第30話ばかで可愛い最愛の妹(2)




 ダーリエの顔を真っすぐに見る事が出来ない。

 その癖ダーリエが何をしているのか気になってボクは遠目に彼女を見てしまう。

 意気地のない自分に溜息をつく事しか出来ない日々をボクは過ごしている。


 才ある者が公爵家を継ぐ。

 それは家を存続させるため、当然の事だと思う。

 貴族とて人間であるのだから、才能はあるものの人間性に難があれば次期を争う事もあるだろう。

 才能ある子供が二人以上いれば家督争いは泥仕合になりかねない。

 王国法でその場合の対処も制定化されてはいるものの抜け道が全くない訳ではない。

 人の心とは法によって縛る事は決してできないのだから。

 けどボク等の場合、そう言った家督争いをする必要は無い……と言える。

 ボクは自分を素晴らしい人間だとは思わないが、救いようがない悪人でもないと思っている。

 ダーリエは素晴らしい才を持ち、素直で優しい性格の娘だ。

 もし……もしもボクに次期当主としての器があるのならばダーリエは自らの道を自身の手で選ぶか何処かに嫁ぐ事になるだろう。

 錬金術師として大成できる力を持つ娘だから、無理に嫁ぎ先を探す必要は無い。

 ただ、公爵家の人間として縁談の話は多くあるだろうと思うけど。

 少なくとも父上ならば分家筋のような男に嫁がせはしないだろう。

 ボクだってそうなれば説得するし、場合によっては相手の不正を暴き正体を知らしめる事くらいはする。

 ダーリエが不幸になると分かって何もしないなんてありえないのだから。


 これはダーリエが男だったとしても変わらない。

 可愛い妹が可愛い弟になるだけだし、やっぱりボクに当主としての器があるのならば、弟を分家の一つとして独立させれば良い。

 才能ある子供が二人いる場合の対処法として一般的な方法だから周囲も特に変な反応をする事はない。

 そう、例えボクが公爵家を継ぐことなく分家として独立した場合だって別に周囲が何かを言う訳じゃないのだ。

 ラーズシュタイン公爵家と縁を繋ぎたい人間はボクから離れるだろう。

 けれどそんな人間などボクこそ願い下げであるし、いらない。

 擦り寄って家の乗っ取りをそそのかす奴なんて論外だ。

 直ぐに黒幕をあぶりだして根源を立つ必要がある。

 だから例えボクが引いてダーリエが公爵家を継いだとしても何の問題もないのだ。

 ……ボクの心に宿る淀み以外は。

 時々囁く奥底の「声」だけは決して聞いてはいけないのだと……他の感情は整理したとしても、これだけはダメだと分かっていた。

 けれど、だからと言って淀み囁く声ならば良いと言う訳じゃないのだけれどね。


 公爵家のために最善を取る。

 言葉にするととても簡単だが、口にすると途端その重みに押しつぶされそうになる。

 才能という一面に置いてダーリエにボクは負けている。

 これからのボクの頑張りによってはダーリエの能力値を超える力もあるかもしれない。

 だがこのままボクとダーリエが慢心せず精進した場合、ボクは魔術師、ダーリエは錬金術師となる事が出来るのだ。

 ラーズシュタイン家は錬金術師である始祖が爵位を賜り興った家柄。

 同じように研鑽をつみ努力を怠らないのならば錬金術師であるダーリエの方が適任なのだ。


 分かっている。


 多分、ボクが継がないと言えば全ては解決する。

 最終的にボクがダーリエの補佐をするならばボクの今まで学んだ事も無にはならない。

 その事が分かっていても燻る自分の感情をボクは持て余していた。


 ボクに周囲の大人を黙らせる程の力があればよかったのに。

 口さがない人間を黙らせるだけの力を持たない自分が嫌だった。

 最良が分かっているのに口に出せない臆病な自分が嫌いだった。

 そんなボクをダーリエに見られたくはなかった。

 ボクを尊敬していると言ってくれた可愛い妹に情けない兄の姿を見せたくはなかった。

 時に人の心を見透かしてしまう妹に情けない自分の姿を晒したくなかった。


