第28話敬愛すべき「夜」の御方(3)




 ダーリエお嬢様がお変わりになった事には気づいておりました。

 

 あの忌まわしき事件によってお嬢様は短くはない期間目を覚ましにはなられなかった。

 どれだけ私はお嬢様を害した存在を見つけだしたかったか。

 生きている事を後悔させ、自ら死を請うまで痛めつけたいと囁いてくる、抗う事が困難な程強い衝動を必死にねじ伏せお嬢様が目を覚ますまでお世話をしておりました。

 情緒が育っておらず喜怒哀楽を表す事の出来ない私が我を失い暴走させそうな程の憤りを感じました。

 万が一でも有り得ませんがお嬢様がこのまま死の世界へ御渡りになっていたら?

 私はそうした存在だけでは無く、それを指示した存在すら滅した上で自らも後を追った事でしょう。

 闇から闇へと葬る技術を私は決して忘れていないのですから。

 ですがお嬢様は今はお休みになっているだけ、目を覚まされた時御傍におりたいと思い必死に自分を宥めすかしお嬢様の目覚めを待ちました。

 不覚にも目を覚まされた時は部屋におりませんでしたが、目を覚まし起き上がるお嬢様の姿を見た時は今まで教えられたメイドとしての理性を放り出し泣きそうなりました。

 

 一度目を覚まされればもう大丈夫でした。

 お嬢様は私達の心配という心を受け取り静かに回復ため療養して下さいました。

 本当にお優しい方だと思います。


 私もお嬢様の回復と【属性検査】の準備、それが終わった後のお嬢様のスケジュールなど色々目まぐるしく変わる環境を追いかけるのに必死でした。

 私はお嬢様専属のメイドですから、お嬢様をお助けする立場に御座います。

 ラーズシュタイン家には感謝しておりますが、それ以上にお嬢様が居るからこそ私は此処にいるのです。


 ですからお嬢様が私を遠ざけた時は命を絶ちお詫びをしなければいけいない程の失態を犯したと思いました。

 

 あの事件から目を覚まされたお嬢様は体が完全に回復するのを待ち、完治した後は精力的に行動していらっしゃいました。

 離れと【工房】を頂き、本から知識を取り入れ奥様からよりよく高度な作法を学びになり、公爵令嬢として恥じない人間となろうと努力しておりました。

 そんなお嬢様を誇らしく思いながらもついていくために精進せねばと思った矢先、お嬢様は私を遠ざけたのです。

 

 お暇を頂いた訳ではありません。

 ただお嬢様のお世話以外の仕事を割り当てられお嬢様の御傍にいる時間が大幅に減ったのです。

 私はメイド長に自身が何をしでかしてしまったのかと問いましたが、メイド長はただ首を振るばかり、最後には奥様が「ダーリエちゃんの心が定まるまで時間が欲しいの。貴女のミスではないから安心して待っていて頂戴」と言われてしまいました。

 奥様が何を見、何を知っているのかは分かりません。

 ですがお嬢様が今お悩みになり、それ故に私を遠ざけている事だけは分かりました。

 

 緩やかな絶望感が私を蝕んでいきました。

 

 私はお嬢様のためだけに存在しているのです。

 何が出来なくても御傍に居たい。

 ですがそれがお嬢様のためにならないのなら私は奥様の言葉を信じ待つ事しかできません。

 その時間は私にとって苦行でしかありませんでした。


 嘗ての死ぬかもしれない訓練よりも今の時間の方が辛かった。

 肉体的な苦痛ではなく精神的な苦痛は耐性も無く、段々心が死んでいく錯覚に襲われました。

 いっそこの身を闇に溶かし込みお嬢様を陰ながらお守りする方が良いのではないか? と思った事もありました。

 ですがそのたび奥様の「待っていて欲しい」というお言葉を思い出し考えを振り払いました。

 それはお嬢様が私を見て嫌悪の表情をするのではなく、悲しみの表情をしている事も理由の一つでした。

 お嬢様は何かを考え、悲しんでおられる。

 その憂いを私が払って差し上げる事は出来ないという哀しみと私を嫌悪なさっておいでな訳では無いという安堵とが入り混じり私の心の中はゴチャゴチャでしたが、お嬢様をメイドのまま待つ事は出来ました。

 

