宝探しゲーム
あさって
第1話
営業って仕事には向き不向きがある。俺が属する不動産仲介営業ってのは特にだ。
『はい、茂重不動産販売。金城です』
「あ、田代っす~。今、サイト用の撮り終えました」
『おう、ご苦労さん』
俺は一昨日撮った『現在地とは全く違う物件の写真』をタブレット上でスライドさせながら、電話に出た金城主任に報告する。
真面目で責任感が強い、出された指示を忠実にこなす。そんな人間はこの仕事にまず向いていない。
「このまま下見行きたいんすけど。この写真すぐ使います?」
『あ~いいよいいよ。定時までにありゃあいい。いってらっさい』
定時まで要らないということは、定時のあと何か作業するということである。そして当然のように残業代は出ない。正確には見込みとか何とかでまとめて給料に反映されてるらしいが、それを含めて手取りは他所に就職した友人達と変わらない。
俺は通話の切れたスマホ画面を見てほくそ笑む。
「ふふふ、これで完璧」
もちろん一生懸命仕事するのは美徳だ。会社側は社員に常に全力で働くことを求め、サボれば罰則を与える。社員としても一生懸命仕事して成績が上がれば歩合がつくので、俺だって売りまくれば友人の給料を超えることも可能だ。しかしそれはマラソン選手に最初から全力疾走すれば金メダルを取れると言っているようなもの。そうできるにこしたことないが、それができたらウサインボルトは42,195㎞を1時間ちょいで走りきる。
「時刻は
営業マンとして走り続けるのに必要なのは、自信の体力を見極め、背中に刺さる会社の目を躱し誤魔化し、働く上で適切なペースを保つこと。つまりは――自主的に休息をとる豪胆さ。
さらにつまりは、てきとうにサボれる無責任さである。
「閉店ガラガラ――ってな」
さっきまで写真を映していたタブレットでゲームアプリ『モンパク』を起動。スーツのジャケットを後部座席に放って、ネクタイを緩め、運転席のリクライニングを傾ける。全く、俺みたいな真面目な人間には合わない仕事だ。アリバイ工作と理論武装までしてキチンとサボろうなんて圧倒的に向いてない。いつ転職しよう。
さっき電話に出た金城主任なんて支店最寄りのコンビニに駐車してDSで遊んでるのが見つかっても平気な顔していた。全く天職である。
ちなみに定時の間にサボらず働けば残業は無くなるのでは? と思う方もいるかもしれない。だがそれはホワイト企業のホワイト思考。定時で帰るとそれだけで嫌な顔されるので、仕事の有無に関わらず残業は確定なのだ。むしろ定時の間に残業用の仕事を温存しておかないと、手持ち無沙汰になって「サボってんのか?」と怒られてしまう。自分で言ってて何だこりゃ。
まぁボヤいても現実はそうであって、そう簡単には変わらないし、そうであることに疑問や絶望を抱く暇も無い。人間に右手が三つないことを嘆く者がいないように、右手が二つ、目が二つ、月のサービス残業80時間の俺でとりあえず生きていくしか無い。
そんなわけで今日の午後はサボり。イベント限定『
(それにしても……)
ふと、俺は隣にそそり立つ真っ白な建築を見上げる。俺が車を止めたのは最寄りの駅までバスで30分。都内でありながら都市から隔絶されたの陸の孤島的僻地の新築戸建て住宅二階建て。その玄関出てすぐ隣、広々ピカピカな駐車スペースだ。
(この僻地にぽつり一棟……どうせなら周りも買っちまえば派手な現場に出来ただろうに……)
視線を軽く反らし、家の隣から裏側にかけて広がる、平坦な原っぱに目をやる。黄緑の網々フェンスに植物を絡めた生垣で囲われていて、中の様子はハッキリわからないが、おそらく校庭くらいの広さはあるだろう。これだけの土地が仕入れられれば、十棟余裕。二十棟の現場にだって出来ただろう。巨大な長方形原っぱの一角、ほんの片隅に一件建ってるだけというのは何とも勿体ない。
(まぁ、俺には関係ないけど)
気を抜くように、軽い鼻息。そもそもが担当区域外。客の条件に強くマッチすれば別だが、まず案内することはない。そして今はサボり中だ。仕事のことを考えていては意味がない。やっぱ向いてないな、と内心で自分を笑って、タブレットの画面を弾く。最大強化した俺の『ラフェエル』が跳ぶようにステージを反射してボスを撃退した。
この作業を何十回と繰り返す訳だが、とりあえずの切れ目に一度タブレットを置き、煙草を咥える。昔ゲーセンで取った、知らないアニメのエンブレムが入ったジッポーライターに右手で火を点ける。左手をその火を覆うようにかざす。両手を煙草に近づける。その動作の最中。
(……何だ?)