 そう考えてしまえば自然とダーリエを真っすぐ見る事は出来ず、ボクはダーリエを避けるようになってしまった。

 これで解決する訳ではないと分かっていても、それしか出来ない自分が情けなくて泣きたくなった。






 ダーリエが戦闘指南の講師と共に訓練をしているのが見える。

 多分、あの年の頃なら動けている方なんだと思う。

 ダーリエは頭が良いから考えて動いているという印象が感じられた。

 ボクも考えて動いてしまう所があるから何となく分かる。

 けどボクよりも体を思い通りに動かすという点では勝っているのかもしれない。

 ……またボクよりもダーリエが勝っている部分が見える。

 それはボクが引いた方が良いという理由が一つ増えたって事だ。

 こうやって一つづつ増えていく理由。

 それが自分の首を絞める事になろうともボクは見ない振りをする訳にはいかなかった。

 だってその方が無様だ。

 ボクは公爵家の跡継ぎとして教育を受けていた。

 公爵家としての矜持はある。

 その矜持を自ら踏みにじるような愚行を犯したくはない。

 今でも情けない限りなのに、これ以上ダーリエに顔向け出来ない真似をしたくないし父上に幻滅されるのも嫌だった。


「アール」

「……母上?」


 いつの間にかボクの隣には母上が立っていた。

 少し驚いたけど、母上は高位の魔術師であるのだし、自らダンジョンに潜る事もあった方と聞くから、気も漫ろなボクに気配を悟らせないなんて事簡単なのだと思う、だから直ぐに納得して視線を戻した。

 ダーリエは先生の方に魔法を使ったのか二人の周囲の魔力が少しだけ歪んでいるのが見えた。

 魔法を使うと痕跡が残る。

 それを解析すれば多分使った魔法の種類も分かると思う。

 けど、戦闘に入ってしまえばそんな悠長な事はしていられない。

 だから魔法を使おうとしているかどうかだけ分かれば問題はないと思う。

 ボクは歪みの感じ方である程度種類を知る事は出来るけど、使う前だと少し難しいからやっぱり戦闘には直接的に関係ない。

 今は第三者として見ているからいいけど。


「アール。少し休憩に付き合いませんか?」


 微笑ましそうにダーリエを見ていた母上がその笑みのままボクを見る。

 特に用事は無い。

 ないが、こんな情けない心境のまま母上と共にいるのは少しだけ怖い。


「アールの好きなお菓子もあるのよ? ダメかしら?」


 母上はこうと決めると笑顔で引かないんだよな。


 こうなった母上を止めるのは父上でさえ難しい。


「分かりました」

「良かったわ」


 母上は満面の笑みを浮かべてボクの手を取り歩き出す。

 とても嬉しそうな母上の後ろ姿にボクは苦笑を浮かべるしかなかった。

 ……例え苦笑だろうとも笑ったのが久しぶりだと分かったのは全てが一段落した後だったけど。


 母上は部屋に入ると率先してお菓子を用意してお茶を入れる。

 傍仕えの仕事だと言う事は分かっているし普段はそんな事をしないけど、こうやって家族や公爵の使用人の前だけ母上はこういう事をする。

 冒険者とまではいかずともダンジョンに潜った事もあるし、父上の【採取】に付き合い外での戦闘も野宿も経験した事ある身としては自分の出来る事は自分で、という事らしい。

 外の目があれば五月蠅いから公爵夫人としての振舞いを完璧にこなす母上だけど、実際は母上は行動的な方だと思う。

 ある意味では父上もそうだと思うけれど。


「(そういえばダーリエは母上のこうした面をあまり知らないんだよな)」


 お転婆で突拍子もない行動をするダーリエは母上に似ていると思うのだけれど。

 そこでボクは自分が自然とダーリエの事を思い出している事に気づき、自嘲の笑みが浮かぶ。

 いっその事ダーリエを嫌いになれれば楽なのかもしれないが、それだけは嫌だと思う心がある。

 才能一つで好いたり嫌ったり、それではボクが最も嫌悪する大人と同じだという忌避感もある。

 ただ、それ以上にボクがあの可愛い妹を嫌える訳がないというだけの話、なんだけどね。

 

