第148話・友として、親として、施政者として




 王城の一室、国王であるコートアストーネのプライベートな空間で男が二人静かに杯を重ねていた。

 ワインを静かに傾ける二人の間に言葉はない。

 だが、何かを悼むような、それでいて何かを祝うような不思議な空間は静かだが、決して悪いモノでは無かった。


「まさか、こんな早く献杯を、そして祝杯を挙げる日が来るとはな」


 男の一人、この部屋の持ち主であるコートアストーネは口元に微笑を浮かべ、だが眼には憂いが浮かんでいる。

 この状況を心から楽しんでいる訳では無い。

 だが、それでも一つの区切りに対して安堵と喜びがある事は隠せないのだ。


「シュティンヒパルとツィトーネには断れてしまったけどね」


 王を一人で相手していたオーヴェシュタインは優し気な顔立ちに苦笑を浮かべてコートアストーネの酌を受ける。

 それに口を付けながらも目元には哀しみと柔らかな喜びが浮かんでいる。

 まさに今、二人はある人達へと一区切りの報告として献杯をし、同時に一区切りがついた事への祝杯を挙げているのだ。


 国王であるコートアストーネ、宰相であるオーヴェシュタイン、そしてその妻であるカトランシラーヤ。

 それに先程名が出たシュティンヒパルとツィトーネは学生時代、共に学ぶ仲間として、それ以上の友として彼等は数多の出来事を共に駆け抜けた。

 懐かしむ過去もこれからへの期待もある。

 それでも彼等はその出来事を思い出すたびに喜び、懐かしみだけはない感情も共に浮かぶのだ。

 本来なら此処にもう二人居るはずだった。

 二人も含めて彼等の青春時代は鮮やかに彩られているのだ。

 

 コートアストーネの第一側妃であった、彼の唯一愛している人であるカトゥークス。

 ツィトーネが愛している、共に冒険者として生きようとしていたキルシュバリューテ。

  

 二人の女性はある女の策略と女の持つ権威の前にその命の花を散らしてしまった。

 青春時代を駆け抜け友情が築かれ、愛情が芽生え、そして、これからの未来を姦しくも楽しく語り合った日々。

 彼等はそれを決して忘れる事は無いし、今後も胸に大事にしまっておく事だろう。

 自分達が至らなかったが故に失ってしまった愛している人達の姿と共に。


「この状態じゃカトランシラーヤも来れないだろうしな」

「来させられないよね。これで又不愉快な噂が出たらたまったものじゃないし」

「あーあれはなぁ。……友人の家にくらい自由に行かせろって話なんだがなぁ」


 過去にあった不愉快な噂。

 それは国王であるコートアストーネと宰相の妻であるカトランシラーヤの不義密通の噂であった。

 父親であるオーヴェシュタインに似ている長男は特に疑われる事は無かったが、娘であるキースダーリエは【闇の愛し子】として親の持つ色彩を持ち合わせていない。

 故に彼女の本当の父親は国王なのではないかと言う不愉快な噂が一時期王宮に蔓延したのだ。

 【愛し子】を親に持つと子も【愛し子】が生まれやすい、という根拠のない噂も相まって王宮で一時期暗黙の了解として本当の話になりかけた。

 王宮の無責任な囀りを最初から好んではいなかったコートアストーネだったが、その件に関しては本気で不快であり、それを隠さなかった。

 今もだが、即位当時のまだ若造と思われていたがために、そんな彼の主張はあまり意味は無かったのだが。

 不快な噂に禁止令でも出そうしたコートアストーネを止めたのはオーヴェシュタインだった。

 勿論、不快な噂を見逃すオーヴェシュタインではない。

 ただ自らの手で噂を打ち消すために、そして若いが故にコートアストーネが暴君と罵られないために彼はあえてコートアストーネを諫め、自ら噂の鎮静化を図ったのだ。

 あっという間に噂は沈静化したのだが、さて一体どんな手を使った事やら。

 この件によって事実を知るモノの中ではオーヴェシュタインという人間の有能さと恐ろしさが囁かれている、と言えばその方法のえげつなさは分かるかもしれないが。

 

