二章 2-1

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「次はこれを」

 クレフが下から差し出してくる花飾りを受け取り、アルドワーズは柱に紐で固定した。

「とりあえず今ので終わりです」

 子どもたちは台所で花飾りを作っている。最初はアルドワーズとクレフも作っていたのだが、飾りが結構な数になるというので、途中でできた分だけ持って飾りにきたのだ。

「あと半分くらいですね。ありがとう、助かります。いつもはセルカにお願いしていたのですが、今年は出掛けてしまったので」

「クレフのほうが背が高いのに、飾り付けはセルカが?」

 意外に思って問い返せば、クレフの笑みが微妙に引き攣った。

「……恥ずかしながら、実は私、高いところがあまり得意ではなくて。できないことはないのですが……セルカはそれを知っているので買って出てくれるんですよ。優しい子です」

「なるほど。そういや、随分強引だったな」

「何がですか?」

「『花の娘』、だっけか。セルカがやることになったの」

 一瞬驚いた顔をしたクレフは納得した様子で頷いた。

「……ああ、耳がいいのでしたね。―――あれくらいで丁度いいんですよ、セルカは遠慮深い子ですから」

 クレフは悪びれずに微笑む。

「セルカは忘れているかも知れませんが、昔、一度だけ話してくれたことがあるんです。小さい頃に毎年ご両親と一緒に見に行っていて、大きくなったら『花の娘』をやりたいと思った、両親も楽しみにしていたと。いい機会だと思いましてね」

「具体的に何をする役なんだ? 『花の娘』って」

「聖女の肖像画を完成させるんですよ」

「……画家か何かか?」

「いいえ。町の中央にある広場に、祭りの期間だけ聖女フロルティアの大きな肖像画が描かれるんです。花びらでね」

「へえ、花びらの肖像画なんて花の乙女らしいな。他では聞いたことない」

「そうですね、ランツェ国独特かも知れません。観光の目玉の一つになてっていますよ。絵の部分はもうそろそろできると思います」

 アルドワーズは頷いたが、花びらで描く肖像画というのが具体的に想像つかないので、あとで手が空いたら見に行ってこようと思う。

「それで明日、花の子が花を一輪ずつ、花の娘が大きな花冠を捧げて完成します。同時にお祭りが始まりますから、いわば開催宣言役ですね」

「大役じゃないか」

「ええ。加えて、衣装も綺麗なので」

「この国の女の子なら一度は憧れる、か?」

 セルカの言葉を繰り返すと、クレフは唇の端で笑った。

「そういうことです。それに、綺麗な格好をしたセルカを見てみたいでしょう?」

 最後についでのように付け加えられた言葉が本音なのだろうと思ったが、そこをつついてもきっと否定することは目に見えているので、アルドワーズはただ同意した。話はここまでだとばかりにクレフが踵を返す。

「追加の飾りを貰ってきますね」

「いや、多分もうすぐ持ってくる。もうすぐ全部作り終わるって言ってる」

 クレフは疑うこともなく頷いた。

「そうですか。では待っていましょう」

「でも、その前に客がくるかも」

「お客?」

 クレフの言葉に応えるように礼拝堂の扉が開いた。二人は同時にそちらを振り返る。

「ああ、先生。子どもたちにこちらだと聞きましてね。すみません、お忙しいところ」

 入ってきたのは大らかな体型の中年女性だった。知り合いのようで、クレフが表情を和らげながら近付く。

「いいえ。こんにちは、女将さん」

「こんにちは。あら、そちらが噂の旅人さんですか?」

 旺盛な好奇心を隠そうとせず、伸び上がるようにして伺ってくる女性と目が合い、アルドワーズはとりあえず会釈をした。すると彼女は相好そうごうを崩す。

「まあまあ、噂通りのいい男ぶりだこと! セルカちゃんのお婿さん候補でないんなら、金物屋さんの娘さんはどうかしら」

 噂とはなんのことだろうかと思ったが、関わると面倒そうだったので聞こえないふりを決め込む。

 アルドワーズを気にしつつ、やや戸惑った様子でクレフが女性に尋ねた。

「彼はアルドワーズというのですが、セルカの婿候補というのは……?」

「アルドワーズさんね。それがね、孤児院に美形の男の人がきてるって、町で噂になってまして。てっきりセルカちゃんのいい人なのかと」

「それは……」

「ええ、昨日だか一昨日だか、セルカちゃん本人から違うって聞きましたから。それで、今日はこれを持ってきたんですよ」

「はあ……」

 女性の勢いに気圧けおされるように、クレフは力のない返事をした。女性は手にしていた大きめの封筒をクレフに差し出す。

「とってもいいお話なんですよ。ほら、大通りの反物たんもの屋さんあるでしょう? 町で一番大きな。そこの二番目の息子さんがお嫁さんを探していて、明るくて働き者のセルカちゃんがぴったりだと思って。息子さんもね、物静かだけどしっかりしてて、いい人なんですよ」