 そして遂にお嬢様の憂いの原因を知る日がやって来たのです。


 その日、私は部屋の掃除をし不備が無いかを確認しておりました。

 私は前が前だったせいか気配が大変希薄でして、同じメイドからは時々驚かれる事がある程です。

 お嬢様を始めラーズシュタインの方々はほぼ私を見つけてしまうのでまだまだ精進が必要と思っておりますが。

 お嬢様とアールホルン様は時々ですが私に気づかない事があります。

 特に焦っている時や何か集中している時に起こりやすく、あの時のお嬢様にもそれが当てはまっておりました。

 ですからお嬢様が私に気づかない事は良いのです。

 遠ざけられている身の上ですので気づかれないように部屋を退出すれば良かったのですから。

 ですがそれはお嬢様が私の名を呼んだ事で一変しました。


「『―――! ……――……Kuroria――……!』」


 お嬢様が何を言っているのか分かりませんでした。

 分かったのは私の名が呼ばれた事だけ、それも発音が少し何時もと違い、そうなんだろうか? と思ってしまう程でした。

 それにお嬢様がそのように感情を大きく動かして音を発している姿もとても珍しいモノでした。


 お嬢様は公爵家の人間であるという自覚をお持ちの方です。

 自分が貴族であり、貴族という身分社会においても上位に在る事も理解なさっていらっしゃいます。

 常に自分は見られる立場にあり、弱点となるモノを表に出さないように感情をコントロールする術を身に着けていらっしゃいます。

 勿論まだまだな所もおありになるのでしょう。

 なれど御歳を考えれば充分社交界に行く事が出来るレベルをお持ちになっていらっしゃるはずです。

 

 そんなお嬢様が此処まで声を荒げる姿は初めて拝見した気がします。

 例え私の存在にお嬢様が気づいていらっしゃらないとしても、何時人がやってくるが分からないこの部屋で取り乱す理由にはなりません。

 ……つまりお嬢様が離れという完全に自分以外の人間を排除できる場所まで行く余裕が無かったと言う事ではないでしょうか?

 しかもお嬢様が何かを叫ぶ中に私の名が混じっているという事は原因の一つに私の事もあるのではないでしょうか?

 

 血の気が引くという経験を始めてした気が致します。


 私は不覚にも感情のまま動いてしまいました。

 感情にも乱れがあったのでしょう、お嬢様は私の気配にお気づきになりました。


「……くろ、りあ?」


 呆然と私を見ていらっしゃるお嬢様。

 有り得ぬ失態をして頭が動かない状態に陥ってしまった私。

 沈黙が部屋を包みました。


 私は頭が動かず呆然とお嬢様を見ていました。

 ですからお嬢様の眸の中で感情が移り変わっていくのが見えました。

 お嬢様の夜の眸は何一つ変わらないまま御美しいままです。

 眸の奥に宿る生命の輝きも変わらず、いえ前よりも更に輝きを増し生命の灯火を燃やしております。

 だからこそ憂いや悲しみが浮かぶ様を見てとても心苦しく思うのです。

 お嬢様の憂いが何か分からずには取り除く事もできません。

 その資格が私にあるのかも分からないのです。

 

 そしてその切欠すらお嬢様に与えられるなんて!?


 私は仕える者として失格の言動ばかりを取っています。

 これにより馘を言い渡されるのならば受け入れるしかないとおもう程の失態です。

 そうなれば潔く命を捧げるか、一生を闇の社会に身を置きお嬢様の目に触れぬように生涯を捧げようと、半ば覚悟した時でした。

 お嬢様の目に確かな覚悟がお見えになったのは。

 夜の中に灯火が宿り、輝きとなる、なんて美しい変遷。

 今まで考えていたモノが一瞬でかき消される程私は魅入られてしまいました。

 

「クロリア。今までわたくしを支えてくれて有難う御座います。そして……騙していてごめんなさい」

  

 美しい変遷に魅入られてしまいお嬢様の御言葉の意味が最初飲み込めませんでした。

 私が言葉を発さない事を「責め」とお嬢様は受け取ったのか僅かに悲しみを宿しつつ心の内を紡ぎだしました。


 お嬢様が『チキュウ』と言う世界で生きた女性の記憶を持っている事。

 ある時まではお嬢様しか聞こえない『声』として寄り添っていた事。

 ある時――あの忌まわしき事件により『声』の記憶とこの世界で生きたキースダーリエお嬢様の記憶が混ざり合った事。

 生きた年数の関係で性格の基盤は『チキュウ』で生きた記憶の方が強いのだと言う事。

 ……自分はキースダーリエだけど私を助け、私が一生傍にいると誓った「キースダーリエ」ではない、と。


 一つ一つを丁寧に言葉を探し、自分の心の内を語るお嬢様は全てを話した後、真っすぐ私を見て口を噤みました。

 その眸は不安定に揺れ動き、だというのに心の奥底に宿した覚悟という光は少しも揺るがない。

 その姿のどこがキースダーリエお嬢様ではないというのでしょうか?

