第218話・お兄様の一大事と「私」の異変(2)




「っ!?」


 目の前に広がる光景に頭の中が掻き乱され、目の前が暗くなったかと思った。



 清潔な白い部屋のベットにお兄様は寝ている。

 ――白い部屋は装飾は無く、ただ無機質な部屋にベットが一つだけ置いてあった。


 窓から入る日差しがお兄様を照らしている。

 ――狭い窓から日が『あの子』を意味も無く照らしていた。


 身じろぐもせず寝ている姿はまるで……。

 ――傷一つ無く横になっている姿はまるで寝ているだけのようで。


 血の気の引いた顔は綺麗な人形のようだ。

 ――血の気の引いた顔は綺麗な人形のようだった。


「ち、がう」


 お兄様は『あの子』じゃない!

 此処は『あの場所』ではない!

 

 周囲の音が一切遮断さているかのようで私の耳には何の音も入ってこない。

 誰かが私に何かを話しかける声も。

 窓の外に存在する木々の間を風が通る音も。

 鳥のさえずりさえも。

 今の私には一切聞こえてこなかった。

 私の目はベッドで寝ているお兄様しか見えていない。

 真っ白になった頭で、震える足を叱責し、お兄様に近づく。

 ――『あの子』を目の前にした時の『わたし』もそうだった。

 脳裏を掠める映像を無理矢理掻き消し、お兄様の寝ているベッドに近づく。

 触れられる場所にようやくたどり着いた私はそっと手をお兄様の手に重ねる。

 

「あ、たたかい」


 その手に感じる温もりにお兄様は確かに「生きている」のだと、ようやく実感する事が出来た。

 目の前で寝ているお兄様の姿が霞む。

 頬を何かが通る感触がする。

 口から意味の無い嗚咽が漏れ出る。

 私は今、仮面を被る事も出来ない。

 外に出ているのに。

 多分、此処には貴族令嬢として対応しないといけない人が沢山いるのに。

 ただお兄様が――大事な人が生きている。

 その安堵だけが胸を包み、他には何も考えられない。


「良かった。お兄様が生きていて本当に良かった」


 お兄様の手を強く握ると私はベッドのシーツに顔を押し付け、ただ流れ出るままに泣き続ける事しか出来なかった。


 それからどだけ時間がたったかは分からない。

 けれど、私はいつの間にか肩に感じる温もりにようやく気付き、顔を上げる。

 するとそこにはヴァイディーウス様とロアベーツィア様が心配なさった顔で立っていた。


「あ。……申し訳御座いません。ご挨拶もせず、このような姿をお見せして」


 慌てて、その場に立ち上がり礼を取ろうとする私をヴァイディーウス様が止めた。


「いや。貴女がアールホルン殿を大切に思っている事はしっているから。……こんな時まで格式に囚われなくてもいい。今は必要な時ではないのだから、特に」


 ヴァイディーウス様の寛大な言葉に私は涙を拭うと軽く会釈する。

 ロアベーツィア様も同じお気持ちなのか、特に文句を言う様子はなく、むしろ心配そうな顔のまま私とお兄様を見ていた。

 心が広く優しい殿下方に心が温まる気持ちを抱きながらも私は今度こそお兄様のお顔を覗き込む。

 うなされている御様子はない。

 ぱっと見た所傷を負っている御様子もなかった。

 けど……――


 ――……私はさっき強く手を握ったのに。お兄様は目をお覚ましにならなかった。身じろぎすらしなかったように見えた。それに……。


 私は【精霊眼】でお兄様を改めて視る。

 するとお兄様を黒い何かが絡みついているのが視えた。

 それは強い力ではない。

 けど、良くないモノなのだと直感で理解した。

 私は再びお兄様の手を握ると黒い何かを睨みつける。


 お兄様から離れなさい!


