第10話 不器用なメールの送り方
しばらく待っていると、雑踏をかき分けるようにしてフードコートへと入ってくる二人組が目についた。その服装が見覚えのあるものだったからつい眺めていると、片方の一人が手を上げる。
そのまま手を振りながら、バタバタと足音を響かせてその人物はこちらのほうへと駆け寄ってきた。
「おまたせー!」
それは肩からバッグを提げた葵さんだった。満面の笑顔を輝かせ、駆け寄ってくる勢いのままにわたしにぎゅーっと抱き着いてくる。突然のことにうろたえるわたし。
「みさきちー、あたしは寂しかったよー。今日みさきちと一緒に遊ぶ気満々だったのにまさかの放置プレイ……いきなりの倦怠期とはあんまりじゃないか、みさきちっ」
「わ、わわ、えっと、あの……?」
「しかも冬耶だなんて悪い男に奪われて……あたしはもー心配で心配で……そこの男に理不尽に迫られたりしてたりしないかって、さ」
「……誰の、何が悪いんだよ」
っていうか迫ったりとかしないし、とぼやく及川さんのことなど目に入らないかのように、葵さんはわたしの頭を胸に抱き寄せた。柔らかいクッションみたいな重みが、ぎゅっと顔に押し付けられる。……気持ちいい。
「今日は冬耶ばっかりみさきちと仲良くしててずるい……」
「いや、でも葵はどうせ綾川さんのこと好き勝手に振り回すだろ?」
「そんなことないもん! ちゃんとエスコートできるし!」
「エスコートって、お前な……」
呆れたように及川さんが息をつく。
と、折しもあとからやってきた小村くんがそこで口を挟んできた。
「ちなみに葵が美咲さんと遊ぶとしたら何するつもりなんだ?」
「んー……テニス!」
「……いや、美咲さんテニスできないだろ」
「手加減する!」
「お前手加減できない性格じゃねえか」
「んー……気合で頑張る!」
「気合入れたら逆効果だろ……」
「じゃあ頑張らない!」
「本末転倒じゃねえか!」
「本待つテント……? ユウ君はバカだな~、テントは待つものじゃなくて張るものだよ?」
「葵に一般的な日本語能力を期待した俺が馬鹿だったよ……」
頭を抱えだす小村くんをフォローするようにして、及川さんが割って入る。
「葵は無駄に体力に溢れかえってるからな。綾川さんを最終的に振り回して疲れさせて潰すに決まってる」
「……うーわ、そういうこと自分で言っちゃう? 女同士のあたしのほうが、みさきちと楽しく遊べたと思うんだけど。だいたいいつもは女とか興味ねーって顔してるくせに、そういうこと言うと下心が透けてみえるんですけどー、きゃーフケツー」
「ふ、不潔ってなんのことだよ。オレは、勇作の友達だったら仲良くしたいなって、ただそれだけのことであって、別に変な意味は……」
唐突に始まった言い合いに、わたしはきょとんと首を傾げる。なんていうか、いわゆるモテてる感というのだろうか。少しくすぐったいけれど、あんまり不快な気分ではなかった。
こういう扱いに慣れてないからなんて言っていいのか分からずにまごまごしてしまう。というかそもそも、そんなにわたしなんかと遊びたいと思うものだろうか。第一今日及川さんと二人だったのは、小村くんと葵さんの仲を応援するためのものだったし。
色々な誤解が絡まりあってるような気がしてならなかった。
それよりも、わたしが及川さんと遊んでいる間、葵さん達は何をしていたのだろう。気になったので聞いてみる
「お二人はあのあと何をしてたんですか」
「テニス!」
当たり前のようにそう答える葵さん。
聞けば、この施設の屋上にはオールグリーンまであってテニスコートやミニバス用のゴールまであるらしい。そんなことは露と知らなかったわたしは素直に驚きを顔にする。そんなわたしに小村くんが聞いてくる。
「お前たちは何してたんだ?」
「へ? あ、えと」
「ああ、オレ達はダーツしたり、ゲーセン回ったり……そんな感じだよ」
及川さんの答えに小村くんがニッと笑った。
「へえ、そうなんだ。やるじゃん」
そう言って彼の目がわたしをとらえる。ダーツも、ゲームセンターも、小村くんがアドバイスしてくれた場所だった。
そこでふと思い出してバッグを開く。中から取り出したのは、及川さんがクレーンゲームで取ってくれたライオンのぬいぐるみだ。
「あの、及川さんがこれを取ってくれました」