視線を感じて顔を上げた。するとフロントガラスの向こう。スーツを着たサラリーマンらしき男が、車内を、俺を、見ていた。
「やべ、売主かッ⁉」
商品の駐車場でくつろいでるこの状況。売主に見られるのは会社に知られるよりマズい。「下見です」とでも言い訳するか? でも助手席のタブレットはよりによって表を向いていて『モンパク』の勝利報酬画面を輝かせている。
俺の狼狽を余所に、サラリーマンは微動だにしない。何を言うでも無く、固まった紙粘土みたいに、まばたき一つしないでそこに立ち尽くしていた。気づくとサラリーマンの背後、少し遠くからランニングシャツの中年男性も、空になったジョウロを傾けたまま、俺達の様子を、いや多分俺を、見ていた。
不気味に思った俺はまず自分の身体を、それから周囲を見渡した。すると買い物帰りの主婦が、散歩中の老夫婦が、電柱に登る作業員までも、その場で止まり、こちらをじぃっと見つめていた。まるで時が停止したかのように誰一人微動だにしない。人形みたいな佇まいのくせに、俺に視線を注ぐ両目だけは、生きた生物の生々しい湿り気を纏っていた。まるで停止した空間そのものに行動を咎められているような圧迫感。俺は思わずジッポーの蓋を閉め、新品の煙草を灰皿へ放った。
すると、得体のしれない威圧感がふっと消え去り、通行人は何事もなかったかのように各々の目的地へと歩を進めた。車のド正面に立ち塞がっていたサラリーマンも、キョトンと辺りを見渡してから立ち去った。
「…………なんだってんだよ」
毒づきながら、箱を揺らしてまた一本煙草を出す。
コンッコンッコンッコンッコンッ
「うわぁぁぁおぉッ‼」
行為と同時に響いた物音に、つい、ホームドラマみたいな悲鳴を上げてしまった。恐る恐る音の方を見れば俺の真横、運転席の窓ガラスを外側から叩く人影があった。恐れが一瞬で安堵と苛立ちに変化する。パワーウィンドウが下がり切るのも待ちきれず、憤りを吐き出す。
「なーんのつもりだガキんちょ。見た目より高いんだぞ、この車」
そこにいたのは、小学生らしき女の子だった。三年生くらいだろうか。少なくとも高学年には見えない。その子供が、こちらの悪態を無視してぽつりと呟く。
「おじさんは……ここに住む人……?」
「いいや、ここを売る人だ」
抑揚のない棒読みの言葉に、この少女からも先ほどの固まった人間達に近い不気味さを感じた。身に響く恐れの分だけ、語気が強くなる。
「なんだ? この家に興味があるのか? 悪いけど今日は閉店だ。今度お父さんとお母さんを連れてこい。源泉徴収票と実印、印鑑証明書も忘れるな」
「だめ」
「……なんだと?」
明らかに不愉快を滲ませた俺の声に、少女は怯みもせず、小さな声ながらハッキリと明瞭な発音で言い切った。
「この家売っちゃ駄目。ここには誰も住んじゃ駄目」
「そんなこと俺に言うな! 欲しいって客がいりゃあ売るし、要らないって奴に口車使うほど仕事熱心でもない。俺が決めるわけじゃないんだよ」
吐き捨てて、俺は少女が立っているのを構わずドアの開閉レバーに手をかけた。
開くドアに小突かれた少女は2、3歩後ろによろめいて派手に尻餅を付いた。あ、と俺は音もなく口を開く。そこまでする気は無かった。が、駆け寄って心配しても格好がつかない。不機嫌に聞こえるよう鼻を鳴らし、車に鍵をかける。片手にタブレットを抱えてその場を立ち去る。その背中に、声がかかる。
「あれ」
振り返ると尻餅ついたままの少女が、戸建ての壁を指さしていた。そこには真っ白な壁で存在を主張する、ホクロのような30センチほどの塊。
『いなくなれ』
太く真っ黒なマジックらしい筆跡。落書きだ。ひでぇことしやがる。売主様ご愁傷様。俺の預かり物件なら親でも呼び出す所だが、他所様のもの、ひとまず俺には関係ない。「そうするよ」と冷ややかに吐き捨てて俺は隣の原っぱへ休憩場所を移した。
