第4話:ラスボスが最強とは限らない
「ただいま」
簡素に言って、俺は玄関で靴を脱ぐ。施錠音を聞きつけたのか、ぱすぱすとスリッパの音が聞こえてきた。
言っておくが俺の家は極々普通の一戸建てだ。別に豪邸で優雅に家政婦を雇って云々とかいうわけではない(別荘は世界中にあるけど……)。その理由が、リヴィングのドアを開けて出てきた。
「てるぅ〜おかえり〜」
昼寝でもしていたのか目を擦りながら、母は背伸びをして俺の頭をぽんと叩き、髪を一房摘まんでねじりまくる。よく分からない行為だが、これがこの人の愛情表現である。
「学校どうだったぁ?」
「別に、普通」
「普通が一番、何より何より。あ、まーくん、しばらく帰国できないかもって」
「マジかよ。まだパリにいんの?」
「いや、えーと何だっけ? ロンヌ映画祭?」
カンヌだろ……と脳内で訂正しつつ、続きを待つ。つかカンヌってこの時期じゃなくね?
「あ、やっぱ違う! ローマ? あとミラノのイタリアに行くとか」
地理と言語力が致命傷レベルに残念で、『東洋の至宝』とも呼ばれる暁みちるを『まーくん』呼びできる唯一の女性こそ、香坂
念のため言っておくけど、俺の存在自体が雄弁に物語っている通り、親父はヘテロセクシャルである。若い頃のことは知らないし知りたくもないけど、少なくとも俺の母に出会ってからはひたすらに一途だ。一目惚れだったらしい。
親父が21歳で、母親が23歳の頃のこと。
ドラマの撮影でたまたま母の住む街を訪れた若き日の親父は、『日給がいいから』というだけの理由で、エキストラのひとりとして、つまり金目当てのモブ役でその場に居合わせた母に一目惚れする。
もちろん、ちょっと有り得ない展開だ。
何故なら親父は早くもテレビドラマでそこそこの役を演じる実力派若手俳優、一方で母は就活に疲れて人生休憩中の自宅警備員であって、完全なる一般人だし、そもそもエキストラは百人近くいたというのだから。
『目が合ったんだ』
後に親父は幼い俺に語った。
『その瞬間に悟ったね、この人が俺の女神だって。大当たりだろ?』
見た目的にはアナタの方が女神寄りですがね、と今では突っ込むが、一方母はこう語る。
『あの人がナイフで刺されて倒れた所の延長線上に、私がいたらしいの。目が合ったって言われたけど、私よく覚えてないんだよねー。すっごく暑い日の野外撮影だったし、ぶっちゃけ早く終わらないかな〜なんて思ってて。でも、まーくん演技やめてこっちに来ちゃって、他のエキストラ達も硬直するし、私はなんか、血まみれの綺麗な生物が接近してますがどうしますか? っていう状態、みたいな?』
このテンションの落差でよく結婚できたな、と思うけど、それは親父の熱烈過ぎる求愛で果たされたものだった。
母は芸能に全く関心がなく、エキストラのバイトも目当てがいるわけでもなく、というスタンスで参加していた。でも親父はそんなことは当然知らずに、仕事中に演技止めて母に歩み寄り、あ、ちなみに腹には小道具のナイフが刺さったまま血糊でぐちゃぐちゃだったらしいんだけど、とにかく開口一番こう言ったそうだ。
『結婚を前提に僕とお付き合いしてください』
腰を抜かして驚いたのは他のエキストラや撮影スタッフ達の方だった。そりゃそうだ。でももっと驚くのは母の神対応である。
『いいですよ、別に。あ、でもお名前は教えてくださいね』
おまえあの暁みちるを知らんのかーーー!! と、その場に居合わせた全員が思ったに違いない。
しかし我が母ながら度量といったらないだろう。俺だったら、腹にナイフが刺さった美少女が血まみれで求婚してきたら、どれだけ美少女だろうが、一歩、いや三歩は後ずさる。
そんな縁で出会った二人が、一緒に化粧品を買ったりレディースの服をお互いに選んだりと特殊な域で親交を深め、共に着飾って街を練り歩いてはレズビアンカップルと勘違いされながらも結婚し、生まれたのが俺である。
で、世界的スーパースター・暁みちるが郊外のごく普通の住宅地のごく普通の一戸建てに住んでいる理由。
『えー、だって部屋いっぱいあったりしたら掃除大変じゃん。家政婦さんとかお手伝いさんも嫌だよぉ、他人が自宅に来て家事してくれるとかマジ分かんないし、プライバシーとかさぁ、とにかく私は嫌なの〜』
これが、これだけが、理由である。
親父は平均的ルックスの母にべた惚れなので、『沙智代さんがそう言うなら』と、購入しかけていた東京の億ションの契約をキャンセルしてこの家を建てた。
村上春樹ばりの『やれやれ』だよ、まったく。
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