第35話:襲来
退屈な六限の授業中だった。
昨日の出来事があってもこれまで通りに接していたあやめは、体調不良で早退していて、俺はぼけっとしながら窓の外を見ていた。
スマホがライン通知を発したので、教師の死角で取り出して見てみる。
「ぅおっげふっ!」
腰を浮かせて奇声を発した俺に皆の視線が集中する。なんつー声出してんだ俺は。
「香坂、どうした?」
「な、なななななんでもありません。ただの、くしゃみ、です」
クスクスという笑いが教室に響く。でも俺はそんなことどうでもよかった。
『やあ、先生くん。
また英会話のレッスンを頼みたくて連絡してる。
今週の午後は比較的空いているので、そちらの都合を知りたい』
詩日さんからの初ラインだった。アイコンは設定されていない。詩日さんらしいなと思った。
『僕はいつでも大丈夫です。
詩日さんはご希望の日時はありますか?』
『早い方が助かる。急な話で申し訳ないけど今日はどうかな。
こっちは講義が済んだから、そちらの学校まで伺う』
「がふっつぷげほげほっ!」
再び奇声をあげると今度こそクラス中が爆笑の渦となった。教師ですら苦笑している。
「またくしゃみか?」
「そうです! くしゃみです!! おまえら黙れ!!!」
軽く赤面しながら着席する。詩雨は心配げな視線を寄越してくれていたが、暉隆は俺がスマホを持っていることに気づいたのだろう、助走付けて殴りたいくらいニヤニヤしていた。
『いえ! そこまでしていただかなくても大丈夫です! 詩日さんの大学から出やすい所で待ち合わせましょう』
五分待った。
……み、未読スルー……。
いやいや、詩日さんも大学で忙しいのかもしれない。
それにどっちみち授業はすぐ終わる。ホームルーム後に次第再度連絡してみよう。
俺は自分にそう言い聞かせ、冷静を装う、否、装うのではなく冷静になろうとした。
……無理ゲーだよコレ。
ああもう気になって仕方ない!!
明らかに殺気立ってそわそわしている俺に、ホームルームが終わると暉隆が寄ってきた。
「よう、俺今日部活休んで整体行くからさ、久々に一緒に帰ろうぜ。詩雨も一緒にさ。ついでになんでそんな落ち着かない顔してるかも教えろよ」
「俺ちょっと急いでるけどそれでもよければ。詩雨は今日委員会だ」
「おし、急いでるならもう行くか。どうせそのそわそわフェイスも急ぎの用事も詩日さん関係なんだろうし?」
「なっ……!」
見透かされた俺はまた奇声を発するところだった。
「暉隆おまえ……滅茶苦茶面白がってるだろ」
「協力してんだよ」
そんな無駄口を叩きながら俺たちは一階に降りて、昇降口を抜け、すでに練習を開始している運動部の連中を尻目に校門を出た。
その時。
「お、先生だ」
校門を抜けた先で、後ろから声がかかった。
「う、詩日さん!」
「詩雨は?」
「あ、あの、あいつは今日委員会があって……」
ヤバい、明らかに挙動不審になってる俺はもうダメだった。風でざあざあと流れる髪も気にせず、いつも通りブラックデニムに着古したTシャツ姿の詩日さんが視界に入っただけで、また熱感というか胸が熱い感じが発生して。
「初めまして、早川暉隆です。輝がお世話になってるみたいで」
暉隆が営業用スマイルでフランクに詩日さんに声をかけた。
のだが。
「…………」
詩日さんは無表情に暉隆を見たまま無言、奇妙な沈黙が落ち、流石の暉隆も頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「中山詩雨の姉、詩日です。こちらこそ詩雨がお世話になってます」
あれ?
低い声でそう言って頭を下げる詩日さんはいつもとは違う雰囲気を醸し出していた。
何だろう、と思って一歩前に出ると、詩日さんの表情は固く、眼が、あの絶対零度の瞳になっていたのだ。
「ああ、分かった!」
詩日さんは突然大声で言って、左右の拳をぽんと合わせた。ちょっと古い仕草、可愛い。
「きみはアレだ、世に言うイケメンというやつだね」
「……はぁ、まあ、そうだといいんすけど」
詩日さんの独特のテンポに、暉隆は完全についていけてない。当然だ。俺も最初そうだったし。
「輝くん、彼がもうひとりの生徒さん?」
「あ、そうです。今日はたまたま部活ないらしくて」
「じゃあ行こうか。どこか静かな店でもあればいいんだけど」
レッスン確定してんじゃん……。いや! 俺もいつでもいいって言ったけどさ!!
「あー、俺は整体に行かないといけないんでパスしますね。予約時間ギリギリなんで」
嘘つけ! おまえの行きつけの整体は夜遅くまで駆込みでも診てくれる所だろ!
「駅前にレッスンにピッタリの店がありますよ」
「ほう」
「え、あったっけ? あの辺うるさい店ばっかじゃね?」
俺がそう言うと、暉隆はニヤリと笑って、
「あんじゃん、北口の正面に。防音壁だから静かだし、大声を出しても何の問題もない。しかもドリンク飲み放題で腹が減ったら食べ物もある店が」
「はっ?! あのカラオケ屋か?!」
「なるほど、確かに理にかなっている」
詩日さん、ここは同意ではなくツッコミを入れるところです……。
「歌うという本来の目的を無視する背徳感も素晴らしい。それにそこなら密室だから先日の”th”のはつお——」
「わ、わあああああ詩日さんそれは、えと、分かりました行きましょう!! 暉隆ありがとな! 整体行って大会に備えろよ!!」
俺はあらん限りの必死さでそう叫んだ。
……神様、やっぱり俺に選択肢はないのですね。
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