「妻であるラーヤは勿論の事、コートアストーネにも失礼なだけな噂だったからね」

「部下、しかも親友の妻を寝取る程好色男だと思われるのは不愉快だな、確かに」

「そんな噂を鵜呑みにして自分の娘を進める浅はかな者が増えるのもいただけないしね」

「だからまぁ、方法はともかく噂が沈静化したのは良かったんだがなぁ。……未だにオマエ、その件で恐れられてないか?」


 問いかけにニッコリと微笑み肯定も否定もしなかったオーヴェシュタインにコートアストーネは内心ため息をつく。

 噂を鵜呑みにしたアホ共に一体どんな手を使ったか、コートアストーネは詳しくは知らない。

 学生時代の容赦のない手腕を傍に見て来たからある程度の予測は付くが、それ故に詳しく聞こうとは思わない。

 ただ彼がそうした理由が分かっていれば良いのだ。

 決してその矛先が自分に向く事がないと分かっていれば、それで。


「(友人である、という理由を抜きにしても俺が良き王である内はコイツが俺と本当の意味で敵対する事は無いからな)」


 それは此度、約束の一区切りがついた状態でも変わりはない。

 コートアストーネはオーヴェシュタインを、ひいてはラーズシュタイン家を約束で縛る事は無い。

 その必要が無いのだ。

 ラーズシュタインはそういう家なのだ。

 過去を遡れば国王の友であった錬金術師が叙勲を受け興した、ディルアマート国、最古参の貴族。

 彼等は権力に阿る事無く、ただ国の在り方と国王の在り方によって傍に居続ける異質ともいえる貴族。

 ラーズシュタイン家には変わり者が多いのではない。

 成り立ちからして普通の貴族とは違うからこそ他の貴族から変わり者が多いとみられているのだ。


「(ラーズシュタインが国を離れた時、それはディルアマート国の国王が見限られた時)」


 代々国王として伝えられている秘密の口伝だ。

 だからと言って無理につなぎとめようとすれば、それこそラーズシュタインの家の者は国王を見限り、この国から出ていく、とされている。

 国の存亡に深く関わるとされている自由でありながら、誰よりも民と国王に尽くす古参の貴族。

 それがラーズシュタインという家である。

 今となってはラーズシュタイン家が無くとも国は成り立つ。

 たとえラーズシュタイン家が王国を見限り帝国に行ったとしてもディルアマート国が亡ぶ事は無いだろう、と思われる。

 だが、それでも口伝を知り、ラーズシュタイン家の本当の興りを知りながら、オーヴェシュタイン、他ラーズシュタイン家の者を見ていると分かる事がある。

 彼等が権威に興味が無く、ただ自分の中にある信念や思いを軸に動き、それ故の中傷など一切気にしていない。

 自由でありながらも国のため、認め頭を垂れた国王のために動く真の貴族としての姿。

 多分、これこそが本当の貴族の在り方であり、その気質を代々受け続くからこそラーズシュタイン家は途絶える事は無く、ラーズシュタイン家に見限られた時、国は滅ぶ、なんて口伝が残されたのだろう。