 母上の入れてくれたお茶は美味しい。

 暖かくて母上の相手をもてなす気持ちが籠っていると思う事が出来るから。

 少しだけ……本当に少しだけだけど心が安らいだ気がした。


「ねぇアール。私やオーヴェはそんなに頼りないかしら?」

「母上?」


 突然の母上の言葉の意味が理解できなかった。

 頼りないなんて考えた事も無かった。

 一体ボクは何をしてしまったのだろうか?


「私達はアールが可愛いわ。勿論ダーリエもね? 何方も私にとって掛け替えのない宝物なの」


 貴族としては珍しいと言えるくらい母上も、そして父上も子供に、家族に愛情を注ぐ人だ。

 政略結婚ではなく恋愛結婚をした事も関係あるかもしれないが、それよりも二人共貴族としての生まれ生きて来たというのに選民思想に全く染まらなかったのだ。

 親が違うとしても平民と貴族の間に大きな壁がある事はボクでも分かる事で。

 大なり小なり貴族に生まれ育てば、その差を知り無意識に壁とするのだ。

 それは貴族として平民、しいては領民を守る方向に行く事が殆どなので一概に悪い事ばかりという訳でもない。

 ただ間違った選民思想に染まってしまえば、末路は憐れとしか言いようがない。

 一代の栄華を極めようとも何処かで破綻し命の灯火すら消える。

 そして後世の人間に対して教訓として名が残るのだ。

 ボクも講師に反面教師として教えられた。

 見せしめと言えばよいのか、もしも道を外せばこうなると脅されているのか。

 何方にしろ愚かとしか言いようがない思考だったのは理解していた。

 分家筋の大人達にその欠片が見える気がする所、頭痛を感じざるを得ないのだけれど。

 そこらへんは考えても頭痛が酷くなるだけなので忘れるが、ボク達の両親はそう言った僅かな選民思想も見えない気がする。

 隠しているだけでそれなりに心の内にあるのかもしれないけど、少なくとも公爵家に仕える使用人達に対してそれらの思想を根底に置いた言動をとっているのを見た事が無い。

 だからきっと全く染まってないのだと思う。

 選民思想を「知ってはいる」けど、それだけなのだという事なんだと思う。


 御蔭でボクもダーリエも平民を見下す事もしないし、公爵家を思いやってくれている事に心から感謝の気持ちを持っている。

 ボクもダーリエもしてもらった事に普通に礼の言葉を口にするからね。

 これを他家にやった時酷く驚かれた事がある。

 そもそもボクが自分達の家がそういう意味では変わっていると知ったのはその出来事からだし。

 ただ知っていても、だからなに? と思って以降も礼の言葉は欠かさないけど。

 して貰った事に感謝の念を忘れてしまえば人の心を一つ失う事だと思うから、ボクは貴族らしく無くても心を失う事の無い人間になりたい。

 表面に出さないのと無いのでは大違いなのだから。


 母上の言葉にそんな事を考えつつ、イマイチ母上の言葉の意味が理解できず黙っていると、母上はコロコロと鈴の音のような笑い声を溢した。

 こうやって改めて見ると母上はとても華やかな人だと思う。

 実の母親に何を言っているのか? と言われそうだが、素直な感想である。

 海を思わせる青色の髪に金色の眸。

 顔立ちはきっとダーリエが似たんだと思うから、ダーリエも成長すれば母上のような華やかな美人になるんだと思う。

 ボクは多分父上似だから、逞しくなるのは難しいかもしれない。

 訓練は欠かさないけど筋肉はつかないしな。


 母上をじっと見つめ何となく観察していると母上は笑みを湛えたまま紅茶に口を付けた。

 

