第156話・不穏な一報と不穏な近衛隊(2)




 静かな空間に人の息遣いだけが空気の中に消えてく。

 殿下達の言葉を近衛の方々がどう感じ取ったか。

 私としてはこのまま自分の考えを恥じて潔く交代を申し入れて欲しいモノだけどね。


「<少なくとも最初の頃からある程度自分の行いと考えを恥じていた雰囲気を漂わせていた人達は、交代だろうと受け入れてくれそうだけどねぇ>」

「<あー。あと途中で気づいた風のやつらもだいじょーぶじゃね?>」

「<だと良いね。……と、なると問題は最後まで頑迷な醜態を晒してお父様に対して害意を露わにした男、かな?>」

「<んー。いや、他にも微妙な奴がいるにはいるけどな。けどまぁ、確かにすっげーヤバそうなのは一人っぽいな。少なくとも羞恥よりも怒りに感情が偏ってるのはそいつだけっぽい気がすんな>」


 クロイツの言葉に私も一番認めなさそうな一人――それが推定隊長だっていうんだから救えないよねぇ――に視線を向ける。

 俯いているからか正確な感情は読み取れない。

 けど、確かにクロイツの言う通り羞恥よりも怒りに振り切れてる気がしなくもない。

 

「<うーん。此処まで言われてもまだ認めない所かこの状況に屈辱を感じてるって。どんだけお父様に恨みがあるのよ。――やっぱりトドメさしとく?>」

「<トーンがマジ過ぎてこえーわ! はいはい。取り敢えず傍観しとけ。まだオージサマ達のターンだ。……それともオマエ、実の所表舞台にたちてーの?>」

「<まさか!>」


 私は表舞台で役を演ずるよりも裏方で策を弄する方が好みですよ。

 まぁ策士と慣れる程頭は良くない訳ですけど。

 クロイツに言われると確かに、此処で私が前にでる必要は無いって事が分かる。

 一応隠密状態なのは継続中なのだ。……バレてないって信じてる。

 と、いうわけで傍観を決め込む無音の空間を破ったのは、推定隊長さんだった。


「恐れながら申し上げます」


 殿下達を見上げた推定隊長さんの表情は怒りに彩られていた。

 何と言うか「恐れながら」て言っているけど、殿下達への敬意がちょっと見えないですけど。

 どんだけ国王陛下以外はどうでも良いと思ってるの、この人?


「私は陛下への忠誠を疑われるような事は一切しておりません。此度の事に関しても近衛の職務として国への忠誠故に計画した事。それを殿下達に不当に貶められる謂れは無いと思っております」


 うわぁ、言い切った。

 自白したよ、この人。

 計画したって言い来ちゃった。

 その行為自体がマズイって事にも気づいていないし、この人本当に大丈夫?

 

「自身は職務に忠実である、と? アールホルン殿とキースダーリエ嬢を巻き込む計画を立てておきながら、ですか?」


 ヴァイディーウス様の静かな詰問の言葉は何やら男の琴線に触れたらしい。

 男の表情が更に怒りに染まった。


「そも! ラーズシュタイン家は王家に対して不敬にすぎるのです! 私は当主からして家を笠に着る不当の者だと思っております! 当主は陛下の学友であっただけで宰相の地位にいる分際で、さも対等であるかのように振る舞い、やりたい放題ではないですか!」


 一瞬目の前が真っ白になった。

 それから世界に色が戻ってくるまでの間、私がどんな行動をとっていたのかは分からない。

 分かるのは世界に色と景色が戻って来た時、私はお兄様に手を握られ、タンネルブルクさんとビルーケリッシュさんに肩を抑えられている事だけだった


「お嬢ちゃん、落ち着け!」

「ダーリエ。気持ちはわかるけど、少し落ち着こう。ね?」


 全員の視線が私に集まっているのが分かる。

 けれどそんな事今の私にはどうでも良い事だった。

 今すぐふざけた口を聞いた男を叩き潰したい、それしか考えられなかった。

 今、此処で私を止めるのが最愛のお兄様でなければ。

 私を拘束しているのが高位ランクの冒険者であるタンネルブルクさん達でなければ。

 私は隊長と呼ばれる男を氷漬けにしていたかもしれない。

 今も体中を魔力が渦巻いている。

 精霊が私の指示を待つかのように周囲を舞っている。

 それを止めるだけの理性が戻ってこない。

 ――いっそ、このままやってしまおうか?


