第9話 とてもうつくしいひと

 ガコーン、と景気のいい男が響いたかと思うと、「よっしゃ!」という声がそのあとを追う。


 場所はアミューズメントパーク二階のボウリング場。今わたし達は、二対二の組み合わせでボウリングをしているのだった。


「ナイッス、ユウ君!」


「おう、やってやったぜ!」


 ハイタッチする小村くんと葵さんを横目に、わたしはボールを構えてレーンの前におずおずと進む。ちなみに重さは5ポンドだ。これでもわたしには重いのだ。


 そして、投球。……数秒もたたないうちに、ガコーン、と間抜けな音がした。


「あー……」


 と後ろからも間抜けな声がした。それも三つ。


 また、ガター。わたしの運動音痴っぷりが、これ以上ないほどに発揮されている。されすぎている。


 スコアを見れば、小村くん・葵さんペアとは大きく点数を離されていた……主にわたしのせいで。


「ははっ。ドンマイ、綾川さん」


 と及川さんは爽やかに笑って慰めてくれるけれど、申し訳ない気持ちが余計に積もるばかりだった。


 すごすごと自分の席に戻ると、今度は及川さんの投球だ。綺麗なフォームで、見事スペアを取っている。ちなみにわたしは、ストライクどころかスペアさえもまだ出せていなかったりする。


 うぅ……情けない。


 及川さんの次に投げた葵さんに至っては、ストライクをまた出してるし。これで五回連続だ。


「相変わらず、お前の運動神経って化け物じみてるよな」


「あははっ。普通だよ普通!」


 もしも葵さんが普通だとしたら、わたしはどれだけ底辺なのだろうか。考えるのも恐ろしい。思考停止してしまいたい。


 とはいえ、葵さんの運動能力が高いのは当然のことなのだ。テニス部に所属しているから、というだけではない。


 彼女はなんと、中学時代に全国大会で優勝を果たしている。高校に入ってもその実力は健在で、去年の大会では団体戦で全国三位、個人戦では全国一位になったとか。


 小村くんや及川さんも葵さんほどではないがストライクやスペアを出しているし、わたしなんかの成績とは当然ながら比べものにならない。


「そんな落ち込まないでさ。次、頑張ろうよ」


 及川さんが優しく声をかけてくれるけれど、なんだかそれが余計にいたたまれない気持ちになってくる。


「……すみません。足を引っ張ってしまって」


「ん? 別に気にしなくていいよ。こういうところ、慣れてないんでしょ」


 勇作から聞いてるよ、と及川さんは親しげに話す。


「だからまあ、初めてなんだし上手くいかなくても気にしない、気にしない。誰でも最初はこんなもんだって」


 だからといって、高校生にもなってガターを連発するのもわたしぐらいのものだろう。そう考えると、とても平気な顔はしていられない。恥ずかしいし、情けないし、なによりも申し訳なくて。


 結局最後のラウンドを終えるまで、わたしは足手まといのままだった。





「ジュースでも……買ってきますね」


 ゲームが終わってすぐにわたしはその場を離れることにした。情けなくて胸が苦しすぎて、とても今は一緒にいられるような気分じゃなかったのだ。


 わたしと及川さんのペアはあえなく惨敗。敗因は、わたしの圧倒的なガター率。


 一方で、葵さんは合計で十二回もストライクを出していた。どうすればそんなに出せるのか、わたしにはまったく分からない。


 自分だけヘタクソだと泣きたくなる。バカにされたりするんじゃないかとか、盛り下がるとか思われたりしないかとか。そんなことを気にしてしまって、どうしても涙がこみ上げてくる。人付き合いをほとんどしたことがないからこそ、自分だけ違うと余計に苦しい。仲間外れ、なんて言葉が頭の中をぐるぐる駆けずり回ってみたり。


 周りも同じように下手なら心配しないでいいのだ。一緒にいても大丈夫、と言ってくれてる気がするから。だけどそうはいかないとき、空気や雰囲気がわたしの存在を拒絶しているように思えてしまう。決して口にはしなくても、ここにお前はいなくていいよと語りかけてくるような、そんな不安感と疎外感。


 それは狼の群れの中に一匹迷い込んでしまった羊に近い。近寄りすぎても混じれない。うっかりすれば、骨までかじられ土になる。


 きっと小村くんなんかは、こんな泣き言を聞いたら呆れるだろう。悩んでも仕方ないことに頭を使ってどうするんだと言うだろう。


 そういう強さが自分にもあればいいのに。


「あーあ……」


「溜息なんかついて、どうかした?」


「はい!?」


 慌てて後ろを振り向くと、後光をまとった及川さんがそこにいた。いや、後光は幻だ。しかしどうして、きょとんと首を傾げるその姿さえも光をまとって見えるのはいかがなことでありましょう。うっかり蒸発しそうなので、あまりこちらを見つめないでほしい。