原っぱは本当に原っぱとしか呼びようのない、平坦な土地が広がっているだけの場所だった。が、その最奥、車を止めてある戸建てと対角の片隅に小さな公園があるのが見えた俺は、原っぱを横切りそこへ向かう。途中、十数人の走り回る小学生とすれ違う。鬼ごっこではなさそうだし、運動会の練習か何かだろうか。原っぱの隅、一つのフェンスに辿りつくとその一点に群がり歓声を上げている。練習でもなさそうだ。うーん、わからん。
公園は面積こそ広くないが、充分な設備が整っていた。凸という字を立体的にしたような形のジャングルジム、かまくらのような形をした滑り台、シーソーにブランコ、砂場。ここに遊具があり、走り回るのは原っぱ。完璧な役割分担。子供の遊び場としては、これ以上の場所はないかもしれない。
そんなことを思いながら、俺はいくつかの遊具を観察し、最終的にかまくら型の滑り台に潜り込んだ。この遊具は円の外を登って滑り台としても遊べるし、ドームの中に入って遊ぶこともできるというものらしい。ドームの入り口は東西南北って感じに4つあり、内部は広々、大人でもくつろげる。俺はそこを一時の住処と決め、内壁を背もたれに、一息つく。
「しかし、ここもひでぇな」
外見は綺麗だったドームだが、内壁の荒れ方は散々だった。落書きに重ねた落書き。妙に気取ったスプレーアートや相合い傘に微エロメッセージ(電話番号付)、具体的な姓名に罵詈雑言が添えられたものまで。落書きと聞いて想像するもの全てがそこにあった。
その中に紛れて一つ。意味のわからない文言に俺は首を傾げる。
『入り口から3番目のフェンスを探せ』
なんだこれ? と一瞬考えたが、すぐに思い至る。
「宝探しか。あったなぁ、こんなの」
なんてことはない。これも落書きの一種だ。校庭や公園の遊具なんかに書かれるもので『どこそこに行け』『どこを開けろ』って指示が書いてある。その通りに行動すると次のメッセージが見つかるようになっていて、次々と命令をこなしていくと最後にはお宝にありつける……ように思わせて何もないという落書きだ。ただのイタズラかもしれないし、誰かが実際に遊んだ跡かもしれない。ともかく、こういう遊びが昔流行ったことがある。まぁ俺の周りだけかもしれないが。
「あいつら、これで遊んでたってわけか」
フェンスに群がっていた子供達の行動に、ここで合点がいく。令和のこどもにしちゃあアナログな遊びだが、心ときめく気持ちもわかる。ご褒美の有無なんて関係なく、日常に残された謎のメッセージ、それ自体に興奮するのだ。
気づくとドームの東側から、さっきの小学生集団が一心不乱に砂場を掘っているのが見えた。きっとフェンスには「砂場を掘れ」とでも書いてあったのだろう。
(懐かしいもんだな……)
ほんの一瞬、子供らしいトキメキを失ってしまった自分自身に切なさを感じる。しかし顔を伏した先、真っ先に目に映るゲーム画面。そんな変わってねぇかと自嘲し『
「駄目だよ」
「まぁーだ、いたのかよ」
ドーム西側の入口から、さっきの少女が顔を出した。相変わらず俺の態度と言葉を無視して中に入ってくると、ぽつりと一言。
「あれ」
俺の真上辺りの内壁を指さした。つられて俺は首を傾ける。そこには他の多くの落書きに混ざって、一際目立つ大きな文字で。
『禁煙』
「はははははッ」
存在の矛盾に思わず笑ってしまう。こうも公序良俗にそぐう落書きも見たことがない。以前、マジックで書かれた『落書き禁止』という落書きを見たことがあるが、それに近い可笑しさを感じる。俺は構わず煙草に火を点け一服する。少女への苛立ち――というより意地の悪いイタズラ心か、を吐き出すよう、その落書きへ向けて煙を吹き上げた。一瞬視界が煙で覆われる。すると、先ほど『禁煙』と書かれた同じ場所に。
