ヘーラーは純情に狂う

 薄川美深佳みみかはカメラのレンズが嫌いである。

 こんなことを言うと、「女優がそんなことを言ってどうする」と笑われるか叱られるだろうから、めったに口外したことはない。だが、こんなふうにレンズに凝視されるとひどく不安になる性質は、直そうと思っても直せるものではない。

 ――落ち着かない。

 取材・プロモーションのための公開稽古。稽古場にはブルートレープの団員のほか、キミドリプロダクションの広報に、ネットメディアの記者やカメラマンが控えている。カメラが向けられるのは中央で演技をしている役者だけなのだが、準主役を割り当てられた薄川は当然登場場面が多い。何度もカメラを向けられ、演技に集中できないまま稽古に臨んでいた。

「薄川ちゃん、さっきの台詞のとき目線おかしくなかった? 今のは観客側を向いたほうが良かったよね」

「すみません。直します……」

 演出の乾にたしなめられる。今の場面は観客に向かって語りかけるところだったのだが、観客側――正面から向けられたカメラと目が合った途端体が硬直し、とっさに視線を逸らしてしまった。

 カメラのレンズは、怖い。

 人間の眼は案外適当だ。視線が合ったと思っても、実はまったく違うものを見ていたりする。見たものを一分の狂いもなく覚えていられる人はそうはいないから、よほどおかしなことをしない限り目に留められて記憶されることはない。

 だが、カメラは違う。カメラはいつでも、何度でも、精確に被写体こちらを捉え――写真に映してしまう。

 この、というのが薄川とっては何より耐えがたいことだった。写真に映された自分は、どうもイメージとはあわない。なのに、あたかもこれが客観的な視点であるように、他人が見ている自分の姿であるかのように扱われる。実際は作為的に、恣意的に、意図的に切り抜いて作り上げた一瞬であるというのに。

(役者として、誰かの記憶に残りたいって思ってるくせにね)

 自分でも単なるわがままだとわかっている。役者としてのキャリアや知名度を上げるには、舞台だけでなくドラマや映画、CMや写真のモデルなどもっと様々な仕事に挑むべきだ。だからこんな悪癖、自分でもうんざりしているのだが。

「じゃあ次、リュシアンとジジがサシで話すところね。宍上くん、お願い」

「はい――」

 休憩していた宍上が立ち上がり、中央まで歩いてくる。一緒に稽古をするようになってもう二ヶ月近いが、未だに慣れない美形ぶりだ。こうやって目が合って、愛想笑いされるだけでどきっとしてしまう。

「よろしくお願いします、ジジ」

「よろしく、リュシアン」

 努めて冷静に笑い返す。

 薄川演じるジジは、リュシアンの幼なじみ、いわばヒロインにあたる役柄だ。リュシアンと同じく貧しい生まれで、若くして娼婦をやっている。勝ち気で面倒見が良く、お人好しなリュシアンに小言を言いながらも、彼の幼い弟妹の世話をするのを手伝ったりしている。実はリュシアンに淡い想いを寄せているのだが、お互いの生活の苦しさゆえに口には出せず、心に秘めてリュシアンを見守っているのだ。

 薄川は最初に台本を読んだとき、『レ・ミゼラブル』のエポニーヌを連想した。もちろん『レミゼ』の彼女とジジの人生は全然違っているのだが……想いを打ち明けられず想い人に振り向いてもらえないところや、それでもなお愛を絶やさず、彼を助けようとするひたむきさ、そして何より――決して物語の主役にはなれないところが、よく似ていると思った。

 恋に鈍いリュシアンは、ジジの想いには決して気づかない。のみならず、出稼ぎに行った先でまったく違う女に恋をしてしまう。それ以降、ジジの恋には全然焦点が当てられず、リュシアンとの関係がどうなったのかも語られることはない。

 報われたか否かすらわからないジジのいじらしさがなんだか無性に愛おしくなり、せめて自分だけでもジジのことを理解してあげよう、いや、観客みんなにジジのことを理解してもらえるような芝居をしよう――と決意をしたのだが。

(いや無理無理無理!! こんなの絶対霞むじゃん!)

