第22話:目撃

 放課後、俺と詩雨は教室に残って、詩雨の影響で本を読み始めたクラスメイトと雑談していた。中には『隠れ読書家』も存在して、俺自身もこれまであまり話したことのない奴らと徐々に打ち解け始めていた。

 そろそろ解散か、というタイミングで、詩雨がトイレに行った。他のメンツもぱらぱらと教室を後にしていた。

 結局俺は詩雨を待つ間、生ぬるい風が吹き込む窓際で、校庭を眼に映していた。

 

 その時だった。


 水泳部の部室から男女が出てきて、プールへと親しげに歩いていくのが目にとまった。


 暉隆と、俺の知らない女子だった。


 俺は妙なざわめきを胸に抱きながら、二人を眼で追った。

 プールの脇で、暉隆がその女子の頭にぽん、と手を置いた。それはほんの一瞬だったが、女子の方は照れたのか手で顔を覆った。

 ほどなくしてプールサイドで暉隆はストレッチを始め、一緒だった女子生徒はペットボトルやタオルを手にその様子をうかがっている。他の部員たちと混ざっても、まったく違和感がなかった。あの子は水泳部のマネージャーだろうか。それにしては歩いている時は暉隆の方が珍しく積極的に声をかけているように見えたし、頭に触れたあの瞬間も見逃せない。つまり、部員とマネージャーという関係以上の親密さが。

 女子生徒は、ウチのクラスではない、ということしかこの距離では分からなかった。そもそも学年も分からない。

 しかし徳永はどうした? このところずっと親密さを見せていたのに。

 酷く暉隆らしくない行為だが、ある言葉が頭に浮かんでしまった。

 

『二股』

 

 徳永はテニス部で水泳部とは無関係だ。二人は付き合っている、という噂がまことしやかに流れていたし、それくらい仲良くしていた。でも俺は暉隆から直接聞いてないから、その噂の正誤については答えを出せずにいた。

 そこで登場したのが、あの女子だ。

 遠目に見た限りだけど、彼女は徳永とは全くタイプが違った。小柄で、少し猫背で、化粧もしてないように見えたが、あくまで二階の教室から見えただけのことだからあてにならない。

 俺はかなり混乱していた。


「輝くん?」

 真後ろに詩雨が立っていることにすら気づかなかった。

「どうしたの? 大丈夫?」

 よほど狼狽して見えたのか、詩雨は深刻な顔をしていた。

「いや、何でもない。帰ろうか」

 


 学校から最寄り駅までの間、俺はほとんどうわの空だった。

 詩雨も気づいたはずだが、俺を気遣ってか何も聞いてはこなかった。会話はしていたけれど、俺の返答は的外れだったかもしれない。

 駅で詩雨と別れ、電車に乗り込んだ。暉隆のことが気になっていた。

 前も言ったがあいつは何事も事後報告だ。そして俺が詮索するのを嫌う。

『俺を信じて待てよ』

 なんて言われたこともあったが、俺は親友として腹を割って話してもらった方が嬉しいし、恋愛沙汰であろうと他の問題であろうと、俺は暉隆を応援するなり協力するなり、あるいはただ愚痴や泣き言を聞くなり、とにかく力になりたかった。だが、あいつは全部ひとりでやってしまう。こなしてしまえる器用さがある。俺はそれが少し嫌だった。


 気分がふさいできたので、途中下車して駅ビルの大型書店に寄ることにした。

 今月の書籍代は、まだ余裕がある。何かハードカバーの長編でも買って気張らしするか、なんて考えながら入店した。

 俺は普段、節約と、より多くの本を買えるように、文庫落ちしたものを買っている。親父は毎月それなりの額を書籍代として渡してくれていたが、いつまでもそれに頼るのも何だか申し訳ない。だから、新刊でどうしても読みたいものだけを、親父からの書籍代で購入していた。

 勝手知ったる本屋である。新刊コーナーやランキングを眺め、面白そうなものを探す。国産はあまりグッとくるものがなかった。海外文学の新刊コーナーに足を伸ばす。

 気分としては、カミュやカフカ系、不条理で救いようのない話か、理解不能で完全に俺を異世界に連れて行ってくれるような作品を読みたかった。気晴らしがそんなんでいいのか、という声が聞こえそうだが、ケイオティックなものの方がいっそ笑えてきて結果として全部どうでもよくなってしまうのだ。

 しばし海外文学エリアをうろうろしながら、いっそトマス・ピンチョンまで行ってしまうか? と迷い始めた。ピンチョンの代表作は一冊五千円くらいで、しかも二冊組みだ。


「ピンチョン好きなの?」


 突如右脇から声をかけられた俺は喫驚して五センチくらい垂直跳びした。


「うっ、詩日さん!」

「しかし高校生にピンチョンは金銭的に厳しいはず……そうか、暁みちるのギャラなら可能ということか」

「あ、あの、こんにちは! 先日はありがとうございました!」

「何が? すまん、私は記憶力が悪い」

 そう言う詩日さんは、英語のペーパーバックが数冊入った籠を持っていた。

「ああ」

 何かに気づいたのか、詩日さんは顔を上げて俺を見た。

「再びすまん、こんにちは。奇遇だね、こんな所で会うなんて」

……順序という概念はこの人にはないのだろうか?

「随分ストレスフルな顔をしてるね。本買ったらそこのカフェで何か飲もう。私が奢る」


……は?


「私はもう会計行くから、先に店に行って席を確保する。待つのは平気だからゆっくり選べばいい」

 それだけ言うと詩日さんは踵を返し、レジへ向かった。


……あのー、俺に選択肢はないのでしょうか?

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