一章 4

 4


 夕方、セルカはユーリエと買い物に出ていた。フロルティア祭は明後日からだが、祭りの期間は町中が混雑して買い物どころではなくなるので、今のうちに食料など必要なものを買い込んでおくのだ。

 フロルティア祭は、大陸で広く信奉されているアサーティ教の、聖女フロルティアを讃える祭である。毎年、草月くさづきの満月前後三日、計七日間が祭りの期間で、「花の乙女」の二つ名にちなみ、扉や壁などに花を飾るのが習わしだ。

 フロルティアは恋人と家庭の守護者であり、ランツェ国出身とされているので、国内では特に盛大に祝われる。町中が花で溢れかえり、一年で最も観光客で賑わう時期でもある。

 白薔薇はフロルティアの象徴であり、飾りには欠かせない。飾るのは白ならばどんな花でもよいとされるが、やはり主役は白薔薇だ。気の早い家では既に花飾りを掲げていた。

(うーん……高い)

 この時期は、どこの店でも花や花飾りを扱うようになる。しかし、やはり値段は上がっていて、セルカは眉を寄せた。ユーリエが抱えた袋を揺すり上げながら首をかしげる。

「あとは何を買うの?」

「え? ええと、大体終わったかしら。持って帰れないのは配達して貰うように頼んだし……」

「セルカちゃん、ユーリエちゃん。買っていかないかい? 安くしておくよ」

 声をかけられて振り返ると、青果店の主人が山と積まれた野菜を示していた。セルカとユーリエは顔を見合わせてからそちらへ足を向け、屈んで尋ねる。

「今日はどれがお勧めですか?」

「トマトだね。今朝採れたてさ!」

「じゃあ……」

 ください、という前に背後から声が飛んできた。

「セルカちゃん、うちのほうが新鮮で安いよ! 収穫はついさっきだ」

 声のした方を見れば、狭い通りを挟んで向かいの店の女店主が手招きしている。そこへ青果店の主人が食ってかかった。

「嘘つけ、そこらの野菜は昨日から並んでるじゃねえか」

「全部とは言ってないだろ、この山はさっき採ってきたのさ。あんたのとここそ、三日前から同じじゃないかい?」

「売れる度に補充してんだよ。そんくらいもわかんねえのか? これだから頭の回転が鈍い奴はよ」

「なんだって!?」

「あ、あの!」

 このまま果てしなく言い合いが続きそうだったので、セルカは慌てて割って入った。

「半分! 半分ずついただきます! トマト六個ずつお願いします!」

 二人の店主は顔を見合わせ、同時にそっぽを向いた。そして、トマトを用意してくれる。

「瓜をおまけにつけとくよ。冷やしてお食べ」

「あ、すみませ……」

「黒スグリのいいのがあってね。セルカちゃん、好きだろ?」

「あ、ありがと……」

「おお、忘れてた、こいつも持って行きな」

「そうそう、こっちの豆も……」

「もう持ちきれませんから!」

 更に持たせてくれようとする二人を遮り、セルカは声を上げた。代金を払い、丁寧にお礼を言ってその場を離れる。親切にしてくれるのはありがたいのだが、自分をだしに競争を楽しんでいる節があるように感じる。本当は、あの二人は仲が悪くなどないのだ。