 肝心の共演者一――宍上リュシアンのスター性は予想以上だった。

 ほんの少し体を動かしただけで、目が引かれる――彼の視線を追い、彼の声に耳を傾けてしまう。共演している薄川がこうなのだ、観客も当然ジジではなくリュシアンを見るに決まっている。

 舞台全体としては、それでも一切問題ないだろう。所詮ジジは主役ではない。しかし――演じている薄川にもプライドがある。役者として、ただの添え物にしかならないような演技はしたくない。

 場面は後半、アデルとリュシアンか経営方針をめぐり大喧嘩をした直後。お互い頭を冷やそうと言って、リュシアンは店にアデルを置き去りに実家に帰る。アデルから貧乏人のことを侮辱されたことを家族や友人に慰められるが、段々とアデルの孤独な身の上に思い至り、店に戻ろうと考えを改める。

 ここでもジジは脇役だ。消沈したリュシアンに対し、「言わんこっちゃない」とばかりに呆れ返りながらも、不器用に励まそうとする。そしてリュシアンはジジの内心のことなど露知らず、アデルの元へとんぼ返りする。愛する人を引き止めることもできないジジの切なさを、なんとか表現したいのだが。

「『アデル――あいつは結局、おれ達の気持ちなんてわかりやしないんだ』」

 小道具の木箱に座り、頭を抱える宍上――一連の流れのリュシアンは、誤解や見え隠れする傲慢さのせいで、ともすれば観客から嫌われてしまいそうな立ち回りだ。しかし、宍上の演技は失望と悔しさに加え、悲しみを押し出している。大好きな友人に、自分のことを理解してもらえないのか――口に出して語らずとも、そんな心の声が聞こえてくるようだ。

(やっぱり……すごい。宍上君の演技)

 薄川は横目でカメラを見る。見つめられているのは気分が悪い。だが、ここで萎縮してみっともない演技をするわけにはいかない。心の中で気合を入れる。

「『所詮、ブルジョアのお坊ちゃんなんだろう? 髪を泥で汚したこともない奴が、ひもじさなんてわかるはずないじゃないさ』」

 壁にもたれ、煙草を吹かす仕草。幼なじみが落ち込んでいるというのに、この少女は近寄って肩を抱くこともできない。 気丈な性格が、かえって感情の邪魔をするのだ。

「『あんただって、金持ちの奴らが毎晩何を考えて食って寝てしてンのか、ちっともわかりゃしないだろ』」

「『そうだけど、あいつは――』

 宍上は袖で乱暴に顔を拭う。ああ、リュシアンは泣いているのか。

「『もっと、話のわかる奴だと思ってた』」

「『――――』」

 溜め息。煙草を踏み消して、リュシアンの元へ向かう。真っ直ぐな鼻梁、長い睫毛。近づくだけで緊張するほど、綺麗な顔だ。

「『あんた、さっきなんの話してたっけ。黒い女がどうとか――』」

「『黒の貴婦人マダム・ド・ラ・ノアールのことかい』」

 黒の貴婦人とは、リュシアンに隠れて男娼をしているアデルの別名だ。着飾った美しい女が、夜の街で男女を問わず客を取っているという噂。それがアデルだと思いもしないリュシアンは、よりにもよってアデルに対してこの噂を引き合いに出し、「貧窮のため身売りをしなければならないの味方をしたい」と言ってしまうのだ。それでひどくプライドを傷つけられたアデルは、リュシアンに憎悪を募らせるようにになる。

「『ずいぶん素敵なことを言ってくれるじゃないさ』」

「『えっ?』」

「『そのマダムとやらには会ったことがないけどね。寝る相手の身分、もらう金が違うってだけで、やってることはアタシ達と変わらないんだろうさ。だったら、あんたの言葉はアタシ達に言ってるのと同じだよ』」