「<リーノ! こんなおっさん一人ぶち殺しても意味ねーよ。だから少し落ち着け!>」

「<――貴方の方が物騒な気がするよ、クロイツ?>」


 【念話】でクロイツの大きな声が頭中に響き渡り、私は脳内を直接揺すられたような錯覚に陥る。

 錯覚だと分かっているだけマシとは言え、実際にやられたら昏倒しそうだと思った。

 けど、一瞬だけとはい意識がそれたからか、幾ばくかの理性が戻って来たのが分かった。

 別の事を考える余地が戻って来たのがその証だった。

 私は深く深呼吸をすると魔力を循環させ宥めすかしお兄様に微笑みかけた。

 それだけ通じたらしくお兄様は私の手を離した。

 そんなお兄様の行動を見てタンネルブルクさん達も私の肩から手をどかした。

 

「おっと。貴族のお嬢さんに触れちまって悪かったな」

「いいえ。止めて下さって有難うございます」


 私は其処で跪くと殿下達へ頭を垂れた。


「場を騒がした事、謝罪を致します。誠に申し訳ございませんでした。殿下達のしなければいけない事を遮った罰は如何様にも。どんな処分だろうとお受け致したいと思います」

「いいえ。貴女に罪はありません。家族を不当にけなされ怒らぬ方などいませんから。……こちらこそ申し訳ございません。まさかこの男がここまでおろかだったとは」


 ヴァイディーウス様に許しを得て立ち上がった私は隊長と呼ばれた男を睨みつける。

 怒りはまだ渦巻いている。

 品行方正で手本のような令嬢でいなければいけない理由が今の私には思いつかなかった。

 隊長らしき男は私の魔力に当てられたのか青ざめた顔をしていたが、云った事を撤回する気はないらしく、謝罪の言葉を発する事は無く、再び殿下達に向き直ってしまった。


「<――絶対に後で叩き潰す>」

「<そん時はとめーねから。ただわからねーようにな>」

「<分かった。冷静に確実に仕留めるから大丈夫>」

「<……ま、リーノを怒らせたんだ、自業自得だな>」


 止める気のないクロイツに私は【念話】でお礼を言うと敵とみなした隊長さんらしき男を見据える。

 男はそんな私を気にした様子もなく、むしろ私の弱点を今から暴いてやると言わんばかりの不穏な感情を私に向けていた。

 

「しかも! そこの小娘はあろうことか陛下に対しぞんざいな口を聞き、陛下の温情に胡坐をかき、あのような大それた事を願うなど。親の権力を我がものと勘違いしているとしか思えません! 真正面からではなく搦め手を使い殿下の婚約者の地位に納まろうとしているモノと好を結ぶなど愚かな真似はおやめください!」

「…………はぃ?」


 言われた事にさっきとは別の意味で一瞬頭が真っ白になってしまう。


「<えー、リーノが何時王族に嫁ぎたいなんて言ったんだ? え? 何、オマエ、オージサマと結婚したいのか?>」

「<絶対ごめんですけど!!>」


 声に出さなかったのは奇跡だと思う。

 それぐらい私は混乱していたし、意味が分からなかった。


「<え? 私この世界の言葉が分からなくなった? ねぇ、クロイツ? 私、今『日本語』話してる?>」

「<オマエが非常に混乱してるのは分かったからちょっと落ち着け。大丈夫だ。オマエが喋ってるのはこの世界の言葉だ。オレが話してんのもそうだから聞くのにも何の問題もねーよ。だから落ち着いて周囲を見てみろ?>」


 まだ若干混乱している状態のままクロイツに導かれるまま周囲に視線を巡らせると、正直に言って私の混乱に負けず劣らず混沌とした状態だった。

 お兄様は私がそんな事考えている事はないと分かっているからか、男に呆れた視線を送り、私に心配そうな視線を向けている。

 冒険者コンビの方々は完全に傍観者と化して、むしろ面白い見世物でも始まっているかのように笑ってる。

 男以外のキシサマたちはまぁ半信半疑程度だ。……ただ最初から反応が違う一人、いや二人かな? は少しだけ違う事を考えている様に見えるけど。

 そして何より殿下達は、思い切り呆れた顔で男を見ていた。


「国王陛下への言葉は多分謁見の間でのことだということは分かりますけど、あれはむしろあんな場所に引っ張り出した方が常識知らずだと思いますし、何より陛下が何でも叶えると宣言していましたからね。結局国の利益につながったわけですし、むしろほめられるべき所だと思いますが?」