少しだけ目元が小村くんに似ているそれをそっと差し出す。すると一瞬驚いたような顔をして、けれどすぐにふっと微笑み小村くんがそれを受け取る。
右から左から上からそれを見て、そうしてわたしに突っ返してきた。
「いいんじゃん? ってかちょっと冬耶に似てるな、そのたてがみのところとか」
「あ、はい……」
そうかな、と首を傾げる。どちらかというと、やっぱり小村くんに似ていると思った。怖い顔して、けど優しい目をしているところとか。周りのことを気遣うことができるだけの配慮を持っていそうな雰囲気とか。
けれどそれをわざわざ言うのも変なのでわたしはぬいぐるみをおとなしくバッグにしまいこむ。今日から毎晩抱いて寝ようとひそかに決意しながら。
少しだけ、家にいるのが苦痛じゃなくなるといいな、なんて思いながら。
「いいなー、ぬいぐるみいいなー」
と、首元にかじりつくようにしてまた葵さんが抱き着いてくる。
「あ、そうだ。どうせなら今度それの編み方教えてよ、みさきち」
と、葵さんがわたしの編みぐるみを指さして言ってくる。
「へ? あ、わ、わたしなんかでよろしければっ」
「『なんか』じゃないと思うけどなあ……。夏休み中とかでいいよね?」
葵さんの言葉にうなずく。夏休み中でも、夏休みが終わってからでもいつでもいいと言ってみたら、彼女は少しだけ困ったように笑って首を振った。
「ごめんっ、夏休み明けたらちょっと忙しくなるからっ」
「へ? そうなんですか」
言ってから間抜けなことを聞いてしまったとほぞを噛む。本人が忙しくなるというなら、そうなのだろう。
「まあ、うん。ちょっと、ね」
「テニスの大会が近くなるから、遊んでる時間がなくなるんだよな」
そこで横から口を出してきたのは小村くんだった。
「葵も連覇狙ってるだろうし、気合も入るってもんだよな」
「ん、まあうん、そんなとこ」
だからごめんね、と両手を合わせてきた葵さんにわたしは申し訳ない気持ちになってしまった。
わたしなんかに謝ることないのに。
謝られると困る。なんて言っていいのか分からないから。
その日は結局少しだけおしゃべりをして解散することになった。また遊ぼうと約束をして、及川さんと葵さんとは連絡先を交換した。
* * *
その日の夜。わたしは布団でごろごろしながら、携帯とにらめっこしていた。
画面に表示されているのは、及川さんのメールアドレス。
今日はありがとうございました、とかお疲れさまでした、とか。お世話をかけました、とか。そんなようなことをメールしてもいいものだろうかと頭を抱えて悩んでいた。こういう時にどんな文章を送ればいいのか分からないし、どのくらいの長さが適切なのかも知らないのだ。こうしてにらめっこを始めてからもう一時間以上になるけれど、文面はまったく進まない。
……というか、できたとしてもそれを送る勇気があるのかどうかと聞かれればうなずく自信はまったくないのであるが。
それに今日は遊んだわけだし、疲れているかもしれない。疲労しているところに連絡なんかが入ったら、凄く不快な気持ちになったりするんじゃないだろうか。
それにわたしなんかが連絡をしてもいいのだろうかと思ったり。仲良くなったつもりになってるんじゃねえよ、とかそういう風に思われたりするかもしれないし、親しくなったと思っているのはわたしだけかもしれないし。
それに、それに、それに……。
連絡をしない理由なんてものはいくらでもいくらでもあふれ出てくる。そしてそれぞれの理由がいちいちもっともなような気がして、さらにますます気おくれしてしまう。
何よりも、怖かった。メールを送って、返事がなかったらどうしよう。
実は嫌われてたらどうしよう。
返信を待ち望んで、携帯を握りしめて、何度も何度も新着メールを確認してしまう自分の姿が容易に想像できてしまう。そう思うと、そんなみじめなマネはしたくない、だなんて考えてしまって。
死にたくなる。
息苦しくなる。
「……やっぱやめよう」
そう呟いて作製中のメールを削除した。
携帯を放り出してベッドに仰向けに寝転がる。またダメだったな、なんて思いながら。わたしらしいな、なんて卑屈になりながら。
きっと、もう及川さんと話すことだってないんだろ――
ピリリリリッ! ピリリリリッ!
