第124話・掲げる覚悟




 王都にあるラーズシュタイン邸、錬金術工房である一室。

 私はその中で【錬成】をしていた。

 目の前の鍋の中には幾つかの材料が溶かし込まれていて何とも言えない色になっている。

 鍋についている魔石は材料の魔力が宿り様々な色に輝く。

 私は最後の材料である【アイゼン】を投入すると、ゆっくり【抽出】し備え付けの魔石に【注入】する。

 後は材料の混ざり具合を確認しつつ無色の魔力を【注入】しながら【錬成】していく。


 シュティン先生の課題【武器の錬成】

 実際は自身との心と向き合えって言う課題だったであろう、解決するために悩み苦しむ難しい問題だったんだと思う。

 子供に課すには過酷な課題だと思うんだけどね。

 まぁ実際子供というのには色々やらかしている私が言えた台詞じゃない訳だけど。

 

 最後に蓋をすると魔石に込めていた魔力と共にイメージを【注入】していく。

 ここも丁寧に、かつしっかりとしたイメージを思い浮かべて迅速に。

 魔石の魔力を全て【注入】し終えれば工程はほぼ終わり。

 後は完成を待つばかりだ。


 私は鍋から離れると入れられたお茶に口をつける。

 やっと一息ついたという感じだった。


「(それにしても此処に至るまで本当に色々あったなぁ)」

 

 何だかんだで王族の方達と顔見知りになっちゃったし……一部とは悪縁とは言えこれでもかってぐらいの縁を結んでしまった訳だし。

 他が多分良縁だろうから問題ないんだろうけど、流石にこんな関わり方をするとは思わなかったよ。本当に。

 どんだけ騒動と縁を結んでいるんだ? って頭抱えたくなるよねぇ。

 





 あの王妃との対峙からもう数日の時が流れている。

 あの時、あの場に介入したのは、王妃を止めるように声を上げたのは王妃の待ち望んだ陛下ではなく騎士の一人だった。

 あっと言う間に王妃と私達の間に割り込んだ騎士は、それでも王族相手という事で最上位への対応をしつつ現状の説明を求めた。

 普通ならば王妃は口を噤み、この場では話す事はないという意志を示し、それに合わせて騎士は場所を移す、なんて流れになっていたと思う。

 けど、そうなると用意していた騎士に対して王妃は淡々と元侍女と自分がやった事を語りだした。

 誤魔化しが一切ない事実のみを客観的に述べていく王妃からはもうあの狂気は見えず、温度の感じられない言葉は再び人形を彷彿とさせた。

 まぁ私なんかはあれだけの熱情を胸に秘めている事が分かってるから前の時と同じように「人形」とは思えなかったんだけどね。


 王妃は自らの所業をつぶさに語ると微笑んですら見せたのだ。

 恐ろしくも気高い姿は王族としての姿と言えるのではないかと思う。

 もしかしたらあれは王妃が王妃である矜持を示した姿だったのかもしれない。

 

 元侍女は王妃という地位に固執し、それ故に妃殿下ですら踏み台としか思っていたようだけど、あの場面で取り乱す事無く微笑むなんて誰でも出来る事ではない。

 結局格の違いを見せつけた形になったんじゃないかなぁ。

 一時的に正気に戻っていた元侍女の唖然とした姿は王妃をどれだけ格下と見ていたか分かるって代物だったし。

 成りあがりではなくある意味での生粋の貴族だろうに、そうやって盲目になる程女性としての国の頂点は光り輝いて見えるのだろうか?

 私には一生分からない感覚だなぁとしか言いようがないんだけどね。

 そこらへん私の感性は『地球』よりらしい。

 ……いや、地球にも夢見がちな人は居たから、私が殊更ドライなだけかもしれない。

 悪いとは思ってないから今後も改善する事は無いだろうけど。


 全てを語り笑んだ王妃はその後何処かに連れていかれた。

 行先は多分貴人が罪を犯した場合滞在する部屋かなんかなんだと思う。

 まさか現王妃を牢に入れる訳にはいかないしね。

 それと時を同じくして元侍女も何処かに連行された訳だけど、まぁこれが暴れる暴れる。

 正気に戻っちゃったもんだから口汚く私を罵り、殿下を罵り、王妃を罵り……うん、もう自分以外全てを罵っていた気がする。

 あれで王妃の座を狙っていたというのだからいい歳して脳内お花畑すぎだよね? と思った私は悪くないと思う。

 黒いのも同じような感じで呆れてたし。

 