 わざと棘のある言い方をすると、リュシアンは戸惑ったようにたじろぐ。

「『あんたは、アタシ達が可哀想だって言うんだね』」

「『そ、そりゃあ……』」

 聞いた話によると、この場面は原作の小説にはなく、脚本家の先生がつけ足したものなのだそうだ。

 ヒロインでありなから出番が少ないジジのシーンを少しでも増やすのが目的なのだろうが、それだけではないだろうと薄川は考えている。

 娼婦は心身も尊厳も傷つけられる過酷な職だ。存在していること自体が、倫理的にも社会的にも悪とされるべきなのだろう。けれど――それでも、働く女達にだって一抹のプライドがあるはずなのだ。

「『アタシだって好きでこんな仕事やってんじゃないさ。嫌なことなんて数えきれないほどあるし、他に稼ぐアテがあるなら辞めたいよ。けどねえ、だからって不幸ぶったりはしないんだ。アタシはフランスでいっとう良い女だって、胸を張って生きてるんだよ』」

「『でも、お前いつも大変じゃないか』」

 リュシアンは優しい。きっと誰もがリュシアンに同情し、彼の肩を持つだろう。しかし、ここでだけは宍上に負けてはいけない。ジジは「娼婦は可哀想」だと思われたくないのだから。

「『そんなのあんたも同じじゃないさ。こないだまで、雨の日も風の日も街中走り回って、上司にも客にもクズみたいな扱いされて。でも、あんた“可哀想”だったかい。なんてつらい身の上だろう、おれは世界一不幸だって思ってた?』」

「『……そんなこと、ないさ』」

「『だったら――そんなこと言わないでおくれよ』」

 藍条とかいう脚本家のことはあまり好きにはなれないが、この場面を入れたことについてはとても評価し、感謝すらしている。

 この舞台には“哀れな人々”ばかりが出てくる。けれど、それぞれ精一杯生きているのだ。どんな事情があれ、思いがあれ、自分の人生を勝手に“可哀想”だと決めつけられるのはあんまりな話だと思う。

 同情や哀れみは結局、見下している相手にしかできないのだから。

「『リュシアン、あんた――』」

 次の台詞を言いかけた、そのとき。

「っ!」

 フラッシュが焚かれた――写真を撮られたと頭が理解するまで少しかかった。けれど、身体はそれよりもっと早く硬直していた。

(やばい――)

 動きが止まり、台詞が飛んだ。芝居の流れが止まってしまう――!

「『ごめんよ、ジジ』」

 そのとき、宍上が薄川の手を取りながら薄川の前へ移動した。あたかもカメラから薄川をかばうように。

「『おれ、なんにも考えてなかったよ。そうだよな、知ったようにそんなこと言われたら、誰だって嫌になる。悪かったよ――」

 宍上の目が心配するように薄川を見ている。そうか、やはりフォローしてくれたのだ。視線で感謝を伝えなから、息を整え、次の台詞を言う。

「『あんたに悪気がないのはわかってるよ。けど――あんただってアタシ達の気持ちがわかってなかったんだ、ブルジョアのムッシューだって同じなんだろうさ』」

「『アデル――』」

 宍上にレンズが向けられ、何度かシャッター音がする。慣れているのだろう、宍上はまったく動じない。さすがスターだ、という称賛も聞き慣れているのだろうか。

 そしてリュシアンはジジの言葉をきっかけにアデルの気持ちについて考えを至らせ、仲直りすることに決める。しかし、アデルに譲歩するようになったことが、更なる悲劇に繋がっていくのだが……。