「(オーヴェとて、俺が悪しき王になった時は俺を見限り、友として自身の手で始末をつけると言いかねない。その場合パルとツィーもオーヴェにつくだろう)」


 その時をコートアストーネは想像してみる。

 気狂いとなり、もはや王とも言えぬ「何か」になった自分を友として臣下として討つためにやってくるかつての友たち。

 炎と血に塗れた玉座に一人座る、かつて、王と呼ばれた残骸ともいえる自分。

 そんな王の残骸となった自分が討たれる直前に見る姿は泣きそうなかつての友の姿か、それともそれでも愛する事を辞める事は出来なかった愛しい女性の姿か。


「(どちらにしろ、それは気狂いにはもったいない程の幸福な最期かもしれないな)」

「コートアストーネ? 貴方、何やら不穏な事を考えていませんか?」

「いや……有り得ない未来を夢想していただけだ」

「そうですか?」


 じっとコートアストーネを見つめるオーヴェシュタインの青い眸に彼は苦笑して手を振る。

 読心の術など無いはずなのに、心を見透かしてくるような彼の眼に見つめられ続けるには少々物騒な想像だったのだ。

 流石に知られてはバツが悪いコートアストーネは誤魔化す様に再び空になったオーヴェシュタインの杯にワインを注いだ。


「……一応誤魔化されてあげますよ。貴方の考えているような事にはならないと思いますけどね」

「一体何処まで読まれている事やら。恐ろしい事だ」


 いつの間にか心を読むスキルでも習得していてもおかしくはないと思わせるのがオーヴェシュタインという男だった。

 彼は生粋のラーズシュタイン家の人間だ。

 それ故に周囲には変わり者と呼ばれ、それでも自己を通しぬく強かさを持ち、それを綺麗に隠してしまう狡猾さも持ち合わせる。

 敵に回せばこれほど恐ろしい男もそうそういないだろう。

 そんな男に見限られないように自分の信条に素直でいようとコートアストーネは常々に思っている。

 自分が道を踏み外した時、彼等は必ず自分を正してくれる。

 だがそれに甘えず、自身を律し、民のための王であろう、あの語り合った青臭い理想のままの王に。

 そうする事で彼は未だに愛している彼女への餞としているのだ。

 オーヴェシュタインはそんな決意を新たにするコートアストーネを見て僅かに微笑む。

 考えている事は大体予想がついている。

 あんな風に決意を何かに捧げるように強い意志を宿す眸をオーヴェシュタインは何度も見かけている。

 その思いを向ける相手も想像がついていた。

 だからこそ言い切れるのだ、その思いが消えない限りコートアストーネは愚王とはならないだろう、と。

 コートアストーネ自身だけがその事に気づいていない。

 彼は決して愚王となる事は無いだろう。

 その事が彼と友となり共に国を守っていく事が出来るオーヴェシュタインにとっての誇りだった。

 機嫌のよくなったオーヴェシュタインを見て少々不思議に思うコートアストーネだったが、特に追及される事もないので自身もワインを煽る。

 楽し気にワインを飲むオーヴェシュタインを横目にコートアストーネはふと、我が子達の事を思い出した。

 

「(国と民と国王に寄り添う初代王の友であったとされるラーズシュタイン家の祖。その彼の血を継ぎし同じ志を持つ子孫達。……さて、俺の子供達はラーズシュタイン家の子供に見初められるのだろうか?)」