「私もオーヴェも貴方やダーリエの事を見ていたのよ? だから貴方がダーリエを避けている事も深く悩み苦しんでいる事も分かってるわ」

「そ、れは」

「そして何かを恐れて私達に相談出来ないという事も、ね」


 父上にバレているとは思っていた。

 ……いや、母上だって貴族として社交界を泳いできた方だ。

 ボク程度の隠し事なんてバレるよな。

 隠し通せると思っていた自分を恥じるしかない。


「アール。間違ってはいけないのは、私もオーヴェも責めているのではないと言う事なの。貴方が理由もなくダーリエを避ける訳がない。そしてその理由で貴方が深く悩んでいる事が悲しいと思うの」

「……悲しい?」

「ええ。私もオーヴェも何を言われても貴方を嫌う事も疎む事も無いというのに、貴方は一人で苦しんで苦しんで結論を出そうとしてしまった。その事がとても悲しいわ。……確かに貴方も何時かは一人で決断しなければいけない時が来るでしょう。それでもその時は「今」ではないと思うの。……まだ私達の可愛いアールでいて欲しいという愚かな母親の願いなのかもしれないけどね」

「……ボクは口に出して良いのでしょうか?」


 この心の内に巣くう淀みであり醜い気持ちの欠片を。

 人に打ち明けあければ失望され突き放されかねないこの気持ちを。

 最奥にあるどうしても外に出してはいけない感情がある。

 けれど他の感情とて名前を付け外に出す事をボクは恐れている。

 母上……それに父上にも、突き放されればボクは二度と立ち上がれないかもしれない。

 ダーリエに失望した目で見られて見損なったと言われてしまったら?

 ボクは本当に立ち直れるのだろうか?

 その事がたまらなく怖い。


「良いのよ。私はアールの母親なのよ。母とは子を愛する生き物なのよ? ……まぁ貴族の中ではそんな女性はあまり多くないのが悲しい所ですけどね」


 冗談のように付け足した言葉。

 だけど目が笑っていなかった。

 多分、子を道具としか見ていない貴族社会を憂い憤っているんだと思う。

 平民とは違い「血」を何よりも尊び、間違ったプライドを持った人間が起こす騒動は決して途絶える事がない。

 それは社交界に殆ど出た事の無い、人の営みを碌に知らないボクでさえ憤りの感じるのだから。

 母上にとっては何よりも許せない事なのだろう。

 子供を素直に愛していると告げる事の出来る母上はとても強い女性なのだろう。

 そして同じように子供を思い周囲の言葉を笑い飛ばす父上も。

 

 ボクはボクを見つける母上の暖かな微笑みと眸に逆らえない。

 後で後悔するかもしれないと思っているのに、大丈夫だと言われているようで。

 もう話してしまうという選択しか取れなかった。


「……ボクは……ボクが次期当主で本当によいのでしょうか」


 言ってしまった。

 一度言葉にしてしまえばもう止める事は出来なかった。


「ダーリエは【錬金術】において高い才能を有しています。ボクには無い才能です。そして【闇の愛し子】である妹には困難が降りかかろうともそれを乗り越える才覚が与えられているのでしょう。それを乗り越えた時、ダーリエはボクよりも次期当主に相応しい娘となるはずです」

「貴方も才能に溢れているという事は自覚しているのですよね?」

「はい。多分研鑽を積めば、ボクも魔術師として大成する事は出来るかもしれません。努力を怠る事は決して致しません。……ですがダーリエを見ていると思うのです。才あり、研鑽を積む者が家を継ぐべきなのではないかと」