「……そんなに驚かれると、ちょっと困るんだけど」


「あ、その、ごめんなさい」


「いいよ、別に。怒ってるわけじゃないし」


 と言いながら及川さんは自販機に小銭を入れた。


「綾川さんはお茶でいいよね?」


「へ? い、いいいやっ、結構です!」


「……あ、ごめん。もう押しちゃった」


 ガコン、と鈍い音を立てて出てきたお茶を及川さんがわたしに向けて差し出してきた。慌ててポケットから財布を出す。


「あ、遠慮しないでいいんだけど」


「え、でも……」


「別に気にしないで。オレが間違えてボタン押しちゃっただけだから」


「……はい」


 そう言われたら断れない。おとなしく受け取ろうと手を伸ばす。そしたら指先が及川さんの手に触れて、ピリっと全身に電撃が走ったような感覚を覚えた。思わず腕を引っ込める。


「ひゃぅっ」


「あ、おい――」


 鈍い音を立ててペットボトルが転がった。


「ご、ごめんなさいっ」


 慌てて床に膝をつくと、ペットボトルを拾い上げる。とんだ醜態を見せてしまった。どうしてわたしはこういう時にへまをやらかすのだろう。いたたまれなくなって、及川さんの方を向くことができない。


 及川さんも困っているのか、何を言うでもなく立ちすくんでいる。自分の分の飲み物を買うのかと思ったらそういうわけでもなさそうだし、だけど立ち去る様子もない。


 わたしを追ってここまで来たのだろうか。いや、そんなことを考えるなんて、どれだけわたしは自惚れているんだ。自意識過剰にもほどがある。


 こういう時の立ち回りをわたしは知らない。気まずい沈黙を埋めるどうでもいいような会話の仕方なんて、これまでの人生で習ったことがない。学校で勉強するのはいつだって、こういう時には役に立たないようなことばかりなのだ。どうせなら、他人との話し方を授業の中で教えてもらいたいところ。


 及川さんは及川さんで、こちらを見ているのかいないのかどうにも判別しづらいのだ。ちら、と横目で様子をうかがってみれば、確かにそこにいるけれど、なんだか途方に暮れているよう。何かを言いかけて、でもやっぱりやめて、だけどやっぱり言おうとして、と繰り返しているかのようで。


「……及川さんは、どうしてここに?」


 結局先に口を開いたのはわたしだった。


「勇作の援護射撃、かな」


「援護射撃?」


「葵と二人にしてやろうと思って。お邪魔虫にはなりたくないし」


「お邪魔なんかではないと思いますけど」


 むしろ邪魔だとすればわたしのほうだ。


「それで綾川さんは?」


「へ?」


「どうかしたのかなって。溜息もついてたし。もしかしてつまんない?」


「それは、その……つまらないわけじゃないんですけど。でも」


 言いよどむ。卑屈なことを考えているのを知られたくなくて。


「……わたしだけが浮いてる気がしてしまって、その、盛り下げてたりしたらどうしようかと思って……」


 意外なことに及川さんはうなずいてみせた。分かるよ、とでも言いたげに。


「周りと違うって嫌だよね。自分だけ除け者にされてる気持ちになる」


「はい――だからつまらないとか、楽しめてないとかそういうのでは全然なくて、楽しいんですけど」


「楽しんでもいいのかなって不安になるというか」


「そうなんです。ここにいてもいいのかなとか」


「拒絶されないかなとか」


 色々考えちゃうよね、と及川さんは目を伏せた。


 その様子にはどこか実体験に裏付けされたようなものがあって、わたしはそこでふと思う。及川さんも葵さんのことが好きで、だけど二人の間に割り込めなくて疎外感を感じているのではないだろうかと。


 葵さんみたいな明るい人は、どんな人にも好かれそうだし。


 そんなわたしの表情を読んだのだろう、及川さんは少し顔をしかめた。


「別に、勇作と葵に遠慮してるってわけじゃないからね」


「え、ええ?」


「オレ、そんなに奥ゆかしくないし」


 なんて言いながら及川さんは自販機にコインを投入した。結局自分用の飲み物を買うことにしたらしい。


 缶コーヒーのプルトップを上げながら、及川さんは言葉を続ける。


「勇作には葵と上手くいってほしいんだよね。随分と世話になってるしさ、あいつらには」


 そこで及川さんが言葉を切ると、また気まずい沈黙が戻ってくる。微妙な距離感はまるで、互いの出方を探るかのようだ。冬場に階段の手すりを触れる時に少し似てると思った。静電気を警戒して、触れそうで触れないところで確認する。