「お疲れ様。さっき薄川ちゃん、台詞飛んじゃってた?」

 場面が終わり、再び乾に指摘される。

「……はい。フラッシュにびっくりしてしまって」

 正直に言うと、カメラマンのうちの一人が申し訳なさそうに頭を下げた。

「すみません、誤操作でフラッシュが入っちゃってたみたいで」

「気をつけてください。不要な光や音は演技の邪魔になりますから」

 亜理愛が険しい顔で言う。乾は「まあまあ」と亜理愛をなだめてから薄川に向き直る。

「イレギュラーで動揺したよね。でも、こんなの全然序の口だよ。本番じゃあもっととんでもないトラブルが起きたりするし、大きい劇団じゃ本番中にバシバシ写真撮られるからね。ちょっとのびっくりで演技が止まらないようにしないとね」

「はい」

 顔はにこにこ朗らかなのにしっかり釘を刺してくる。まったくもってその通りで、反論の余地はない。言い訳せず、素直に頭を下げる。

「十二時五十四分、ですね」

 亜理愛が時計を見る。

「少し早いですが、ここで昼休憩にしましょう。宍上君、斎波君は二時になったら小会議室に来ること。他の皆は、ここで稽古を再開してください。いいですね?」

「はい!」

 解散し、各々外や休憩所へ向かう団員達。薄川もランチボックスを取りに行こうと歩き出したところを、後ろから肩を叩かれる。

「すみません、ちょっといいですか?」

「え、何?」

 振り向くと、宍上が整った顔にチャーミングな笑顔を浮かべていた。

「良かったら、お昼ご一緒しませんか?」




 ブルートループ事務所の裏側、雑居ビルが並んだ路地を少し行くと小さな公園がある。ビルに囲まれた立地のため日が当たらず、ひと気のない場所だか、その静かさを薄川は気に入っていた。

「それ、全部ご自分で作られたんですか?」

 ベンチに昼食を広げると、隣に座っていた宍上が目を丸くする。 薄川は慌てて首を振る。

「半分はチルドと冷食。毎日全部手作りしてたら時間もお金も足りないから」

「それでも毎日作ってるんでしょう? すごいなあ……」

 関心したように言う宍上は出来あいのコンビニ弁当を持っている。料理はあまりしないのだろうか。当たり前にやっていることを褒められ、なんだか気恥ずかしい。

「もう、卵焼き一個あげちゃう!」

「えっ、いいんですか? わあ、チーズが入ってる!」

 照れ隠しにおかずを宍上に分け与える。お弁当にテンションが上がるあたり、彼も“男の子”なんだなあと思う。

「……さっきは、ありがとね」

 弁当をつつきながら、先程のことについて礼を言う。口の中のものを飲み込んでから、「いえ、そんな」と宍上。

「ひょっとして、なんですけど。薄川さんって、写真撮られるの苦手なんですか?」

「わかっちゃった?」

「ええ。前に演じてたとき、カメラが嫌そうだったのが気になって」

 バレないようにやっていたつもりだったが、やはり見ればわかるものなのか。

「よく見てくれてるんだね」

「なんて言ったって“幼なじみ”ですからね」

 そう言って笑う宍上に思わずどきっとする。いやだな、彼はあくまで、共演者として話してるだけなのに。

「このままじゃダメだってわかってるんだけどね。なかなか直せなくて」

「仕方ないですよ、僕も怖いものは苦手だけど、恐怖感はなくせないです。……それよりも」

 宍上と目が合う。

「薄川さんのジジ、素敵でした」

「え、え!? そ、そう!?」

 無意識にやっているのだろうか。吐息や声のトーンにいちいち心が動かされる。普通に話をしているだけなのに、まるで口説かれているようだ。

「なんて言えばいいのかな。ジジの信念とか、意地みたいなものかすごく伝わってきて。変な言い方になっちゃうんですけど、薄川さんの演技で初めて“ジジ”のことが理解できたような気がするんです」