 ダーリエは真っすぐだ。

 ラーズシュタインの家族も家の者も好いている。

 彼等やボク達を守るためにダーリエは努力を怠らないだろう。

 同じだけの努力を積み重ねるのならば、より優秀な人間が家を継ぐ。

 それが最善、だと分かっている。

 分かっているんだ。


「ラーズシュタインは錬金術師が爵位を賜り興った家。ならば【錬金術】の才能を有するダーリエが家を継ぎボクは補佐に回る。それが最善なのだと思います」

「公爵家や旦那様の職を継ぐには【錬金術】の才能だけではどうにもなりませんよ?」

「分かっています。……ダーリエは変わった視点で物事を見る事があります。それは良き方に導く事が出来たならば、ダーリエの大きな武器となるでしょう」


 ダーリエは時々突拍子も無い事を言いだしたり、行動したりする。

 けれど、よくよく考えてみると、驚く結果を齎す。

 ボクは何度ダーリエのその視点に驚かされた事か。

 そんな考え方や見え方が出来ない自分が凡人だと思えてしまう程、ダーリエの見ている世界は驚きに満ち溢れているのだと思った。

 それを自覚しコントロールする事が出来るのならば、父上の後を継ぐ事も出来るだけの武器となるのだとボクは分かっているんだ。

 全部、全部分かっている。

 どうすれば良いかなんて分かっている。

 胸にぼっかりと開いた穴がその言葉を出さないでくれと必死に訴えかけてくるだけなんだ。

 口に出してしまえば決まってしまうから。

 痛む胸の理由も分かってしまうから。

 けれど、もう言葉は出てしまった。

 引き戻る事は……出来ない。


「母上。本当は分かっているのです。ボクが次期当主の座を辞退すれば良いのだと。才覚ある子供ならば長子でなくとも女性だろうとも家を継ぐ事は出来ます。ボクが辞退し補佐に回ると宣言さえすれば。そうすればボクの今まで教わった事は無駄にはならない。ボク自身の意志だと示せば周囲の付け入る隙は無くなる。全ての問題は無くなるのです」


 母上の驚いた顔が歪んだ。

 まるで海の中にいるような歪み方に、ボクは自身が泣いている事に気づいた。

 けれど止めようと思っても涙が言う事を聞いてくれない。

 心が痛いと叫んでいるみたいだと思った。


「それが最善だと分かっていても、酷い空しさに襲われました。周囲の口さがない言葉に振り回され、それを一蹴する才能が自分にない事を嘆いて、一番良い方法を思いつきながら口に出す事も出来ず今まで来てしまいました。決断を先延ばしにするなんて愚かしい事をしてしまいました」


 胸が痛い。

 ポカンと開いた穴がシクシクと痛みを訴えてくる。

 開いた穴を埋める術をボクは知らなくて、開いてしまった穴からボクを責める言葉が聞こえてくる。

 それは決断一つ出来ない自分を責める心なのだと今は分かる……分かってしまった。

 

「家のために最善を選ぶ事も出来ないボクを家族に知られたくなかったのです。父上に出来そこないと憐れまれるのも、母上に笑い返して頂けなくなる事も……ダーリエのあの輝く眸が失望に染まるのを見たくなかった」


 勉強した事を頭を撫ぜながら褒めてくれたあの手で振り払わられるのが怖い。

 抱きしめてくれた温もりを失う事が怖い。

 クルクル変わりながら話をしてくれた眸が陰り冷たくなるのが怖い。


 ボクは家族を愛しているからこそ、家族に失望され突き放されるのがとても怖い。


「――どうしてボクは周囲を寄せ付けない才能がないんだろう。そうすれば父上は「出来そこないの長子を持って大変だ」なんて言われないのに。そうすれば母上の事を馬鹿にする人間から母上を守る事が出来るのに。……傀儡にしか思ってない奴等からダーリエの壁になってやれるのに!」