 二人の我が子を思い浮かべ苦笑するコートアストーネ。

 何もかもが違う子供二人はそれでもコートアストーネにとっては可愛い我が子であった。――たとえ、片方の子の母親に殺意にも似た憎悪を抱いていようとも。


「正妃……もう元正妃になるのかな? 彼女との間に子をもうける事は絶対だった。とは言え、其処で君が多少絆される事が心配されていたんだけどね」

「心配は仕方ないがな。パルやツィーにもそれと無く釘を刺された。とは言え、俺にとっては心外としか言いようがないんだが?」


 恋人を殺されたツィトーネと学生時代からあの女を毛嫌いしていたシュティンヒパルがそう心配するのも仕方ないの無い事だとコートアストーネも理解はしている。

 故にその口調も何処か拗ねている程度のモノしか含まれていない。

 本気の抗議ではない事は分かっているのかオーヴェシュタインも笑ってあしらう。


 どんな手を使ったのか、正妃の座にいつの間にか座っていたあの女はコートアストーネも含めた全員にとって仇ともいえる存在だ。

 たとえ表向きで言われていたような実家の操り人形だったとしても、操り糸を切る機会を自ら手放した相手に対して容赦をしてやる必要は無かった。

 それが事実ではないと分かった今は手心を加える気さえ失せていた。

 たとえあの女の根底にあったのがコートアストーネへの慕情だとしても、彼には愛する人が居る。

 その愛する人と、仲間の愛している人を殺めた時点で彼にはあの女に対する情など抱きようが無かったのだ。


「方向性はさておき強い情を抱いていた事は事実だからね。そこに多少絆される可能性をシュティンヒパル達は心配したんだね。彼等は僕達ほど君と会えていなかったから」

「ほぉ? ならアイツ等よりも俺と接する機会のあったオマエはそうは思わなかったと?」


 何処か面白がるような表情のコートアストーネにオーヴェシュタインも苦笑を返す。


「公式の場では献身的な正妃様をきづかう素晴らしい国王様だったよ。ただ、その目には何の温度も無かったけどね。あれは鋭い人間にはバレていただろうね。国王夫婦の間には情の繋がりは無いのだと。何を考えていたのか彼女も公式の場で君に対する何かしらの情を抑え込んでいたようだし、ね」

「怒りや恨みが宿って無ければ上等だ。特にカトゥークスが死んでからは自分の中の激情を抑える事に苦心していたからな」

「基本的に激情家で行動する事を好む君にしては頑張っていたと思うよ。……それを身近で見ていた身としては君が彼女を許す事は絶対に無いと確信が出来たからね。シュティンヒパル達のように心配はしなかったさ。……最初の頃はともかくね?」

「だろうな。アイツ等は会うたびに心配そうに不安そうに見て来たからなぁ」

「多分、君が子を子として可愛がっているのも多少の心配の元だったんだろうね。……子を可愛がっているだけと分かっていても多少の複雑さはあっただろうしね」

「あー。それを言われれば仕方ないな」


 元正妃とコートアストーネの間には子が一人いる。

 国王と正妃の間に生まれた正統なる継承権を持つ男子である。

 父親であるコートアストーネと同じく【光の愛し子】としての色彩を纏い、父親に顔立ちも似た子は正妃の子故に兄が居るにも拘わらず次期国王として囁かされていた。

 今回の正妃と正妃の実家の起こした事件によりそれも白紙に戻ったとされているがコートアストーネにしてみればその噂こそ片腹痛い。

 彼は元々何方が次期国王になるかなど公言していない。

 全ては宮廷の雀達が勝手に囀っていた事でしかないのだ。


「母親は母親だが子には罪は無い。……と、言いきれればよかったんだが、実は少しばかり違う」

「おや? そうなのかい?」

「ああ。父親としては情けない限りだがロアがあの女に内情が似ていた、またはあの女の思想に染まっていればここまで可愛がっていた自信はない」

「……そっか。そう言えばロアベーツィア殿下は実母である元正妃と反目しあっていたね。何時の頃かは分からないけど。それで兄殿下にベッタリだったから、思想も兄に似る事はあっても元王妃に染まる隙は無かったのだろうね、きっと」


 「可愛らしい兄弟だよね」と笑うオーヴェシュタインにコートアストーネは「だろう?」と返す。

 実母と反目し、兄を素直に慕い父に憧れる少年であるロアベーツィアを邪険にする理由がコートアストーネには無かった。

 父親としては情けない限りだが、それでも母が誰の子だとしても我が子として可愛がる、愛する事が出来る事は素直に喜ばしかった。

 最悪兄弟で血で血を洗う戦いになっていた可能性すらあるのだ。

 今のままならば相当の横入りが無ければそのような事は起こる事はないだろう。

 コートアストーネにとってはそれが何よりも嬉しかった。


「(神に感謝しよう。俺の息子達が涙と怨嗟でもって争う日が来ない事に)――その内パルとツィーにも合わせてみるか」

「うーん。それはどうだろうね? シュティンヒパルは基本的に人嫌いで特に子供が苦手だしツィトーネもあれでいて色々考え込む方だからねぇ。もう少し機会をうかがった方がいいかもしれないね」