 ――わかってもらえたんだ、ジジのこと。それは役者として、何より嬉しい言葉だった。

「そ、そうかな、そうかな! 宍上君も演技すっごいから、だいぶ緊張したんだけど……」

「僕だって全然まだまだです。薄川さんのを見てて、すごく勉強になりました」

 宍上の顔が近い。箸でつまみかけていたミニトマトを取り落とす。

「薄川さんとなら、きっと良い舞台が作れると思うんです」

「宍上君……」

「これからも、一緒に、頑張りましょうね」

 勘違いしちゃいけない。彼は普通に、共演者に対して言っているだけだ。

 それなのに――宍上の瞳に見つめられると、胸が高鳴るのを止められなかった。




「宍上君はどうしたんですか?」

 午後二時――言いつけ通り斎波は小会議室にやってきた。しかし宍上の姿は一向に現れず、いるのは小角おづのただ一人きりである。

「彼には、別室でインタビューを受けてもらうことになりました。二人いっぺんは難しいし、話すのなら“サシ”のほうが落ち着くでしょ?」

「はあ……」

「あ、二人きりですしタメ口で話しません? 確か同い年ですよ、オレ達」

 用意されていたパイプ椅子に、テーブルを挟む形で座る。初対面のはずなのに妙になれなれしい。

「斎波さんってなんだか友達に似てて、他人って感じがしないんですよ。気分を害したなら、謝ります」

「いや……構わないが」

 斎波もあまり堅苦しいのは苦手だ。肩の力を抜き、小角を見る。

 スーツを着ているが、下品にならない程度に着崩している。ブラウンに染めた髪はよく見ると編み込みがある。とりたてて目立つ顔ではないが、女性にもてそうな雰囲気だ。少し“ちゃらい”のに目を潰れば、人畜無害、温厚そうな顔つきだ。

「それで、どんなことを話せばいいんだ?」

「斎波正己、二十三歳。姫九里大学卒。劇団ブルートループに所属し、主に舞台演劇を中心に活動する新進気鋭の若手俳優」

 と、小角は手帳を取り出し何やら読み始める。

「演劇活動を始めたのは小学四年生。故志島青児氏設立の児童演劇スクール『志島塾』に入会し演技を学ぶ。舞台初出演は中学二年生。志島塾同期生の城戸礼衛きどれいえ浮島和見うきしまかずみらとともに三人劇『貴人、英雄、首切り男』に出演。以降、精力的な活動を続けている――」

 それは斎波のプロフィールだった。

「趣味は筋トレ。好きな色はマスタードイエロー。飼いたいペットは亀。学生時代からの行きつけは芦引町の定食屋『どんどん屋』。よく頼むメニューはスタミナ大盛り定食の大ライス。身長は百八十五センチ。体重は八十……あれ、ちょっと痩せた?」

 すらすらと読み上げていた小角は途中で手帳から顔を上げ、斎波と紙面を見比べる。

「……ああ。最近、筋トレをしていないから」

 どんどん屋にも行っていないし。いや、そうではなく。

 妙に、異様なくらいに詳しい。

「ああこれ、記事に載せるプロフィール。これで間違いないよね?」

「よく、知っているんだな……」

「情報収集には自信があってね。学生の頃は『魔法使い』なんて呼ばれてたんだ」

 ウインクしてみせる小角に、宍上から言われた言葉が脳裏をよぎる。“怖い人”、か。

「魔法は魔法でも、専門は呪うほうだけど」

「そんなに詳しく記事に載せるのか?」

 ネットには詳しくないが、雑誌の取材ならおおよそ想像がつく。こういうのは普通、出演作の他は精々年と出身地くらいのものなのではないのか。

「斎波さん、全然情報出してないからね。劇団も詳しいプロフィールを公開してないみたいだし。これから売っていくには、ウィキペディアのスクロールバーが五ミリくらいになるくらい、ガンガン情報出していかなきゃ」