「アール!!」


 最後の言葉はもう絶叫に近かったかもしれない。

 心が上げる悲鳴のままボクは言葉を紡ぐ。

 そんなボクは突如暖かいモノに包まれた。

 定まらない焦点が合うと、その正体が分かった……ボクは今母上に抱きしめられていた。


「アール。ごめんね。貴方がそんなに悩み苦しんでいたなんて。――どうして私を恨まないの? 私のせいで【錬金術】の才能を受け継がなかったのだと恨んでも良かったのよ。貴方にはその資格があるのだから」


 ……多分、ボクは妹を恨む道もあったはずだ。

 自分よりも才能を有する妹を疎み、嫌えばその時は心がすくだろうから。

 けど、どうしてそんな事が出来るというのか。

 ボクは母上も妹も、勿論父上も恨む事なんて出来ない。

 だって少しでも恨みを抱けば、ボクは転げ落ちるように堕ちていく。

 恨みを言い訳にして道を踏み外し、汚い闇の中へと転がり落ちていく。

 底辺に堕ちた時、ボクは笑っていられるだろうか?

 そんな事は有り得ない。

 底辺でボクは自分を嘲笑い、全てを憎みの恨みの咆哮を上げるだろう。

 ……全てを自ら手放したのに。


 そんな愚か者にはなりたくはなかった。

 そんな愚か者を見て悲しむ家族の姿を見たくなかった。


「家族を恨む事なんて出来ない。だって母上。母上と父上が教えてくれたのに。家族を愛する事を。愛した家族は守るのだという事も」


 家族が悪しき貴族らしく互いを駒のようにしか見ていないのならば、恨む事も切り捨てる事も出来た。

 家族は所詮他人なのだからこんな風に悩む事すらなかった。

 だけどボクの家族は暖かい、貴族らしくは無いが大好きで愛おしい人達だった。

 恨む事が出来る訳がない、嫌う事が出来る訳がない。

 ボクはボクを愛してくれた、慈しんでくれた家族を守りたいだけなのだから。

 だからその力がない自分が嫌いで虚しかった。


「愛しているわアール。オーヴェやダーリエを愛しているのと同じだけアールも愛しているわ。だからそんな悲しい泣き方をしないで頂戴。心を引き裂くような、自らを傷つける泣き方をしないで」


 泣けば泣くだけ苦しくなっていくボクに気づいたのか母上の手が優しくボクの髪を撫ぜる。

 何時ぶりだろう。

 母上の温もりに触れたのは。

 何時もは気恥ずかしいから避けていた。

 今は心の淀みを気づかれたくなくて避けていた。

 全てを話してもこうして抱きしめて愛してくれると言われただけで少しだけ救われる気がした。


「貴方は私達の誇りなのよ、アール。家族を愛し、家族を守ろうとした貴方の心は尊いモノ。……ごめんなさい。もっと早く聞きだせば良かった。此処まで心を傷つけているのに気づかなくてごめんなさい」


 ボクが勝手に悩み、勝手に自滅したのに。

 母上はそれでもボクに謝る。

 ボクを肯定してくれる人が少なくとも一人はいる。

 その事が嬉しかった。


「ねぇ、アール。貴族の家……違うわね、ラーズシュタイン家はね、必ずしも当代で一番高位の【錬金術師】が継ぐ訳ではないの。むしろその代で一番才能あふれた人間が当主を継ぐ事は殆どないのよ」


 むしろオーヴェが例外ね、と笑って言う母上にボクは驚いた。

 才ある者が継ぐのが普通だと思っていたのだから。


「むしろねぇ、本家の中では当主の押し付け合いがあった時もあるくらいらしいわ」

「押し付け合い、ですか? 公爵家当主の座をですか?」


 貴族の家で家督争いなど普通だというのに、我が公爵家では継がないために家督争いが起こるのか。

 そんな事有り得ないと言いたいけど、母上がそんな嘘を言うはずが無いし、ボクを慰めるためには話が突拍子もない。

 つまり本当の話なんだろう……信じたくないけど。


「私も大概自由な家に生まれたと思っていたけれど、だからこそ私は此処に居られるのだと思うわ」

「……少し信じられません」

「そうね。私もオーヴェも落ち着いたし、大旦那様達も貴方方には猫を被っているものね。気付かなくても仕方ないわ」

「母上や父上が学生時代有名だった事は知っていましたが」

「あら、それは知られているのね。恥ずかしいわ」


 ……聞いた内容は決して「恥ずかしい」ではすまないモノだと思ったんだけど。

 恥じらい笑う母上はとてもボクやダーリエを産んだとは思えない程若い、と思う。

 ただ聞いただけで絶句するような内容をそれだけすましてしまう程豪胆な方でもあるのだな、と思ってしまう。

 