「そうですか……ありがとうございます」

「セルカちゃんはお出かけなんですよね? 渡してくださいな」

「……はい、わかりました」

「お返事はいつでもいいですから。一度会ってみるだけでも」

「ええ……、伝えます」

「よろしくお願いしますね。では、これで。聖女の祝福をフェート・フロラ・トート

聖女の祝福をフェート・フロラ・トート

 唐突にやってきた女性は、嵐のように去って行った。封筒を手に複雑そうな表情で戻ってきたクレフへ、興味本位で尋ねてみる。

「セルカに縁談か」

「……女将さんはいつもセルカや子どもたちのことを気にかけてくださって、ありがたいことです」

「その割に歯切れが悪かったな」

「縁談は全部断って欲しいと言われているんですよ、セルカに。また怒られてしまいます」

「今回が初めてじゃないのか」

「ええ。去年あたりからちらほらと話はあるんですが、何故か全部断ってしまうんです」

「セルカが結婚したくないなら、いいじゃないか別に」

「それは……そうですが。このままここでずっと、子どもたちの母親代わりというのは……」

 尻すぼみに言葉を切ったクレフへ、アルドワーズは素朴な疑問を投げる。

「クレフが結婚すれば? セルカが余所に嫁げば、子どもたちも寂しがるだろ」

 虚を突かれたような顔になったクレフは、すぐに困ったように苦笑した。

「セルカにも選ぶ権利はあります。十近くも年上の男の妻なんて、可哀想じゃないですか」

「十や二十離れた結婚なんて、珍しくないだろ。セルカがいいって言ったら、君はどうするんだ?」

 まったく思考の外だったとでも言いたげに目を瞬き、しかしクレフはすぐに目を伏せた。ゆるゆるとかぶりを振る。

「……私にそんな資格はありません」

「資格云々の話じゃなく、クレフの気持ちを訊いてる。大体、アサーティ教は別に恋愛も結婚も禁じてなかったんじゃないっけ」

「たとえ禁じていたとしても、今の私には関係ありません」

「北方三教会にいたのは随分前なのか?」

 今度こそクレフは目を見開いた。言い返してこないので、アルドワーズは続ける。

「セルカが、クレフから貰ったっていう北の短剣を持ってた。三教会はそれぞれ、南はシスター、西は退魔士、北は神父をまとめてるよな」

「……よくご存じで。ですが、あの短剣は友人から譲り受けたものです」

「それをセルカに?」

「あれ、女性が使うのにいい大きさでしょう」

 しれっと言うクレフを束の間見つめ、アルドワーズは小さく息をついた。

「ま、そういうことにしといてやろう」

「本当ですってば。それに、昔がどうあれ、今の私は孤児院の先生です。先生と呼ばれるのも分不相応なのですけれどね」

「そうか? 教室開いてるじゃないか」

「あれは、お世話になっている方々に少しでも恩返しができればと思いまして。先生なんて立場ではありませんよ。場所を提供して、読み書きを教えているだけですから」

「それを先生っていうんじゃないのか?」

「そんなことはないでしょう。先生っていうのは、もっと……」

 何故そんなに頑ななのだろうと眉をひそめながら、アルドワーズはクレフを遮った。

「第一、みんなクレフを先生だって思ったから先生って呼んでるんだろ。子どもたちも、セルカも。なんで本人が否定するんだよ」

 クレフは少しだけ困ったような、後ろめたそうな顔になる。

「……私は、そんな大層な人間ではありません」

「それを決めるのは君じゃないだろ」

 変なところで頑固なのだからと、アルドワーズは少々呆れた。クレフの自己評価の低さと言うか、自己否定の域にあるような意識の原因はどこにあるのだろうかと思う。謙遜などという生易しいものではない。