「売っていく……?」

 小角の言い回しに違和感を覚える。

「斎波さんもまだまだ全然若手なんだから、もっと露出を増やしていかないと。舞台専門にするにしたって、今はそれ一本じゃ食べていけない時代でしょ? シェアして、拡散して、どんどんフォロワーを集めなきゃ」

「いや……私は、別にそういうのは」

 SNSをしたり、ファンと交流を増やしたり、今時の俳優はそういう売り方が主流なのだろう。しかし斎波はその手の方法をするつもりはなかった。インターネットを使うのは苦手だし、何よりそういうやり方は。

「俳優のすることじゃない……って、志島青児さんなら教えられた?」

「!」

 にこにこと穏やかに笑いながら、まるで心を読んだかのように言う小角にぎょっとする。

「もう単刀直入に言っちゃったほうが早いかな。斎波さんって、あとどのくらいブルートループにいるつもりですか?」

 そして小角の二の句にいよいよ言葉をなくす。

「……君は、何を言ってるんだ?」

「インタビューだよ、斎波さん」

 小角は平然としている。

「オレは俳優さんとかアイドルとか、芸能人を“売る”側の人間だからね。その人がもっともっと、より良く売れるようにサポートしてあげたいんだ」

 唖然として口がきけない斎波をよそに、小角は再び手帳をめくる。

「斎波さん、あんまりファンからの評判気にしないタイプみたいだけど、前に出たドラマ……『スマホ探偵クラウド』で凄くバズってたの知ってます?」

「バズ……?」

「インターネット、特にSNSで評判になること。斎波さんが出た七話、凄く話題になってたんだ。急上昇ワードに『斎波正己』『クラウド七話 犯人』とか上がってたんですよ」

 耳に馴染まない専門用語を淀みなく話す小角。まるで異世界の人間と話しているようだ。

「斎波さんの露出が少なすぎて、ブームになる前に鎮火しちゃったんだけどね。今回の『フラ泥』でも斎波さんの名前に反応してる人多いし、きみって結構“売れそう”な俳優なんだよ」

「……それが、どうかしたのか」

「なんでバズったか、心当たりある?」

 と、逆に訊ね返される。

「七話で斎波さんが演じたの、陰のあるクールな悪役だったよね。それが斎波さんの精悍で真面目そうな顔とマッチしてたんだ。ハマり役ってやつだね」

 件のドラマで斎波が演じた役柄は、真面目な優等生でありながら殺人事件の犯人になる高校生だ。弟が部活の先輩にいじめられて自殺し、その復讐のために様々なトリックを駆使して仇を殺していく。最後には宍上演じる主人公に謎を暴かれ、悔い改めて逮捕されるのだが。

「あんまりやらないよね? こういうちょっとダークな役柄。少なくともブルートループの中ではやってない。真面目な青年とか、正義感の強い騎士とか、良くも悪くも見たまんまの役ばっかりだ」

 言っちゃえば、面白みがない――と小角は言う。

「嫌な言い方になるけど、ブルートループにいることが斎波さんにとって良いことだとは思えない。同じような役ばかりやらされて役の幅が広がらないし、劇団に所属しているから自由に活動できない。はたから見てて、損ばっかりしてるようにしか見えないんだ」

「……君が言ったデータは、偏向している」

 感情を抑えて答える。

「志島先生が亡くなられて、亜理愛が代表になってからのものだろう? 当時は団員が多数脱退して、人出も資金も不足していた。少人数で回さなければならない以上、キャスティングが似通ってしまうのは仕方がない」

「そうだね」

 小角はあっさりと頷く。

「だからこそ、人手が増えた今はこんなふうに配役に冒険ができるようになったわけだ。悲劇の美青年、斎波正己の新境地だよね」

 彼は――何を考えている?