「言葉使いも今の貴様より余程ていねいでいてふさわしいモノだったと思うがな」

「それで後半の王族に取り入ることを狙っている、に関しては、一体どこをみてそう思ったことやら」

「貴様、それでよく隊長格などやっていられるな」


 あーあ、殿下達に完全に呆れられた。

 ってか本当に何処を見て私が王族に取り入っているように見えたんだろうか?

 あと、よくよく言われた事を思い返して気になったんだけど……。


「殿下達に言い寄った覚えなど全く御座いませんが……そんな事よりも気になるのは、貴方、何故“殿下の”婚約者に収まろうとしているとおっしゃいましたの?」


 誰もが私の言葉に疑問を浮かべていた。

 そんな中、最初に気づいたのは案の定と言うか、やっぱり思考に似た所があるのかヴァイディーウス様だった。

 多分結論まで同じ所にたどり着いたと思われるヴァイディーウス様がうっそりと物騒に微笑む。


「そういうことですか。……どうして私とロアと言った継承権を持つ人間は二人いるのに“殿下”などと一人をさししめすような言葉使いをしたのですか? 私達も驚いたことではありますが、立太子の儀はまだなされていません。つまり現時点では私とロアのどちらが国王となるか決まっていないということです。……そなたの言い分では彼女がなりたいのは「王妃」なのでしょう? ならば今の状態ならば私とロアの両方に言い寄ると思うますが?」

「ああ、そういうことですか。……確かに俺もそう思うが? キースダーリエ嬢はかしこい。もし本当に次期王妃になりたいのならば、俺と兄上の両方に平等に取り入るぐらいのことはできるだろうからな。次期国王をさして一人と言うのには少しばかりおかしくはないか?」

「年不相応に搦め手を使う悪女と思い込んでいるならば余計に、そなたの言葉は矛盾しているようですが?」


 殿下達の言葉に隊長らしく男は段々青ざめ、そして周囲の人間は怪訝そうな、それでいて不審感を持った眼差しで男を見ている。


「<キシサマ達に関しては今更ですし、私の中では微妙に同類扱いなわけですけどね>」

「<それこそ自業自得だろ。けど、確かにあのおっさんだけは飛びぬけておかしーな>」

 

 内心他の方々を冷ややかにみつつ、クロイツの言葉を吟味する。


「<確かに、そうだね。……幾ら陛下に心酔していたとしても、まるで洗脳でもされてるみたい>」

「<元が脳筋っぽいし、どっかでせんのーされたんじゃね?>」

「<だとしたら滑稽な事だけどね。近衛ともあろうものが洗脳されるなんて>」


 推測の話とは言え、有り得ないと思ってしまった時点で隊長らしい男の質が分かるというモノだ。

 

「貴方はラーズシュタイン家が気に入らない。そして私達のどちらかが気に入らない。だから共に試してやろうと思いましたか? ――不相応なのはどちらなのか、分かりませんか?」