「それもそうか。確かに今は時期もあまりよく無いしな。その時が来るのを楽しみにしておくとするか……それにしてもオマエの娘はパルの薫陶か? あれは相当賢く、それでいて厄介な存在になりそうだな?」


 変わった話題の内容とコートアストーネの物言いにオーヴェシュタインの柔らかかった眼差しが少しばかり尖る。

 だが、そんなモノ長年の友である彼に効くはずもない。

 全く怯える事も無くワインを煽るコートアストーネにオーヴェシュタインは隠すことなく盛大なため息をついた。


「僕の可愛い自慢の娘を「厄介な存在だ」なんて言わないで欲しいなぁ。あの娘は確かに賢い。けどそれはシュティンヒパルの薫陶と言うよりも生来のモノだよ。……彼女には【神が気紛れを起こしている】のだからね」

「ああ、そういえばそうだったな」


 【神々の気紛れ】


 この世界ではない何処かの「記憶」を持つ人間、又は異世界よりの来訪者に付けられた名称は国の上層部にまことしとやかに囁かれている御伽噺にも似た存在だった。

 二人もまさか今世、しかも身近な人間に現れるとは思いもしなかった。

 それでいてそんな彼女に二人は助けられてもいるのだから深く追求する事も出来やしない。


「君が父親として不甲斐ないと思うように僕も思ったよ。……きっとダーリエに【神々が気紛れを起こさなければ】こんな風に君達と笑って居られなかっただろう、とね」

「何だ? 妙に不穏な事を言うな?」


 僅かに憂いを含んだオーヴェシュタインの表情にコートアストーネは眉を顰める。

 基本、緩やかな笑みを浮かべている彼は友人達の前では素直に喜怒哀楽を表に出すが、こういった自嘲にも似た表情はあまり見せない。

 弱音ともいえる弱みともいえるコレを何のためらいも出すのはきっと妻であるカトランシラーヤの前くらいだろう。

 そんなオーヴェシュタインがコートアストーネの前で此処まで弱みを出すのは珍しいと言わざるを得なかった。


「どうやら僕もラーヤもあまり子育てには向いてなかったようだ。……大本である御老体達を引き受けたのは僕達の意志だ。けれど、どうやら思った以上に愚か者が多かったようでね」

「まさか?」

「アールにもダーリエにも相当良からぬ事を吹き込んでいたらしい。二人共両親である僕達を慕い、自分達の不甲斐なさと取っていたらしいけど、実際は違う。僕達が色々甘かっただけなんだ。特にダーリエにとって【神々の気紛れ】は天啓に近かった。御蔭で子供達は道を踏み外す事無く、不安定な歪みを抱く事無く育っている。本来なら親である僕達が気づき、子供に手を差し伸べなければいけなかったのにね」

「オーヴェ」


 オーヴェシュタインの表情はまるで神に懺悔しているようだと思った。

 元王妃の実家はあの女が王妃という地位に居たからこそ、つり合いが取れるように位が上がった、言うならば新興貴族であった。

 公爵という地位にありながら領地が少なく当主が重要な地位に居ないのは地位を熟すだけの実力が無いと判断されたからこそ。

 本人はついぞ気づく事はなかった事だが。

 それでも腐っても公爵家である以上抑えとして、泳がす場としてラーズシュタイン家に任せるしかなかったのは事実なのだ。

 分かっているからこそコートアストーネは迷いなくオーヴェシュタインに命じたし、オーヴェシュタインも躊躇いも無く勅命を受けた。

 まさか、元凶共がそこまでは愚かと思わかった、その事が彼等にとっての予定外だったのかもしれない。

 心配そうなコートアストーネにオーヴェシュタインはその先の言葉を封じる。


「言っておくけど、謝罪は要らないよ。コートアストーネ“陛下”、貴方は国王として正しい判断をした。あの時絶対的に味方と言える人間の中で一番家格が高かったのは僕だったし、内々だけど宰相への就任も決まっていた。あそこで抑え役として僕を宛がった貴方の判断は絶対に間違っていない」

