第11話 ご飯を食べる友達、できました?
週が明けた月曜日。わたしはお昼休みになると、弁当を持って席を立った。
いつもお昼は屋上へ続く階段の下で食べている。そこなら誰にも見られることがないからだ。一人きりでいるところを人に見られるのは寂しいから、誰の目にも触れることのない場所を自然と選ぶ癖がついていた。
世界に一人、価値のない人間。そういう人間は、ひっそりと陰に隠れて生きることを赦してもらう以外の息の仕方を知らないから。
そんな無価値であるところの人間=わたしは、その日もやっぱり屋上下の階段でひっそりとお昼にするつもりだった。教室で食べれば孤独を強く感じるし、学食で一人はいやに目立つ。誰もがわたしのことを見て、寂しい人間だとあざ笑っているような気になってしまうから。
人気のないところは落ち着く。ひっそりとした空間はわたしのような人間のために存在するのだと思う。誰かの体温を感じれば、自分と違う温度であると認識しなければならないから。けれども一人ならば自分の温度だけを感じることができる。それがたとえ指先がしびれるほどに冷え切っていたとしても、温かい指先で触れ合う人々さえ見なければ自分が寒さに震えていることに気づかないで済むのだ。
そうして心を凍らせ切ってしまったならば、孤独さえも怖くなくなるに違いない、と昔のわたしは考えていたのだと思う。自分のことを突き放せば、きっとそれ以上傷つかないで済むのだろう。一番柔らかい真ん中だけは。
それを人は臆病という。
学食行こうぜとか、わたし購買がいいとか、部活のミーティングがあるとか、部室で食おうぜとか、俺弁当持ってきたとか、そういう言葉の飛び交う中を誰にも気づかれないようひっそりと進む。教室の後ろにある戸を開くと、ワイワイガヤガヤと姦しい音が鼓膜を打ち鳴らすように廊下から響いてくる。きっとこれは青春の音で、表向きはきらめきと輝きに満ちていて、素晴らしく爽やかで美しいものなんだろうなと思う。
思うだけだけど。
加わることができるだなんて思っていないけれど。
ともかくわたしは教室を出ようと一歩を踏み出しかけ、しかし途中でその足は行き場を見失った。
「あっ、ごめん」
と言ったのは及川さん。どうやら彼が教室の中に入ろうとしたところ、わたしと鉢合わせをしたらしい。
「す、すすすみませんっ」
慌てて横に飛びのいて道を開く。及川さんが教室の中に入ると、ただでさえお昼の解放感に賑やかだった教室はさらにその騒がしさをいや増した。主に女子の黄色い声が、まるで局地的に発生した竜巻みたいに駆け廻る。
どやどやと及川さんの後を追って入ってくる女の子達だったり。
学食に行こうとしていた女子の一団だったり。
そういうものに背を向けて、わたしはそそくさと教室を後にした。
後にしようとした。
さて。誰が想像しただろう。及川さんのような人気者が、わたしなんかに声をかけるなんて。
お昼の誘いをかけるだなんて。
きっと誰もが予想外。驚嘆すべき超展開。
しかしそれは行われた。まさしく、この衆目のある教室で。
「あ、美咲さん」
いつの間にか彼はわたしのことを名前で呼ぶようになっていた。その事実に、ドクンと心臓が反応する。
「お昼さ、一緒にどうかな?」
一瞬の、沈黙。誰もが思わず黙り込む。そんな静寂の中、わたしは硬直したまま身動きできず、しかし現実を認識しようと頭は高速に回転し――。
ようやく振り向いた先には、少し心細げな及川さんのお美しいご尊顔がありまして。
「…………(こんな顔されたら断れない!?)」
無言のまま、孤独を共に過ごし続けてきた弁当箱を抱えたまま。
こくん、と小さくうなずくと、ぱあっと及川さんの顔が輝いた。
綾川美咲、十六歳。職業、高校生。
お昼を一緒に食べる友達、できました……?