「俺でもわかることだな。――そなた近衛どころか騎士として失格なのではないか?」


 冷ややかなヴァイディーウス様の言葉と心底呆れたようなロアベーツィア様の言葉に男は遂に耐えられなくなったらしい。

 立ち上がり、睨んだのは……ちょっと意外にもロアベーツィア様だった。


「貴様に失格などと言われる筋合いはない! 陛下に寄生し苦しめ続けた人形女の息子が! 貴様などに遜るつもりはない! 私が認める次代はヴァイディーウス様だけだ!」


 男の完全な不敬の言葉に周囲の騎士サマ達がざわつき、男を拘束しようと動き出す。

 うん、色々遅いと思うけどね。

 ヴァイディーウス様はどうやら認められないのは自分だと思っていたらしく、矛先がロアベーツィア様である事に驚いてる様子だった。

 そして矛先を向けられたロアベーツィア様だけど……なおも呆れた様子で男を見ていた。


「<あんまどーよーしてねーな。意外と言えば意外だな。もしかしてあのオージサマ、気づいてたのかね? 自分が認められてねーって>」

「<……そうかもね? 向けられている感情に対しては聡い所があるようだし>」


 陰謀渦巻く王宮において、向けられる言葉を選別し敵味方を判別し、曖昧な部分を曖昧なまま振り切れないように立ち回る。

 それは多分感情に聡く無ければ出来ない事だ。

 『ゲーム』の第二王子様はそこら辺が出来ていたとは思えなかったけど、ロアベーツィア様なら問題は無いのだろう。

 感情を吟味し上手く立ち回る良きお手本が間近にいるのだから。……まぁお手本と同じになられると、それはそれで怖いモノがあるけど。


「何故あの女の息子が陛下と同じ貴色を纏っているのだ!」


 そこから続く男の言葉はもはや言いがかりとしか言いようがない言葉の数々だった。

 どうやらこの男、国王陛下に心酔しているのは事実だったらしく、陛下が元王妃に心を開いていない事にはすぐに気が付いたらしい。

 むしろ嫌悪すらしている事に気づいてたらしいから「ならばどうしてもっと抵抗せず、王妃として迎えたのか?」と疑問に思うのは仕方の無い事かもしれない。

 それなりの家の出である男は元王妃がその地位に半ば強引に収まった事も知っているし、その先、陛下が本当は元王妃を憎んでいる事もその原因にも行き当たってしまった。

 男が陛下を害する事しか出来ない害悪として元王妃をみなすには充分だったのだ。

 それでも近衛として国や陛下への忠誠は本物であり、害悪だとしても証拠なく元王妃を排除する事は出来ない。

 後、お父様は宰相でありながら陛下の苦悩に気づいていないと思い込んでいる。

 実際陛下とお父様は共犯者や協力者ともいえる関係なんだけど、元王妃の実家を派閥に入れている事で陛下の事を分かっていないと判断したらしい。

 

