第31話ばかで可愛い最愛の妹(3)
散々泣いて、自分の中にある感情に「名」が付いた事によって、ボクはどうにか感情を整理しようと思えるようになった。
感情に名前を付ける事が怖くて、抱いてしまった感情が怖くて、その感情を誰かに知られて、拒絶される事が怖くて……。
ボクは様々な恐怖から逃げる様に自分を追い詰めて自暴自棄になっていた。
母上に話していなかったら今だにボクは抜け出せない深淵の闇に沈んでいっていた気がする。
心を閉ざして最後には自滅していたかもしれない。
少しだけ冷静さを取り戻した今、考えると恐ろしい事だと思う。
しかもボクはそんな恐ろしい事にダーリエを巻き込む所だったのだ。
ダーリエは今回のボクの感情の起点になってはいたけど、それ以降の感情にはあまり関係が無かった。
ボクが悩み苦しんでいたのは等身大のダーリエ自身というよりも自分が想像するダーリエという幻に対してだった、気がする。
周囲の口さがない言葉に込められた悪意が少しずつ注がれて、蓄積していたのかもしれない。
まぁだからと言って全ての原因が彼等にあるというのもおかしな話かもしれないけど。
ダーリエにはすまない事をしていると思う。
才能に対して複雑な感情を抱いたがためにダーリエを避けてしまった。
あの真っすぐにボクを見つめる眸と対峙して冷静でいる事は出来ないと思ったから。
一度避けてしまえば、後はズルズルと避け続ける様になり、ダーリエと話したのは何時だったかな? と記憶を遡らないといけない程だった。
その癖、ダーリエが何かをしている時は遠目に見ているのだから、ダーリエは相当負担を感じてたと思う。
理由も分からず避けられて……いや、もしかしたらボクが才能に対して複雑な感情を抱いた事を見抜いているかもしれない。
あの時満面の笑みで振り返ったダーリエの表情が驚きと疑惑に染まった事を考えればバレていても可笑しくはない。
あの娘は聡い娘だから。
ボクはまだあの娘にとって「自慢の兄」なんだろうか?
ダーリエが何処までボクの心情を把握しているかは分からないけど、ボクの内面を見透かそうとせんばかりの視線は、ボクの浅ましい心まで見透かしてしまっているのではないか? なんて笑える推定をしてしまう程だ。
もしも全てを見透かされていればダーリエにとってボクはもう自慢の兄ではないのだろうなぁと思う。
いや、違うか。
避けられて、その癖遠目にもの言いたげに見られている、なんて目に合った時点でダメかもしれない。
ダーリエに疎ましく思われているかもしれない。
自業自得なんだけど、それはとても悲しいな、と思った。
ボクを憎む事はないと言い切れる。
だってボクを憎む理由は今の所ないから。
けれど疎む理由はある。
あのボクを何時も見上げていた星煌く夜空の眸が疎ましく陰り逸らされる。
考えただけで少しダメージが来た……ボクって家族大好き過ぎるだろう、と笑ってしまう。
けど家族はボクにとって居場所で大切な人達なのだ。
まだまだ世界が狭いボクにとって家族に嫌われるのは一大事だ……世界が広がっても家族を愛さないなんて日が来るとは思えないけど。
再び臆病風に吹かれてしまったボクはダーリエと今までと違った理由で話をするのが怖かった。
母上には「ダーリエちゃんが貴方を嫌う事なんてありえないわよ?」と言って下さったけど、自分のしでかしてしまった事を考えて二の足を踏んでしまう。
……ボクの場合、この優柔不断な所は直さないといけない悪癖なような気がする。
ため息をつくと誰に聞かれる事無く消えていく。
今、ボクは離れにいた。
此処は工房が併設されていて研究がある時は勿論、一人になりたい時も使用する事が出来た。
母上や父上は許可しなくても登録してあるから入れるけど……ダーリエの分も登録したいと思うのだけれど、今の状態じゃ夢のまた夢って奴だ。
切欠が欲しいと思う所臆病である事には違いない。
その切欠が本当にやってくるから余計にそう思ってしまった。
ぼんやりとダーリエの離れを見ていると専任メイドであるクロリアが慌てて妹の離れから出て来た。
彼女は有能なメイドで滅多な事では取り乱したりはしない。
そんな彼女が唯一感情をあらわにするのはダーリエの事だけだ。
ボクは慌てて窓に近づくと今度は黒髪の男性と共に緑髪の男性が慌てて出て来た……ダーリエを背に負って!?
