れば面影はあるけど……十年経つと随分変わるんだな」

「人間の十六歳と二十六歳ではかなり違いますね。成長期ですし」

 アルドワーズは肩のあたりに片手を翳す。

「前はこのくらいしか身長なかったのに」

「……そんなに小さくなかったですよ」

 当のアルドワーズは、変化と言えば彼自身の言っているように髪型くらいで、成長、あるいは老化の速度が人間とはまったく違うのだろう。

「罪滅ぼしって言ってた理由がわかった。……ごめんな。クレフがそんなに苦しかったなんて……。捜して、生きてるって教えれば良かったな」

 クレフは首を左右に振る。アルドワーズへの献身は、彼を思いやってのことではない。今でも鮮明に思い出せる、十年前の罪から逃れたかっただけだ。少しでも楽になりたいという、自分本位の行動だ。

「あなたにそんな義理はありません。私はあなたを殺した人間ですよ」

「仕方なかったってことは俺にもわかるよ。酷かったもんな、あのときの流行病は。とはいえ、あのシスターには腹が立つけどな」

 冗談めかして言うアルドワーズへ、クレフは頭を下げる。

「すみません」

「謝るな……っつっても無理なんだろうな」

 手を振ってクレフに頭を上げさせると、アルドワーズは真顔に戻って話し始めた。

「十年前のことを、俺は気にしてない。クレフも、もういいから忘れろよ。―――昔の話は終わりだ。今の話をしよう」

 諸々のことに、すぐに整理をつけるのは無理だ。しかし、今は悩み沈んでいる場合ではない。考えるのは後にしようとクレフは意識して頭を切り替える。

「……ええ。頼みというのは?」

「もう一度俺を殺してくれ」

 アルドワーズの言葉を頭の中で二度ほど繰り返し、クレフはできるだけにっこりと微笑んだ。それから、踏み込むと同時に右の拳でアルドワーズの顔を狙う。

「ええ!?」

 驚いた声を上げながらも、アルドワーズはクレフが手加減なく繰り出した拳を受け止めた。双方引かず、押し合いになる。

「なんで殴るんだよ」

「あなたね、この話の流れでそういうこと言いますか?」

「いやほら、心臓を刺されたくらいじゃ死なないって証明されたわけだし」

「一度目は大丈夫でも、二度目があるかわからないでしょう」

「今度も大丈夫だって。頼むよ。もう、俺が町を出て行くだけじゃ解決しないだろ」

「放っておけばいいんですよ。事実無根の噂など、いずれ消えます」

「だから。消えるまでにセルカや子どもたちまで病魔にされたらどうするんだよ。ここらで収めないとあの女は、次は子どもたちを殺せって言うぞ。この調子でシスターが煽って、孤児院に火でも着けられたらどうするんだ」

 現実的なことを言われてクレフは言葉に詰まる。悲しいことだが、孤児たちに好意的な人間ばかりではない。表立って文句を言われることは、一頃ひところよりは随分減ったが、町にはクレフや孤児院の存在を快く思わない者もいるのが現実だ。

 クレフは拳を下ろし、首を左右に振った。

「それは、アルを傷つけていい理由にはなりません」

 アルドワーズは苛立たしげに息をつく。

「なんでだよ。これ以上の理由があるか? 順番を間違えるな、クレフが守らなきゃならないのは、俺じゃなく子どもたちだろ」

 答えられず、クレフは口を噤んだ。

 子どもたちだけは何を置いても守らなければならない。頭ではわかっている。しかし、そのためにアルドワーズを殺めることができるかと問われれば、否としか答えられない。しかも、過去に一度手に掛けているのだ。

 現状を打破するためには、アルドワーズが病魔だという人々の誤解を解き、同時に病の流行も落ち着かせなければならない。これだけ噂が広がっていれば、病が鎮まらない限りはいくら否定してもきっと納得されない。その上、そのための方策を考える時間もあまりない。更に病が広がり、死者が増えれば事態は悪くなる一方だ。

(私がもっと注意していれば……ルフィニアが昔、何をしたか知っていたのに)

 ルフィニアはクレフの古傷だ。開くのを恐れて触れずにおいたら、いつの間にか熱を持って疼き、無視できないほど痛むようになってしまった。逃げずに最初から対処していれば、ここまで酷くならなかった筈だ。

(私の後悔は、いつもこうだ……)

 面倒ごとをいやがって逃げて、取り返しがつかなくなった頃に向き合う羽目になって頭を抱える。だが今回かかっているのは、アルドワーズの命と子どもたちの安全だ。いつかのように、放り出して逃げるわけにはいかない。

「……アルが死んでやることはありません。死んだと思わせるだけで十分です」

 正直なところ、再びアルドワーズを害することを考えただけで、胃が絞られる。許されたいとも許されようとも思っていないが、あの出来事は未だ夢に見るほどクレフの中に深く食い込んでいる。

(本人を前にしても思い出せなかったのに)

 滲んでくる冷や汗に気付かないふりをして、クレフは続けた。

「ルフィニアに一泡吹かせてやりましょう」

「それはいい。勝ち逃げされるのは悔しいからな」

 騒ぎを起こしてルフィニアをおびき出し、彼女の目の前でアルドワーズを殺してみせるということはすぐに合意したが、どうやってそう見せかけるかで揉めに揉めた。アルドワーズは実際に刺せと言って譲らず、クレフは絶対に嫌だと言って譲らなかった。騙すにはある程度の説得力が必要だろうとアルドワーズに強固に主張され、結局、折衷案ということで、血糊を仕込んで刃を交えるということで決着した。

 セルカと子どもたちが全員孤児院にいる日を狙って決行したのだが、何故か出掛けてきたセルカが騒ぎに遭遇してしまったのは誤算だった。最も知られたくなかったのに、結局巻き込むことになってしまった。



「……というわけでして」

 説明を終えたクレフが薬湯を啜る。セルカも気を落ち着けるためにお茶を一口飲んだ。守ろうとしてくれたのだと頭ではわかるが、内緒にしておかれたことは複雑だ。

「やっぱり狂言だったんじゃないですか。わたしにくらい、話してくださってもいいのに」

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