 結局元侍女は王妃として、王族として生きていく事が出来る器じゃなかったって事なんだろうね。

 なのに自分の策は全て上手くいっていると思ってたもんだから、全てが瓦解した時は自分の殻にこもるし、自己弁護に忙しいし、醜態をさらす事しかなかった。

 自分ってのは本人が一番分からないモノだ、なんて言うけれど他全てを見下す感性は全く持って理解出来ないなぁと思った。

 

 王妃の噂の一部は彼女がやったんじゃないか? と思うぐらいには見苦しい姿だったし、潔い王妃の行動との対比がすさまじかった。


 噂の中の王妃は癇癪持ちだし、ちょっと色んな意味でお近づきにはなりたくない人だったんだけど、一連の出来事を見るに全てが王妃の素という訳ではなかったようだ。

 噂に惑わされる周囲を呆れてみていたわけだけど、私も同じ穴の狢だったのかもしれない。

 今後は良いモノも悪いモノもある噂を見極める目を養い必要がありあそうだ。 


「(どうやって養うのかが今後の課題になる訳だけど)」


 殿下達への襲撃事件は王妃の自供により調査が進んでいるらしい。

 全ての首謀者である王妃は最終的には【塔】に幽閉という形になると思う。

 ……もしかしたら数年で病没する可能性もあるけれど、それは私には分からない。

 王妃の後ろ盾である生家の横やりが入りそうだと思っていたけど、それは無理だろうと言われた。

 どうやら私を謁見の間の床に叩きつけた老人、彼が王妃の生家の当主であり後ろ盾だったらしい。

 えらく歳に見えたけど、案外若いのかもしれない。

 腐っても公爵家であるからお取り潰しは難しいんだとばかり思っていたけど、どうやら順番が逆らしく、其処まで難しい話ではないらしいという事も聞いた。

 何でもバルーメブルーン公爵家はリートアリス王妃が王妃として婚姻を結んだが故に公爵位を与えられた家であり、元々上級貴族ではあったけど他の公爵家程の力はないらしいのだ。

 むしろ公爵家の後ろ盾が王妃、と言えるような関係だったらしく、王妃が失脚すれば公爵家としては風前の灯である。

 公爵家としての権威が消失すれば老人に擦り寄る輩もいなくなる。

 利益があるからこそ近づいていた輩がごっそり離れていく事になるだろう。

 全部自業自得だけど、もし私達のせいにしてきたら、今度こそ完全にお取り潰しになる未来しか見えない。

 相手は同じ公爵家だとしても格下とも言える存在だ。

 真正面からぶつかってきて玉砕するなら双方の矜持は守られるのだから、堂々と自分の主張を掲げればよいのだ。

 結果として誰にも理解されなく味方がいない状態だったとしてもそれは努力を怠ったという訳で自業自得だ。

 最終的に公爵家が一つ減ったとしても、まきこまれた善良な公爵家の人間は兎も角老人本人には欠片の同情も沸きはしない。

 今まで権威に擦り寄り好き勝手していたツケを払う時が来たと言う話でしかない。


 元侍女も今後どうなるか私は知らないし知る気も無い。

 まぁ王族襲撃事件に関与した人間の末路なんてそう多くは無いだろうけど。

 あの態度も何時まで持つもんだか。

 末路がどんなだろうと全てを詳らかにしてから正気を手放してもらいたもんだ。

 王妃がどう考えてどれだけの罪を犯したのかは知らないけど、全てが王妃の罪咎ではない。

 元侍女は自身のした事を自覚してもらいたいもんだ。

 逆恨みで化けて出てこられるのは勘弁してほしい。

 この世界に『幽霊』が存在するかは知らないけど――アンデッド系の魔物は存在するから一応概念的な『幽霊』は存在するんだろうけど――逆恨みでラーズシュタインに手を出せば、それこそ輪廻を巡る事無く完全消滅するコースになるだろうね。

 どうでも良い相手に其処までの手間を掛けたくはないなぁとしか思わないけど。


 