『火を消せ』
「……なんだ?」
俺は思わず立ち上がりドーム全体を見回す。登った煙が重力で沈み、俺を覆う。薄い煙の向こう側。白みがかった視界の中。内壁を埋め尽くす落書き、その無数の線が、ほどけて別れ、まるで蛇のように平面上をのたうっていた。各々が自我を持っているように動き、ドーム全体に同じ文字列を形成していく。
『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』『火を消せ』
思考が固まる。状況が理解できない。壁に背中を貼りつかせたまま、指一本たりとも動かせない。少女はそんな俺を先ほどと変わらない無感情な瞳で見つめていた。一歩、また一歩、ゆっくりとこちらに歩みを寄せる。
「書かれてる通りにしなきゃ駄目」
遂に俺の眼前にまで迫った少女は、そう言って俺を見上げた。俺の腹に左手を付いて背伸びをすると、開いた右手を俺の顔、いやその先にあるものに伸ばした。
「そういう遊びなんだよ」
「ぁ……ぁあ……ッ……‼」
少女の右手が俺の咥えた煙草、その先端の赤い断面を掴んだ。今までとは違う煙が少女の指の間から漏れ、吐き気を催す刺激臭が鼻をついた。
「うぁッ、ぁぁあ、ああああああ‼‼‼‼‼」
少女の手が高熱を完全に握りつぶした時、俺はやっと声を出すことが出来た。その代わり腰が抜け、その場でへたり込む。少女はさっきまで見上げていた俺を見下ろして初めて感情を表した。真っ黒に焦げた手のひらを見せつけて、100点満点のテストを見せるみたいに誇らしげに、微笑んだ。
「やめろやめろぉ……やめろぉぉ……」
少女はもう何もしていない。具体的な加害はされていない。ただ目の前の光景の異常さに、どうしようもない恐怖を感じて、俺はそう繰り返した。いつの間にか声は掠れて、目には涙が滲んでいた。鞄とタブレットを抱えて、這うようにドームを出ようとする。
そして気づいた。
ドームの東西南北、全ての出口に、小学生の集団が立ち塞がっていた。全員が全員、先ほど砂場を掘っていた金属製のスコップを握りしめている。そして、全員が人形のように固まって微動だにしない。
「なん……なんだよ……? 今どき宝探しゲームかよ? またここを探すのか?」
小学生に怯える自分が情けなくて、あえて軽薄な言葉で問いかける。返事は無い。言葉どころか身体的反応も一切皆無。まるでマネキンに話しかけているような気分だった。
「じゃ……じゃあ邪魔だよな。俺は帰るからさ……悪かったな」
そうして公園の出口に一番近いドーム北側を塞ぐ小学生に近づくと、ドーム内を埋め尽くしていた文字列の一部がまたほどけた。それらは残った文字と同じ形を作り、密度を増す。
『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』『消せ』
何を? 誰を? 思う間もなく、小学生達は先ほど砂場を掘っていた時と同じ、期待と好奇心に目を輝かせて俺に走り寄る。スコップを突き立てる。俺の身体に。
「うぉぉおお――――ッッッ‼‼‼‼‼‼‼」
四方から迫る刺突。違った方向からの痛みに、全身の各部位が違った方角に身体を逃がす。躍るように身体をくねらせ、痛みに悶える。切り傷がYシャツを赤く染め、咄嗟に顔を守ったタブレットのディスプレイが割れて両手と左頬に突き刺さった。頬から一筋血が流れる。倒れ込みそうになるが、死、その瞬間スコップでめった刺しにされて死ぬ。その具体的恐れが身体を支えた。大人の体格にものをいわせ、強引に小学生の壁を突破。ドームを脱出した。
「くそっ……逆かよ……‼‼」
