二章 1-1
二章
1
フロルティア祭を明日に控え、セルカたちは総出で孤児院の大掃除を行っていた。
「セルカ
ユーリエの声がして、台所で洗い物をしていたセルカは振り返った。
「もう? 早かったわね、ありがとう」
「中庭そんなに広くないもの。あたしとレティシアも礼拝堂に行けばいい?」
「礼拝堂は他のみんながいるし、アルもいるから大丈夫でしょ。二人は飾り用のお花摘んでくれる? 野薔薇と、白いのならなんでも。いつもの籠に一杯ね。
「うん、わかる」
「じゃあ、お願いね。
「はーい」
「はーい!」
声を揃えて返事をして、二人は連れ立って裏庭へ出て行った。台所が片付いたら手伝いに行こうと、セルカは手を早める。
食器と格闘することしばし、勝手口からユーリエが顔を出した。
「セルカ姉、お客さん」
「お客?」
ユーリエの背後に現れたのは禿頭の初老の男性で、セルカは目を瞬いた。エプロンで手を拭きながら勝手口に近付く。
「やあ、セルカお嬢さん。ご精が出ますな」
「……こんにちは、イベリス町長」
お嬢さんと呼ばれたのを咎めたかったが、ユーリエの前だと飲み込む。イベリスはセルカの様子に気付いたふうでもなく、抱えていた大きな袋を差し出した。
「少ないですが、これを。よかったら皆さんと食べてください」
「まあ……こんなにいいんですか?」
「いただき物ですからお気になさらず。うちで持て余しているので、お嬢さんたちに食べていただければ幸いです」
「いつもありがとうございます」
受け取った袋はずしりと重かった。落とさないように抱えて、もの問いたげにしているユーリエに気付く。セルカが無言で頷くと、ユーリエも頷いてぱたぱたと畑の方へ戻って行った。彼女の姿が小さくなってからセルカは声を潜める。
「イベリスさん、その『お嬢さん』というのはやめていただけませんか」
「おっと、失敬。昔の癖が抜けませんで」
イベリスは
「クレフ先生はおいでですかな」
「はい。こちらへどうぞ」
袋を調理台へ下ろし、イベリスを応接間へ案内する。
「お待ちください。今呼んできます」
「お願いします」
祭の前日だというのになんだろうと首を捻りながらクレフの部屋へ向かう。扉を叩くと返事があった。
「どうぞ」
「失礼します。すみません、お仕事中に」
セルカが扉を開くと、振り返ったクレフはかぶりを振った。
「いいえ。私こそすみません。早く片付けてお掃除を手伝いたいのですが」
「先生がいてくれれば心強いですけど、みんな頑張ってくれてますから大丈夫ですよ。今年はアルもいますから。……そうそう、イベリスさんがお見えです」
「町長が?」
心当たりはないらしく、クレフは不思議そうにしながら立ち上がった。
「お茶とかお菓子とか、沢山貰っちゃいました。応接室でお待ちです。お茶を
「ありがとう、お願いします。町長にはお礼を言っておきますね」
クレフと別れて台所に戻り、薬缶を火にかけたセルカは差し入れの袋を開けた。
一番上には有名な菓子店の包みがあり、中には様々な焼き菓子が詰まっている。他は高そうな茶葉の小袋と、果実酒の瓶が二本あり、重かったのはこのせいかと納得する。
イベリス差し入れは殆どが嗜好品で、そういったものにはあまり手が出せない孤児院の懐事情を
仕事に出るのは十四歳からというのがクレフの方針なので、子どもたちの中で働いているのはエルネスだけだ。セルカは家事や子どもたちの世話の合間を縫って賃仕事をするのが精一杯なので、あまり家計の足しにはならない。
本当ならば、孤児院を出てどこか別のところに住んで通った方が、院の負担は軽くなるとセルカもわかっている。だが、幼いメリアーナの世話を言い訳に、何も言わないクレフの厚意に甘えて留まり続けている。
(先生は、優しいから……)
考え続けていると落ち込んでしまいそうなので、セルカは意識して頭を切り換えた。
(いけない、いけない。さて、お酒とお菓子、どこに隠そうかしら?)