 鍋を確認すると錬成完了にはもう少しかかりそうだ。

 お茶はもう少し残っているので今の所継ぎ足す必要はないだろう。






 結果として王妃を告発するような立ち位置になった殿下は連れられて行く王妃を見てどことなくすっきりした顔をしていた。

 もしかしたら殿下にとってあの王妃との対峙は必要な事だったのかもしれない。

 王妃の今後については思う所があるだろうけどね。


 王妃に関して言えば問題があるのは弟の方の殿下の方だと思う。

 彼に関しては実母だ。

 取り敢えず王位継承権云々は置いといたとしても、それ以前の問題が弟殿下には降りかかる事だろうと私でも予想が出来る。

 王妃がどれだけ我が子を愛していたかは知らないし普段どんな態度で接していたかは知らないけど、弟殿下が王妃に情をもっていない訳がない。

 複雑なのは帝王学による王妃の歪みに気づいたせいか、それとも意外とマトモな大人が周囲にいたのか、理由は分からないけど、弟殿下は実母と、その取り巻きの思想に染まっていないのだ。

 だからこそ無条件で母親を慕う事は出来ず、されども当然持っていた情を殺しきる事は出来ない。

 まだ子供だから、というよりも人として当たり前の情動により弟殿下も結構一杯一杯だったようだった。


 ――何で、そんな事知っているかって?


 いやまぁ、弟殿下が我が家に突然やって来たからですかね?

 うん、王城に居づらかったのか、殿下が突然我が家に来ましてね?

 御蔭で我が家は一瞬で混乱の渦に叩きこまれましたよ。

 例によってお父様は王城でお仕事中で不在だし?

 それでも最適と言える行動をとるお母様は貴族の奥方様なんだなぁと変な所に感心した訳だけど。

 家全体が混乱中だったもんだから、私も混乱に飲まれて正気じゃなかったんだよね、あの時。

 理性を手放す程じゃなかったけど、冷静に行動できてはいなかったと思う。

 だって殿下の迎えが来るまで安全な場所に、って事で案内したのが私達家人の許可なくは早々に入れない庭園だったんだから相当混乱していたんだなぁと今は思ってる。

 領地のラーズシュタイン邸にもあるんだけど、王都の本邸にも家人以外は許可制の庭園が存在している。

 いやまぁ基本的に使用人だろうとラーズシュタイン邸の人間は誰でも入れるんだけどね。

 客人とかにはあまり案内する事のない私的空間って感じかな?

 冷静さを欠いていたとはいえ、まさか殿下を其処に案内するとは……多分私自身が落ち着きたくて無意識に其処を目指したんだろうけど。

 その御蔭か私自身は落ち着いたけど、殿下はあの快活な雰囲気が無くなり、眸ににも陰りが見えた。

 理由は聞かなくても分かる訳で、態々聞いて傷を広げる必要も無いと判断した私は殿下を椅子に座らせると家の護衛にその場を頼み飲み物を取りに少しその場を離れた。

 お茶を持って戻った私は椅子ではなく、床に座り込み花を見ている殿下に目を瞬かせた訳だけど。


 テーブルに飲み物を置いた私は気配は殺さないけど出来るだけ静かに殿下に近づいた。

 殿下は私の存在に気づいていたはずだ。

 それでも振り返る事は無かった。

 時折肩を震わせる殿下は泣きたかったのかもしれない。

 実の母親の事だ。

 泣きたくなっても当然だ。

 けど王族としてなのか、それとも男の子としてなのか、人前で泣く事を殿下は自分に許せなかったのかもしれない。

 

 そう考えた時、私は殿下に『友人』の姿がダブった。

 泣きたいのに素直に泣けないバカな『彼』

 一瞬だけど『彼』と殿下が被ってしまった。

 その時点で私が殿下をそのままにしておく事は出来なくなってしまったのだ。

 

 護衛に少し離れるように言うと私は殿下の背中に背が触れる場所に座った。

 所謂背中合わせって奴だ。

 勿論淑女としては減点が付けられる行為だと知ってはいる。

 多分礼儀作法の先生が見たら眉を顰めて説教が始まると思う。

 けど、今の殿下にはこれが一番良いのだとあの時の私は考えたのだ。

 