不意に携帯の音が鳴り響いたのはその時だった。電話もメールもくれる相手もいないため、着信音は標準のまま。
慌てて携帯を手に取ると、ディスプレイには『小村勇作』という文字が明滅しながら表示されていた。焦っていたせいであれこれボタンを押しまくり、気づいた時には自分で通話を切ってしまう。
「……ああっ」
なんたるドジ。なんたる間抜け。
慌てて着信を切ってしまうだなんて。
うぅ、と落ち込んでいると、再び着信音が鳴り響く。今度は落ち着いて通話ボタンを押して、そっと耳に押し当てたその瞬間。
『ざっけんないきなり切ってんじゃねえよ!?』
携帯から怒号が鳴り響いた。耳元で叫ばれて頭がキーンとする。
くらくらしながらもどうにか体勢を整えると、わたしもそっと返事をした。
「……小村くん?」
『ああ』
「どうして……」
『どうしてもこうしてもあるか。今日のことだよ、今日のこと』
「あ、えと、はい。あの、お世話になりました」
『まったくだ。ほんと、美咲さんって手がかかるよな。どうせ今も、冬耶にメール送ろうとして、迷惑じゃないかとか思い悩んでウジウジしてんだろ?』
小村くんの言葉に「ひゃわわあっ」だなんて変な声が出る。
いったん深呼吸して、気を取り直した。
改めて携帯に向けて声を発する。
「ど、どうしてわかったんですか?」
『俺もそうだったからだよ』
「へ?」
『うるさい忘れろ! とにかくな。どうせそんなんだろうと思って電話したってことだ』
ボソッと言われた言葉がよく聞こえなかったから聞き返そうとすると怒鳴られてしまった。けれど、なんとなく小村くんがわたしを気遣ってくれたんだろうなってことだけは伝わってくる。
「……迷惑をかけてごめんなさい」
『俺が好きで世話焼いてんだよ。あんまりかしこまるな』
やりにくいだろ、と呟かれてわたしはますます恐縮する。面倒くさい女なんだ、わたしって……。
『あー、その』
「はい」
『楽しかった。また遊びたいと思った。いい友達になれて、嬉しかったよ』
唐突に、小村くんが電話口でそんなことを口にした。
『冬耶がそう言ってたぜ。ちゃんと友達になれたみたいじゃん』
「……友達、ですか」
本当にそうなのだろうか。
「わたしが一方的に友達だと思ってもいいんでしょうか」
『だーかーら! 分かれよ、そんなこと。冬耶のほうも、美咲さんのことを友達だって思ってるんだって』
だとしたらとても嬉しいことだ。そしてわざわざそれを電話してくれたということは、そのことをわたしに伝えてやりたいと小村くんが思ったからだ。
『だから別に、変に冬耶に遠慮することないぞ。メールぐらいばんばん送ってやれ。あいつだって友達から連絡来て嫌だってことはねえだろ』
「で、ですが」
『分かるよ。美咲さん、友達なんて今までいなかったもんな。せっかく仲良くなった人と疎遠になったら怖いって慎重になったりするよな』
「…………」
内心を言い当てられて思わずわたしは押し黙る。
『でもさ、慎重って要するに臆病なんだよな。美咲さんが、誰かに自分のことを知られるのが怖いってことだよな。そうすると離れていかれるかもしれないから』
「うっ……」
『そういうのって寂しいじゃん。悔しいじゃん。だから今ぐらい前向いて、連絡のひとつぐらい入れてみてもいいんじゃねえ?』
じゃな、と小村くんが言って電話を切ろうとする気配を感じた。そこでわたしはとっさに、「あのっ」と声を出していた。
『ん? まだなんかあるか?』
「あ、その……ありがとうございます。本当に」
『あ? なにが』
と小村くんの返答は素っ気ない。
「その……小村くんのおかげで、及川さんや葵さんと仲良くなることができた……んじゃないかな、って、その、わたしの思い上がりでなければきっと、あの……」
だから自然とわたしの言葉も歯切れ悪くなってしまう。
『仲良くなるのはただの始まりだろ。するんだろ、告白。冬耶に』
「あ、それは、えっと」
思わず口がまごついてしまう。告白――それは好きな人に想いを打ち明ける行為。
『じゃ、俺はもう寝るから切るな。おやすみ』
「あ、はい、おやすみなさい」
そうして今度こそ本当に電話は切れる。あとは沈黙する携帯と、夏が近いのに嫌に寒気のする部屋だけが残った。
小村くんの言葉を反芻する。慎重なのは臆病だって。知られるのが怖いって。それは全部誰のことだ。
わたしのことだよ。
ここで情けなく携帯を抱きしめたまま全部うやむやにして明日を迎えるのか。
それとも少しだけ前を向いて及川さんにメールをするのか。
さっきまではうやむやにする道を選ぼうとしていた。けど小村くんは言外でその道を、孤独で寂しくて悔しい道だって言ったんだ。
今日は、楽しかった。初めてやったボウリング。ダーツやゲームセンターで及川さんと遊んだこと。フードコートでおしゃべりしたこと。
全部全部初めてで、だけどとっても楽しむことができて。
そういう明日はきっと前を向かなければやってくることはなくて。
「…………」
せめてその一通が明日につながってくれればいいと思いながら。
携帯を開いて、不器用にボタンを押すのだった。
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