 そうやってしばらく沈黙しているうちに、二人の女の子がこちらのほうへやってきた。ジュースでも買いにきたのだろう。わたしと及川さんは黙って自販機の前をあける。女の子達は及川さんに少し熱っぽい視線を流した。


 その様子を観察していると、ジュースを買っても二人は立ち去ろうとしない。それどころか二人とも何事か囁き交わすと、おもむろにケータイを取り出してこちらへと足を踏み出してきた。


「あ、あのっ、お写真いいですか!?」


 おずおずと差し出されるそれを見て、わたしと及川さんは顔を見合わせる。


「お、及川冬耶さんですよね!? 噂の!」


 もう片方の女の子がそう続けて、ようやく事態を理解した。


 この人は、女の子の間で噂されるのも納得できるほど、別次元の美しさをまとった人なのだ。


 そこにいるだけで人の目を惹きつけずにはいられない。きっと、存在そのものの格が常人とは一線を画すのだろうと思う。


 どういう反応を返すのかと及川さんのほうをうかがっていると、不意に彼は強い力でわたしの腕を引いた。


「ふぇ!?」


 そのまま物陰へと連れていかれる。後ろからは、「あっ……」という女の子達の残念そうな声も聞こえる。


 ようやく状況を把握したのは、及川さんがわたしの腕を解放した時だった。


「ど、どうしたんですか?」


 しゃがみこんだ及川さんの表情は少し青ざめている。何事かと思いつつ、また嫌がられたりしないかなと警戒しつつ、その額に今日はまだ使ってないハンカチを当てた。結構冷や汗で凄いことになっている。


「大丈夫ですか? 今日はもう、帰ったほうがいいんじゃ……」


「いや」言いかけたわたしの言葉を及川さんが制した。「大丈夫。もう、だいぶ収まったから」


「ならいいですけど……」


 まだ立ち上がる気配を見せない及川さんの背中をとりあえずさする。とはいえ、あまり無理をしているような素振りをしているようには見えないから大丈夫なのだろうけれど。


 少しすると及川さんの顔色もだいぶ良くなってきた。そのことに一安心して、わたしは及川さんに声をかける。


「具合、よくなりました?」


「うん。ありがとね」


 及川さんが少しふらつきながらも立ち上がる。ちょっとした貧血だったみたいで、大げさに心配するほどではなさそうだ。


「ごめんね」


 と及川さんが言う。何に対する謝罪なのか。貧血になったことなのか、それともいきなり物陰に引きずり込んだことなのか。どちらにしても、謝られると居心地が悪い。


 かといって、別にいいよだなんて言いぐさはなんだか偉そうな感じがして気おくれしてしまう。黙って首を振ることぐらいしかわたしにはできなかった。


「……オレ、女の子って苦手でさ」


「え……?」


 不意に及川さんが話し出す。その内容は、普段女子に囲まれている姿からは想像できないものだった。そんなわたしの考えを見透かすように及川さんは投げやりに笑う。


「やっぱ信じない? こんな話」


「あ、いや。そんなことは……」


 ない、と思う。さっきの及川さんの様子を見たあとなら、信じることもまあできる。


「何話したらいいのか分からないんだよね。単純に。あっちから話しかけられてきても、共通の話題とかないしさ。葵ならテニスの話ができるし、美咲さんだったら勇作が連れてきたんだしまあいい子なんだろうって思えるけど……」


「小村くんのこと、信頼してるんですね」


「そりゃね。多分勇作を間に挟んで知り合わなかったら、美咲さんともこうやって話せてないと思う」


「わたしも、小村くんがいなければこうして及川さんと話すことはなかっただろうなって思います」


 自分の地味さが後ろめたくて、話しかけることさえも気おくれしてしまいそうだから。


「……なんだか綾川さんとは仲良くなれそうな気がする」


「えっ!?」


「……嫌、かな?」


「あ、えと、嫌……というか、なんていうか、その」


 そんな風に言われたのが初めてだからどう反応すればいいのか分からない。わたしだって、できれば及川さんとは仲良くしたいと思う。けど、そんな身の程知らずのことを思ってもいいのだろうか。