 殿下の立場上御一人にする事は出来ない。

 けど泣いている所を誰かに見られたくはないだろう。

 ならば居る事は主張しつつも決して顔を見る事は出来ないように背中合わせに座るのが一番良いのだと私は思ったのだ。

 それに私は殿下に決して独りではない事を示したいと思った。

 殿下は一人になりたいのかもしれない。

 けどこういう時こそ人の温もりは必要なんだと私は思うのだ。

 一人で泣く事は辛い。

 泣いている時寄り添ってくれる存在はそれだけで「暖かいモノ」なのだと『わたし』は知っている。


 殿下は私の行動に驚いたようだけど決して跳ねのけたりしなかった。


 それからポツポツと語る殿下の言葉に言葉少なに相槌を打ち、時折混じる嗚咽は聞こえない振りをした。

 最後は言葉になっていなかった。

 けど殿下は話す事を辞めなかった。

 全てを吐き出してしまいたかったのかもしれない。


 私のやった事はお節介でしかない。

 純粋に殿下のためを思ってやったというのも少し違う。

 殿下は本当は独りで泣きたかったのかもしれない。

 少しばかり交流のある女の子の前で泣くのは本来なら矜持が許さない行為なのかもしれない。

 けど、振り返った殿下は涙にぬれた赤い眼で、それでも穏やかに微笑んでいたから、私のした事が完全なる余計なお世話ではなかったんだと、そう思いたかった。


 お迎えの護衛と共に来た兄殿下が明らかに泣いた後の弟殿下を見た後、私を見て微笑んでいたのは、まぁお叱りではなかったんだと思うんだけどね?

 その後叱責も無かったから問題無いと思いたいです。





 鍋を再び見るとそろそろ錬成が完了しそうだった。

 ここら辺は『ゲーム』と違って感覚だから多分とか曖昧な事しか言えないけど。

 流石に錬成中に『後何分です』みたいなテロップは出てこない。

 だから「後もう少しで終わるな」とか「色が変わったから次の工程だ」と見極めるしかない。

 全く持って錬金術とは大雑把なような繊細なような不思議なモノだと思う。

 その不思議さも面白いと思ってしまっているのだから私も大概だなぁと思うんだけどね。

 少しばかりはやる胸を宥めつつ私はお茶を飲み干した。





 王妃と陛下含めたお父様達との関係は結構複雑なモノだった。

 特にトーネ先生と陛下にとって王妃は直接的と間接的という違いあれど仇であったらしい。

 王妃が私と重ねたキルシュバリューテ様は学園時代出逢った仲間の一人でありトーネ先生にとっては愛すべき人だった。

 常にパーティーを組んでいた訳では無いけど、臨時として組む事があり、腕の立つ女性であり、側室であられたカトゥークス妃殿下の無二の友であったらしく、身分を超えた仲だった訳だ。

 陛下とカトゥークス様が惹かれあったようにトーネ先生とキルシュバリューテ様も惹かれあい、キルシュバリューテ様は学園卒業後はトーネ先生と共に居るために貴族の籍を抜き冒険者になる、と約束していたらしい。

 キルシュバリューテ様は「元々下級貴族だし、平民の方が私には『馴染み深い』からね!」と良く笑っていたと聞いた。

 多分キルシュバリューテ様が私達と『同類』であるならば表面上身分など存在しない世界で生きた『記憶』がそう言わせていたんだと思う。

 トーネ先生と共に生きるために貴族という地位を捨て冒険者になる。

 それはこの世界ではとても大きな決断であり、貴族には蛮勇とすら言わしめる行為だ。

 けどキルシュバリューテ様は気にしなかったんだろう。

 この世界に産まれおちギャップに苦しみ、そして自分の歩みたい道を自分の手でつかみ取った。

 ある意味充実感すら感じたんじゃないかと思う。

 羨ましいと言えば羨ましい決断だと思った。

 

 けどそんなキルシュバリューテ様の願いが叶う事は無かった。

 学園を卒業する事無くキルシュバリューテ様は亡くなった……王妃の手によって。

 直接的に何かした訳では無い。

 けど何故か王妃はキルシュバリューテ様の想い人は陛下だと思い込み、カトゥークス様とは恋のライバルでありながらも仲睦まじいと思い込んでいたらしい。

 陛下と共になるに問題はない家格をお持ちだったカトゥークス様とは違いキルシュバリューテ様は下級貴族の娘。

 そんな彼女が陛下と共になるのはカトゥークス様と共に居る事でお目に留まり寵愛を頂いたからだと思い込んだ王妃はキルシュバリューテ様を排除した。

 しかもカトゥークス様の目の前で。

 同時にカトゥークス様の御心を深く傷つけるためだけに。

 

 ほぼ安全であるはずの外での実習の場でカトゥークス様とキルシュバリューテ様は魔物の大群に襲われた。

 ほぼ戦闘能力の無いカトゥークス様を守り一人奮闘したキルシュバリューテ様は陛下やトーネ先生達が必死に駆けつけた甲斐もなく、カトゥークス様の腕の中で息を引き取っていたらしい。

 魔物寄せの道具を使っていた実行犯は直ぐに捕らえられ罰せられた。

 が、操り糸の先の繰り手は終ぞ見つけられなかった。

 けど、カトゥークス様が無傷である事を悔しがり、キルシュバリューテ様の死に「身の程知らずに相応しい末路でしょう」と笑った王妃が黒幕だと誰もが分かっていた。

 更に王妃は自分の持っている全てを使い正妃の座に収まったらしい。

 側室にカトゥークス様を許したのは身近にいた方が排除しやすいから、だと考えてもおかしくはない。

 誤算はカトゥークス様の方が先に男子をお産みなった事ぐらいだろうか?

