第13話 あの日の記憶と、断絶と
その日の放課後は教室に及川さんと葵さんがやってきた。部活のミーティングがあるということで、小村くんと三人で連れ立って行くらしい。
偶然居合わせたわたしは及川さんに手招きされて、三人の輪に加わった。
「今年も夏祭り行くよな?」
小村くんがその話題を切り出したのは唐突だった。
「ん、行くかー」
「あったりまえじゃんっ。毎年恒例だもんね!」
及川さんと葵さんが間髪入れずにうなずき返す。とっさのことにわたしが反応できずにいると、「もちろんみさきちも一緒なんだぞー!」と葵さんの笑顔が弾けた。
「それとも予定もう埋まっちゃってる?」
寂しげな様子で葵さんが問いかけてくるものだから、慌てて首を横に振る。
「そんなことないです! その、えと、お祭り、楽しみですっ」
と言いながらこっそり小村くんを横目で見た。小村くんもこちらへ視線を向けている。勇気づけるように彼が頷きかけてくるから、わたしも視線でそれに応えた――告白を、するのだ。
「美咲さんが来るとオレも嬉しいよ」
と及川さんが微笑みかけてくる。心臓に悪いのでやめてほしい。ドキドキしてしまって仕方がない。
そのままわたしは三人と別れて教室を後にする。階段を下りて玄関へ向かうと、誰かが靴箱のところでたむろしているらしい。潜めた声が耳に届いた。
「最近あいつ調子乗ってるよね」
そんな言葉が聞こえてきて、反射的に足を止める。他人の悪意は苦手なのだ。できればわたしに関係ないことでありますようにと願いながら、聞きたくないくせについうっかりと耳をそばだててしまう。
これが、そもそも不幸だったんだろうな、って。バカなことをしたんだなって。
「ああ、あの」「天川ミキだっけ」「名前とか忘れたんだけど」「とりあえず、冬耶様の周りを最近うろちょろしてるあの根暗女でしょ」
その話の中心にいるのは、きっとわたしで。悪意にさらされている人格は、この綾川美咲という一個の人格で。
「最低っていうかキモいっていうか」「っていうかあれだよね。あの陰気もウザいっちゃウザいんだけど」「幻滅したっていうか、なんていうか」
「冬耶様の株があの女のせいで下がったっていうか」
一人が発した何気ないその言葉は、きっと面白半分の悪意だったんだと思う。誰かを攻撃することで自分を保つ人間がいることをわたしは知っている。
けれど、及川さんの株をわたしが下げているだなんて。そういう風に思ってしまったら。
もう、息をしている資格さえもがないような、そんな気がして。
ああ――。
わたしはなんて、無価値な、存在する必要のない、はた迷惑な。
――思い出すのは、あの日の記憶。
弧を描くカメラ。冷たい水の流れ。あの人の悲鳴と……喪失。
記憶に刻みついて消えないこの記憶は、わたしの抱えた罪の景色なのだ。
* * *
『久しぶり。最近美咲さん何してんの? っつーか最近俺らのこと避けてない? 冬耶とか葵とかすげえ寂しそうな顔して俺に色々聞いてきてウザいんだけど。俺の面倒が増えるからせめて理由だけでも教えろ。てかそもそもテスト終わったらもうすぐ祭りなんだぞ? 今が冬耶と距離を縮める大事な時期だって分かってんのか。分かってるなら返事よこせ』
『お久しぶり、だよね? あの、最近なにか悩み事とかあったりするのかな。テスト勉強とかみんなで一緒にやろうって話になったんだけど、もしよかったら美咲さんもどう? 実はその……オレ、成績あんま良くないから教えてもらいたいなあ、とかって思ってたりしたんだけど……だめ、かな? あ、だめなら全然いいんだけど、でも、その……友達に避けられるって、やっぱり少し辛いし何があったのか心配です』
『おっはりんみさきちー☆ 最近どうしたー? あたしはみさきちと一緒じゃないと寂しいぞー? 何があったかよく知らないけど、元気出しなって! 愚痴でも悩みでも愛の告白(笑)でも、なんでもあたしが聞いちゃげるからさ♪ ユウ君や冬耶には男だし言いにくいことあるかもだけど、あたしにだったら何言ってくれてもいいんだからね? あ、そだ。夏祭りなんだけど一緒に浴衣着ない? きっとみさきちには赤いの似合うと思うんだ! あたし、楽しみにしてるからね! 返事がないなら家まで拉致しに行っちゃうぞ!』
それらすべての連絡を、わたしは無視した。
* * *
やがて期末テストが終わった。
今日は、テスト明けの夏祭り当日。小村くん達と行くと約束したその日だった。
「……」
でもわたしは出かける準備もせずに、部屋に引きこもったまま膝を抱えていた。
そもそも、最初から間違いだったのかもしれない。わたしなどが他人と関わるなんてこと。
あの日みたいに、ぐちゃぐちゃになってしまう。喪ってしまう。そうに決まっているのだから。
「……ねえ、できないよ。咲くなんて。咲き誇るなんて、わたしには無理だったんだよ……」
美しく咲き誇れますように――そう願ってあの人がつけたわたしの名前は、まるでわたしなんかには似つかわしくないもののようで。
もういない人に話しかけながら、膝の間から床へと視線を落とす。
その時、ギィ、と家の扉が軋む音がした。仕事から父が帰ってきたのだろう。
ひっそりと静かに息を殺す。
父とはもう五年以上、ろくに会話していない。たった一人の家族だというのに、やたらと距離を感じてしまうから。
最後に父から名前を呼ばれたのがいつだったのかも、もう分からない。
「…………はあ」
父が自分の部屋に入っていく気配を感じて、わたしは溜め込んだ息をそっと吐き出す。
やっぱりここは、息苦しい。
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