「だが」

「ただ僕達が思う以上に相手は愚かであり、僕達が自身で思うよりも子育てに向いていなかったってだけの話なんだ。だから謝罪は要らない」


 強い眼差しのオーヴェシュタインに先程までの後悔と懺悔は浮かんでいない。

 何があったかは分からないが乗り越えたのだという事だけは伝わったコートアストーネは苦笑して一言「大義ご苦労だった」と労いの言葉だけを掛けた。

 彼の意志を余すことなく受け取ったオーヴェシュタインは表情を和らげると「偉大なる陛下のお力になれた事大変喜ばしく思っております」と軽い口調で返す。

 二人の間はこれで良いのだ。

 此処にいるのは国王と宰相では無く、学生時代からの親友なのだから。

 だからコートアストーネはこの件を引っ張る事無く、それでいてオーヴェシュタインにとってはあまり面白くはない話題に移した。

 勿論親友同士だからこそ、面白くはない話題なのだが。


「生来のモノとなると息子達は少々は頑張らないといけないようだな」

「言っておくけどダーリエがその気にならない限り婚姻なんて許さないからね?」

「まぁ本人達次第だろう? 俺が口を挟む気はない。……もうあの娘には返しきれない程の恩があるからな」

「あの襲撃事件に関しては僕達の見通しの甘さもあったから僕も何かしたいんだけど……ダーリエは謙虚なのか滅多に甘えてくれないから」

「仕方あるまい。【神々が気紛れ】を起こしたのであれば、下手をすればオマエ達よりも年上の可能性があるからな」


 『前』の記憶を持ち生まれた【転生者】と呼ばれる人間は総じて大人びている。

 幼い器に大人の魂を持つ彼等は時に家族を家族と見れず、苦悩すると伝えられている。

 成熟した自身の体を持ち異界を渡った【転移者】とは違い体と精神のズレに苦しめられるらしい。


「たとえ、ダーリエの精神がおばあちゃんでも僕はダーリエを可愛がりたいし甘やかしたい!」

「言い切るな、親バカ。全く、オマエも丸くなったものだな。出逢った頃の事をオマエの子供達に教えてやりたいぐらいだ」

「言っておくけど……その時は殿下達に君のやんちゃぶりを全部教えるからね」


 産まれながらに次期国王として王族として育てられていたコートアストーネと古参の公爵家の嫡男であったオーヴェシュタイン。

 二人は幼い頃から引きあわされていて幼馴染のような関係であった。

 だからこそお互い子供に聞かせられない話など山ほどあるのだ。


「これはお互い禁じ手だな」

「そういう事だよ」


 家族の事でも思い出しているのかほんわかとしているオーヴェシュタインにコートアストーネは心の中で苦笑を浮かべる。


「(【神々の気紛れ】の結果か。あの娘はラーズシュタイン家の中では異質と言える。だが気質を全く受け継いでいないかと言えばそうでもないように感じた。むしろ我が身の信念を貫き通す傲慢さは良く親に似ている)」


 忠誠を誓う相手を自らの意志で選ぶ所などそっくりだと思う。

 国を民を思い民を守る王にのみ膝を折り、時に友に、共に親に、時に夫婦になり王族を支え続けたラーズシュタイン家。

 次代は一体どんな関係を築くのだろうか?


