一章 5


 目を開けて最初に目に入ったのは借りている部屋の天井で、アルドワーズは目を瞬いた。

 自分で横になった覚えはない。自分はどうしたのだったかと記憶を辿る。



 日没の頃、アルドワーズは裏庭に出た。

 クレフの服を借りる許可を得に行ったのに「お教室」の手伝いをすることになり、その後は家事に追われる間に、あっという間に一日が終わってしまった。大人数で暮らすというのは、その分家事の量も増えるということで、家族の記憶がない身には新鮮だった。

(……さて)

 枯れている野薔薇の前に立つ。昨日クレフが言っていたとおり、「力」は分け与えることもできる。ただ、当然といえば当然だが、吸い取るよりも与える方が消耗は大きい。

 睡眠と食事で回復した「力」は、腕の傷を治すのに使われて目減りしている。生きることに貪欲な身体は、身体に瑕疵かしができればアルドワーズの意思は関係なく治してしまう。だから「飢える」のだと思うが、己では制御できないのが困りものだ。

 一つ深呼吸をして、アルドワーズは野薔薇の枝に触れた。目を閉じ、「力」が自分から野薔薇に流れる様を思い浮かべる。すると、ぱきぱきと乾いた小さな音が聞こえてきた。薄く目を開ければ、枯れた株の根本から伸びた新芽が、常にはありえない速度で伸びている。

 株は瞬く間に緑色を取り戻した。上手くいったようだと安堵していると、枝が伸び葉が茂り、花芽が出て蕾をつけ、それが綻び始めたところで酷い目眩がしてアルドワーズはその場に膝をついた。吹き出した冷や汗が頬を伝って顎の先から落ちていく。頭が重く、両手をついて上体を支えるが、腕に力が入らずくずおれる。

(……ま、いいか)

 「力」を使いすぎたが、野薔薇は咲いた。祭には間に合う。それならいいとアルドワーズは遠のく意識に抗わず目を閉じた。



「気がつきましたか」

 囁くような声で記憶の再生は断ち切られた。アルドワーズは目だけを動かす。

 小さく笑んだクレフは傍らのランプに火を灯した。気遣って、灯りをつけずにいてくれたらしい。

「皆には貧血と説明しました。……まったく、自分が倒れるまで分ける人がいますか」

「吸うのはするけど、与えるってのはあんまりやったことないから、加減がわからなくて」

 アルドワーズは上体を起こした。クレフが難色を示すが、構わず起き上がってしまう。

 申し訳なさそうな顔になったクレフは頭を下げた。

「すみません、無茶なお願いをしてしまって」

「俺がやると決めて、そのとおりに行動したんだからクレフが謝ることじゃない。頼まれても無理だと思ったらやらないよ」

「……無理じゃなくても、アルが倒れてしまうようなことはやめてください」

「なんで?」

「『なんで』?」

 繰り返してクレフは絶句してしまった。押し黙ることしばし、複雑そうな、泣き出しそうにも見える表情になって呟く。

「野薔薇の代わりはありますが、あなたの代わりはいないんですよ」

 言葉の意味とするところがよくわからずに首を傾ければ、クレフは悲しげな笑みを浮かべて立ち上がる。

「お腹は空いていませんか?」

「……あんまり」

「では、今夜はこのままお休みなさい。お水はここに。明日になっても辛かったら、教えてくださいね。あと、少しでも体調がおかしいと思ったら、すぐ呼んでください。壁を叩くのでもいいですから」

 幼子に言い含めるような口調で告げて、灯りを手にクレフは部屋を出て行った。目が冴えてしまったアルドワーズは、寝台に上体を起こしたまま考え込む。

(……心配されたのか、俺は)

 ようやく思いついてぽんと膝を打つ。そんなことは記憶にないのでなかなか思い至らなかった。アルドワーズの正体を知った人間が心配するのは、化け物が彼らに害を及ぼさないかということだけだ。それは当然のことだろう。突いても斬っても死なない相手を恐れこそすれ、案じる理由などどこにもない。

(昼間も、心配してくれたのかな……)

 放っておいても治るというのに、クレフとセルカは代わる代わる手当をしてくれた。その怪我もアルドワーズの見込みの甘さが招いたことだ。メリアーナを、自分も相手も無傷で受け止められると思ったのだが、実際は片腕しか間に合わなくて支えきれずに、砕けた皿に素手を突っ込むかたちになってしまった。

(俺の責任だと思うんだけどなあ)

 考えても繰り返しになり、諦めて横になる。眠れる気はしなかったが、これ以上心配をかけないためにも夜明けまで大人しくしていようと思う。

 目を閉じてしばし、隣の部屋からクレフの呻くような声が聞こえて、アルドワーズは目を開けた。常人の耳には届かないであろう音でも、己の耳は捉えてしまう。

(……またうなされてる)

 クレフは昨夜も魘されていた。二日続けて悪い夢でも見ているのなら、起こした方がいいのだろうかと様子を伺っていると、押し殺したような呻きは悲鳴に変わって途切れた。さすがに捨て置くことはできず、起き上がって部屋を出る。

 人気が絶えてしんとしている廊下を、足音を立てないように移動して、アルドワーズはクレフの部屋の扉を叩いた。すると細く扉が開き、先程とはうって変わって幽鬼のような顔をしたクレフが現れた。

「……どうしました? やっぱり具合が悪いですか」

「いや、悲鳴がしたから何かあったのかと」

 クレフは青い顔に、笑顔を作ろうとして失敗したような表情を浮かべた。額には汗で髪の毛が張り付いている。

「起こしてしまったならすみません」

「いや、いいんだけど……君、昨夜も魘されてたろ?」

 クレフの顔が強張り、それが失敗だったというかのように唇を歪める。

「部屋を変えましょうか。幸い、客間はまだ」

「そうじゃなくて、眠れないなら……」

「お気遣いありがとうございます」

 柔らかく拒絶されて、アルドワーズは言いかけた言葉を飲み込んだ。会話が途切れ、クレフが扉を閉めようとするのを慌てて止める。

「ちょっと待って」

「……なんですか」

 どう説明したものか考え、すぐに諦めてアルドワーズはクレフの瞳をのぞき込んだ。

「夢を見ないで朝まで眠れ」

 クレフはぽかんとアルドワーズを見上げたが、やがて糸を切られた人形のように崩れ落ちた。それを受け止め、寝台に運ぶ。

(あんまり使っちゃ駄目なんだろうけど)

 視線を介してかける暗示のようなものだ。毎晩魘され続けるよりも、強制的にでも眠った方がいいと思った。これをどこで覚えたのか、何故できるのかは、例によって記憶にない。

 眠るクレフの様子を伺い、魘されることがないのを確認してアルドワーズは自分の部屋へ戻った。寝台に入った途端に空腹を覚え、暗示で「力」を使ったからかと眉を顰める。

(……盗み食いは怒られるよな)

 耐えられないほどではないので朝食まで我慢しようと、暇潰しに羊を数えることにした。

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