「ダーリエ?!」
駆け抜けるように本邸に消えていったが、あれは確かにダーリエだったし、何処か顔色も悪かった。
「離れで倒れていたのか?」
ボクは出来るだけ手早く魔道具を片付けると離れを後にした。
幾ら今、関係が微妙だとしても妹の一大事に向かわないなんて選択肢は無い。
「(対した事がなれば良いのだけれど)」
離れを施錠すると家に戻り、近くにいた使用人に事情を聞いた。
どうやらダーリエは魔力の枯渇により倒れたらしい。
ただ本当に生命の危機レベルでは無かったらしくて、少し休めばよくなると言っていた。
「そうか。良かった」
命の危険が無いと分かり安心した。
ただ目が覚めたら心配した、と一言くらい言ってもいいと思う。
魔力の枯渇は時として命の危険もあるのだから。
基本的にはその前に自己防衛が働いて気絶するが、それが戦闘中だったら死に直結する。
そうじゃなくても体の危険信号を無視し死に至った例もある。
周囲の注意を無視するような娘じゃないんだけど、時々突拍子も無い事をしでかすし、お転婆な娘だから。
限度が分からず無茶をしたのかもしれないな。
せめてボクも心配したのだという事くらいは伝えたかった。
……向かった先でまさかボクこそが再び泣かされるとは思わなかったよ。
ダーリエの部屋にはクロリアと共に講師である男性が二人いた。
多分、さっき見た黒髪と緑髪の人達だろうと思うけど。
本当は普通に入ろうと思っていたんだ。
成人した家族ではない男性が部屋に居るからか部屋のドアは開いていたし、扉をノックすれば普通に入る事は出来たはず。
けど、黒髪の人が言い出した言葉にボクは入るタイミングを失ってしまった。
「……どうして其処までの献身を捧げる? お前は避けられていると言うのに」
自分の事だと分かってしまった。
だから入る事は出来なかった。
どういった話の流れでボクの事が出たかは分からない。
けれど、今、ダーリエを避けている人間なんてボクしかいないと思った。
ダーリエはやっぱりボクが避けている事に気づいていた。
嫌われているかもしれないと、疎まれているかもしれないと。
黒髪の人はダーリエがボクを「助けたい」と思っていると言っていた。
ダーリエの中ではボクは「まだ」守りたいと思う家族なのだと言う事だった。
嫌われていないという言葉がとても嬉しかった。
あんな態度を取っていたのに、それでもボクを思ってくれる。
黒髪の男性の言葉は厳しかったけど、ボクも理由が分からなかった。
家族だから? 無条件に愛し守りたいと、そう思う程ダーリエは楽観的でも、周囲が見えない娘でも無い。
ボクだって家族に、妹に愛されて、妹の明るさと注がれた暖かな気持ちを貰ったからこそボクも愛し守りたい。
そこには家族だからという無償の親愛の情の他に、そういった報いたいという気持ちがあるのだから。
確かにダーリエは家族に使用人に愛された子供だ。
注がれた愛情が無償の愛だという事も自覚しているかはともかく分かっていると思う。
けれど、だからと言って無条件に家族だから、と思考を放棄したりはしないだろう。
貴族の子供としてはそこまで楽観的ではいられないのだから。
ボクはノックする事も出来ず、ドアに寄りかかってしまった。
立ち去る事も出来ず、これは盗み聞きだな、と気づいて、苦笑するしかなかった。
貴族としては礼儀がなってないと言われても仕方ないな。
とは言え、此処で立ち去る気にはどうしてもなれなかった。
意外と自分に素直な性質だったらしい自分自身に呆れるしかない。
ただ言い訳じゃないが、此処でダーリエの話を聞くべきだと囁く声があるのは事実だった。
……自分の心の囁き、なんだと思うんだけどね。
ダーリエの話は最初自分の本質についてだった。
世界が狭いというのは、多分人が当然感じる区分けだとか、大人になれば解決するとか……そういったモノとは少し違うように感じた。
多分緑髪の人は接する人が少ないが故のモノであり、人ならば誰でも行う区分だと思って言葉を返していたようだけど、正直ボクはそうは思えなかった。
ダーリエはボクと一緒で分家筋の人間とは接する機会があるのだし、護衛付きとはいえ街に降りる事だってあった。
この年頃の貴族の子供としては大人を含めて「人」と接する機会は多い方なのだと思う。