場所を変えて中庭へ。
わたし達の通っている学校は、校舎がカタカナのロの字の形になっている。そうして四つの校舎に囲まれた中央が中庭として解放されていて、ベンチや四阿なんかもあったりしてお昼時には結構賑わうのだ。
中庭にあるのはそれだけではない。飼育委員が飼育しているうさぎや鶏、孔雀なんかもお昼になると小屋から出されていたりして、いたるところで思い思いに遊んでいたりするのだ。
「ふわあ……」
賑やかなところが苦手なわたしはこの場所に来るのは初めてだ。目の前の光景に思わず感嘆の声を漏らす。
「あれ、なんか驚いてる?」
「ふぇ!? あ、えと、ここに来るのは初めてなので……」
「ああ、そっかー! 確かにおとなしい子は苦手な雰囲気なのかも?」
そう話しかけてきたのは葵さんだ。わたしのお弁当箱の倍はありそうな重箱の入った包みを抱えて、どこで食べようかときょろきょろと首を巡らせる。
「あっちがあいてるんじゃないか?」
そんな葵さんの隣にいるのが小村くん。指さした先にはまだ誰にも座られていないベンチがあった。
「とりあえず座ろうぜ。立ったまま食うってわけにもいかないし」
と小村くんの先導でわたし達は無事にベンチを確保する。一番端っこに腰を下ろすと、木製のベンチはギィと小さく軋んだ。
わたしの隣には及川さんが、そしてさらにその隣に小村くんが。その向こうには葵さんが腰を下ろした。こうして四人で座ると、それほど大きくないベンチはそれだけでいっぱいになってしまう。
涼やかな風が駆け抜けていく。
こうして空の下で食事をするなんて、もう何年振りになるだろうかとふと考えた。小学校の遠足の時がもしかすると最後かもしれない。その頃だって友達なんていなかったから、こうして人と外で食べるのはもっとずっと久しぶりだった。
「いただきます」
箸を持ってそう言ってからお弁当を開く。といっても、自分で作ったものだから特に驚きなんかはないのだけれど。
「綾川さんはお弁当なんだ」
隣に座る及川さんがそう聞いてくる。
「あ、はい。お弁当なら、どこでも食べられるので」
「そうなんだ。綾川さんのお母さんは料理が上手なんだね」
――お母さん。
「……いえ」
一瞬胸に過った寂寥を振り払うかのようにわたしは首を横に振る。
「恥ずかしながら、お弁当は、わたしが」
あんまり凝った料理は普段しないので、手作りだと知られると少しだけ恥ずかしい。顔の熱さを隠すようにして玉子焼きを口に入れると、今度は葵さんがベンチの一番端から身を乗り出してきた。体の距離がぐんと縮まったせいか、小村くんが少し嬉しそうな表情になる。
「みさきちの手作り弁当!?」
はしゃいだ様子で声を上げる葵さん。なんとなく次の言葉が想像できた。
「いいないいな! あたしも食べたい!」
「わたしなんかのでよければ、どうぞ」
お弁当を差し出すと、葵さんが指先で鶏のから揚げをつまんで口に放り込んだ。小村くんが顔をしかめて苦言を呈す。
「葵。行儀が悪いぞ」
「細けぇこたぁいいんだよ! ってなにこれウマッ。メッチャ美味いんだけどこのから揚げ!?」
「そんな……手抜きなので恥ずかしいです」
「いやいやいや、これが手抜きだったら本気出せばどれだけおいしいわけ!?」
もう一個ちょーだい、と言いながら葵さんが伸ばしてくる手を小村くんがぺしっと叩く。
料理が上達したのは、わたし以外にする人がいないからだ。裁縫を身に着けたのだって、してくれる人が家にいなかったからだ。
そんな、孤独の末に身に着けたスキルでも、こうしておいしいと言って食べてくれたりすると報われたような気がして嬉しいわたしがいた。
「そんなにうまいなら俺も一つもらっていいか?」
「あ、はい。ぜひ」
「にっひひー。あたしのこと注意してたくせに、ユウ君も興味津々じゃーん」
「……うるせぇ」
と言いながら小村くんは箸で煮物をつまむ。そのまま口へ運んだ彼は咀嚼してから飲み込むと、ぼそりと感想を漏らした。
「……驚いた。大したもんじゃないか」
「もう少し素直な感想でもいいのにー」
「だからうるせぇって」