 ここで鼻で笑ってしまったけど、まぁお兄様以外には気づかれていないから勘弁してもらおう。


 男は勝手に苦悩した。

 このままではにっくき女の息子が次代の王になってしまう。

 どうやら気狂いと呼ばれようとも元王妃とロアベーツィア様を弑する程思い詰めていた、らしい。


 此処で周囲の騎士サマ達に一瞬同情の念が浮かんだけど、私にしてみれば陛下はロアベーツィア様を自分の息子として愛しているようにしか見えない。

 だと言うのに、そんな愛息子の一人を殺されて感謝するはずもないのに、それで陛下の御心に沿っていると豪語するとは全く以て失笑モノだ。


 苦悩し続けた男にとっての一筋の光明は王妃の失脚だった。


 その切欠が私である事は知っていても妙に都合よくなかった事になっているけど、それはまぁいい。

 こんな男に感謝されても嬉しくもなんともないのだから。


 男はこれで陛下を苦しめる害悪である元王妃もその血を引くロアベーツィア様も排除されると歓喜した。

 けど、男の予想は半分当たって半分外れてしまった。

 王妃は確かに【塔】へと生涯幽閉される事となった。

 もしかしたらその内国民には病死と発表される可能性もある。

 それは貴族社会では然程珍しい話じゃない……あまり聞いていて気持ちの良い話でもないけど。

 王妃の処遇に満足した男にとって残りの問題はロアベーツィア様はなおも継承権を持ったまま王族として残る事だった。

 陛下を苦しめた害悪の血を引く憎い子供がどうしてこのまま王族に、しかも次期国王となる可能性さえあるのか。

 男には陛下が元王妃の血を引いていようと愛したという事実に気づかない。……都合の悪い事だから見ない振りをしている可能性もあるけれど。

 苦悩した末最終的に男はそれを【光の愛し子】であるからだと思い込んだのだ。

 だからこその「どうして貴様が陛下と同じ貴色を纏っているのだ!」に繋がった、らしい。


 男は自分の主張を声高々に陶酔すらした面持で語っているけど、聞かされる方にとっては雑音でしかない見苦しいモノとしか思えなかった。


「<……バカバカしい。どうして私達はご丁寧にも男の妄想を長々と聞いてあげなければいけないのかなぁ?>」

「<ってか冒険者コンビに聞かせていい話なのか?>」

「<あー、此処まで来ると完全に巻き込んだ方がいいと思う。タンネルブルクさん達は愚かじゃないから此処まで赤裸々に内情を知れば、逆に口を噤んでくれると思うし>」


 機密事項を半端に知ってしまった方が怖いと判断しているからこそ彼等はこの場から離れなかったんじゃないかな。

 タンネルブルクさんはともかくビルーケリッシュさんは凄く嫌な顔してるけどね。

 仕方ないよね、無駄な秘密を抱え込む羽目になったんだし。


 男の独りよがりな演説は止まらない。

 私はその姿にふと元王妃の姿が重なった気がした。


「(種類違えど“愛”を盲目的に向け、理想を押し付け偶像を崇拝する。狂信者染みて見えるのはその頑な姿のせいかな?)」


 どうもこんな輩が一人二人ではすまない気がしなくもない。

 こんなのになりかねない予備軍を抱えている国王陛下は大変だなぁと思ってしまう。

 どうやらディルアマート王国は表面上は問題の無い国のようだけど、内面はそうとも言い切れないらしい。

 理由が悲しいというか、むしろコレ国民性じゃないよね? などと考えると恐ろしい事になるけど、とりあえずそこら辺は横に置いておこう。

 ともかく、次代に課せられたのは、こういった頭の可笑しい連中の手綱を握る事か、上手く掌で転がす事か。

 どっちにしろ面倒くさい事この上ないと、まず思ってしまう私は国の上層部に居るには不適格なんだろう。

 別にそういった意味での野心は無いから問題ないけど。


「ヴァイディーウス様! 貴方様は次期国王として完璧な王妃を迎え国を導かなければならないのです! そこの奸計を巡らせ、王妃の座につこうと目論む女狐に騙されてはいけません! そしてあの女の血を引く者など弟などには慈悲を与えず切り捨ててしまうべきなのです!」


 自分の言い分が絶対だと、通らないはずがないと考えている所は高位貴族にそれなりにみられる傲慢さが滲み出ていた。


「(ただ、殿下達に通じるとは思えないんだけどね)」


 だって、ロアベーツィア様はともかくヴァイディーウス様は既に視線だけで相手を殺せそうな程冷ややかで恐ろしい事になってるし。

 冷ややかな双眸は相手を永久の氷に閉じ込めてしまうのではないかと思う程に鋭く強い。

 さっきの私程ではないけど魔力が体中を巡っているようにも見える。

 つまり感情を抑える事を学び実践しているヴァイディーウス様がそれを抑えられない程激怒しているのだ。


「<へぇ。さっきの私ってあんな感じだったんだ>」

「<オマエ、暢気だな。このまんまだと獲物もってかれるぜ?>」


 クロイツの揶揄う言葉に私は内心苦笑する。


「<未だに怒ってはいるよ? 潰してやろうとも思ったけどさ。……なんか其処までの価値ないんじゃない? とか思えて来たんだよねぇ。まぁ何か機会があれば遠慮なく叩き潰すけど、今は殿下達に任せていいんじゃなかな、と思ってるかな?>」

「<……相変わらずだな、オマエ。あのタイチョーさんもこれでリーノの中では忘却の中って事か>」

 

 暗に過去の敵対した相手……自称婚約者や侍女さんとか? の事を言われて私はこっそり肩を竦める。

 

「<クロイツ、今回は少し違うと思うよ。――そもそも最初から顔を覚える気がなかったんだからさ>」


 初対面の時から近衛の一部隊の隊長という記号でしか認識してないから顔を覚える以前の話なのだ。

 どうせこの旅だけの付き合いだから、と思ってたけど、現状をみる限り私的には大正解の行動だったようだ。


 そんな感じで私も微妙に対象に入っている事を理解しつつ半分傍観者の気持ちで私は男の末路を見届ける事になったのである。

 そろそろ殿下達のターンだしね。


「言いたい事はそれだけですか?」


 気分よく口上を述べていた男はヴァイディーウス様の絶対零度の声音に、ようやく自分が何らかの地雷を踏んだ事に気づいたらしい。

 だとしても「何が」地雷なのか気づいていない所、完全にアウトだけどね。


「次代に相応しい伴侶を? 血筋にこだわりロアを切り捨てろ? ――何時からそなたは私達王族に指図できる身分になったのでしょうね?」

「そ、そんなつもりは! 私はただ次代であらせられるヴァイディーウス様が騙されている御姿が痛ましく、懇願した次第で」

「確かに次期国王を支える事の出来る素晴らしい方と出会えるのあれば幸いでしょう。血筋にこだわることも完全に否定する気はありません。私達は血筋があるからこそ王族として教育されているのですから」