 その後カトゥークス様は儚くなってしまったようだけど、それに王妃が関与している事も調べはついているらしい。

 ただ確証は今の今まで出てこなかった。

 だから陛下も王妃を罰する事は出来なかった。

 トーネ先生も王妃を殺す事は決して出来なかった。

 

 まさかあの明るいトーネ先生にそんな過去があるとは思わなかった。

 そして最愛の人を奪われて、それでも王妃として傍に仇が居る状態でも表面上は王として接し続けていた陛下の胆力にも驚きを隠せなかった。

 あれが王たる姿なのだろうか?

 だとしたら王族という存在はどれだけ恐ろしい存在なのだろうか? と考えずにはいられない。

 あの陛下の後を継ぐ殿下達も気苦労が多そうだなと思った。

 

 トーネ先生にとってキルシュバリューテ様が過去になっていないのは語られている時の顔を見れば分かった。

 きっとトーネ先生も一生に一度の恋をしたんだろう。

 相手がもういなくとも忘れる事は絶対に出来ない深い愛情をトーネ先生は知った。

 お父様達もそれを分かっているから見守っているし私達次世代にはキルシュバリューテ様の事を話さなかったんだと思う。

 一番傷つき、一番キルシュバリューテ様を愛しているトーネ先生が自ら話すまでは決して話そうとはしなかったのだから多分思い違いではないと思う。

 そんな大切な思い出を私が聞いても良いのか? と思ったけど、話すと言ったトーネ先生の顔を見てしまえば「聞かなくても良いです」とは言えなかった。

 

 同じように一人に執着していて相手を深く愛した王妃とトーネ先生。

 けど辿った道は正反対と言える。

 誰かを深く愛する事は悪い事はないはずなのに、此処まで道が分かたれた理由は一体何なんだろうか?

 まだ誰かを本気で愛した事は無い私には決して答えの出ない問いかけなんだろうけどね。

 少しだけ誰かを愛するという事に恐怖を感じのは誰にも言えない秘密である。





 飲み干したカップにポットから次を入れる事無く私は席を立つと鍋に近づく。

 もう少しで私だけの剣が完成する。

 何となく分かるのだ。

 今回は【成功】したのだと。

 

 色々悩んで、色んな人の話を聞いて、自分の中の感情と向き合って。

 嵐の様に舞い込んでくる騒動が一段落した今、私はようやく先生の課題に対しての答えを出そうとしている。

 私にとっての答えを。

 

「(仮令それが先生達にとっては最良と言えないとしても今の私に出せる最良の答えだから)」


 胸を張って答えようと思っている。

 きっと先生達もそうやって出した私の答えを無碍にはしないだろうから。


「瑠璃の」


 完成を待ち望んでいた私は虚を突かれてかけられた声に緩慢に振り返ってしまう。

 振り返った先では黒いのが佇んでいた。

 

「黒いの? もう良いの?」

「ああ」


 ここ数日黒いのは姿を見せなかった。

 自分の中で最後の気持ちの整理を付けたいのだと言っていたから私は引き留める事無く送り出した。

 仮令黒いのが戻ってこないとしても仕方ないと思いながら。

 寂しいし引き留めたいけど、黒いの自身が言い出したのだ。

 仮契約の私では引き留める事は出来ないし、黒いのがそこまで考えられるようになった事を喜ばしくも思ったのだ。

 黒いのが「此処」でそれだけ落ち着いたのだと思えば嬉しさも感じてしまうのも仕方ない。

 寂しさと嬉しさと、色々な感情を抱えつつ私は黒いのを送り出した。

 

 そんな黒いのが戻って来た。

 それだけなのに少しだけ私は嬉しいと思ってしまった。

 やっぱり黒いのは私の懐に入っているのだと改めて思った。


「もう良い。だからはなそーぜ、瑠璃の」

「分かったわ。黒いの」



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