「(少なくとも悪い関係ではあるまい)」


 我が子を思い浮かべてコートアストーネは笑う。

 次代も又共にディルアマートを盛り立てていければ良い、と。

 そして、そんな彼の願いは決して夢物語ではないのだという確信もあるのだ。


「(だが、そんな子等のためにもう少し頑張らなければな)」


 ワインを置いたコートアストーネは先程までの陽気でいて悪戯気な表情を消すと真っすぐオーヴェシュタインを見据えた。

 昔からの馴染みの親友ではなく国王と宰相としての話だと、オーヴェシュタインもすぐに気づき姿勢を正す。

 此処からは他者には、特に子供達には聞かれたくはない話だ。……少なくともまだ子供と言える今はのびやかに育ってほしいと思っている二人にとっては。


「大本は断ち切った。あの女は【塔】に幽閉となる。……求心力がまだ健在だからな。今、病死するには早いだろう」

「実家である例の公爵家は実際は彼女の力によって保っていた家だ。正直放っておいても自滅しそうだけど、その間苦しめられるのは領民だからね。早々に退場願う事になりそうだ」

「権力を持つからこそ擦り寄っていた家のふるい落としはある程度済ませてある。勿論ただで済ませる気はないが、没落する程では無いだろう。今後どんな処分が下されるか戦々恐々として待っている、と言った所だからな。精々その状態に恐怖し身を震わせていれば良い。その恐怖心を生涯忘れぬようにな?」


 コートアストーネの口元がゆるりと上がる。

 だが目は爛々と獰猛に輝き、灼熱の太陽を彷彿とさせる。

 人々に民に見せる穏やかな、それでいて力強い陽ではない。

 敵となった者を灼熱の焔で焼き尽くさんと言う鮮烈な輝きだ。

 常人ならば覇気に当てられ気絶してしまいそうなコートアストーネを前にしてもオーヴェシュタインは全く何時も変わらない。

 口元には柔らかい笑みを浮かべ目元も孤を描いている。


「権威に集る蠅のような輩に対して気にする必要はないよ。彼等は引き際を弁えているからね。忠誠心の在りかを明確にしてくれたんだ。それを今後有効的に使えばよいだけさ。忠誠よりも権威が大好きだと証明してくれたんだ。分かりやすく自身で証明していたのだから有難く使わないとね?」


 クスクスと上品に笑むオーヴェシュタイン。

 だがその目はまるで極寒の海を彷彿とさせた。

 全てを抱擁する母なる海の雄大さを常に湛え、穏やかに冷静に判断する青色が今は全てを凍てつかせる冷たさを湛えている。

 全てを焼き尽くす灼熱の太陽と全てを凍てつかせる静かに荒ぶる大海。

 彼等に睨まれて今後安寧の道を進めるはずがない。

 彼等の若さに惑わされ、普段の態度に舐めてかかった人間の末路は……言葉にするも恐れ多い事となるだろう。

 子供達には決して見せる事の出来ない、彼等の施政者としての姿がそこにはあった。


「問題はあらゆる意味で公爵家と離れる訳にはいかなかった貴族達だな」

「彼等は引き返す事の出来るラインをもう越えてしまっているんだろうね。だから共に沈むしかない」

「だが、失うモノの無い人間は怖いからな」

「今後何かしでかすとしたら彼等だと思っているよ」

「更に厄介な事にあの女にも何故か信奉者がいるからな」


 家の言いなりの様でいて、何時の間にか操り糸を使って立場を逆転していた元王妃。

 もし、その糸を学園時代に断ち切っていれば、一歩外に出る勇気があったとすれば……。

 もしかしたら彼女もまた、彼等と共に有能な女当主として公爵家を盛り立てていたかもしれない。

 

「(いや、それは、ないかな。彼女がアストへ歪んだ愛とも言えない妄執を抱いている限り、彼女がアストを諦める事は無かった。そしてアストがそんな彼女を受けれる事も決して)」