「なんなら子どもたちに訊いてみたらいいじゃないか。最初に先生って言い出したのは誰なんだ?」

「……昔、私がセルカに勉強を教えたときに、先生と呼んでくれて……いつの間にか、それが定着していました」

「セルカが発端か」

「そうです。あの子が私を『先生』にしてくれた……あの子がいてくれなかったら、私はここにはいません」

 おや、とアルドワーズは眉を上げる。

「セルカも同じようなことを言ってたな。クレフがいなかったら自分は死んでたって」

「……セルカが、そんなことを」

 呟いてから、クレフはぱっとアルドワーズを見た。

「あの子はアルに昔のことを話したのですか?」

「いいや? 昔、セルカが大怪我したときにクレフが助けてくれたって聞いただけ。詳しいことは言ってなかった」

「ああ、なるほど」

「刃物の傷だな。事故とか獣に襲われたとかじゃなく、人間にやられたのか」

「ええ……え? ちょっと待ってください。なんであなたがセルカの傷の形状を知っているのです?」

 首肯しかけたクレフの表情が険しくなり、喋り過ぎたかとアルドワーズは目を逸らした。

「ええと、あの、そう、かまをかけてみた」

「嘘をつかない」

 軽く睨まれ、言い訳も思いつかないので、仕方なくそのまま告げる。

「セルかが……着替え中で」

 クレフの顔から感情が消え、背筋に謎の悪寒が走ってアルドワーズは慌てて片手を振る。

「誤解だ。事故だったんだ」

「事故で着替えを覗くのですか」

「覗いたんじゃなく、部屋間違えて」

「真逆の部屋を間違える人がありますか」

 真顔のクレフが声を低くするのと比例して、感じる温度もどんどん下がる。

「俺が借りてる部屋とセルカの部屋の位置、同じだろ? 奥から二番目」

「ですから、場所は真逆です」

「左右対称の建物なんか、間違えって言ってるようなもん……」

「見苦しい言い訳はおやめなさい」

「だから、俺は方向音痴なんだって!」

 威圧感に負けてアルドワーズは思わず声を上げた。するとクレフが小さく吹き出す。どうやら、からかわれたらしい。

「まったく。少々、方向感覚がにぶいのかと思っていましたが、そこまででしたか」

「自分の部屋だと思って開けたらセルカが着替えてて、物凄くびっくりした。変な汗かいた」

 ぼそりとぼやけば、クレフはおかしそうに声を立てて笑った。

「女性の着替えを覗いて、その程度で済んだなら僥倖でしょう」

「驚いたセルカに短剣をぶつけられたんだ」

「それで短剣のことを知っていたのですね。どこで見たのかと思いましたよ」

 納得したように頷いて彼は続ける。

「事故だったのなら仕方がありません。……ですが」

 クレフの笑みが質を変えた。

「故意だったらどうなるか、おわかりですね」

「怖い」

 また冷や汗が噴き出しそうになったとき、賑やかな足音が聞こえてきてアルドワーズは内心ほっとした。やがて扉が開き、めいめい花飾りを手にした子どもたちが駆け寄ってくる。

「先生、見て見て! さっきより大きいよ!」

「あたしも、綺麗にできた!」

「メルーも!」

 身体ごと振り返ったクレフは、先程までの吹雪のような空気はどこへやら、いつもの優しい先生に戻っている。代わり身の早さに半ば戦慄していると、クレフはにこにこと子どもたちを受け止めた。

「走っては危ないですよ。みんな上手にできましたね。では、アルに飾って貰いましょう」

「うん、おれそっち! そっちに飾って!」

「あたしこっちがいい!」

「メルーもー!」

 素直な子どもたちに囲まれ、アルドワーズはおろおろおと彼らを見回した。小さな生き物はちょっと扱いを間違えると怪我をさせてしまいそうで、どうしても腰が引けてしまう。

 助けを求めてクレフを見れば、目が合った彼はにっこりと微笑んだ。そして年長の二人へ顔を向ける。

「ご苦労様でした、エルネス、ユーリエ。―――エルネスはもう準備の手伝いはいいですよ。明日から大変でしょう?」

 大衆食堂で働くエルネスは、祭の間ずっと出ることになるからと、昨日と今日の二日間休みを貰ったのだという。

「でも……大丈夫? セルカ姉、まだ帰ってこられないんでしょ」

「なんとかなるでしょう。アルとユーリエがいますし、飾り付けで準備は大体終わりです」

「そっか。じゃあ、あとよろしく」

 片手をひらめかせ、エルネスは礼拝堂を出て行った。焦れた子どもたちに髪や裾を引っ張られたアルドワーズは、観念することにして脚立に手をかける。

「ねえ、早く! あっち!」

「おれが先だよ!」

「う、うん……順番に」

 しどろもどろに言うと、見かねたようにユーリエが助け船を出してくれた。

「ほーら、みんなで囲んだらアルが動けないでしょ? 早い者勝ちよ、一列に並んで!」

 片手を挙げたユーリエは大袈裟な動きで気をつけの姿勢を取った。子どもたちは歓声を上げて我先にとユーリエの後ろに並ぶ。

「はい、じゃあレオンからね。アル、お願い」

「やったあ! アル、あっちに飾って!」

 ユーリエの口調がセルカそっくりなのを微笑ましく思いながら、アルドワーズは脚立を担いでレオンの示す場所へ向かった。

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