第17話:続・好奇心(いわゆる好奇心)

 午前一時まで、俺と詩雨は話し込んだ。本や文学の話だけではなく、幼い頃の話や音楽や映画、高校生活についても。

 そして、ついにその話題がドロップされた。

「輝くんの初恋はいつだった? ぼくは小学校の時だったけど」

 詩雨が悪意なく、いっそ無邪気にそう聞いてきたので、俺は顔面から表情だけぼとりと落としたように硬直してしまった。

「輝くん……? あ、もしこういう話嫌だったら別に……」

「あ、いや」

 眠気のせいもあっただろうが、俺は完全に挙動不審になった。

「……まだ、なんだ」

 それだけ言うと、詩雨は意味が分からないという表情で俺を見た。

「おまえだから言うよ。他に知ってるのは暉隆だけ。俺、まだ初恋とか恋愛とか、その、ちゃんとした経験がないんだ」

 詩雨は、これまでに見たこともないほどぽかんと口を開けていた。

「え、ちょっと待ってちょっと待って。輝くん、凄くモテるよね? 最近はあの楠木さんと仲良いし、他の人たちはダブル・ライトなんて言ってるし、いつも女子が群がってる印象があったんだけど……」

「い、いや、それはまあその、世間体みたいなもんで……」

 詩雨は難解な数式を解き明かそうとするような眼で俺を見ていた。

「ほら、俺の場合、親父があんなだろ? 人間見た目じゃないとか、内面の良さに惚れるとかみんな言うけど、軽く想像してみてくれ。『あんな顔』が産まれた瞬間から今に至るまで四六時中一緒に居るとだな、その、俺もまだよく分かってねえし、比べるわけじゃないけど、他の女子がその……」

 俺が言い淀むと、詩雨ははっと我に返って、

「輝くんのせいじゃないよ、それは。ぼく、今自分なりに暁みちるさんの顔を思い浮かべてみたけど、確かにあんなに美しい人がずっと一緒にいたら、美的感覚が狂わない方がおかしい」

 その声は、今まで聞いたことがないほどしっかりとした、力強いものだった。

 俺を思いやってくれる、励まそうとしてくれている声だ。

「そっか。じゃあ輝くんの初恋が始まったら、絶対ぼくに手伝わせてよ。そんな大した戦力にはならないだろうけど、絶対応援したい!」

 俺は涙ぐんでいたかもしれない。

 暉隆はこの件に関しては、『時間の問題だ』といったスタンスだ。でも詩雨は違う。

 顔を洗わせてもらおうと、階下に降りることにした。

 するとバスルームから灯りが漏れていた。ドアは少し空いていて、無音だ。消し忘れだろうと思い、俺はなんの躊躇もなくドアノブを引いた。



「うわああぁぁぁぁすみません何も見てません! 失礼しました!!」



 俺のこの雄叫びに、詩雨が物凄い勢いで階段を駆け下りてきた。

「輝くん! どうしたの!」

「い、いや、俺は、み、見てません! 何も見てません!!」

 完全にパニクった俺を見て察したのか、詩雨がバスルームのドアを少し開ける。

「姉さん!」

 脱衣所兼洗面所の鏡の前に立っていたのは、風呂上がりで肌から湯気を醸し出す、ショーツだけ穿いて白い胸まである黒髪を梳かしている詩日さんだった。

「だからそういうのやめてって言ったじゃん!」

「ん?」

「ん、じゃないよ! 輝くんビックリしちゃったじゃん!」

「い、いや詩雨、ノックしなかった俺が悪い……」

「そういう問題じゃないよ!」

 完全にパニクっている俺、激昂した弟を、詩日さんはあの絶対零度の瞳で見遣りながら、上着を羽織り、パジャマズボンに細い足を通した。

 俺が何とかパニックから解放され、でも見てしまったものは見てしまっていたので、嗚呼ダメだ俺もうお嫁に行けない。

「別にいいでしょ、減るもんじゃないし、私そういうの気にしないし」

「こっちが気にするんだよ!」

 詩雨と詩日さんは言い争いを続けていたが、俺はもう満身創痍だった。

 頭が真っ白ではなく真っ赤になり、嗚呼、脳みそも赤面するのか、とかわけの分からないことを考えながら詩雨に連れられ部屋に戻り、電線を切断された機械のように眠りに落ちた。

 と、翌朝詩雨から聞いた。愧死きし

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