 戸惑っているうちに及川さんの顔は残念そうな色に染まっていく。


「そっか……嫌なんだ」


「そ、そういうわけじゃなくてですねっ」


「……」


「あの……嫌、じゃないんですか?」


「何が、っていうか、嫌ってつまり、どういうこと?」


「わたしなんかと、わたしみたいな女と友達って……なんだか及川さんには似合わないっていうか」


「え、言ってることがわけ分からないんだけど」


「だ、だって、見た目的につり合いが取れないというか」


「なんで?」


 及川さんが首を傾げる


「いや、だって、わたしって地味ですし……」


 髪は切った。服は買った。けれど、葵さんみたいな人と比べればそもそもの華やかさが全然違う。


「そう? 別に、地味でもいいと思うけど」


「で、でも。及川さんはとてもかっこいいですし……」


 言いかけて、あっと思った。地雷を踏んだのが及川さんの表情で分かってしまったのだ。彼は嫌そうに顔をゆがめて、『見た目のことは言わないで』と口にした。


「コンプレックスなんだよね」


 その言葉の意味を、わたしは最初理解できなかった。なんせあの及川さんである。容姿をコンプレックスにする理由などないように思えたのだ。


 自分の見た目をコンプレックスに思っていいのは地味で不美人な人間だけに許される。それがわたしの中での常識だ。たとえばこのわたしみたいな地味で、陰気な人間であったりとか。そういう意味においては、及川さんは条件を満たしているとは言い難い。


 人間の価値の半分以上は第一印象で決定する。かっこいいとか、かわいいとか、愛らしいとか、クールだとか、そういうのはすべて中身から外れたところで判断される。


 その基準に従うなら、わたしの価値は及川さんの足元にも及ばないと思う。


 だってわたしは無価値なのだ。どんなに頑張ったところで、今さら花開くことなんてできやしない。


 できることならわたしだって美人に生まれたかった。花になりたかった。


 地味で陰気なのは誰だって嫌だ。本人だってそれを望んで地味なまま、陰気なままでいるわけじゃない。ただ自分の価値が信じられなくなっているだけだ。


 無価値な人間だと、自分で諦めてしまうのだ。


 だから小村くんに声をかけられるまでは気づかなかった。踏み出せる足があることに。


 体を支えてくれる地面があることに。


 そのことをずっとわたしが知らなかったのは、自分の価値を認めることができなかったから。だからそれだけに、及川さんの言葉は不可解だった。


 なんせ及川さんは誰もが認める整った容姿の持ち主で、単純にそれだけで客観的な価値がある。本来ならば誇るべきもので、かっこよさや可愛さは直接的に他社に訴えかける力でもある。人間の価値が第一印象でほぼ決まるというのなら、及川さんは宝石で言うなればダイヤモンドをもはるかに凌ぐだけの存在するだけの価値があると言えるだろう。


 石ころのわたしには分からない。


 なぜ力を持つ人間が、その力をコンプレックスと感じるのかを。


「理解できないです」


 わたしにしては珍しい、はっきりとした他人に対する否定の言葉。


「及川さんが容姿をコンプレックスにするなんて、想像できません」


「それはどうして?」


「……だって」冷静に問い返されて少しだけ怖気づいたけれど、押し黙ると余計に変だと思ったから素直に答える。「及川さんは、美しいですから」


「……」


 わたしの率直な言葉には、しかし沈黙が返ってきた。


 そっと様子をうかがうと、どこか諦めたような顔で及川さんもわたしを見返す。まともに正面から顔を合わせてしまって、わたしはさっと顔を背けた。つい手を当てた頬が熱い。


 及川さんみたいなとても綺麗な顔をした人と正面から向き合うのはとても恥ずかしい。自分の容姿がどれだけ陰鬱であるのか目の前に突き付けられているような気分になるから。


 そう認識した途端、及川さんのほうを見ることができなくなってしまう。仮に彼が太陽の美しさを持つとするなら、わたしはその炎に焼き尽くされた塵だ。風が吹けば消えてしまう、あってもなくても何も変わらないような下らない存在。


「……見た目ってそんなに大事かな」


 しばらくの沈黙ののち、及川さんがぽつりとつぶやいた。


 けど及川さんから目を背けていたわたしの反応は遅れた。自分にかけられた言葉だったのかどうか分からなかったのだ。


「大事、ですよ。とても、とても、大事だと思います」


「それはなんで?」


「……人間の価値はきっと容姿で決まるからです」


 人は見た目が九割だ。性格や中身なんてもの、他人なんかは評価しない。もしそれに評価を与えるとするなら、それは単なる自己満足だ。昔、そんな内容の本が出版されたことがある。


