第18話:手土産(いわゆる手土産)

 翌朝から俺が詩雨宅を辞す予定の昼まで、詩日さんは部屋から一歩も出てこなかった。

 もしかして昨日の『アレ』のせいか、と昼メシのチャーハンを食べながら俺が青ざめていたら、詩雨ママが言った。

「詩日はまた籠もってるのね。よくあることなのよ。あの子、何かに一度熱中したらこっちの世界に帰ってこられなくなるの」

 こっちの世界……?

 俺が首をひねっていたら詩雨が、

「姉さんは集中力が凄いっていうか、いつもは全く集中しないんだけど、何かスイッチが入るともうそれだけしか見えなくなっちゃうタイプなんだ。多分また本でも読んでるか、書いてるかかな」

 ほう、と俺が納得したのも一瞬。

「今、書いてるって言ったか?」

 俺が聞くと、詩雨は頷いた。

「たまに小説とか散文みたいなものを書いてるらしい。読ませてもらったことはないけどね」

「へえ、すげえな。俺も昔、小説書いてみようとしたけど無理だった」

「実はぼくは、たまに短いものを書いたりしてるんだ。まだまだ人に見せられるようなものじゃないけど……」

「マジかよ! なんで教えてくれなかったんだ? 読ませろよ」

 思わず声のボリュームが上がる。

「輝くんには、一番読んで欲しい。だからこそ、自分で納得のいくものが書けた時まで待ってもらいたいんだ」

 レンズの奥の詩雨の眼は、何だか輝いて見えた。

「分かった。絶対だからな」

 食事を終え、休日出勤しているという詩雨パパには挨拶できなかったが、辞す準備を始めた。詩日さんについては、何かに没頭しているなら邪魔したくなかった。

「お世話になりました。また機会があれば……」

 玄関で俺が詩雨ママに礼を述べていると、階段の方から何かがドドドドッと落ちてくるような音がしたので俺はぎょっとしてしまった。階段下には何か小さくて黒いものが落ちている。

 と思ったらそれは黒いシャツにブラックデニム、ぼさぼさの髪をした詩日さんだった。

「詩日! 大丈夫? 転んだの?」

 詩雨ママが半ば呆れたような声音で言ったが、詩日さんはぜえはあ言いながら玄関に向かって這ってきた。

「……間に合った」

 詩日さんはそう言って、詩雨ママでも詩雨にでもなく、俺の前まで四つん這いでやってきた。黒ずくめで長い黒髪が乱れていたからちょっとしたホラーだった。

「姉さん、何してたの?」

「ん、これ……」

 詩雨を無視して、詩日さんは俺にA5サイズに折られた紙の束を突き出してきた。

「なんか、お詫び、的な」

 恐る恐る受け取ると、詩日さんは力尽きてその場に寝転び、なんと寝始めた。

「寝ずに作ったのかな、それ」

「もう! 輝くんホントにごめんねぇ、この子変わってて」

「い、いえ……」

 詩雨ママは詩日さんの身体を揺すったが、起き上がる気配はない。

「輝くん、この変な生物はほっといて出よう」

「あ、うん」

 握っている紙の束が何なのか分からないまま、俺と詩雨は駅まで歩いた。昨夜の豪雨のせいで、道の至る所に大きな水溜まりがあった。

「じゃあ、月曜に学校で!」

「おう! 色々ありがとな。親父さんと詩日さんに改めてよろしく言っておいてくれ」

 手を振って、俺は改札から駅に入った。ホームへと続く階段を登る前に振り向くと、詩雨がまだ手を振っていた。俺は手を振り返し、ホームまでの階段を慎重に登る。ずっと紙の束を握っていたので、少し汗で湿ってしまったかもしれない。

 電車に乗り込んで、一度深呼吸をしてから、紙を広げてみた。

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