第16話: 好奇心(いわゆる好奇心)
「よく来てくれたね」
居間に通されると、詩雨の親父さんが新聞を置いてそう言ってくれた。
「いつも詩雨がお世話になってるようで。ありがとう」
確かにその口調はお喋りが大好きなタイプではなかったが、穏やかな目がこの人の本質的な優しさを感じさせた。詩雨ママも笑顔でキッチンの奥から声をかけてくる。
「母さん以外みんな本の虫だな」
食卓に腰を下ろして詩雨パパは言う。詩日さんはその隣の席についた。
「あ! 輝くん! いらっしゃい!」
スーパーのレジ袋を抱えた詩雨が現れ、
「そこの席、座って。僕は椅子をもうひとつ持ってくる!」
言いながら袋を母親に渡し、詩雨は忙しない様子で退室した。なんだ、はしゃいでるのか。俺もはしゃぎたいけど。
「お父さんの話題は避けた方がいいかな? 輝くん」
「いえ、隠しごとでも何でもないですし、大丈夫です」
俺はそう答えるがいなや、詩雨パパは身を乗り出し、
「暁みちる氏には男女問わずファンがいるよね。僕もね、ファンとまではいかないけど、きみのお父さんを尊敬してるんだよ」
同意を求めるように詩日さんに視線をやって、詩雨パパは続ける。
「小説が原作の映画にも何本も出演されてるよね。そういうメディアミックスは往々にして原作のイメージとかけ離れて別物にみたいになる傾向が強い。だけど、きみのお父さんの演技力には感嘆するよ。原作のキャラクターの個性を殺さず、かつ二時間映画としてのクオリティも下げたりしない。特に『腐った水』のヒロイン役は素晴らしかった」
冷静で柔らかい表情で、詩雨パパはそう言った。
ちなみに『腐った水』は、例の主演女優か男優かで数ある映画賞を困惑させた例のアレだ。
「僕が言うのも変な話ですが、その、ありがとうございます」
「父さん、暁みちる好きだったのか。妙に多弁だね」
俺の正面に座る詩日さんが言うと、詩雨パパは少々照れた顔で頭を掻いた。それは詩雨がよくやる動作で、嗚呼、やっぱ親子だなぁと感じたのだが、じゃあ俺も親父に似ているところがあるのか? と考えると少々複雑な気持ちになった。
「お待たせ!」
詩雨が椅子を持って部屋に入り、食卓には椅子が五つ揃った。真ん中にはホットプレートが鎮座している。どうやらお好み焼きらしい。程なくして詩雨ママが大きなボウルを運んできて、詩日さんも配膳を手伝って、全員が揃った。
俺はまた、この家庭料理に感動した。
例によって詩雨ママは具材に様々なものを用意していた。チーズや明太子、餅などもあり、これまた我が家では有り得ない料理だった。
何より家族+俺がそろってひとつのプレートに手を伸ばす、その行為自体が新鮮で、俺はまた物凄い勢いで食ってしまった。
食事を終え、詩雨ママと詩日さんが片付けをしている間、詩雨パパが読書トークを始めた。寡黙と聞いていたが、詩雨と同じで話すのが嫌いなタイプではないらしい。
「詩雨から聞いたんだが、輝くんとはル・クレジオの初期作を探している時に話すようになったらしいじゃないか」
「あ、はい。詩雨くんが絶版のものを貸してくれると声をかけてくれて」
「ああー父さん、ぼくもう何回も謝ったじゃないか」
詩雨がホットプレートを運びながら困った顔で言う。
「確か『発熱』だったな。あれは詩雨のじゃなくて私のコレクションだったんだよ」
「えっ?」
思わず詩雨パパを見ると、少しばかり嬉しげにしていた。
「初めてだったよ、詩雨が僕の本棚から勝手に本を拝借したのは。まあ輝くんもご存知の通り私も詩日も詩雨も読書好きだから、今は共有資産という形で折り合っているんだけどね」
「え、でも父さん私の研究課題書、勝手に読んでたじゃん」
カウンター越しに詩日さんが言う。
「あれはフランス語と日本語訳の差異を比べただけで……」
ばつの悪そうな顔をする詩雨パパに、俺は好感を抱いた。
「フランス語が読めるんですか?」
「ロシア語よりはマシ、程度だね。ロシア文学も興味深いし愛読しているけれど、なんと言うかな、フランス語の方が僕にマッチしたみたいだ」
「姉さんは英語が得意だよ。原書原理主義者なんだ」
ソファの方へやってきた詩雨が笑いながら言う。
「凄いですね……! 僕は英語の会話が少々できる程度で、読み書きや学校のテストは惨憺たるものです」
「あれ? お父さんとハリウッドに行ってたんだっけ?」
以前話したことを思い出したのか詩雨が言う。
「あくまでも旅行という体ですが、ロスの別荘には何度も長期滞在して、父の友人たちと家族ぐるみの付き合いをしていたらしいです。僕自身はあまり覚えていないんですが、ある日突然英語の映画か何かを見ている時、『あれ? この人の言ってること分かるぞ?』って気づいて」
「それこそ凄いじゃないか」
互いに笑い合って、俺は初めてといっていいほどこの年代の男性との会話を楽しんでいた。言ってしまえば、詩雨パパのような存在が、俺にはいなかった。ウチのバケモノ親父も決して悪い親ではないが、いかんせん『ママときどきパパ』といった感じだったから、こういった、中年男性らしく且つ趣味の話ができる存在を、俺はどこかで求めていたのかもしれない。
程なくして、詩雨と詩日さんとで二階に向かった。
「あ! 姉さん!」
思い出したように詩雨が声をあげた。
「明日まで輝くんがいるんだから、いつもみたいに変な格好で歩き回らないでよ?」
「ああ、そうか。努める」
あっさりとそれだけ言って、詩日さんは階段を登り切って自室に戻っていった。
詩雨の部屋に入ってから聞いてみると、
「言いにくいんだけどね……その、姉さんはあんまり女性らしくないというか、輝くんも話したから分かるかもしれないけど……とにかくその、半裸とかで平気で家中練り歩いたりする人で……」
それを聞いた俺は思わず噴き出して笑ってしまった。
詩雨は困った顔をしていたが、俺には何だかそれが、とても詩日さんらしいエピソードに思えたのだ。
「詩雨おまえ、それはむしろ俺に見せるべきだぞ」
そう茶化すと、詩雨もぷっと苦笑した。
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