 わたしはそれを、妙に深い納得とともに読んだ。そしてその時分かったのだ。わたしは評価されない側の人間なのだと。


 わたしの容姿はお世辞にも麗しいとは言い難い。はっきり言って地味もいいところで、取り立てて褒めるべきところがあるわけでもない。まるで目立たない外見だ。


 ……そう。わたしなんて、咲き誇ることのできない雑草でしかないのだ。


「オレは外見だけじゃ人の価値は決まらないと思う」


「ですが、わたしと及川さんでは価値のあるなしは一目瞭然じゃないですか」


「……そんなにオレって価値がないように見える?」


「それはわたしのセリフですよ」


 わたしの基準に照らし合わせれば、及川さんには価値がある、といえると思う。


 すっと通った鼻筋はギリシャの彫刻のように美しく、涼やかな目元は誰しもがうらやむほどに爽やかだ。一見すると長すぎるように見えるその髪も、面長の顔立ちというのも相まってキザな感じに気取ったナルシズムからはほど遠い。むしろどこか上品さまで兼ね備えていると思う。


 それはまるで完成された芸術のよう。燦然ときらめく星々が、奇跡的な配列で夜空をもっとも美しく飾っているかのように、あらゆるパーツが計算されつくした形で存在している。


「及川さんと比べたら、わたしの存在なんて無価値に決まってるんですよ」


「そんなことないと思うけど」


 こういう時にお世辞を言ってくれるなんて優しい人だなと思う。


「かっこいいとか、可愛いとか、綺麗だとか、イケてるとか、そういう些細なことよりも、さっきオレの気分が悪くなった時に背中をさすってくれた綾川さんの優しさのほうが、オレにとっては価値を見出せるものだと思うんだけど」


 優しい、と言われてわたしは恥ずかしい気持ちになった。別にそんな風に言われるようなことをしたつもりはなかったから。


 ただそうすることが正しいような気がして、せめて少しぐらいは及川さんのためになるようなことをしなければ思っただけだ。


 ――誰かに必要とされている自分がほしいから。


「別にそんなんじゃないですよ」


 そう発した自分の声が想像以上に弱々しかったことに驚いた。視線は爪先を向いていて、ここにはわたしと及川さんがいるはずなのになんだか一人ぼっちな気がした。


 すると、すっと目の前にスマホの画面が差し出された。そこには、及川さんと、もっさりした印象の男の子が映っていた。


「これさ。オレと……勇作」


「へ?」


「今とだいぶ雰囲気違うだろ」


 少し笑いを含んだ口調で及川さんがそう言った。


 画面の中の小村くんは、今の姿と全然違っていた。髪も重たくて野暮ったくて、表情だってパッとしない感じ。典型的な地味系で、しかも眼鏡までかけている。


「懐かしい……」


 それを見てわたしは思わずそう呟いていた。


「懐かしいって?」


「あ、その。……昔、少しだけ仲良くなった人に、なんだか似ていて」


 慌ててそんな風にごまかす。


「へえ、そうなんだ」


 と、及川さんはあまり気にした素振りを見せなかった。


「中学二年の時かな。このころはまだ、勇作も全然おしゃれとかそういうの知らなくてさ。一言で言っちゃえば、まあ――ダサかったよな」


「……」


「中学ん時さ。オレって男の友達、コイツしかいなかったんだよな」


 その言葉に、思わずわたしは及川さんの顔を見た。過去を語る彼の表情に、憂いの色は見られない。


「寝取っただろとか、ふざけんなとか、顔がいいからっていい気になってんじゃねえとか、ヤリチンとか、すっげえ色々言われてた時期でさ。全部誤解だってのに、男子の間じゃ悪者にされてた」


「それは……」


「女子はかばってくれるよな。男子サイテー、嫉妬ミグルシー、及川くんは何も悪くないのにー……って。まあ、だから、余計に男の間じゃハブられたりするわけで」


「……」


「けどそんな空気の中でも、勇作はオレを見捨てないでいてくれたんだよな。それどころか、俺の誤解を解いて回ってくれててさ。クラスでも孤立しないよう、すっげえ気を回してくれてたんだよ」


 それは何となく想像ができた。なんだかんだ言いながら、小村くんはとても優しい。厳しいことを言っているようで、その裏には思いやりに満ちている。


 昔からそういう人だったのだと聞かされて、わたしはなんだか嬉しくなった。


「無理に近づこうとしてくる女の子をブロックしてくれてたのも、後から知ったよ。それでも近づいてくる女の子はいたけどな。修羅場とかも……まあ、経験した」


「そうなんですか」


「だからこそ勇作についてた当時のあだ名にはムカついたんだけどね」


 っていうか今でもそのあだ名つけたやつは許せない、と及川さんは苛立たしげに口にする。わたしは思わず首を傾げて、及川さんに疑問の視線を投げかけた。それに気づいたのか、それとも最初から話すつもりだったのか、あっさりと及川さんはそれを口にする。