 先程までの言葉は全て本音だし、胸が未だに痛みを主張している。

 開いた穴から聞こえてくる自分の容赦の無い言葉に息苦しい。

 けれど、あんな話を聞いたのに、話す前と変わらず接してくれる母上の存在は泣きたくなる程嬉しかった。


「アール。貴方は虚しいと思って良いの。悔しいと思っていいのよ」


 はっとしたボクが顔を上げると母上がとても優しい表情でボクを見ていた。


「だって貴方は大事な部分を間違えない。……幾ら憤っても「家族を愛し守りたい」という気持ちを決して手放さない。だから「悔しい」と声を上げて良いのよ。今までの自分の努力が無に帰すかもしれないという予想に対して空しさを感じても良いわ。だってそれは人として当然の感情なんだから」

「こ、んな醜い感情が、ですか?」

「あら。「虚しい」と思う気持ちも「悔しい」と思う気持ちもそれ自体は誰でも思うものだわ。間違っていけないのはその後なのよ。「悔しい」からそれを言い訳に使い人を攻撃する事は哀しい事だわ。「虚しい」と思い、全てを諦め怠惰に生きる事は余計に虚しさを感じるだけだわ。……つまりね。「悔しい」とか「虚しい」って気持ちの昇華の仕方を間違えてはいけないのよ」

「気持ちの昇華の仕方を間違えてはいけない」

「そう。「悔しい」から努力する。「虚しい」からそれを埋めるための何かを探す。そうすれば何時か「悔しさ」は「喜び」に代わり「虚しさ」は「充足感」に代わるの。それらの感情は貴方を更に成長させてくれる」


 ボクは自分の今までした事が意味のない事だったかもしれないと思って「虚しさ」を感じた。

 父上を守りたい、母上を守りたい、妹を守りたいのに守れるだけの力を自分が持っていない事が「悔しい」と思っていた。


 そんな感情を抱く事自体が自分が弱い存在だからと思っていた。

 けど違ったのだろうか?

 「虚しさ」を「充足感」に。

 「悔しさ」を「喜び」に。

 そう昇華させる事が出来るのならば、感情を抱く事が必ずしも悪ではないというなら。

 ボクは未だに家族を愛し、家族からそれを受け取っても良い存在なんだろうか?

 

「感情を抱く事を怖がらないで。人を愛する事を知っている貴方は抱いた感情を正しく昇華する方法を知っているのだから。どれだけ私やダーリエに憤りを感じても家族を愛する気持ちは失わない。だって貴方は全てに気づいてもダーリエを守りたいと思ったのだから」

「……ははうえ」

「なぁに?」


 再び涙で視界が歪んでいく。

 けれど今度の涙はボクの胸を傷つける事は無い。

 ただ心の奥にある淀みが雪がれていく。

 同じように涙流しているのに、心持ち一つでここまで変わるのかと少しだけ驚いた。


「虚しかった。今まで自分がしていた努力は意味が無いと言われたようでとても虚しかった。それに悔しかった。言われた言葉に反論出来ない自分の至らなさが悔しかった」


 最奥の感情があふれ出てくる。

 表に決して出してはいけないと思っていた感情が。

 この感情だけはきっとどうも出来ない、抱いてはいけない感情だというのに。

 幾ら考えたのが一瞬だったとしても許されない感情なのだと思っていた。

 一瞬だろうと考えてしまった事が自分の浅はかを表しているようでとても心が痛かった。


「一瞬でも考えてしまった。ダーリエに才能なんて無ければ良かったのに、と。自分以上の才に嫉妬して、無邪気に喜ぶ妹の喜びに沿う事が出来なかった! あの娘の自慢の兄である事が出来なかった!」