だからダーリエが自分の世界は狭いと言うなら、そう言った外的要因があっても狭いままなのだという事なのではないかと思うのだ。
勿論、年齢を重ねて広くなる可能性の方が高い。
とは言え、別の要因から世界が狭いのならば、それは事実広くなったのではなく、そう見せている、だけなのだと思うけど。
そうやってダーリエの事を考えていたからか、次の言葉に対してボクは無防備だった。
「お兄様を愛しているからですわ。ただただお兄様やリアが大切なのです。大切な人達には健やかでいて欲しい。そのために努力する事は何も可笑しくはないでしょう?」
ボクに疎まれていると、そう思っている妹はそれでもボクを「大切な人」だと思ってくれているのか。
意味も分からず避けられていて、疎まれているかもしれないと思っているボクを。
世界が狭いと自認していて、その枠組みから外れようとしていた人間を。
自分を嫌っていたとしても、自分が愛しているから。
健やかにいて欲しいと考えられる。
そのためには自分の身を損なう事すら厭わない。
それは……なんて深い愛情なんだろうか。
涙が止まらない。
ここ最近のボクは涙腺が馬鹿になっている気がする。
家族に泣かされてばかりだ。
ボクがした事なんてほんの小さな事だ。
「守りたい」という言葉だって純粋な思いからは言ってはいない。
ただ自分の中にあった感情に名を付けたくなくて、良き感情で覆い隠そうとした。
心から守りたいと思っていたとしても、ごめんと謝っていたとしても、それは決して純粋な思いからじゃないのに。
それでもダーリエはボクを守りたいと思ってくれたのか。
「だから私――ワタクシはお兄様に恥じぬ妹でありたいのです。疎まれたとしても嫌われたとしても、嘗てワタクシを愛し優しさを注いでくれたお兄様の愛情に報いたい。ワタクシもお兄様を守りたいのです。……それがワタクシの愛情の示し方、なのかもしれません」
姿が見えないのがもどかしい。
けど例え、いまこの時ボクが部屋の中にいたとしても涙でダーリエの顔なんて碌に見えなかっただろうけど。
けれど、ボクが此処にいると知らないからこそ、ダーリエの言葉は本音だと言う事も分かる。
純粋にボクを思ってくれた言葉が、愛情が嬉しくて、悲しくて、涙が止まらない。
一体ボクは何を疑っていたのだろう。
ダーリエはボクを愛してくれたと言うのに。
嫌われても一方通行だとしても受け取った愛情に報いるために愛情を注げる娘なのだ、あの娘は。
「(ばかだなぁ。本当に、ばかな娘だ)」
世の中にはそんな愛情を利用する愚かしい人間もいるのに。
ボクにだって疎まれていると思っているのに。
その事で傷つかない訳がないのに。
それでもダーリエはボクを愛するというのか。
注がれた愛情に報いるために。
ボクは流れ出ている涙を拭うとドアから離れてダーリエの部屋を後にした。
後ろでは何やら賑やかな声が聞こえてくるけど、今のボクには入る権利はないだろう。
このままじゃダメなんだ。
ボクだってダーリエを愛している。
決して疎ましくなんて思わないし、むしろボクが嫌われていると思っていた。
けれど今、ボクが部屋に入っていって何になる?
話を全部聞いていた。
ボクもダーリエを愛している?
そんな簡単な話じゃない。
今、そんな事を言ってもダーリエは信じないだろう。
最悪自分の話に一時的に惑わされたと考えるだろう。
お互いに嫌われていると思い恐れていたとダーリエが理解してくれるためには機を見て場所を整える必要がある。
情けない話だけど「今」のダーリエを知る人間に聞く必要がある。
ボクの情報だけじゃ足りない。
ならその情報を持つ人の所に行けば良い……父上の所に。
自分の事も話さないといけないと考えると恐怖を感じて震える。
けど母上もダーリエもボクを愛してくれている。
そして母上は父上もボクを愛してくれていると言っていた。
ならば母上を信じボクは自分の心を打ち明けるべきだ。
もう逃げたくはない。
ダーリエの誇れる兄であるために。
「(ダーリエ、ボクも愛しているよ。何時か声に出して告げるから。……その時は何の憂いも無く「君」と笑いあいたい)」
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