「『背景』だとよ。勇作のあだ名が」


「背景?」


「オレの背景、だそうだ」


「それは……」


 きっと腰ぎんちゃくとか、そういう意味合いになるのだろう。それはなんだか、とても失礼極まりない呼び方に思えた。


「あいつら、勇作のこと全然わかってないんだよね。オレがどんなに見た目だけでちやほやされたって、勇作には敵わないんだよ。あいつみたいに、人のために頑張れるやつのほうが絶対に凄いに決まってる」


 わたしは何をどう言えばいいのか分からなかった。だからどうしても押し黙ってしまう。


 返事もしないで黙り込むわたしに、及川さんは優しい視線を向けた。


 いたたまれなくなって目を逸らす。


 沈黙がしばらく漂っていたけれど、及川さんが言葉を紡いだ。


「ありがとな」


「……へ?」


 お礼を言われる心当たりなんてなかった。


「それでも外見のほうが大事だって言われたら、オレは綾川さんのことを赦せなかったと思う。勇作のことをバカにされたような気持ちになっちゃうから」


「そんな――そんなこと、言えるわけないじゃないですか。あんな……」


 あんな、優しすぎるおせっかいな人のことを貶めるようなことなんて。


「綾川さんも、優しいよね。自分を卑下することは一人前なくせに、他人をそれに巻き込めないところとか」


 だから仲良くなれそうだと思ったんだよ、と及川さんは言ってくれる。わたしの弱さを優しさと言い換えてくれる。


「オレに近づいてくる女の子ってさ。みんな、オレをアクセサリーみたいに考えてるんだよ。一点もので高いけれど手に入ったら自慢できる、みたいな。ちょっとお高いリングやブレスレット、みたいな。それってつまり、オレのことを本当の意味では見てないってことだよな」


 その口調にはどこか理不尽に対する憤まんが込められていた。


「それって、オレをアクセサリー扱いするって、要するに着飾って美しい自分が素敵だって思いたいだけのことだよな。オレの彼女である自分が素敵! 美しい! みたいな。魅力にあふれてるわたしって素敵! みたいな。……でもさ、綾川さんは違うじゃん。今さっきだって、勇作のことをちゃんと気にかけられたみたいな思いやりがあるじゃん。だからさ、オレ、綾川さんとはきっと仲良くやっていけるだろうな」