 声に出さず、私はその何かに【命令】する。

 途端、その黒い何かが一瞬抵抗するかのように蠢き、だが結局霧散していった。

 するとそれを待っていたかのようにお兄様の瞼がピクリと動いた。

 息を呑んでその様子をうかがっていると、お兄様は緩やかに目を開ける。

 大好きな青色に私はまた泣きそうだった。


「……だーりえ?」

「はい」

「ぼくはいつのまにかやしきにかえったのかな?」

「いいえ。此処は学園の医務室ですわ。ワタクシが沢山の方に無理を言って此処まできてしまいましたの。けれど、お兄様が無事で本当によかった」


 目が覚めたばかりだからか、それとも別の理由からかぼんやりとした御様子のお兄様は、暫くしてようやく現状を把握なさったらしい。

 目を見開き、起き上がろうとするが、体はまだ休息を欲しているのか、動かなかった。

 私は無理をしないように寝ていて下さいと言うとお兄様は苦笑して再び横になった。


「お体の調子はどうですか?」

「疲労感が酷いかな? 魔力もかなり消費しているみたいだ」

「魔力を消費? 大規模な魔法を使った……わけではありませんよね?」

「それは無いよ、キースダーリエ嬢。近くに私もいたが、彼は魔法を一切つかっていない」


 ヴァイディーウス様が口を挟んだ事でお兄様もようやく両殿下が此処に居る事に気づいたらしい。

 慌てて起きようとするが、ヴァイディーウス様が鷹揚な仕草で「寝ていてかまわない」と言い、お兄様も謝罪と感謝の言葉と共に再びベッドに沈む。

 繕う事も出来ない程の疲労感に私は内心眉を顰める。

 これではまるで魔力が枯渇寸前の状態で気絶した自分のようだ。

 魔力が完全に枯渇する前に体が強制的に意識を遮断し、命を守る防衛本能。

 もしも、それが本当だしても、こんな状態になった理由が分からなかった。

 私はお兄様の正確な魔力量を知らない。

 けれど、決して低くはないお兄様が此処まで魔力を消費するには、それこそ広範囲の攻撃魔法を連発するか、付加錬成を限界までするかしかない。

 けど、ヴァイディーウス様がお兄様が魔法を使わなかったと言っている。

 では、何故?


 さっきの黒いモノの正体も気になるし。


 あの黒いモノがお兄様の魔力を吸い取った?

 けれど、そんな『ドレイン系』の魔道具なんてあるのだろうか?


「お兄様。倒れる直前、何かに触れたり致しましたか?」

「確か……ああ。直前に花を受け取ったかな?」

「花?」


 私は眉を顰めて、周囲を見回すと、確かに花瓶に花が活けてあるのが見えた。

 もしかしたら花の中には魔力を吸い取る種が存在するかもしれない。

 けど、魔力を枯渇寸前まで吸い取るような危ない種が学園にあるとは思えないし、そもそもお兄様に花を渡した相手はどうなんだ? という事になる。

 花は別件だと考えるのが順当、なんだと思うけれど。

 私は花を見つめる。

 何故か変哲もないはずの花が私にはとても悍ましいモノに見えた。 


 私は自身の直感に従うままに【精霊眼】を発動する。

 途端視えたモノに吐き気が止まらなかった。

 先程までは色とりどりの花が真っ黒になったのだ。

 しかもお兄様に纏わりついていた黒いモノが渦巻き、再びお兄様に触手を伸ばしている。

 理解するには充分だった。

 どう見てもお兄様がこんな状態になった原因はこの花だったのだ。


 まるで鎮魂を誘うような黒い花。

 ――『あの世界』ならば菊だろうか?


 生きている人に贈るには何て非常識なものなのだろう。

 ――飾る事はその人の死を願っているようで気分を害する。


 お兄様を殺したいという悪意が花からは感じられるようだった。

 ――まるで死んでしまえと言っているようで。


 花は悪意の贈り物だった。

 ――花は悪意を具現化したものだった。


 お兄様を害するモノは要らない。

 ……「キースダーリエ嬢?」

 これをこのままにしておくにはいかない。

 ……「一体何をしているんだ?」

 ならば粉々に砕いてしまえば良い。

 ……「花? キースダーリエ様!?」


 “今の私”ならばそれが出来るのだから


「リーノ!」「ダーリエ!」


 クロイツとお兄様の声が強く耳朶を打った途端【精霊眼】が解除され、視界が広がる。

 酷く緩慢な動きで腕を見ると、二本の腕が私の腕をつかんでいた。

 その腕の主を見る前に頭が急に重くなり、私は前につんのめる。

 明らかに何かが乗っている頭を振って、落そうとするが、落ちない。

 けど、代わりに何が乗っているのかは分かった。


「クロイツ! 貴方自分の体重を考えなさいませ!」

「いきなりしょーきを失うようなアルジサマにはこれくれーしねーとダメだろーが」

「ワタクシが首の筋を痛めたらどうして下さいますの?! ……正気を失う?」


 突っ込みながらも私はクロイツの言った事が分からず内心首を傾げる。


「キースダーリエ嬢は花を見ていたかと思うと、突然立ち上がり、花に向かって魔法を使おうとしたんだが……」

「……申し訳ございません。医務室で魔法を使うなど無作法をいたしまして」


 そうだ。

 確かに私は花を粉々に砕こうとした。

 今すぐにでも実行したい気持ちは残っている。

 けど、説明もせずに実行する事は出来ない、と判断出来る程の理性は戻ってきていた。

 此処には殿下達が居るのだ。

 そんな場所でいきなり攻撃魔法を使うなんて殿下達を害そうとしていると非難されても反論できない。

 クロイツとお兄様の声が聞こえなかったらとんでもない事をする所だった。

 状況を理解して青ざめる私に、もう大丈夫だと思ったのか殿下達が掴んでいた手を離した。

 

 え? 殿下達に手を掴まれている時点でかなり問題なのでは?