夢中で選べなかった。出たのは南側。公園の出口とは反対方向のどん詰まりだ。毒づいている間にも、ドームから次々と子供が出てきて、じわじわと俺に迫る。俺は正面を子供に向けながら、後ろ歩きでジャングルジムの裏手に回り込む。
子供達は数人ずつに分散し、ジャグルジムの右手、左手、正面と別れた。一歩ずつ、ゆっくりと俺に近づいてくる。
(なんだ? さっきはあんなに勢いよく飛びかかってきたのに……)
ジャングルジム越しにその動きを観察する中、俺と子供を隔てるその細い格子に『ドームを探せ』という落書きが視界の端に映った。それがほどけて蛇の群れとなり、群れは3つに分散して子供達の方へ、格子の上を移動していった。突如、頭の中に先ほどの少女の声が反響する。
「書かれてる通りにしなきゃ駄目」「そういう遊びなんだよ」
「そういうことかッ……‼」
直感めいた閃き、そしてその発想を根拠とする危機感に、俺はジャングルジムに飛びついて、駆け上がる。一瞬遅れて、子供がジムを回り込んで左右、格子を直線突破して正面、さっきまで俺がいた場所に殺到していた。標的を探す目が、ジャングルジムの頂点にいる俺を見上げる。気づきが一瞬遅かったら……息を詰まらす想像を極力無視して、北側へジャンプ。小学生の包囲網を無事切り抜けた。――そう確信した瞬間、空中での推進力が突如0になった。前にも、下にも0である。俺の身体は空中で停止していた。
「な……ぉっ、な…………ん」
なんで、という言葉は出なかった。俺の気管は完全に塞がれていた。苦しくて動かない首の代わりに、目を慌ただしく動かす。首から伸びたネクタイが、上空に張り詰めるるようにして伸びていた。その先に重みを感じる。
子供の一人が宙をはためいたネクタイを掴み、逆から体重をかけているのだ!
ジャングルジムの格子を支点にして、井戸の滑車のようにッ‼‼
その閃きも驚きも、俺は声に出せない。窒息より早く、首の骨がイカれて死ぬかもしれない。でも死にたくない。こんなところで訳もわからず子供に殺されるなんて嫌だ。その一心で俺は
身体揺すり、勢いを付ける。
「げッッぅ、ごぉッッぇ……‼‼」
首への負担は増すが、やらなければ死ぬ。身体を揺すった勢いでジャングルジムの方へ向き直る。思った通り、三人の子供達が俺のネクタイにぶら下がり体重をかけていた。その表情は嬉々とした興奮に満ちている。この場から、あの子達をどうにかすることはできない。
さっきの考えが正しければ必ず、子供達の前にアレがあるはずだ。
ザッ、と背後で砂を擦る音がした。シャベルを持った子供達だろう。窒息を待たず刺し殺す気だ。だが、それは逆に勝機。子供が背後なら、アレは正面。俺の前にあるはずだ。霞む視界の中、ジャングルジムの格子を上から下へ右から左へ、一本ずつ探す。そして見つけた。それは丁度俺の腰の辺り、左手のすぐ横の格子に書いてあった。
『ドームを探せ』という落書きがほどけてできた『消せ』『消せ』『消せ』という文字列。俺は頬の切り傷を左の親指でなぞり、それをそのまま文字列に擦りつけた。
瞬間、俺の身体は地面に叩きつけられた。痛みに構うことなく、すぐに振り返る。そこでは数人の小学生達が邪気のないキョトンとした顔で立ち尽くしていた。
俺はすぐさま立ち上がり、ドームの脇を抜け、公園を出て、原っぱの中央辺りまで全力で走った。そして、そこに大の字に倒れ込む。
「あははははははは、やった、助かったぞ‼‼」
愉快に笑う俺の様子に興味を持ったのか、さっきの小学生達が集まってくる。素朴な目で不思議そうに俺を見ている。もう怖くない。知っている。