 先程から、まるでインタビューの体を為していないことばかりーーそれも斎波を挑発するようなことを言ってくる。彼の穏やかな、如才ない笑みに、何か悪意があるのかと考えずにはいられない。

「逆に言えば、人手が増えた今なら劇団に縛られた活動をしなくてもいいってことだ」

「そんなに私にブルートループを辞めてほしいのか?」

 堪えきれず、苛立った口調になってしまう 小角は笑みを崩さず、「いやいや」と首を振った。

「斎波さんの活動を応援したいだけだよ。ただ、現状ではブルートループはきみの足枷になってるようにしか見えないから」

「同じことだ。君が何を考えているか知らないが、私はブルートループを辞めるつもりはない」

「志島先生に恩があるから?」

 立ち上がりそうになったのを、すんでのところで堪える。苛立ちが呼び水となって、数時間前吾風から与えられた不快感が噴き上がりかける。

 どうして誰も彼も、そんな風に言うんだ。

「うーん」

 怒りを抑え、表情をなくした斎波を小角はじっと見つめ、やがて小さな溜め息をついた。

「やめよう。説得でどうにかなるかなって思ったけど、思った以上に呪いでがんじがらめになってる。呪いをかけるのは得意だけど、解くのは専門外だ」

「何……?」

「勘違いしないでね、斎波さん」

 そう言って、小角はスーツの懐に手を入れた。

「嫌がらせしようとか、そういうんじゃないんだ。あくまで善意と、あとちょっぴりの商売心で、斎波さんのますますのご活躍を祈ってるんだよ。今はむかついて、話もしたくないって思ってるだろうけど、もしも考えが変わったら是非相談してほしい。いつでも連絡、待ってるから」

 そうして目の前に置かれた小角の名刺を、斎波はなんとも言えない気分で見つめた。“怒り”を先に制されて、どんな感情で相手に向き合えばいいかわからない。

「……その可能性は、限りなく低いと思うが」

「ああ、そうだ。相談といえば」

 と、思い出したように小角。

「宍上くん、宍上紅蓮くん。彼、変なことしてないよね? 斎波さん、今彼と仲が良いんでしょ?」

 突然出てきた宍上の名に面食らう。

「彼が、どうかしたのか?」

「知ってるかもだけど、彼、ちょいちょい女性関係でトラブルあったんだ。悪いことするわけじゃあないんだけど、付き合ってる女の子が“その気”になりすぎちゃったり、好きすぎて追い詰められちゃったり……色んな意味で女の子を変えちゃうタイプなんだね」

 確かに、そんな噂はたまに聞くが、それがどうしたというのだろう。で、ここからはオフレコなんだけど――と小角は声を潜める。

「彼が事務所を辞めるとき、付き合ってる女優の子がいたんだけど、その子がすごく荒れちゃって」

「修羅場、というやつか」

「うん。包丁振り回して、何人か怪我しちゃったんだ」

 流血沙汰である。事態の深刻さに斎波は閉口する。

「大事件じゃ、ないか……」

「大きな怪我をした人がいないうちになんとか収まって、噂も広まらずに済んだんだけど……ここでは今のところそういうことはないんだね、安心したよ」

 斎波は想像する。

 狂乱した女が刃物を振り回し、団員達に手当たり次第に斬りつける。飛び散る血飛沫、倒れゆく人々――そして血まみれの女に抱き締められている宍上。

 ぞっとした。もしも、そんなことがブルートループで起きたとしたら。

「宍上くんも反省してるだろうし、そうそう同じことは起きないと思うけど、一応留意しててほしいんだ。宍上くんの共演者としてね」

「あ、ああ……」

 小角の言葉に上の空で頷く。浮かんでしまったイメージが頭から離れない。

 ――小角の話は本当だろうか? 彼は確かに誰にでも優しい。彼にそのつもりがなくとも、なんらかの行き違いで何かが起こってしまうかもしれない。

 宍上のせいでブルートループに危険が及んだとしたら、自分は彼を許せるだろうか。

 それが、彼が宍上に不安を抱いた初めてのことだった。

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