 ヴァイディーウス様の言葉に男が喜びの表情を浮かべる。

 浅はかにも自分の言い分を全面的に受け入れてくれたと思ったらしい。


「(うわぁ、絶対零度の眼差しで言われてるのに、そこで喜んじゃうとか単純通りこしてヤバイ人なんじゃ?)」


 いや、今更か。

 どこをどうとってもヤバイ人だったね、あの推定隊長さん。


「ですが。そのようなことそなたに言われずとも分かっています。――私達は自身で確かめる目も考える頭もあるのですから」


 男がそこで更に何かを言い募ろうとする。

 が、ヴァイディーウス様の冷ややかな視線に押し留まる。

 ようやく、と言うべきか、ヴァイディーウス様が相当怒っている事をようやく悟ったらしい。

 遅すぎて呆れるしかないけど。


「そなたはキースダーリエ嬢のことやその父君である宰相殿についてどれだけ知っているのですか? ロアが母君とのことでどれだけ悩み、どれだけ悲しみ、どれだけ心に傷をおったか知っているのですか? ――そなたが忠誠を捧げる父上がどれだけロアを愛しキースダーリエ嬢や宰相殿に感謝しているのか、気づかなかったのですか?」


 「あれだけ陛下の事ならば分かると豪語していたのに?」と冷たく言い放つヴァイディーウス様の言葉に男は驚き目を見張った。

 そこで驚くという事は、男にとってはそんな事知る必要もない事だったのだろう。

 男にとって父上は学友であった縁を使い擦り寄って地位を得た無能者であり、私はヴァイディーウス様に擦り寄る女狐、そしてロアベーツィア様は王妃と思想と共にし切り捨てるべき害悪。

 それが男にとっての事実であり全てなのだ、きっと。

 だからヴァイディーウス様に言われても考える事はきっとないだろうし我が身を振り返る事もしないだろう。


「(この男はもうダメだ。越えちゃいけない一線を越えてしまっている。……そんな人間は決して非を認め考えを改める事は無い)」


 ヴァイディーウス様もそう思ったのか、ため息を一つつくと周囲の騎士に男の拘束を指示する。

 暴れ喚く男を拘束した騎士サマ達。

 けど多勢に無勢だ。

 隊長格の力量があれど、男はあっという間に拘束された。

 それでも口には何の拘束もされていないから先程から気分の悪くなる罵倒を並べ立てている。


「そなたには何を言っても無駄でしょうから、もはや言葉を尽くす事はしません。ですが最後に……ロアは愛しい弟であり宰相殿は色々教わった師です。そして……――」


 そこでヴァイディーウス様は私の方を向いた。


「――……キースダーリエ嬢は命の恩人であり、私にとって共に語らう事に安らぎを覚える大切な方なのです」


 ヴァイディーウス様に私の思考は一時的に停止した。

 再起動するまで息も止まっていたかもしれない……多分、大丈夫だと思うけど。


「<え? どうして其処まで好感度高いんです? 私結構言いたい放題しましたよね? いやまぁ友人と思っていただけるのは光栄ですけど?>」


 思わず【念話】で混乱しまくった内面を吐き出してしまう。

 けれど、何故かクロイツからの返答は無くて、ヴァイディーウス様も固まった私に苦笑を残すと再び男を冷めた目で見下ろした。

 混乱したままではだめだと何とか立て直したけど、一部分は混乱したままなんですが、誰か助けてくれませんかね? ……ああ、はい、無理ですよね、自分で頑張ります。


「私の思考を否定し、自身の理想を押し付けるそなたのようなやからを私は必要としていません。――私にとって害悪はそなただ」


 ヴァイディーウス様の最後通牒に男は息が止まったかのように凍り付く。

 そのまま死んでも誰も困らない気がするけど、別に本当に息が止まったわけでもなく凍り付いたわけでもなから、男がそのまま倒れる事はなかった。

 思考は完全に停止してるし、まぁプライドは結構ボロボロだと思うけどね。


「(ただ、残念な事にトドメは国王陛下にしかできないだろうなぁ、きっと)」


 本当に残念な事に私が此処で追い打ちをかけても焼け石に水だろう。

 何度も言うけど本当に残念だ。

 心底残念だと考えている私を他所に今までのヴァイディーウス様の裁定を黙って見ていたロアベーツィア様はヴァイディーウス様の「愛しい弟」という言葉にはとても嬉しそうな顔をしていたけれど、すぐに表情を引き締めると周囲を見回した。

 その覚悟を秘めた姿に彼等の父である国王陛下を重ねた人間は何人いるだろうか?