「セルカちゃーん!」

 今日はよく呼ばれる日だと思いつつ声のした方を向くと、ふくよかな中年女性が手招きしていた。セルカがたまに賃仕事をさせて貰う宿屋の女将だ。

「ユーリエちゃんも。お手伝い偉いねえ」

 頭を撫でられてユーリエは照れ笑いを浮かべて挨拶をした。

「こんにちは、女将さん」

「女将さん、こんにちは。何かご用ですか?」

「ああ、いつものやつをね。届けに行こうと思ったんだけど、丁度通っていくのが見えたから。荷物を増やしちゃって悪いけど」

 言いながら包みを差し出す女将へ、セルカは大きく首を左右に振った。

「いいえ、ありがとうございます! みんな喜びます、女将さんのお料理大好きだから。勿論、わたしも」

「あたしもです、女将さん」

「あらあら、二人とも嬉しいことを言ってくれるじゃないの」

 包みの中身は女将の手料理だ。残り物と称して度々、孤児院に差し入れを持ってきてくれるので、とても助かっている。

「いつもすみません」

「残り物だから気にしなくていいんだよ。―――そういえば今、孤児院に旅の人がいるって? それだと足りないかもしれないねえ」

 アルドワーズは昨日来たばかりなのに何故知っているのかと、セルカは目を瞬いた。すると胸中を読んだように女将が続ける。

「今日、小間物屋の旦那さんの月命日だろ? 奥さんがお墓参りの帰りに孤児院のそばを通ったら、見知らぬ人が柵の修理してたから声をかけてみたんだってさ。そしたら、旅の人だって言われたって。物凄い美形だって言ってたけど、もしかしてセルカちゃんのお婿さん候補なのかい?」

 女将の言葉は揶揄やゆめいていたが、冗談ではないとセルカは思い切り首を左右に振った。

「ち、違いますよ! ただの行き倒れを助けることになっただけです」

「そうなのかい、よかった。実はね、いい話があるんだよ」

 切り出されて、セルカはしまったと内心で叫んだ。女将が「いい話」で始めるのは大抵が縁談だと決まっている。彼女は独自の情報網を駆使して、町中の年頃の男女をめあわせるのを人生の命題にしているらしい。

「向こうの通りの鍛冶屋の息子さんでね、確か年は十八か九だったかね。働き者で誠実で、いい子なんだよ。会ってみないかい?」

「いえ、今は……わたし、まだ十六ですし」

「何をお言いだね、お似合いの年頃じゃないか。一度、顔合わせだけでも。ね?」

「ええと……」

「あ!」

 断る理由を考えていると、唐突にユーリエが声を上げた。

「セルカ姉、クレフ先生がインク欲しいって言ってなかった? 切れかけてるって。お店閉まっちゃうよ」

 インクなど頼まれた覚えはないが、ユーリエの意図を汲んでセルカは調子を合わせた。女将へ頭を下げる。

「そういえば……すみません女将さん、続きはまた今度」

「いいよ、急ぎの話じゃないし。また今度ゆっくりね。気を付けてお行きよ」

 鷹揚おうように片手を振る女将へもう一度礼をして、セルカは店の前を離れた。早足に歩きながらユーリエに囁く。

「ありがと、ユーリエ。助かったわ。お見合いさせられるところだった」

「ううん……」

 俯き加減にかぶりを振り、ユーリエは独白のように呟いた。

「セルカ姉、結婚しちゃうの?」

「へ? しないしない。予定もないわよ」

「……でも、いつかはするよね?」

「どうかな? この先がどうなるかはわからないもの。するかもしれないし、しないかもしれないし」

「セルカ姉がお嫁に行ったら、寂しいな……」

「ありがと。わたしも、ユーリエたちといられるのが一番よ」

 本心を言えば、ユーリエはぱっと顔を上げて安心したように、嬉しそうに笑った。

「じゃあ、好きな人は?」

 思いがけない方向に話が転がって、セルカは瞠目した。さっきまでの悲しげな表情はどこへやら、ユーリエは目を輝かせている。

「セルカ姉の好きな人。いるんでしょ?」

 好きな人と言われて反射的に浮かんだ顔を打ち消して、セルカは首をかしげて見せた。

「さあ、どうかしらね」

「ええー、教えてよ。誰にも言わないから。エルにいは?」

「なんでそこでエルネスなのよ。あの子は手のかかる弟だわ」

 エルネスはセルカの二つ下で、男の子の中では最年長である。セルカとしては長兄役を期待しているのだが、むしろ小さい子と一緒になって悪戯する側なのが困りものだ。

「そう言うユーリエはいないの? 好きな人」

 同じことを問い返されることを考えていなかったのか、ユーリエは目を丸くしてセルカを見上げた。そして、頬に朱を上らせる。

「な、なんであたし!? いないよ!」

「あらそう? ユーリエこそエルネスは?」

「へっ? ……な、そ、ち、違う違う! エル兄は、エル兄だもん!」

 ますます赤面して慌てる様子が本心を物語っていて、おやおやとセルカは胸中で首を竦めた。どうやら自分は探りを入れられたらしい。ユーリエはまだ十歳だが、やはり女の子だなと微笑ましく思う。