「……及川さんはアクセサリー扱いされるのは嫌なんですか?」


「嫌だよ。普通に。だってオレは人間だから」


「わたしは、ちょっと羨ましいです。わたしは憧れますから。……花みたいに、宝石みたいに、美しく咲くことに」


 アクセサリーであるならば、宝石だとするならば、それだけの価値がある人間だという証拠なのだ。けれどわたしみたいな人間は、アクセサリーとしての価値すらない。


 ただの石ころで、もしくは土くれでいくら磨いたところで売り物にも粘土にもなれない。誰かを彩ることなんて、到底不可能なことである。


 そういう人間はただ自分の無価値を嘆くしかできないのだ。それは世界の中で居場所を失うということなのかもしれない。


「本当の意味で石ころでしかない人間はいないよ」


 及川さんが少しだけ困ったようにそう言うけれど、わたしは首を横に振る。『本当の意味』なんて、そんな弱々しい建前にすがることはとっくの昔にやめたから。


「けど……だけど、わたしは石ころですらないんです」


 ――だって罪人ですから、という言葉までは口にはしない。


「じゃあそろそろ戻ろうか」


 と言って及川さんが腰を上げる。わたしもそれに続こうと腰を上げかけて――メールが着信を告げる。


 確認してみると、小村くんからだった。


『ごめん! 今葵と一緒だから、もう少し冬耶と時間つぶしてて!』


 思わず二度見する。すると不意に吹き出す声がした。


 見れば、及川さんにもメールが届いているらしい。スマホの画面に視線を落としている。


「どうかしたんですか?」


「どうもこうも――こういうことだよ」


 及川さんがスマホの画面を差し出してくる。その内容を確認して、わたしも思わず頬を緩めた。


『悪いけど今だけは葵と二人にしてくれ! 綾川さんのことよろしくね!』


 きっとわたしが及川さんと親しくなれるようにって気遣いなんだろうなあ、と想像がついた。


「な? 勇作ってめっちゃかっこいいだろ?」


 まるで自慢するかのような口調で及川さんがニッと笑った。





 小村くんが送ってきてくれたのは、葵さんとの二人きりの時間を邪魔しないでくれ、という内容のものばかりではなかった。


 最初のメールが届いてから数分後のこと。


 及川さんのことについて、長いメールを送ってくれたのだ。


『冬耶はダーツが得意だから教わってみたら?』『クレーンゲームだったらなんでも器用にこなすから何かねだってみるといいよ』『遠慮なんかすると逆に壁を感じさせるから、少しぐらい甘えられたほうが男は嬉しいぞ』『俺がそばにいると二人きりの時間を邪魔することになるから、お前一人で頑張れよ!』


 数々のアドバイスを受け取ったわたしは、及川さんと色々な場所を回った。


「く、くりけっと? かうんとあっぷ? え、えっと、その、よく分からなくて……」


「あ、ダーツ初めてなんだ。じゃあまずはルールの簡単なカウントアップからやってみようか」


「ひ、ひゃいっ!」


「じゃあ綾川さんから投げてみて……ってなんで野球みたいに振りかぶって投げようとしてんの!?」


 ダーツではさんざん迷惑をかけながらも、投げ方のコツを教わったりして楽しい時間を過ごすことができた。


 教えてくれる時に肩や腕に触れたものだから、心臓が爆発しそうなぐらいに脈打った。


「あっ……」


「ん? どうしたの、綾川さん」


「あれ、小村くんにちょっと似てませんか?」


「あ、ほんとだ。目元が凄いそっくりだね」


 ゲームセンターでは、小村くんにそっくりなライオンのぬいぐるみを及川さんがクレーンゲームで取ってくれた。


 大事にするといいよ、なんて言ってくれて。家に帰ったら部屋に飾ろうと強く思った。


 ホッケーやビリヤードなんかもやった。わたしはどちらも初めてで、ヘタクソで、及川さんには迷惑をかけてばかりだったけれど、彼は嫌な顔ひとつせずに笑って相手をしてくれた。


 そうこうしているうちに時間は過ぎて、少し小腹がすいてくる。わたし達はフードコートへ移動して、わたしはジュースとポテトを、及川さんはシェイクとクレープを注文した。


 及川さんのクレープはデラックスサイズだ。ふんだんに使われたチョコレートクリームに生クリーム、五種の果物、さらには数種のベリー系のシロップまでがかけられている。


「……す、すごい甘そうですね」


 虫歯になりそうなボリュームだ。実は軽く引いているわたしの内心には気づかないのか、及川さんは「ん?」とクレープから顔を上げた。


「そんなんでもないよ? これぐらい普通だよ」


「普通、ですか……」


「はちみつとメープルシロップをさらにかけてちょうどいいってところじゃないかな」


 それはもう砂糖を食べているのと変わらない気がしたが、わたしの価値観を押し付けるだけな気がしたのでその場では曖昧に微笑んでおいた。


 すると及川さんは何を勘違いしたのか、クレープをわたしのほうへと差し出してくる。


「もしかして綾川さんもほしい?」


「あ、いえ……」


 わたしなんかが施しを受けるなんて身の程知らず以外の何物でもないと思う。だからとっさに遠慮しようとしたけれど、せっかくの申し出を断るほうが無礼なんじゃないかとか色々考えてしまって、結局何も言うことができず。


 結果、目の前に突き出されたクレープの端っこ……及川さんが口をつけていない、皮の部分だけを頂戴した。


「あむ……むぐ……」


 生地だけでも、しっとりしていて生地そのものの甘味がある。それで十分においしいと感じた。普段は食べないものだからなおさらだ。


「お、おいしいで――むぐっ!?」


「全然食べれてないじゃん。変な遠慮しないで、こう、がぶっと行っちゃいなよ」


 ……気遣いはありがたいけれど、いきなり口に突っ込まれると少し驚く。けれど一度口の中に入れたものを吐き出すわけにもいかずに咀嚼すると、種類の違う甘さが口の中で楽しく弾けた。


