第12話 穏やかに過ぎゆく日々

 しばらくしてわたしは正気を取り戻す。そうして食事を再開すると、早々に葵さんがお弁当を平らげ(三段重ねの大きな重箱)中庭でまったり過ごしているうさぎを追いかけて遊んでいた。人に慣れているのかうさぎは葵さんから逃げることなく、おとなしくその腕に抱かれていた。


「ねえねえ見て見てー! めっちゃ食べてるー!」


 抱いたうさぎに、お弁当の残りだろうか。きゃべつの切れ端を与えてる葵さん。何とはなしにその様子を眺めていると、こちらに気づいた葵さんが「わっほーい!」と笑顔を向けてくる。腕に抱いたうさぎを両脇から持ったかと思うと、チャンピオンベルトを掲げるみたいにして頭の上に持ち上げた。


「この子超可愛くない!? なんか雰囲気がみさきちに似てるよね」


「ふぇ!?」


「なんとなくこう、もそもそしてる感じが」


 ……もそもそ。それは褒めてるのか貶してるのか。少し判断に迷う表現だと思った。


「よっしゃ今ならベストショットイケる! ほらみさきち、カメラカメラ!」


 と葵さんが声をかけてくる。今日もカメラは忘れることなく学校に持ってきてあった。


 ポーチからカメラを取り出して、フレームの中心にうさぎを抱きしめる葵さんを収める。


 そういえば、人物を撮るのは去年の運動会以来だったっけ?


 と、そこでふと思いつく。


「あの、小村くん」


「ん? なに」


「写真、撮りましょうか。葵さんと一緒に」


 そう言ってみたら、及川さんの耳にも入ったのだろう。


「チャンスだぞ、優作! 行って来い!」


 と、大声でささやくという器用なことをやっていた。


「痛って……背中叩くなよバカ」


 小村くんが及川さんの張り手を思いきり背中に食らって顔をしかめる。なんだかあまり乗り気じゃなさそうで、出過ぎたマネをしたのかと不安になった。


「あ、すいません……あの、変なこと言って」


「……別に。そんなこと思ってねーし」


「勇作って素直じゃないよなあ」


「うっせ、ばーか」


 と言って小村くんが立ち上がる。


 そのまま葵さんの下まで行ったかと思うと、その隣に寄り添うようにして並んだ。構えたカメラのフレームには、小村くんと葵さん、そしてうさぎと三つの顔が入り込む。


 チクリ、という痛みは指先をしびれさせて、一瞬シャッターを押すのを躊躇わせた。


「…………っ」


 そのしびれた電流を断ち切るようにして、わたしはシャッターボタンを押しこんだ。カシャリ、という機械的な音が、確かに何か大切なものを封じ込めた、そんな気がした。




 その次の日から四人でお昼を食べるようになった。


 どんな感じか説明するとするなら、こうだ。


 昼休みになって教室を後にしようとするわたしに、小村くんが声をかける。やがて及川さんと葵さんも合流して、空き教室や学食、あるいは中庭などでお弁当や購買のパンを口にする。


 どこで食べるのかとかそういうのは特に決まっておらず、その日の気分で食事する場所を選んでいた。


 それに伴ってわたしは学校内で写真を撮る機会が増えた。葵さんが面白がって、いちいち色々なものと一緒に撮ってくれと言ってくるのだ。そのたびに、及川さんが小村くんを葵さんと同じフレームの中に収めようとしたりする。


 そういうのは嫌いじゃなかった。もともと写真を撮るのは好きなのだ。今まで人物をあまり撮らなかったのは、相手がいなかったからに他ならない。




「ユウ君って凄いよね」


 ある日葵さんがそう言った。小村くんと及川さんがトイレに立った時のことだった。


 その発言が少しだけ意外で、わたしは思わず葵さんの顔をじっと見つめてしまう。すると葵さんは、くしゃっと表情を緩めて照れくさそうに笑った。


「そんなに見つめるなよぉ……照れるじゃんかあ」


「あ、ご、ごめんなさいっ」


「あははっ。冗談なんだぞー、みさきちー」


 と言ってよしよしと頭を撫でられるわたし。小動物扱いされているようで少しだけ不服な気持ちはあるけれど、葵さんのなでなではとても気持ちいいから拒絶できないのだ。見事に飼いならされている犬だと思う。


「それで、小村くんの何が凄いんですか?」


「何がどう凄いんだと思う?」


 質問に質問で返され、わたしは黙り込んで考えてみる。


 及川さんの凄いところは簡単に思いつく。端的に言ってしまえばその容姿だ。あらゆる女生徒を虜にしてやまないそのルックスは、常人では考えられないほどに整っている。


 どこへ行っても黄色い声がわざわざ示し合わせたかのように上がるのがその証拠だ。


 まるで太陽みたいな人で。近くにいると焼き尽くされそうなぐらいに、きらきら、してる。そんな人。


 じゃあ小村くんはどんな人なんだろう。


「……及川さんの、親友で」


「うん、そうだね」


 及川さんという人気者の近くに、ずっといた人……?


 そのことに気づいたわたしに、葵さんが話しかけてくる。


「イカロスって分かる、みさきち?」


「イカロス、ですか」


 確か聞いたことがある。太陽に近づきすぎて翼を焼かれたという、神話に出てくる人物の一人。


「ユウ君はさ。焼かれてないんだよね」


「……なんとなく、分かります。人気者の友達って、それだけできっと大変そうだから」


「ん。あたしなんかはテニスバカだし、そういうの気にしたことないから平気なんだけどさ。色々あるじゃん、クラス内の政治だの、学級内権力だの」


 そういう面倒くさい概念を葵さんが知っていることにむしろ驚いた。


「屈しない人なんですね、小村くんは」


「あ、分かる? さすがみさきち」


 分かるのかどうかと聞かれてわたしは困った。ただ、思ったことを言っただけだったから。けれどわたしがそう告げると、葵さんは「ユウ君の魅力をみさきちがちゃんとわかってるから、冬耶だってみさきちと仲良くしてるんだよ」と言って朗らかに笑うのだ。


 少し恥ずかしい……けど、その言葉はとても嬉しいもので。


 まだわたしは、太陽に近づくことの意味をよく知らなかった。

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