 少なくとも一人や二人じゃすまないと私は見ていて思った。


「わたしがそなたたちにとって、罪人の血を引く子であるという認識をわたしがあらためるつもりはない。血のつながりは決して消すことのできないモノだからな」


 ロアベーツィア様の言葉に誰もが神妙な表情になる。


「だがわたしはそれすらも背負い生きていく覚悟をきめたのだ。……次代の王がわたしになるか兄上になるかは分からない。陛下は決めていないと明言なさったからな。だが、どちらにしろ王族として生き死ぬことは決まっているだろう。だからわたしはわたしにかせられたモノ全てを背負い、私を認めぬ者にも何時の日か王族に相応しい者と言わせてみせる」


 そこでニィと笑ったロアベーツィア様は声高々に宣言する。


「陛下である父上から受け継がれたディルアマート王国の血にかけて、私は王国に恥じぬ王族となってみせる!」


 覇気すら纏うロアベーツィア様の宣言に騎士サマ達が誰に促される事なく自然と跪き頭を垂れていく。

 私とお兄様もひざを折り頭を垂れる。

 この姿をして誰が咎人の子と罵るのだろうか?

 彼は内面すらも国王陛下に似ているというのに。

 ロアベーツィア様の次代としての誇りと覚悟に再度の敬意をしめした。

 過去に見た片鱗は決して間違いでは無かったのだと。


 その時、私は頭の中でピリと何かが走った気がした。

 それは予感だった。

 襲撃される前よりも遥かに小さい。

 気のせいと思ってしまう程小さな予感。

 だが、決して見逃してはいけない……それはまさに精霊達からの警告だった。


「誰かその男の口を塞ぎなさい! 自決しようとしているわ!」


 精霊からの警告に顔を上げた私が見たのは、拘束されている男が何処か魅入る様にロアベーツィア様を見ていて、だが直ぐに我に返り自分の何かが崩壊する事に恐怖する姿への変遷だった。

 男は恐怖に後押しされるように拘束された手でもがき、それが解けぬと判断した途端、大きく口開けたのだ。

 その時、私は直感的に思ったのだ……男が死を選ぼうとしている、と。

 後は無意識に叫んでいた「男の口を塞げ」と。


 命令口調であった事を咎められる事無く、全員の意識が男に向き、そして男を拘束していた騎士サマ達は男の大きく開けた口に布を突っ込むと再び地面に叩きつけた。

 男が本当に自決しようとしていたかは、息苦しさ以外で悔し気な表情で私を睨みつけているだけで証拠には充分だろう。

 私は男の暴挙を止められた事に安堵しつつ、立ち上がると殿下達に近づく。

 と、言うよりも結果的に命令してしまった騎士サマ達に用事があるんだけどね。


「騎士様方。分も弁えずに命令をしてしまい申し訳ございません。それでも指示を聞き入れて下さって有難うございます」


 私が軽く頭を下げ謝罪すると騎士サマ達は面白いくらい混乱した様子で「いえ、気にしないでください? あ、いや。違いますね。貴女様は公爵家の人間ですので間違った行動はとっていませんから。此方こそ知らせて頂きありがとうございます」と思い切り素での反応を返された。

 あまりの混乱にロアベーツィア様とヴァイディーウス様も笑っているし、お兄様も口元が緩んでいる。

 冒険者コンビ? ……器用に声を出さないで大爆笑してますよ?