 これは、確かにおいしいかもしれない。見た目以上に果物の酸味もきいていて、思ってたより甘すぎて重いということもなかった。


「あ、ありがとうございます。こんなにもらっちゃって……」


「いいよ別に。あ、オレもポテトちょっとだけもらっていい?」


「あ、はい。どうぞ」


 とわたしのポテトを差し出すと、及川さんは一本つまんで口に入れた。


「ん、じゃがいもと塩だな」


「はい。じゃがいもと塩です」


 安定のジャンク感。とはいえわたしはあまりジャンクフードを食べないのだけど。


 そうやって軽食をパクつきながら、胸に抱えている不安のやり場をどうしようかと頭を悩ませる。何度かそれを言い出そうとして、けどやっぱり口にはできずにまごついていると、及川さんがそれに気づいたのか首を傾げて問いかけてきた。


 うぅ……気を遣わせてすみません。


「綾川さん、さっきから何か言いたそうだけどどうしたの?」


 真っ直ぐこちらを見てこないでください。蒸発するじゃないですか。ぼっち女はきらきらオーラに弱いのです。


「その、えっと……なんでもないです」


「なんでもないって顔はしてないように見えるけど?」


 ごまかそうとしたら見破られた。とっさに視線を宙に向けると、「目が泳いでるよ」と及川さんのご指摘が。思ってることが顔に出やすいわたしの単純さが憎い。


「遠慮しないで言ってくれていいんだよ」


 という及川さんの言葉はありがたいけれど、だからって後ろめたい気持ちまで払拭できるわけじゃない。だから自然とわたしの言葉は歯切れの悪いものになった。


「その……及川さんが退屈していたりしないかな、と」


「え、なんで?」


「いえ、だってその……わたし、あまり面白いこととか言えませんし、さっきから及川さんに色々してもらってばかりで……」


 おずおずとそう言うと、及川さんが驚いたような顔をする。


「とんでもない。楽しいよ。いつもだったらただ遊んでるだけだけど、今日は教師気分も味わえたし」


「そう、ですか?」


「むしろいつもより新鮮な気持ちで遊べたよ。ありがとう、綾川さん」


 そう言いながら及川さんがほほ笑んだ。


「で、でも、わたしみたいな地味な女が隣にいたら嫌な気持ちになってたりしないかな、とか」


「んー……地味?」


 と言って及川さんがわたしの服装(小村くんセレクト)をまじまじと見つめる。恥ずかしさに思わず身をよじった。なんだかとってもいたたまれない。


「なんだか勇作が選びそうな感じのセンスだね?」


「へぁ!? あ、い、いえ、あの、決してそのような、こと」


 わたしの服を小村くんが選んだと知ったら、変な誤解を及川さんや葵さんに抱かせるかもしれない。人の手柄を奪うようで気が引けるが、一応自分で選んだと主張しておく。


 多分それが、今この場では正解だ。


「ふーん? ……うん、似合ってると思うけど、普通に」


「ふ、普通に、ですか?」


「うん、普通に。無難に。安心で安全な感じ」


「はあ……」


 それは褒められているのだろうか。きょとんと首を傾げるわたしに、及川さんが穏やかに笑いかけてくる。


 学校では見かけたことのない笑い方だ。


 その微笑みにぽーっとして見惚れてしまう。


「そんな笑い方もするんですね」


「へ?」


「え、あれ? わ、わたし、今なんて……」


 どうやらポーッとしていてつい口を開いてしまったらしい。自分の失言に、思わずわたしは頭を下げる。


 けれど及川さんはそれも鷹揚に笑って流してくれた。学校ではいつも不機嫌そうな顔をしているか苦笑いをしているかだというのに、プライベートでの印象はだいぶ違う。


 そんな疑問が透けて見えたのだろう。及川さんが答えてくれた。


「オレ、学校とか女子のいるところだとあんま笑わないようにしてるんだよね。周りが勝手に盛り上がって騒がしくなるから」


「あ、そう、ですか」


 確かに今みたいな優しい笑顔を見たら、女の子のファンも余計に増えそうだ。


 それにしても、わたしも女の子なんだけどな、一応……。なんて落ち込んでいたら、それを察してくれたのかフォローが入る。


「綾川さんが平気なのはさ、多分、似てるからじゃないかな。勇作に」


「へ? わ、わたしが小村くんと?」


「うん。なんていうか、雰囲気がね。一生懸命なところとか、他人想いなところとか。だから安心して話せるんだと思う」


 わたしと小村くんが似ているだなんて、正直まったく思えなかった。けれども人からそう見えるというのは純粋に嬉しくて、喜ばしくて、だから小村くんに見合うだけの人間にならなければと強く思う。


 そうやってひそかにわたしが決意を固めていると、及川さんの携帯が着信を告げる。それを確認した及川さんはニヤっと笑ってわたしを見る。


「噂をすれば影、だな」


「へ?」


「もう少ししたら、勇作達もこっちに来るってさ」

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