超能力か霊能現象か知らないが、この子は最初は純粋に宝探しゲームを楽しんでいたところ、途中からあの文字に操られていたのだ。しかし、その効果は文字を目にしている間が一番強く。文字から目を離せば、ほんの短い間に支配が解けてしまう。だからドーム内での子供達が最も活発で、そこから離れて動きが鈍くなった。そしてあの文字には、変化する力はあっても増える力は無いのだ。元々の落書きが多かったドーム内では逃げるしか無かったが、元が一行だけのジャングルジムでは、それさえ塗り潰してしまえば暗示を解ける。
そして、今この原っぱ。落書きなど書きようのないこの地面の上は、まさに安全地帯。俺は超常現象から逃げ切ったのだ。
「ざまぁみろ! 俺の勝ちだ‼‼」
誰に対して、何に対してなのかわからない絶叫と共に俺は上半身を起こす。そして、身体が欲するからではなく口にした言葉の象徴として、煙草を一本取りだし火を点ける。
ジュッ
その真っ赤な断面を、中心を焦がした手がまた掴んだ。
「駄目だよ」
さっきの少女が俺の目の前にしゃがみ込んでいた。いつの間にか小学生達が俺の足に、腰に、まとわりついている。コンクリートで固められたように身動きが出来ない。少女は火の消えた煙草から手を離して、その握った指の中から人差し指だけを立てた。
「
少女の指が俺を指す。左の頬が、なんだかムズがゆい。俺は左の二の腕、この出来事の間にすっかり茶色く煤けたYシャツにほっぺたを押しつける。
そこには俺の血で左右反対に『消せ』という形の染みが浮かんでいた。
遠くから、車のエンジン音が聞こえる。いや、近くから? 段々近づいてくる。その陰が迫ってくる。俺が乗ってきた社用車だと思う。思うってのはアレだ車種は同じなんだよ。でもナンバープレートが真っ白だからさ。車種が同じだけで全然別の人のかも。そうだな違うな、間近で見ると全然違うわ。乗ってるのはランニングシャツ着たオッサンだし、何より、ウチの車はボンネットにあんなこと書いてない。なにで書いたんだろう深い緑の、少し膨らんだ立体的な文字で『殺して埋めろ』だって。
「く、くるな、くるなァアァァァァァァァッ――ッ」
メキャぁ、ギギギギギ、ガリュゴキガダキガキガキ、ギュチュぅ、ビチャン、ビチャン、ビチャン
原っぱ中央から公園まで俺を引きずった車は、そのまま砂場に掘られていた大穴に突っ込んだ。車のサイズは穴の入口とほぼ同じだったが、穴は膨らみ、縮み、少しずつ喰うように車と俺を押し潰して、その全てを穴に落とした。
穴の底は空洞で、広大な住宅街が広がっていた。ただし、その全てが火に包まれていた。ぎゅうぎゅうに敷き詰められた家屋が焼け崩れ、更に火勢を強める燃料となる。そんな中を潰れた身体を焦がしながら、のたうち、這い回った俺が見つけたのは、いったいどうした因果だろう、今度こそ自分の乗ってきた社用車だった。しかし、元の場所に戻ってきた訳ではない。車の横に立つのは真っ白な新築戸建では無くて、苛烈な赤に包まれる古びた木造建築だった。
その片隅、車と木造建築の間にそびえる大木の横で、マッチを持った少女が立ち尽くしていた。轟々と炎を噴き上げながら、いつまでも燃え尽きる気配のないその幹には彫刻刀で文字が掘られていた。
「コノ木ヲモヤセ」
落書きだ。校庭や公園の遊具なんかに書かれるもので『どこそこに行け』『どこを開けろ』って指示が書いてある。その通りに行動すると次のメッセージが見つかるようになっていて、次々と命令をこなしていくと最後にはお宝にありつける……ように思わせて何もないという落書き。
ただのイタズラかもしれないし、誰かが実際に遊んだ跡かもしれない。
ともあれ、こういう遊びが昔流行ったことがある。
宝探しゲーム あさって @Asatte_Chan
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