 

 私を救い道標となって下さったのは今よりも幼い頃のお嬢様です。

 薄暗い感情に支配され暗闇に向かいたいという心を引き留めたのは貴族として、それでも心を失わず自由に在ろうとする灯火を宿すお嬢様です。

 例え……例えお嬢様が私を掬い上げて下さった頃の記憶を持つ事無く『チキュウ』の記憶のみを持っていたとしても。

 眸の奥に宿る消える事の無い生命の灯火が灯る限り私がお嬢様の御傍を離れる事なんてありえません。

 それにお話をお聞きした所お嬢様と『チキュウ』という世界で生きた方とは根幹が同じ存在なのだとか?

 生まれ育った環境が性格に影響する事は重々承知しております。

 私こその今の状態こそその証だと思われます。

 ですが根底に持つ変える事の出来ない部分は同一だと言う事。

 私を救い、私が魅入られた灯火を持った敬愛すべき根幹は変わる事は無いのです。

 ……困った事に私がお嬢様を拒絶する部分が思い当たらないのです。

 

「お嬢様」


 私は笑えているでしょうか?

 お嬢様が少しでも安心できるように。

 今だけ表情の乏しい自分が嫌になってしまいます。


「お目覚めになられてから私を心配して下さり、その後も私を「友」とおっしゃって下さったのはダーリエお嬢様ですよね?」


 私-クロリア-を何の躊躇いもなく「友」と呼び、成長して貴族の常識を知り、それでもなお私を「友」と笑いながらおっしゃって下さる。

 その事が私の誇りであり、絶対なのです。

 不満と言えば、そうですね、少し駆け足で大人になってしまわれた事ぐらいでしょうか。


「お目覚めになられてからダーリエ様は大人のように自ら動いてしまわれるので私の助けなどもう要らないのではないかと思いましたが」


 何でも一人でなさる事が出来るお嬢様に私の存在など要らないのではないかと思いました。

 ですが、それでもお嬢様が私から拒絶される事を恐れ、繋がりを切るまいと動いて下さる。

 その思いだけで私は一生お嬢様の傍におりたいと思うのです。


「お嬢様は私との繋がりが切れる事を恐れ、これからも「友」と下さった。【魔力】を持つだけで素性も話していない私を「リア」と笑って言って下さる貴女様は、「あたし」を掬い上げてくれて「クロリア」と呼んでくれたダーリエ様と何もお変わりはありません」


 多分、お嬢様は私の尋常じゃない過去に薄々気づいておられると思うのです。

 表情が動かず喜怒哀楽の情緒が育っていない私を気味悪がらず一つ一つ教えて下さった。

 それに『チキュウ』の記憶があるのならば一層浮き出る私の異質さに気づくはずなのに、私の心配ばかりなさるお優しい御心。

 貴族としてはお優しすぎるかもしれません。

 ですが、必要ならば周囲がそれを補えば良いのです。

 ただお嬢様はお嬢様であれば良いと私は思うのです。


「私がお仕えする方はただ一人、キースダーリエお嬢様です。……それは過去も現在も御座いません。目の前におられる貴女様だけが私の唯一の主に御座います」


 驚きに彩られていたお嬢様の眸が安堵に解ける。

 その柔らかな光も美しいと思いました。


「お嬢様の秘密を打ち明けて下さって本当に有難う御座います。……貴女は私の生涯の主なのです。私の様な不出来なモノですが、永久に傍にいる事をお許し下さいますか?」


 お嬢様は私の言葉に笑顔を浮かべて下さいました。

 そのお顔は私がお嬢様の御傍にいると言った時と同じくあどけなく、ですが心の奥にある折れぬ芯を宿した強いものでした。


「ずっと友達でいようね! これからもよろしくねリア!」


 お嬢様の言葉を受けながら私は願うのです。

 世界を司どる神々よ、この美しい夜の眸が陰らない事を永久に願い奉ります。

 何時までもこの方を居る事が出来れば私はこの上なく幸福の中に居られるのですから。



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