「あら、違うの? わたしはてっきり……」

「も、もう、早く帰らないと日が暮れちゃうよ! みんなお腹空かせて待ってるかも!」

 ユーリエは駆け出して行ってしまった。

「転ばないようにねー」

 笑いながら声を投げ、セルカも足を速める。夏至を過ぎてまだまだ日は落ちそうにないが、夕餉が近いのはユーリエの言う通りだ。

(好きな人、か……)

 自分の心に正直にいられるユーリエを、セルカは少々羨ましく思う。

 好きな人はいる。しかし、想いを伝えることはできない。誰かに気取られてもいけない。セルカの気持ちはきっと、相手を困らせるだけだ。

 ため息が零れそうになって、セルカは小さくかぶりを振った。

(これは深呼吸。傍にいられるだけで十分)

 孤児院へ帰り着き、裏から入ろうと建物を回り込もうとしたとき、裏庭からユーリエが飛び出してくる。

「セルカ姉!」

「どうしたの? 何かあった?」

「アルが倒れてる!」

「ええ!?」

「こっち!」

 ユーリエはセルカの腕を引いて庭を横切っていく。途中でセルカは枯れていたはずの野薔薇が蘇っているのに気付き、息を飲んだ。

「咲いてる……!」

「あたしもびっくりしたの。いきなり満開になってるから……近くで見てみようと思ったら、アルが倒れてて」

 ユーリエは野薔薇の手前で足を止め、その株元を示した。見れば、アルドワーズが満開の花の下に横たわっている。意識がないのは傍目にも明らかで、セルカは抱えていた買い物袋を下ろして彼の傍らに膝をついた。

「ユーリエ、先生呼んできてくれる?」

「わかった!」

 頷いてユーリエは走り去った。セルカはクレフの見様見真似でアルドワーズの首などに触れ、脈があるのを確認してほっと息をつく。

「アル、大丈夫? 具合悪いの?」

 呼びかけても返事はない。意識のない人を無闇に揺さぶってはいけないとクレフに教わったので、セルカは不自然な姿勢で倒れているアルドワーズをそろそろと仰向けにした。青白い顔で双眸を閉ざしているアルドワーズはぴくりでもない。

 やがて、クレフとユーリエが駆けてくる。

「どうですか、アルは」

「息はあるみたいですけど……」

 頷き、クレフはセルカの隣に膝をつくとアルドワーズを診た。固唾を呑んで見守ることしばし、クレフが一つ頷いた。

「大丈夫、気を失っているだけのようです。貧血でも起こしたのでしょう。まだ体調が万全ではないようですね」

 セルカとユーリエは顔を見合わせ、ほっと息をついた。クレフは二人を振り返って笑みを浮かべる。

「知らせてくれてありがとう、セルカ、ユーリエ。アルは部屋で休ませましょう」

 クレフは己よりも体格のいいアルドワーズをいとも簡単に背負い、戻って行った。クレフに任せておけば安心だろうと、セルカは立ち上がって荷物を持ち上げる。

「さて、わたしたちはご飯作りましょっか」

「うん。薔薇、咲いてよかったね」

「そうね。これでお祭りの飾りもなんとかなりそう」

 いっそ近くの山まで花を探しに行ってこようかと、半ば本気で考えていたセルカは、取り敢えず安堵した。しかし、花の下で倒れていたアルドワーズのことは気になる。そもそも薔薇を枯らしたのは彼だし、突然満開になったのも無関係ではないだろう。

(大丈夫かしら……ただの貧血だといいけど)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る