という葵さんの茶々を小村くんは面倒くさそうにいなす。そのくせ口元は少し笑っているのだから、ちょっとバランスの悪い表情だ。それを隠そうとしたのか、小村くんも自分の弁当に手をつけた。
「小村くんもお弁当なんですね」
「ん? ああ、まあな」
「……なんというか、その」
個性的というか、とてもアーティスティックというか。
……要するにキャラ弁というのか、こういうのは。鮮やかな錦糸卵とか、緑が綺麗なレタスとかで、わたしでも見たことのある某アニメ映画の森の妖精さんがお弁当箱いっぱいに描かれている。
「凄い弁当だよね。有香ちゃんが作ってるんだっけ」
「有香さん……?」
「うん。勇作の妹」
及川さんの説明にわたしはああとうなずいた。確かに女の子ならこういうものが好きかもしれない。
「やめろと言ってもやめないんだ」
「そのくせ律儀に残さず食べる辺り、勇作もシスコンだよな」
「食材に罪はないからな」
その言いぐさがあまりにも小村くんらしくて、思わずわたしは頬を緩める。及川さんや葵さんも、ほほえましいものを見るような視線を小村くんへと送っていた。
和やかな空気がわたし達四人を包み込む。それを打ち破ったのは、葵さんが不意に発した一言だった。
「あたしもたまにはお料理しようかなー」
彼女がその言葉を発したその瞬間、ぴしりとその場の空気が固まる。及川さんは愕然とした、小村くんは真っ青に染まった顔を葵さんへと向けた。
いきなり注目されたせいか、葵さんは戸惑いながら「え? え?」と言っている。
「なあ、葵。俺は今からとても大事なことを言うぞ」
「な、なに?」
「頼むから……頼むから料理はしないでくれ。この世から貴重な食材がまた少し無駄になるから」
小村くんの言葉に葵さんはきょとんと首を横に倒す。言われた内容がよく分からなかったらしい。
しかし、さすがにそこまで言われるほど料理ができない人っていないはず――。
「え? 料理ってお味噌と塩コショウをとりあえずぶち込んどけばなんでもおいしくなるんじゃないの?」
「塩分は万能の調味料じゃねえ! その味付けを楽しめるやつは、化学調味料で舌がぶっ壊れた廃人だけだ!」
「えー、じゃあケチャップとマヨネーズも入れればいいかな?」
「お前がやりたいのは料理と科学の実験のどっちなんだ!?」
「あ、わかった。お砂糖だね~。冬耶みたいな甘党の人にはバニラエッセンスとかもやっぱ入れるべき? もしくははちみつとか練乳とかとか?」
葵さんのその言葉に、及川さんは身を震わせて怯えていた。現実から目を背けるようにして、彼はわたしのほうへと顔を向ける。
「あー、その、オレも一口もらっていい?」
「あ、はいっ、どうぞっ」
あからさまな話題転換にわたしはとっさに乗っていた。これ以上、葵さんに料理について語らせるのはまずそうだとさすがのわたしも気づいたのだ。
「ありがと」
と言って及川さんはわたしのお弁当と、そして箸を受け取った。
……箸?
まさかわたしの箸を使うなどとは思っていなかったので、及川さんのとっさの行動に思考が一瞬追いついていかなかった。そうするうちに及川さんは玉子焼きをわたしがさっき使った、わたしの唾液がまだ残っているであろう箸でつまんで、わたしの唾液ごと(つまりはわたしから出た粘液ごと)自分の口へと放り込む。……我ながらこの発想がキモい。
「あ、おいしいね、これ。オレん家の玉子焼きと全然味が違って面白い」
という、及川さんの声などわたしの耳には入っておらず。
今し方の及川さんの行為はつまるところ、その、いわゆる、
「……うわ、間接キス」
葵さんの言葉を引き金に、わたしの脳がシュゥゥゥゥと湯気を上げるのが分かった。わたしが、まさか、こんなわたしがよもや……及川さんと間接キス、だなんて。あんまりにも刺激が強すぎる。
「あ、うわ、みさきち大丈夫!?」
「美咲さん、気を確かに!」
「……あれ? 綾川さんなんで倒れてんの?」
その後わたしが正気を取り戻すまで、一時昼食は中断されることになるのだった。
……うぅ、ごめんなさい。
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