 確かにお兄様の危機に過剰反応している自覚はある。

 それにしても、どうにも先程から「私」らしくない気がする。

 一体、私はどうしたんだろうか?

 自分は自分でしかないのに、自分ではない部分が増えていくような気持ちの悪さが胸に広がっていく。

 考えを振り払うように緩く首を振ると、今度はあっさりとクロイツが頭から肩に降りた。


「んで? リーノは花をどーしたいんだ?」

「え? えぇと……多分お兄様が倒れた原因が花だと思うから処分したかったんだけど」

「花が?」

「え、ええ。倒れた直前に花に触れたのですよね? それに先程から精霊が騒いでおりますし。きっと花に何か仕掛けが施してあるのではないかと」


 本当は【精霊眼】の事を話せばいいんだけど、殿下達はまだしも誰が聞いているか分からない所で話す事は出来ない。

 だから精霊が騒いでいるという事にした。……それもあながち間違いではないので問題ないはずだ。


「確かに、先程から落ち着かない雰囲気だが。精霊がざわついているのならば、この状態にも納得できる」

「では、花が元凶ということですか?」

「……魔道具が仕込まれている様子はないな。魔法の残滓も見られない。ならば【呪い】か?」


 【呪い】とはまた厄介なモノが出てきたと思った。


 【呪い】または【呪術】はこの世界では魔法とは違う手法として存在している。

 ただこの世界では【呪術】は【闇】【水】【風】の魔力でしかなしえない。

 特に【闇】の適正を持つ者が使う【呪術】は多種多様で、過去の文献では村一つを呪い殺した、なんていうとんでもない話も残っている。

 ただし、其処までの呪術を使い熟すためにはやはり才能が必要であり、闇の貴色を纏っている必要がある。

 一説によると、高位の【呪術師】は【闇】【水】【風】の貴色持ちしかなれないと言われているらしい。

 勿論彼、ないし彼女等は【解呪】も得意とする。

 更に言うと【魔術師】【呪術師】の違いとして魔力量の事があげられる。

 驚く事に呪術師は高い魔力量を必要としない。

 高位の呪術師ですら低位の魔術師と同レベルの魔力量であるなんてザラにあるのだ。

 呪術師に必要なのは、魔力量ではなく、繊細な魔力操作にあるらしい。

 他にもいくつか条件はあるらしいが、呪術師ではない私は詳しくは知らない。


「ならば専門家に見てもらう必要がありますね」

「確か今日ならば呪術師の先生がいるはずだ」


 どうやら学園には呪術を教える先生がいるらしい。

 『ゲーム』では呪術師なんていなかったしなぁ。

 いや、よくよく考えてみると、これ魔法かな? って出来事はあったし、存在はしていたのかもしれない。

 ただよくある『公式ガイドブック』にだけ乗っているような裏設定とかの分類なだけで。

 何にしろ、誰かが呪術によってお兄様を害した。

 それだけが分かれば十分だ。

 

 本当なら今すぐ花を処分してしまいたい。あんなモノがお兄様の目に触れる事すら許しがたいっていうのに。


 今の所黒い触手のようなモノは出て来ていない。

 けれど、元々の花の色が分からないくらい黒いのは変わらない。

 アレはまだ力を失っていないと考えてもいいだろう。

 アレはなだ危険なモノなのだ。


「<オマエなー。そんなに睨んでも花は消えねーぞ>」

「<このまま新しいスキルに目覚めて花が燃えないかなぁと>」

「<やめれ。オマエの場合シャレになんねーよ>」

「<シャレじゃないし>」


 そうなったらスキルの暴走って事で済ます事が出来るし。

 証拠がなければお兄様に花を渡した存在を締めあげればいいだけだし。

 本気で燃えないかなぁと思っている間に先生がきてしまったらしい。

 扉の向こうから見知らぬ気配を感じる。

 私は一応花から扉に視線を移した。

 

 さて、『ゲーム』では名前すら出てこなかった呪術師の方はどんな方やら。



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