 あの時妹の才能が露わになり、そのために妹を救う手を伸ばすのを一瞬躊躇したんじゃないかと思った。

 ボクは妹を見殺しにする選択を取ろうと、一瞬だろうとそんな愚かしい事を考えたんじゃないかと思ったんだ。

 あの状況ではボクは何も出来なかった。

 母上も父上も、妹ですら、そう言ったけど。

 ボクだけがそれを疑い続けていた。

 だから周囲の言葉を否定できず、自分の愚かさを忘れないように繰り返し呟いて、「悔しさ」や「虚しさ」から目を逸らし続けた。

 そうする事で妹……自分と真正面から対峙する事から逃げたんだ。


「こんな感情を抱いて本当に良いの? 上手く昇華出来るかもしれない。もしかしたらこの感情を糧に成長する事もできるかもしれない。けど、そんな感情を抱いた自身をボクは許したくはない!」


 ああ、言ってしまった。

 心の本当の奥底に秘めていた一番汚い感情を。

 涙を流して他の感情が昇華されていく中、露わになった、これだけは言ってはいけないと思っていた感情を。

 醜い「嫉妬」

 そこから感じた憤りという感情を。


 これだけは絶対に言ってはいけないと思っていたのに。

 幾ら昇華出来ようとも糧に出来ようともそもそも抱いていけない感情だというのに。

 それを口に出してしまった。

 確定させてしまった。

 ……けれど撤回する事はもう出来ない。


 ――今度こそ母上に手を振り払われてしまうのかな?


 けど、そんなボクの予想とは違い母上がボクを撫ぜる手は優しく、暖かだった。


「――アールは今でもダーリエが憎いの?」

「そんな事ありえません!!」


 母上の言葉にボクは驚き母上から離れる。

 母上はボクの言動に驚く様子もなく、相も変わらず微笑んでいた。


「才能に嫉妬した事は確かだけど、憎んだ事なんて無い! 才能があろうとなかろうとダーリエが可愛い妹である事には変わりはない!!」

「……ならば何の問題があるのかしらね?」

「え?」


 母上のクスクス笑う声が部屋に響く。

 ボクは笑う母上を他所に、何を言われたのかイマイチ理解できなかった。

 一体母上は何を納得なさったんだろうか?


「嫉妬という感情もまた人ならば抱くものだわ。けどね、嫉妬も上手く昇華させれば糧となり、成長する事が出来る。それにね? 本当に嫉妬して何処までも堕ちた人間は周囲を、原因を激しく憎むの。嫉妬が憎悪の感情を種火とし火を起こし、激しく燃え盛った炎は全てを焼き尽くす。そうなってしまえば、もうおしまい。鎮火した後に何も残らないのだから」


 もしかしたら母上は過去に「嫉妬」によって引き起こされた何かがあったのかもしれない。

 だって今の母上はとても悲しそうな顔をしているから。


「アールはダーリエの才能に嫉妬した。けれど決して貴方はダーリエを憎まなかった。だから大丈夫よ。どんなダーリエでも可愛い妹と言い切れるのならば、貴方が嫉妬に身を焼き尽くす事は決してないわ。だから、もう一度言わせて、アール」


 母上の腕が優しくボクを抱き寄せる。


「感情を抱く事を恐れないで。人を愛する事を知る貴方なら大丈夫よ。――私達の大切な宝物。私達は貴方を愛しているわ」


 静かで優しい声音。

 その声音に込められた愛情が注ぎ込まれていく気がした。

 

 ボクは最後に一粒だけ涙を流した。

 ……それはボクの中にあった淀みの最後の一欠片だった。



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