 人形が唯一執着した男が次期国王であったコートアストーネだったのは幸運なのか不幸なのかオーヴェシュタインには判断出来ない。

 だが彼は彼女の抱いていたアレを「愛」とは認めない。

 人を傷つけ、周囲を蔑ろにし、思っていると嘯いていたコートアストーネの意志すらも考えなかった狂気と妄執。

 あれを「愛」なんてモノと同列に語ってほしくない。

 だからオーヴェシュタインは絶対に彼女の想いを「愛」とは認めなかった。

 幾ら彼女自身がそう訴えたとしてもオーヴェシュタインは一蹴するだろう。――「妄執を愛と勘違いした人形」と。

 

「王妃としては如才無い振舞いをしていたからね。噂は色々あったけど、大半は側仕えの仕業だったらしいし」

「監督責任以上の非難はされなかったって事だな。それすら読んでいたらなら大したものだが」

「それは考えすぎだろうね。……多分これからが一番荒れるだろうね」


 未だあの女の処遇は公表されていない。

 王妃が出なければいけない公式の行事は丁度なかったからか、国民は王妃のしでかした事を未だ知らない。

 王宮でも未だ一部しか知られていない。

 だが、国民は兎も角貴族に知られるのは時間の問題だった。

 もはや噂は流れ、同時に王妃が貴賓室とは言え隔離されている事は事実として知られている。

 王妃が王妃として居られなくなる可能性を、自らが犯した悪事が白日の下へ明かされる事を恐れている輩は大勢いる。

 あの女の処罰を切欠に貴族の勢力図は大きく書き換えられるだろう。

 その全てが終わった時、初めて全てが終わったと彼女達に報告する事が出来る、と彼等は考えているのだ。

 その時はシュティンヒパルやツィトーネ、そしてカトランシラーヤも共に墓参りに行こうと考えている。

 彼女達が喜ぶとは思っていない。

 ただの自己満足だ。

 それでも……彼等は成し遂げると約束とした。

 目標の達成まであと少しなのだ。

 だからと言ってそのために子供達を犠牲する気は彼等には無い。


「息子達、それにオマエの子供達をこの国から一時的に出す事は出来ると思うか?」

「ダーリエ達は奇しくも今回の事件の当事者になったから、だね? 確かに後先を考えなくなった輩が何をしでかすか分からない、か」


 特に彼女と直接対峙する事になったキースダーリエ、大人としての知識と自制心を持ちながらも自身の信念を貫く強さを持つラーズシュタイン家の娘。

 彼女を元凶と考える愚か者が居ないとは限らない。

 それにコートアストーネの息子の一人はあの女の実子。

 旗頭として引き込まれても困るのだ。

 本人にその気が無くとも、今だ信頼できる側近が居ないロアベーツィアを強引に旗頭に仕立て上げる事は可能と言える。

 幼く自身の才覚をまだ周囲に示していない事が今回はマイナスに作用してしまっているのだ。

 他二人も大なり小なり目を付けられているのも事実だった。

 こうなると四人纏めて国外にでも出した方が安全と言える。

 幸いにも現在帝国との間に緊張状態は無い。

 戦争の火種になる事も起こっては居ない。

 今の情勢ならば多少の無理は出来なくもない。


「遊学……いや、其処までしっかりしていなくとも王族と公爵家の子供達だ。他国を幼い頃に見ておく事はプラスに働くだろう」

「少々どころじゃなく強引だけど……何とか体裁を繕ってみるよ。ラーヤの親戚もいるからね」

「決まりだな」


 ニヤリと笑うコートアストーネに差し出されたワイングラスにオーヴェシュタインは苦笑してグラスを差し出す。

 カツンと言うグラス同士のぶつかり合う音が部屋に小さく響いた。

 それは、これからの激動の時間を前にした、宣戦布告にも似た、負ける気はないと示した祝杯であった。


 こうして国王と宰相の密談は他の誰に知られる事無く密やかに過ぎていった。

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