クレフもセルカも酒は
隠し場所を探しているうちにお湯が沸き、セルカはティーポットにそれを注いだ。
「おっ……と」
古い薬缶なので、取っ手がぐらついて危ない。修理しながら大事に使ってきたのだが、いい加減買い換え時かも知れない。
応接室にお茶を出し終え、セルカは礼拝堂の手伝いに向かった。
「みんなご苦労様……あら?」
礼拝堂には殆ど人影がなく二階の高さにある回廊から声が降ってくる。
「台所終わったの? セルカ姉」
見上げれば、セルカのほぼ真上からエルネスの顔がのぞいていた。
「ええ。エルネスだけ? みんなは?」
「僕もいるよ」
声がした方を見ると、ホルンが回廊で箒を振り上げている。
「さっきメルーがアルの髪、引っ張って解いちゃってさ、結い直しに行ってる。チビどもはそれについてった」
「なるほどね」
エルネスに頷き、懐かれたものだとセルカはこっそりと苦笑した。
メリアーナの一件以来、子どもたちのアルドワーズに対する態度が変わった。危険な存在ではないと判断されたらしい。
「エルネスはともかく、なんでホルンは行かなかったの?」
興味本位で尋ねれば、離れた場所にいたホルンがこちらに近付いてきながら首を竦めた。
「髪結いなんて興味ないもん。僕、そんな子どもじゃな……」
「あ、ばかホルン足下!」
「え?」
不思議そうなホルンの声と同時に、がつんと何かを蹴飛ばすような音がした。一拍おいて、大量の水がセルカに降りかかる。
「きゃあっ!?」
突然のことに避けることができず、セルカは頭から思い切り水を被った。呆然と見上げると、ホルンが慌てた様子で片手を横に振っている。
「だ、大丈夫だよ、さっき汲んだばっかでまだ使ってないやつ……」
「……ホールーンー!」
「ごめんなさーい!」
ホルンは謝りながら脱兎の如く逃げていった。セルカは顔を顰めて雫を落としている髪を払った。エルネスの笑い声が降ってきて、彼を睨み上げる。
「笑い事じゃないわよ、エルネス」
「はは、ごめんごめん。着替えてきなよ、風邪ひくよ。床はホルンに拭かせとくからさ」
「そうする……お願いね」
髪や裾をその場で絞り、セルカはあまり床を塗らさないよう急ぎ足で部屋へ戻った。
箪笥から替えの服を引っ張り出して寝台へ放り、濡れた服を脱ぎにかかる。下着姿になって換えのスカートを手に取ったところで、
「あれ? セルカ」
突然扉が開いてセルカはぎょっと振り返った。そこには祭の
「は……はあ!?」
「悪い、間違え―――」
「いいから早く閉めて!!」
スカートで慌てて身体を隠し、セルカは咄嗟に机の上の物を投げつけた。それはアルドワーズの顔面に当たって鈍い音を立てる。
「ごめん……」
もんどり打ったアルドワーズはそれでも扉をちゃんと閉めた。束の間、唖然としていたセルカは、我に返って急いで服を着る。
(まったく、なんなのよ今日は!)
水をかけられるわ着替えを見られるわ、散々だ。服を着て一息つくと急に恥ずかしくなってきて、セルカは両手で頬を押さえて寝台に乱暴に腰掛けた。アルドワーズを追いかけて、ひっぱたいてやりたいが、今、顔を合わせるのも気まずい。
とりあえず顔の熱が引くまで戻るのはやめておこうと思い、ふと机に視線を遣ってセルカは青ざめた。
(……わたしがさっき投げたのって、まさか)
咄嗟のことだったので投げる前に確かめる余裕がなかった。扉に駆け寄って開いてみても、廊下に落ちているということはなく、おそらくアルドワーズが持っていってしまったのだろう。
気まずいなどと言っている場合ではなくなり、セルカは反対側にあるアルドワーズの部屋へ走った。あれを失うわけにはいかない。
扉を叩くとアルドワーズが顔を出した。
「はい。―――あ、セルカ。さっきは……」
「短剣持ってった?」
皆まで聞かず、セルカは尋ねる。アルドワーズは驚いた顔で目を瞬き、踵を返した。セルカもそれに続く。
「これか?」
「それ!」
差し出された小振りの短剣を引ったくり、セルカはそれを胸に抱き締めてほっと息をついた。部屋に帰ったら、飾っておくのではなく、大事にしまっておこうと思う。
「大切なものなんだな」
「ええ、前に先生から貰っ……」
言いながらアルドワーズを見上げ、先程のことを思い出してセルカは赤面した。手にした短剣を思わず両手で握り締めると、アルドワーズが焦りを滲ませて
「謝る。ごめん。悪かった。見てない。見てないから投げないでくれ」
「……もう投げないわよ」
今なら素手で殴る、とは胸中で呟くだけにして、セルカは鼻から息を抜いた。
「自分の部屋だって確証がなかったら、せめて開ける前にノックしなさいよ」
「ごめん。次からはそうする」
「いいわ、今回だけね。それで、なんでわたしの部屋に? エルネスに、アルは髪を結い直しに行ったって聞いたわよ」
「それが……」
アルドワーズの説明を要約すると、こうだ。
メリアーナがアルドワーズの髪を解いてしまい、結い直しに行くのにエルネスとホルンを除く子どもたちもついてきた。彼らはアルドワーズの髪を結ってやると言いだし、子ども部屋に引っ張り込まれた。長い髪を散々
「ここ、似たような造りだろ? 線対称になってるし。子ども部屋って行ったことなかったから、どっち側なのかわかんなくなって、とりあえず俺が借りてる部屋の場所を開けてみようと……」
「したら、わたしの部屋だったってわけね」
「……すまない」
アルドワーズの言葉を受け取り、セルカは呆れて眉を寄せた。
「まったく。もしかしてアルって、方向音痴なの?」
抵抗するような沈黙の後、アルドワーズは力なく頷く。
「かもしれない」
「よく今まで一人旅なんてしてたわね」
呆れ気味に言いながらセルカは椅子を指差した。
「座って。解いてあげる」
アルドワーズの髪はあちこちから中途半端に結ばれた髪が飛び出し、かと思えば気紛れに編んであって、大層ややこしいことになっている。アルドワーズも手を焼いていたようで、素直に頷いて椅子に腰を下ろした。
「悪い、助かる。どこがどうなってるのか自分じゃさっぱりで」
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