「キースダーリエ嬢、助かった」

「いえ。此方こそ誇り高き近衛の騎士様方に無礼にも指示を出した事を謝罪致します」

「とっさであったし、キースダーリエ嬢の行動はまちがってない。気にしなくていい」

「有難う御座います」


 こんなやりとりも気に入らないのか男が私を睨む目に籠る感情が強くなる。

 はっきり言って、この程度で擦り寄っているとか言っているのなら、礼儀作法を一から学びなおした方が良いと思う。

 男の不快な感情に気づいたのかヴァイディーウス様が深くため息をついた。


「すみません。このようなやからが混ざり込んでいたとは」

「いいえ。世の中には宮廷で囀る鳥達の戯言を真に受ける素直な方もいるのだと勉強になりましたわ。この年で奸計を巡らす女狐扱いされるなんて絶対にありえない経験もさせて頂きましたし、今後の参考にさせて頂きたいくらいですわ」


 思い切り嫌味しか言っていないのだけれど、どうやら男には一切通じなかったらしい。

 痛烈すぎて殿下達ですら苦笑するしか出来ないし騎士サマ達も本当に私が言ったのかと密かに二度見するくらいなのに。


「<この男、実は脳に問題を抱えてない?>」

「<実は貴族の出って嘘なんじゃねぇ?>」


 おや? クロイツはダンマリ期間終了なのかな?

 まぁそれは兎も角、此処まで通じないと私もそれを疑いたくなる。

 けど、自分で貴族の出だと言っていたし、陛下達の例の件の真相に届いている以上、平民ではないとは思うんだけど。

 ヴァイディーウス様も似たような事を考えたのか男を見る目に蔑みが混じり、深くため息をついた。


「キースダーリエ嬢、すみません。貴族としてはありえないのはわかっているのですが、通じていないようです」

「そうみたいでございますわね。――直截的な言葉になる無礼をお許し下さい」

「許す。いや、こちらこそ申し訳ない」


 ロアベーツィア様に本当にすまなさそうに言われて私は苦笑すると、直ぐに表情を消すと、冷ややかに男を見下ろした。


「どうやら貴族にあるまじき低能のようですので、分かりやすく言わせて頂きますわね? ――ある事だろうと無い事だろうと噂を流す事を趣味となさっている方々の言っている事を全て鵜呑みするお馬鹿さんがこの世に居るとは思いませんでしたわ。今後出る事も無いでしょうけど、話のタネにはなりそうですわね?」

「っ!?!」


 流石に此処まではっきり言えば分かったらしく、男が反論しようともがく。

 騎士サマ達が離すはずもないから拘束が緩む事はないけど。


「そもそもワタクシの年齢で擦り寄り、王族を陥れる策を巡らせる女狐扱いするなど、本気で言う方がいるとは思いませんでしたわ。王城でさえ、ありえない事を前提に噂の一つとして楽しんでいらっしゃったのに。貴族としての教育を受けているのに何処までも残念な方ですのね。本当に有り得ない経験をさせて頂きましたわ。今後貴方様以上の愚か者など出ないでしょうけど、最底辺をみせて頂き有難う御座います」


 冷ややかに微笑み見下ろす私に男は何を考えたのだろうか?

 分からないけど、拘束している騎士サマ達は青ざめていたから、普通じゃないのは確かだろう。

 いつの間にか耐性が出来ているのか殿下達は平然となさっていたけど。

 言いたい事を言った私は無表情に戻ると再び殿下達に頭を下げた。


「淑女らしかぬ姿をさらしてお恥ずかしい限りですわ。できればこの事はご内密にお願いいたします」

「こちらこそ、不躾なことを頼みましたね。ありがとうございます。……この愚物には二度とまみえることはないと思いますが、良いですか?」


 言い足りないなら、もっといっとけ、と?


「<このオージサマ相当怒ってね?>」

「<私もそう思う>」


 私もびっくりの怒り具合だよ。

 まぁ愛しの弟をあそこまで貶められればねぇ。

 ヴァイディーウス様も相当ブラコンみたい。


「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫ですわ。――ワタクシ、時間の無駄は省きたい性分ですの」


 後は、陛下にトドメを刺されて再起不能になってしまえば良い。

 地べたに這いずっている姿を見て多少の留飲も下がったし、後は詳細をお父様に報告してお任せしましょう。

 そんな気持ちで微笑むと騎士サマ達が更に少し青ざめたような?


「<え? 別に今は威圧してないけど?>」

「<あーまぁ――オマエは相変わらずイイ性格してるって話だよ>」


 クロイツの言葉に内心首を傾げるが、今更性格の事を言われてもどうしようもないんだけどなぁ。


「<『わたし』も【ワタクシ】も根幹は同じ性格なんだからどうしようもないわよ。――それが「私」なんだからさ>」


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